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=年譜から単行本だけを抽出
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「福本誠」<<『東亜先覚志士記伝』 |
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○ 採録に当たり、旧字はおおむね新字に直した。 表示できない漢字は【 】内でヘンとツクリに分ける などの工夫をして、一字分として表現した。原ルビ は〈 〉に入れて区別した。《 》は石瀧によるルビで ある。題名の割書・細字などは無視したが、理解し にくいと思われる場合には空白一字分を挿入した。 単純な誤植は正した。 ○ 日南の著作名の内、雑誌・新聞掲載分は 黒の 太字 に(その際、紙誌名は斜体に)、単行本は 赤 の太字 にした。また、日南が序を寄せた単行本 は 青の太字 にした。 ○ データを補足し、または内容の誤りを正したり、 説明を加える場合は「石瀧による補訂」欄に記述し て榎本氏の文章と区別した。この際、特に青字にし た場合がある。 ○ 近代デジタルライブラリー(=国立国会図書館所 蔵の明治期刊行図書を閲覧するデータベース )への収録 の有無についても注記した。 榎本隆司氏、佐藤能丸氏のご努力に敬意を表し つつ補訂を加えたことをお断りしておく。 (石瀧記) |
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* 佐藤氏は先行する榎本氏作成の 年 譜を取捨するとともに、増補改訂を加 えている。 ここでは、日南著作の刊本に関する 記事を中心に引用している。 * 佐藤能丸『明治ナショナリズムの 研究―政教社の成立とその周辺―』 (平成10年11月25日発行、芙蓉書 房出版)に収録。 |
ここでは、福本日南の著作の全体像(著
書・訳書・監修・序文など)を明らかにすることを
主たる目的としている。日南執筆の新聞・
雑誌記事の目録は、ここで取り上げるの
は繁雑でもあり、別に用意したい。
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モレや誤りにお気づきの方は何なりとお知らせくだ
さい。日南に関する情報はどんな断片も歓迎します。
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▽安政四年(一八五七) 一歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六月十四日(陰暦五月二十三日)、福岡地行下町 (現、地行西町)に生まれる。幼名巴、のち誠。父泰 風は、福岡藩士安田良邦の第三子(文政七年生) で、福本家をついだ。母は同藩士日高四郎家の出 で、長男巴、次男勝彦を生む。泰風は、平田鐵胤 の門下で、平野国臣と親交があり、維新に際しては 国臣らと勤皇運動に奔命。明治二年北海道開拓使 庁に参劃、四年帰国した。日南の勤皇思想や北海 道開拓への夢は、この父の志をうけたものである。 日南は幼なくして、桝木屋〈ますごや〉町の白水専六 の寺小屋に通い、書を吉田松陰の孫二川幸之進 に学んだ。さらに大西兵五の向陽義塾(のちの玄 洋社)で経書を学び、のち藩学脩猷館教授正木昌 陽に師事した。通学のかたわら、夜は母から四書 の素読を受け、十八史略などをよくしたという。 |
・ 日南の生誕地は現在の福岡市中央区 今川一丁目9番の一画で(推定、今後さら に詰めたい)、唐津街道の北側に位置して いた。平野国臣の生家は同じ町内である。 国臣を祀る平野神社が近くにある(国臣の 生家からは少し動いている)。 ・ 地行《じぎょう》下町は鳥飼八幡宮・大通 寺・金竜寺のある西町(現・今川一丁目、二 丁目)に属していた。年譜にある地行西町 は西町を混同したものと思われる。西町と 地行西町は南北に隣接する位置関係にあ るが、区別されなければならない。 |
