絵葉書でめぐる日本バス紀行(阿蘇)
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阿蘇 阿蘇国立公園(1986年に阿蘇くじゅう国立公園となる)は、熊本県と大分県にまたがる自然公園で、世界有数のカルデラ式火山である阿蘇山や九重山を中心とした九重(久住)連山を中心にした火山地帯です。
エリアを横断する有料道路は「やまなみハイウェイ」と名付けられ、阿蘇から九重を経て湯布院に向かう山岳道路となっています。

阿蘇山

大阿蘇登山バス
坊中駅

撮影時期:1930年代

坊中ガレージが発行した「阿蘇解説えはがき」という10枚組の1枚目です。
此処は世界に第一と、呼ばるる火山、
大阿蘇の、火口丘への登山口、海抜一千七百余尺、坊中駅と申します。
登山バス
坊中駅

撮影時期:1930年代後半

肥後ことば
彦しやん
おどん達が こまか時とにあ とんと
変わってしもうた がまだして登らんでん
とっぺんまで バスの行く

「自分達が子供の時とはさっぱり変わってしまった、
精出して登らなくても頂上までバスが通ふ様になった」
登山道三合目より 右、高岳(1,592米) 左、根子岳(1,433米)を望む
阿蘇山上登山自動車終点の広場
坊中駅

撮影時期:1930年代後半

大阿蘇登山バス(後の九州産業交通)が終点に到着し、待機しているところ。

側面の窓が広いのは、登山バス専用に作られた展望バスと思われます。
フェラデル1935年式。シボレーとともに坊中駅と中岳の間を走ったそうです。(注1)

大阿蘇登山バス 坊中駅
坊中駅

撮影時期:1930年代後半

坊中駅前に停車中の登山バス。
「此処は世界に第一と呼ばるる火山大阿蘇の火口丘への登山口、海抜1700余尺、坊中駅と申します」
写真の周りには、九州一周の鉄道路線図と坊中駅の位置関係が書かれています。

停車中のボンネットバス群の一番手前には、流線形のキャブオーバーバスが停車しています。側面には「大阿蘇バス」と書かれており、流線形ボディに似合う曲線模様が描かれています。

古坊中橋附近よりの中岳遠望と登山バス
古坊中橋

撮影時期:1930年代後半

古坊中橋付近から中岳を望む大阿蘇登山バス。車内の運転手と女性車掌がこちらを見ていますので、絵葉書用に撮影したのだと想像します。

車両はファジョールだそうです(注2)
ナンバープレートには2-615と書いてあります。

阿蘇登山バス起点坊中駅前
坊中駅

撮影時期:1930年代後半

坊中駅前に到着した阿蘇登山バス。左の建物には、登山タクシーと登山土産品の看板が出ています。

車両は、ボンネットのグリルの形状からシボレーだと思われます。車体は特徴的な流線形になっており、登山バス用の特注車両のように思われます。
ナンバーは黒色の横長(1933〜48年の間に使用)で、2.306と読めます。

阿蘇国立公園 草千里浜
草千里浜

撮影時期:1950年代前半(1950〜51年)

阿蘇国立公園の草千里浜を行く2台のバス。
果てしなく続く大草原に悠々草をはむ放牧の群と中岳

前を行くボンネットバスは、大阿蘇登山バスのカラーのままの九州産業交通。戦前の展望バスの流れを汲む側窓の広い車両ですが、詳細は分かりません。
後ろに剣道面のボンネットバス日野BH10がいるので、1950年以降の光景ですが、ナンバープレートが黒色なので、1951年6月以前の写真と思われます。

阿蘇を征く
阿蘇を征く

撮影時期:1950年代前半(1951年以前)

阿蘇中岳の中腹からは、噴煙が立ち上ります。
波浪のようにうねる緑のスロープ果てしなく続く大草原草千里ヶ浜より中岳を望む。

九州産業交通のバスは、手彩色で暖色系に塗られています。ボンネットの形状から、1950年ごろの日産と思われます。黒色ナンバーなので1951年6月以前の撮影。そのナンバープレートには、8 397の文字が見えます。

