絵葉書でめぐる日本バス紀行(大分県)
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県土は、北部に中津平野、中部に大分平野、南部に佐伯平野などがありますが、山地が多く、西部に九重連山、南部には祖母山、傾山があります。東に面する豊後水道を境にして四国とも隣接します。
別府温泉、由布院温泉などの温泉の多い県でもあります。熊本県境にある阿蘇については、別ページにまとめます。
中部地域(別府)
別府市街
海岸通り
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発行年:1920年代(1927年以降)
別府大分電鉄の路面電車は11の数字がありますので、1形電車。
別府大分間海岸
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撮影時期:1928年頃
電車は1928〜31年に製造された100形(110号)です。方向幕には「大分行」と出ています。
バスはボンネットにシボレーのマークと思われるものが見えます。ナンバーは大分673。同社では、1927年に自動車事業に参入しています。
泉都別府 繁栄に輝く流川通り
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撮影時期:1950年代前半(1951年以降)
白黒写真を全体的に黄色く色付けしています。まあ、これでもカラー写真っぽく見えるのは事実です。ただ、このバスの元カラーはちょっと分かりません。
左側には「メタボリン」の袖看板。右側の「エッチ美容室」の名前も気になります。
ボンネットバスはホイルベースの短い三菱B25(新三菱ボディ)。1951〜52年式くらいと思われます。
大別府全景
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撮影時期:1950年代後半(1957年以降)
バスは亀の井バスの日野BK10(金産ボディ、1957年式)と思われます。ストライプは本来紺色ですが、臙脂系に色づけされています。
別府
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撮影時期:1950年代
春に、夏に、秋に、冬に、別府を訪れる浴客は必ず山を訪れる
バスは亀の井バスのオープンバス。三菱B23(1950年式、梁瀬ボディ)で、亀の井バスの特注車。(注1)
別府温泉
原色を多用した絵葉書ケースに描かれた亀の井バスのボンネットバス。地獄めぐりと亀の井バスが密接にかかわっていたことがよく分かります。
大量の地獄めぐり客を輸送するために導入されたトレーラーバスやアメリカンスタイルの観光バスなど、時代背景がよく分かります。
別府 血ノ池地獄入口
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撮影時期:1930〜40年代前半
血の池地獄入口
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撮影時期:1930〜40年代前半
別府に遊ぶ客の必ず一遊を忘れてはならぬのは天下の奇観大地獄の光景である。その中でも最も凄愴の趣き深いのがこの血の池地獄である。
バスは亀の井バスの「地獄めぐり」の遊覧バスで、乗務員だけでなく、白装束の人や子供たちまでカメラに向いて立っています。
左のバスのナンバープレートは大分450、右のバスは大分480です。
別府名所 海地獄入口
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撮影時期:1940年代後半(1947〜48年)
サングラスの運転手が顔を出してこちらを見ています。窓の中には「貸切」と紙が貼られています。
バスは亀の井バスで、ボンネットの形状からトヨタBM(1947〜51年式)だと思われます。ナンバープレートの形状が1948年までのものなので、撮影年を推察できます。
ナンバープレートにはOITA 大分565と書かれており、ローマ字が入る標章です。窓下の帯の所にはNO 22という車番も書かれています。
別府ケーブルカー・楽天地
別府・ケーブル楽天地
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撮影時期:1950年代前半
乙原山の高台にあり湯の街別府を俯瞰し別府港の眺めはまた格別で温泉浴場、動物園、劇場等あり一日の行楽によい。
到着したバスはトレーラーバスです。客室のあるトレーラーを見ると、メトロ窓になっています。観光バスでしょうか。メトロ窓の観光バスそのものが珍しかった時代ですので、トレーラーバスであれば尚更です。
緑色系のカラーデザインなので、大分交通と推察します。
別府ケーブルカー
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撮影時期:1950年代前半(1948〜51年)
後ろ姿の亀の井バスは後ろ面4枚窓の梁瀬ボディのボンネットバス。前のほうに見えるドアは外側に向けて開かれており、開き戸になっているようです。
横長の黒地のナンバープレートなので、1948〜51年の撮影。
観光別府温泉・温泉プール及楽天地
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撮影時期:1950年代後半
バスは亀の井バスで、富士重工のR7型ボディのようです。正面窓上は明り窓状になっています。
別府温泉
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撮影時期:1960年代(1962年以降)
別府鉄道のバスは三菱B20系列(富士重工ボディ)で、緑色のナンバープレートには6001の登録番号。
西部地域
水分峠から飯田高原を望む
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撮影時期:1960年代
水分ゲートを過ぎると、道は杉林に入り、ここをぬけると視界が開け飯田高原に出る。
手前のバスは緑色のピンストライプカラーなので大分交通、その後ろから来る下半分が赤いバスは佐賀県の祐徳自動車、さらに後ろのカーブでは長崎自動車のバスが見えます。
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