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ここはかなり間違いがあるので、以下にまとめて論じておこう。 ・ 福本泰風は北海道開拓使庁ではなく福岡藩北海道分領地(奥尻郡、久遠郡)へ福岡藩の役人として赴任したのである。吉田松陰とあ るのは、福岡藩の書家で二川流を創始した二川相近(松蔭)の誤りである。向陽義塾は確かに後の玄洋社だが、明治十二年一月五日 開校(『植木枝盛日記』)で時代が違うし、大西兵五にしろ、正木昌陽にしろ、向陽義塾には関係していない。正木昌陽の私塾不狭学舎 からは金子堅太郎、山座円次郎ら官界で活躍した人物を出している。ただし、「向陽義塾に学んだ」としたのは、雑賀鹿野「文豪としての 福本日南翁」(『伝記』第3巻第7号)の誤りに由来するか。 ・ 日南の弟直《なおし》は号を巌城と言い、父の実家を継いで安田姓である。次男勝彦が母方の日高家を継いだとする年譜の記事とは 矛盾していて、疑いが残る。これは大熊浅次郎「『文豪福本日南先生の十週年を追懐す』追記」(『筑紫史談』第55集)に見え、大熊は 「(日南の父が)同藩士日高四郎家より娶りて長男巴、次男勝彦を生む」、「福本巴の弟勝彦〈外戚日高の養子となる〉」と書いている。な お、これに関連して、元駐伊公使日高信六郎は高橋達の次男。日南の母の兄・日高茂樹(四郎)の養子となったものである。 ・ 二川《ふたかわ》幸之進相近《すけちか》(松蔭)の跡は長女鶴子の婿・方作友古(鶴原氏)が養子となった。友古には子がなく、相近の次 女瀧子が友古の養女となり、野村新三郎貞貫の子、鉄太郎貞一がその婿となって跡を継いだ。これが相近の養孫、幸之進相遠である。 なお、野村貞貫の後妻がもと(野村望東尼)で、貞一(相遠)には継母に当たる。幸之進相遠は安政5年、42歳で亡くなっているので、日 南が「書を吉田松陰(二川松蔭の間違い)の孫二川幸之進に学んだ」というのは計算が合わない。相遠の子(血脈の上では相近の孫だ が、系譜上は相近の曾孫)は幸之進相友(後に近《ちかし》)である。13歳で書家業を継ぎ、その書塾(福岡桝木屋丁《ますごやのちょう》)に は団琢磨(安政5年生、生家は神屋氏)も通ったというから、日南が通っていてもおかしくない。すなわち、日南に書を教えたのは二川松 蔭の曾孫で、野村望東尼の孫でもある、二川幸之進相友(後の近)であろう。(二川瀧三郎『二川相近風韻』昭和11年11月5日発行、 二川相近風韻会) この部分も大熊浅次郎「『文豪福本日南先生の十週年を追懐す』追記」が参照されたものに違いない。大熊は「書を二川幸之進〈後の 近、松蔭の孫也、大正三年七月十四日歿〉に習ひ」と書いていた。「孫」という表現に注意を払わねばならないが、大熊の記事は間違い ではない。 |
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▽明治四年(一八七一) 十五歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藩学修猷館の廃止にともない長崎に遊学、谷口仲 秋についたがほどなく帰郷。 |
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▽明治七年(一八七四) 十八歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
はじめて上京、岡千仭に師事して漢学を学ぶ。別 に万葉調歌人の丸山作楽をはじめ、小出粲、小河 一敏、副島蒼海、谷干城らの許に出入りした。この 間、作楽の門人であった天田愚庵と親交を結ぶ機 を得る。 |
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▽明治九年(一八七六) 二十歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
七月帰省、八月末帰京。九月九日、同郷の先輩松 下直美の世話で司法省法学校に入学。前後、学費 など、松下の庇護に負うところ少なくなかった。当 時、東京府庁に提出された履歴書に記された読書 目は、古事記、日本書紀をはじめ大日本史、皇朝 史略から四書、五経におよんでおり、史学を中心と した和漢にわたる素養の深さがうかがわれる。法 学校ではフランス語を主語として課された。 |
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▼明治十年(一八七七) 二十一歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆5月19日付『筑紫新聞』第19号(弘聞 社《筑前福岡下名島町》)「寄書」欄に、「東 京司法省内法学生徒福本巴ナル者ヨリ」の 書翰(川庄節臣宛)掲載される。 ※これが、日南の文章が活字化された最初に当た るか。 |
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▽明治十一年(一八七八) 二十二歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