阿蘇中岳の火口
阿蘇中岳

撮影時期:1950年代前半(1951〜55年)

登山バスは山上終点拝所につく、そこは阿蘇神社摂社と西厳殿寺奥の院が神仏混合せしところ、附近には火山観測所もある。ここより徒歩で溶岩累々たる勅使ヵ原から火口壁上に出る。孔底を覗くには風の方向による。

剣道面のボンネットバスは日野BH10。武骨ではありますが連続窓風になった正面窓は見覚えのないスタイルです。新日国ボディか、あるいは地元の松本車体でしょうか。
黄色いナンバープレートには2-5098とあります。

観光の大阿蘇 坊中駅
大阿蘇

撮影時期:1950年代前半

大阿蘇登山バスが坊中駅前(後の阿蘇駅)で待機中です。


独特の塗り分けのボンネットバスは、九州産業交通で「SANKO BUS」の文字が見えます。

大阿蘇 山上茶屋より中岳を望む
大阿蘇

撮影時期:1950年代(1951〜52年)

大阿蘇の山上茶屋に待機中の登山バス。後ろは中岳。
上の絵葉書と同じようなバスですが、こちらの手彩色は黄色を含む派手な色合い。その反面白黒部分を残した雑な仕上がりでもあります。バスは九州産業交通で中央の2両は旧塗装のようです。

左端のバスは上の絵葉書と同形で日野BH10でしょう。側面最後部に非常口が見えますので、1951年の非常口義務化後。
右端のバスは、いすゞBXで、連続窓風の正面窓と側面三角窓の形から、梁瀬ボディと推察しておきます。

阿蘇の大観 山上茶屋
大阿蘇

撮影時期:1950年代(1951〜52年)

登山バスの終点、山上中岳噴火口へは約一粁、休憩所の設備があり、登山者の旅装を整へるところである。
おもて面のメモから1952年4月に購入したと分かるため、撮影時期も絞られます。

手前のバスは戦前風ですが側窓が幅広の観光仕様。
奥に並ぶ4台のバスは、上の絵葉書と同じ。恐らく、同じ時に引きで撮ったのがこちらの絵葉書だと思います。

阿蘇観光ホテルにて
阿蘇観光ホテル

撮影時期:1950年代後半

阿蘇国立公園湯の谷温泉「阿蘇観光ホテル」発行の絵葉書です。九州産業交通株式会社直営だそうです。
赤い屋根の大きなホテルで、日傘を差した和服姿の観光客が大勢歩いています。

バスは九州産交で、日野BD14(新日国ボディ)あたりです。自社発行の絵葉書なので色を間違えるはずもなく、当時このような色の産交バスがあったということなのだと思います。
ボディには「Music Bus」の文字と楽譜が書かれています。

阿蘇の全貌
阿蘇の全貌

撮影時期:1960年代(1962年以降)

後方の第一火口から白い噴煙が上がります。

九州産交のバスは日産ディーゼル4R(富士重工ボディ)のようです。
正面の丸いヘッドマークの陰に「貸切」の文字が見えます。

阿蘇山マウントカー道路
阿蘇山マウントカー道路

撮影時期:1960年代(1965年以降)

阿蘇山に北から登る仙酔峡ロープウェイ駅と南から登る阿蘇山ロープウェイの駅とを結ぶ阿蘇ハイラインを走るマウントカー。火山地帯を走るため、噴石などから利用者を守るために特別に走っていたバスです。
登山道から国立公園阿蘇の雄大なスケールが車窓から展望できる。
車両画像を拡大

マウントカーは九州産業交通が運行するもので、三菱W11型トラックの6輪全輪駆動シャーシに西日本車体が特注のボディを架装したもの。火山活動に備え、側窓にはカバーを付けて窓1枚につき丸窓2枚を開け、屋根も補強されているそうです。 (注3)

九重山(やまなみハイウェイ)

