絵葉書でめぐる日本バス紀行(秋田県)
県庁所在地は県中央部の日本海沿岸にある秋田市。県域は、能代市、大館市などのある県北地域、秋田市、本庄市などのある中央地域、横手市、大曲市(大仙市)などのある県南地域に分けられます。このほか、気象関係では沿岸地域と内陸地域に二分します。
沿岸地域には、干潟である八郎潟と、かつて火山島であった男鹿半島が連なり、内陸地域の奥羽山脈には日本一深い湖である田沢湖や秘境の湯治場として知られる乳頭温泉があります。
青森県境に白神岳、岩手県境に八幡平、宮城県境に栗駒山、山形県境に鳥海山があります。
自然公園では、十和田八幡平国立公園があり、そこに含まれる十和田湖と八幡平は、別ページにまとめます。
中央地域(秋田・本荘)
秋田大橋より国立米穀倉庫及び工場地帯を望む
撮影時期:1950年代
バスは秋田市交通局でしょうか。だとすれば、茶色と灰色のツートン。北村製作所製ボディのキャブオーバーバスです。
県北地域(能代・大館)
十和田街道松並木
撮影時期:1950年代
大館駅
撮影時期:1950年代後半(1955〜56年)
ケースに「31.10」という日付の入ったスタンプが押されているので、1956年までの発行。
バスはすべて秋北バスで、中央は三菱B280(1955年式〜、新三菱ボディ)のようです。両側にこれより古い三菱のボンネットバスが見えます。
左側にはキャブオーバーバスも見えますが、そのうちの1台は正面3枚窓という路面電車のようなスタイルです。
湯瀬渓流 傘松
撮影時期:1950年代後半(1955年以降)
米代川にそって、たどる湯瀬街道の名木 傘松ボンネットバスがその名木「傘松」の下を通った所です。
手彩色なので季節はよく分かりませんが、一部が色づいた紅葉にも見えます。
バスの色づけも地味に終わっていますが、実物は黄色と赤が鮮やかな秋北バス。
車両は三菱B280(1955年式〜、新三菱ボディ)のようです。当時の秋北バスには、このグループが多くあったようです。
能代橋より能代市街を望む
撮影時期:1950年代後半(1956年以降)
戦後二回に亘る大火に依り市の全貌は一変し区画整理に依る防火建築、道路の拡張、上下水道ガス等の完備に依り近代都市として面目を一新した。能代市の大火は1949年と1956年なので、それより後に発行された絵葉書です。
手彩色ですが、秋北バスの色がきちんと再現されています。車両は三菱R280(1956年式〜、新三菱ボディ)のようです。
県南地域(横手・大曲)
横手市の風光
撮影時期:1950年代(1950〜52年)
大町通り 市の中央部、羽銀本店、秋銀本店、平源旅館、平利旅館並に、諸官衛の立ち並ぶところ、近代的に舗装されたこの大通りを、羽後鉄道の大型バス、市民交通の重要な役割を果たして疾駆する。
羽後鉄道のボンネットバスは、手彩色ながら緑系統の都営バスカラーに近い色が表現されています。いすゞBX91(1950〜52年式)。羽後交通に社名を変えたのが1952年なので、それまでの発行だと思われます。
稲住温泉
撮影時期:1960年代
北国唯一のいで湯の里稲住温泉は、横堀駅から40分、サービスカーは名所を御案内しながら秋の渓谷を走る。秋田県南部、山形、宮城県境に近いところにある稲住温泉の秋の風景。
サービスカーというのは、観光バスの意味でしょうか。
ボンネットバスは秋田中央交通の貸切カラーに見えます。ボンネットのグリル形状から、トヨタ製。
栗駒大橋
撮影時期:1960年代前半(1962〜66年)
表面には、「5円」切手を貼るような記載がありますので、1966年までに発行されたもの。
ボンネットバスは羽後交通で日野BH15(1961年式以降、帝国ボディ)です。東京都営バスの旧カラーと同じ色に塗られています。
緑ナンバーで292と読めます。
男鹿半島
賑う入道崎
撮影時期:1950年代
沖には水島大船の如く浮び岸辺一帯に散在する岩の配置の妙。磯浜に続くなだらかな丘の芝生の鮮やかさ。正に男鹿半島随一の美観、海岸美の極致。バスも色とりどりですが、ビーチパラソルも色鮮やか。手彩色の職人はとにかく色をつけるのが仕事のようです。
どのバスもボンネットの蓋を翼のように開けているのは、夏場にエンジンを冷やすためでしょう。