七月、同学の陸実(羯南)、加藤恒忠、国分高胤 (青崖)らと富士登山。月末、井上良一、石松定と 大阪に赴き九月帰京。ほどなく陸実、加藤恒忠、秋 月左都夫らとの共謀による賄征伐で禁足、証人預 けとなる。松下の斡旋があり、同窓の原敬が救済 の仲介に動いたが、一年後に退校ということにな り、校長の頑冥にあきたらなかった原敬もまた行を ともにし浪人書生の身となる。 |
・ 国分青崖《せいがい》の〈崖〉の表記は 〈香rが正しい。 |
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▽明治十二年(一八七九) 二十三歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三月、福陵社の月例会で「節倹論」と題して講演。 夏帰省。東海道上、「横田川つゞく旱に水涸れて川 床高くあらはれにけり」と詠む。詠歌のはじめであ る。九月十一日帰京。十一月、『普通民権論』を福 岡磊落堂刊。磊落堂主人は、明治九年の萩の乱に 加わり、頭山満、進藤喜平太らとともに下獄した林 斧介である。 |
十一月、『普通民権論』(磊落堂〈福 岡〉)を出版。 |
●福本巴『普通民権論 全』明治12年11 月出版、著述人福岡県平民福本巴、福岡 区西湊町九番地、出版人同県士族林斧 介、福岡区福岡簀子町百三番地 ※扉には「版権免許 福岡 磊落堂梓」。奥付の後 に専売書肆として東京三(内、丸屋善七《丸善》を含 む)、大坂三、西京三と筑前博多高田芳太郎、同福 岡山崎登、同久田志摩を挙げる。 * 近代デジタルライブラリー収録。書誌の生没年の 記載から福本巴と福本日南が同一人として認識され ていることは明らかだが、福本日南で検索してもヒット しない。この点は福本誠で検索した場合も同じ。(20 06年1月9日現在) → 『明治文化全集』第5巻自由民権篇(昭和2年11 月20日発行、日本評論社)に収録。 → 『明治文化全集』第2巻自由民権篇(昭和30年1 月25日改版発行、日本評論新社)に収録。 → 『明治文化全集』第5巻自由民権篇上巻(平成4 年7月20日発行、日本評論社《東京都豊島区》)に 収録。 |
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▽明治十四年(一八八一) 二十五歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「述懐」と題し「太刀把りて何時か眺めん唐〈もろこし〉 の都の空にすめる月影」の一首を詠む。天皇の北 海道巡幸に触発され、みずからも北海道に遊ぶ。 北辺の地にあって国の守りを憂える一首を残した が、のち国分青崖が、日南作とは知らずこれに和 す。 |
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▽明治十五年(一八八二) 二十六歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五月、巴を誠と改める。日清両国の間を憂え、国 難に赴かんとする志高まる。このころ、再度、北海 道へ渡る。また、寺尾亨、鶴原定吉らと松下の援 助を受け養才舎の育英事業に従う。 |
二月、『北門時事』(丸善商社書店) を出版。 |
●福本誠『北門時事 全』明治15年2月出 版、著兼出版人福岡県平民福本誠(東京 芝南佐久間町二丁目十七番地村上菊 方)、発兌丸善商社書店(東京日本橋通) ※扉に小牧桜泉・井上巽軒評点とあり、福岡臼井 浅夫(東京神田錦町寓居)「北門時事序」を付す。例 言は先憂後楽堂主人福本誠思誠識。なお、井上巽 軒は井上哲次郎。 * 近代デジタルライブラリー収録。 |
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▼明治十九年(一八八六) 三十歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