九重登山口より雪の三俣山・硫黄山
九重登山口

撮影時期:1950年代後半

雪山はきびしく、そして美しい、銀色に輝く尾根は人々を引きつける。特に三俣山のダイナミックな山容は、九重の圧観といえる。

バスは日田バスで日野BD34(帝国ボディ)あたりです。黄色いナンバープレートなので、1962年までの撮影。

九州横断道 小田の池・山下の池
小田の池・山下の池

撮影時期:1960年代(1962年以降)

小田・山下の池は隣り合わせにありこの横断道路中静寂な風光に恵まれ湖畔にはホテルが新設されつつある。


バスは亀の井バスで、いすゞBC161P(1961〜63年式、川崎ボディ)。ナンバーは6141です。

阿蘇国立公園 小田の池・山下の池
小田の池・山下の池

撮影時期:1960年代後半

阿蘇国立公園の小田の池・山下の池を望む観光バス。バスは九州国際観光バスで、九州横断道路の開通に伴い、九州の主要観光地を結ぶために設立された会社です。

バスは日産ディーゼル4RA103でしょうか。通常ライト4灯は1968年式以降ですが、側面最後部の窓が丸いので、1964年の開業時に用意された車両と推察します。

九州横断道路 飯田高原長者原
飯田高原長者原

撮影時期:1960年代

此の飯田高原長者原に至れば左手に三俣山正面に白煙立昇る硫黄山右は久住山 道路正面に長者原ゲートとなっている。

ブルーリボンカラーなので、大分バスだと思われます。三菱MR470(1964〜66年式、西日本車体)です。

阿蘇国立公園・九重/秋の三俣山と硫黄山
阿蘇国立公園

撮影時期:1960年代後半

阿蘇国立公園の九重を行く観光路線バス。秋の三保山と硫黄山を望みます。火口からは薄い噴煙が上がっています。

九州国際観光バスは、日野RC100P(1964年式、帝国ボディ)で、GM風の視野拡大窓を持つ最新型です。開業時に用意された車両です。

瀬の本高原より阿蘇を望む
湯の本高原

撮影時期:1960年代(1964年以降)

阿蘇山を背に瀬の本高原を行く九州産交のバス。路線バスのようで、車内には立ち客も見えます。
正面の明り窓に「産交バス」と表示したバスは日野RC10P(帝国ボディ、1964〜67年式)。GMC風に正面窓を視野拡大窓にした斬新なデザインが、観光バスなどにも広く採用されました。正面が髭のようになった独特のカラーデザインです。
阿蘇国立公園 九重瀬ノ本高原より阿蘇五岳を望む
九重瀬ノ本高原

撮影時期:1960年代後半

阿蘇五岳を望みながらカーブの道路を走る観光バス5両。
そろそろ秋でしょうか。

場所的には九州産交のエリアですが、裾のカラーが青灰色で、屋根の肩に文字が見えることから、鹿児島県の林田バスと推察します。
三菱MAR470(1964〜67年式・三菱ボディ)。前3両は同形車のようですが、後ろ2両はベンチレーターの配置が異なりますので、違う形かもしれません。

やまなみハイウェー入口/別府
やまなみハイウェイ入口

撮影時期:1960年代(1962年以降)

大分県側のやまなみハイウェイ入口。沿道にはコスモスが咲き乱れます。

バスは亀の井バスの民生RNA91(西日本車体、1956〜59年式)と思われます。ナンバープレートが緑色になっているので、撮影は1962年以降。

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(注1)
芸文社(1987)「ボンネットバス」のP55にこれと同じバスが掲載されている。車名、年式等はそれによる。
(注2)
九段書房(1986)「日本のバス1986」のP.107による。
(注3)
マウントカーの型式はポルト出版(2010)「西工の軌跡」P.74による。
運行開始は、中村弘之(2012)「熊本・九州の輝いていたバス達」P.32によると1964年10月、鈴木文彦(1999)「日本のバス年代記」P.120によると1965年9月となっている。
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