なお、手前の灯台はこんな角度で立っているはずはないので、合成写真。
男鹿半島−寒風山パノラマ・ライン
撮影時期:1960年代
遊園地・駐車場・売店・展望台等の完備された寒風山センターの草原の秋
バスは秋田市交通局の三菱R380(1958〜60年式、呉羽ボディ)のようです。裾のラインは、最終的には全長に渡る斜めラインになりますが、この時は二つのフェンダを生かしたデザインです。
男鹿半島・寒風山
撮影時期:1960年代中盤(1962年以降)
半島東部にある海抜365mの寒風山は、鳥海火山脈系のアスピーテで、全山が安山岩を表土と芝生が覆う美しい山容を呈しており、晩春から初夏にかけての新緑と、草原の秋の趣は格別で、山頂からの眺望は雄大である。
バスは秋田中央交通の日野RB10(1962〜64年式、帝国ボディ)。正面窓の縦寸法が狭いので、後面丸形の車両だと思われます。ナンバーは2ケタで31と読めます。
男鹿半島・寒風山 妻恋峠
撮影時期:1960年代中盤(1962年以降)
男鹿半島 入道崎・八望台有料道路
撮影時期:1960年代中盤(1962年以降)
半島の観光拠点、男鹿温泉郷から緑濃き高原地帯を縫いソフトな美しさが漂う八望台、身も心も引き入れられるような一ノ目、二ノ目潟、海清き戸賀の水辺を西海岸寄りに海岸美、草原美を楽しみながら入道崎に至るゴールデンコースである。
バスは秋田中央交通の日野RB10(1962〜64年式、帝国ボディ)。後面は丸形で3枚窓です。
男鹿半島・入道崎
撮影時期:1960年代中盤(1964年以降)
男鹿半島の最北端、断崖美の西海岸とは全く対照的に、芝生に覆われた海岸段丘で、沖合に水島の岩礁が横たわり、白黒のダンダラ模様の灯台も風光美を添えている。
走っているのは秋田中央交通の定期観光バス。日野RB10(1964〜67年式、帝国ボディ)の前ドア車。ナンバープレートは673と読めます。
男鹿半島 宮島と大桟橋有料道路
撮影時期:1960年代後半(1967年以降)
西海岸、戸賀〜加茂を結んで走るドライブウェイは、男性的で豪快、海の詩情が波にとけこむような景観の連続で、宮島の岩礁、鎧島、カモメ島の奇岩は圧巻である。
手前を走っているのは秋田市交通局の三菱MAR470(1967〜73年式、呉羽ボディ)、後ろ姿は秋田中央交通の三菱の中型バスMAR620(1964〜68年式、呉羽ボディ)。
田沢湖
駒ケ岳展望所より田沢湖を望む
撮影時期:1950年代前半
ボンネットバスは都営バスカラーの羽後交通でいすゞBX。ボンネット下部にメッキグリルがありますので1952年以降の製造です。側面の一番後ろに非常口があるようです。
側面の屋根肩にローマ字が見えますが「UGO BUS」と書かれているようです。
駒ケ岳山麓から田沢湖を望む
撮影時期:1960年代前半(〜1966年)
表面には、「5円」切手を貼るような記載がありますので、1966年までに発行されたもの。従って、この写真もどんなに新しくても1966年と言うことです。
ボンネットバスは羽後交通で日野BH10系列。車体は富士重工に見えます。
また、おでこの塗り分けが小田急バスと同じですが、羽後交通も最初は小田急バスと同じ塗り分けだったということがこれで分かりました。
ボンネットのカバーを開けて、停車中。
田沢湖・抱返り−田沢湖高原からの展望
撮影時期:1960年代
駒ヶ岳・乳頭山を含む700mから1600mまでの起伏に富んだ田沢湖高原からの田沢湖の眺望は素晴らしい。また、田沢湖高原温泉郷や、田沢湖を眼下に見る眺めのよいスキー場、牧場などもあり一年中楽しめる。
羽後交通のバスが通り過ぎます。三菱MR490(1960〜67年式、呉羽ボディ)。正面窓の上に日よけがついています。
田沢高原ホテル
撮影時期:1960年代前半
ホテルの壁には「お休憩 食堂 売店 貸スキー」の看板が掛かっています。
田沢湖温泉郷展望台付近にありすぐ前にスキー場がある。収容人員150名
左は羽後交通で三菱MR480(1961年式〜、北村製作所)のようです。隣のボンネットバスは日野BH(富士重工)ですが、小田急バスに近い塗り分けの羽後交通です。