杉浦重剛立案・福本誠筆記『樊【口+會】 《はんかい》夢物語 一名新平民回天談 全』明 治19年10月出版、沢屋発兌 ※奥付では立案者杉浦重剛の後に、筆記者として 北海道平民福本誠、小石川武嶋町拾三番地斎藤深 次郎方とある。出版兼発売人は東京府平民井上蘇 吉、東京神田裏神保町壱番地。本文冒頭には、天台 道士立案、青天布衣筆記と書かれているが、表紙・ 奥付では本名を用いている。 なお、この本は31頁で、これとは別に14頁の版も ある。表紙に「天台道士立案・青天布衣筆記、樊【口 +會】夢物語、一名新平民回天談」とあり、杉浦重剛・ 福本誠の名は表に現れていない。奥付はなく、本文 の末尾に「明治十九年十月出板」と書かれているの みである。 31頁の版では奥付に「明治十九年十月十二日版 権免許、定価金拾銭」ともあるが、14頁の方には出 版人も定価も明示されていない。初め14頁の版が私 的に造られ、それを公刊したのが31頁の版かと想像 される。再刊されたために表題に「全」が加えられて いるのだろう。 ※石瀧の論文に、本書を扱った「『樊【口+會】夢物 語』の構造と評価」(『部落解放史・ふくおか』第98 号、2000年6月24日発行、福岡部落史研究会)が ある。 また、西日本新聞朝刊連載 「南進北鎖の夢―素 描・明治の史論家 福本日南―」の第8回 「『樊【口 +會】夢物語』 移民奨励と差別解消強調 部落問題 に関心持ち続け」(1998年11月17日)でも、本書を 取り上げている。 * 近代デジタルライブラリー収録。ただし、表題を 『樊噌夢物語』と別字に置き換えて表示している。こ れでは「はんかい」と読めない。(2006年1月9日現 在) → 日本中学校校友会編『天台道士著作集』(大正4 年4月15日発行、博文館《東京市日本橋区》)に収 録。 → 三好伊平次編『融和問題論叢』(昭和4年3月31 日発行、中央融和事業協会)に収録。 → 『明治文化全集』第21巻社会篇(昭和4年2月2 0日発行、日本評論社)に収録。 『明治文化全集』では「社会問題雑纂」の内に収録 する際、目次では杉浦重剛著とし、本文では青天布 衣筆記として、福本誠の名は見えない。解題(神代種 亮)ではふれている。 → 『東半球資料』第35号(昭和18年3月15日発 行、東半球協会)に収録。 → 大日本教育会滋賀県支部編『杉浦重剛先生全 集』第1巻(昭和20年3月30日発行、研究社《東京 都麹町区》)に収録。 ※「穢多」3ヵ所、「新平民」1ヵ所の印字が黒丸で 塗りつぶされている。発行時点のものかどうかは不 明。 → 『明治文化全集』第6巻社会篇(昭和30年10月 30日改版発行、日本評論新社)に収録。 → 三好伊平次編『融和問題論叢』部落問題資料文 献叢書別巻1(昭和48年7月16日発行、世界文庫) に収録。 → 明治教育史研究会編『杉浦重剛全集』第1巻(論 説一)(昭和58年5月20日発行、杉浦重剛全集刊 行会《滋賀県大津市》)に収録。 → 『明治文化全集』第22巻社会篇上巻(平成5年1 月20日発行、日本評論社《東京都豊島区》)に収 録。 |
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▽明治二十年(一八八七) 三十一歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
春の交、上海に遊ぶ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▽明治二十一年(一八八八) 三十二歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏、東京に在り、菅沼貞風の訪問を受ける。外交・ 貿易に関する言説をきき、終日論を交わして肝胆 相照らす。このときを機にともに将来を期す。 |
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▽明治二十二年(一八八九) 三十三歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二月十一日、新聞『日本』創刊。社中としてこれに 加わる。四月、『フィリッピーヌに於ける日本人』 を長尾景弼により発行。十八日家を出、フィリッピ ンへの壮途につく。五月二十一日マニラに着く。こ の間の行程を歌に托し、「藻塩百首」と題して、五 月二十六日から七月七日まで八回にわたって『日 本』に発表。一日、黄道を南に去ること八度に在る ことを思い、赤日緯南之人と称え、やがて日南とち ぢめて、爾後これを号とする。先にマニラの人として 在った菅沼貞風が、七月七日現地で急逝、ため に、志半ばにして帰国。別に四月三十日から年末 にかけて「興来録」を『日本』に連載。六月、「外国 に対する日本人」を『経世評論』に発表。そのほか 『日本』に、八月二日、「菅沼貞風君卒す」を、九 月十七日、「両政事家の政略に感有り」を、同二 十六、七日、「内地雑居と土地所有に就て」を、 十一月二日、短歌四首をなど寄せる。なおこの年、 仙台行を試み、白河関趾などでの詠歌がある。 |
四月、『フイリッピーヌ群島に於ける 日本人』(博聞社)を出版。 |
●日南居士『フィリッピーヌ群島に於ける 日本人』明治22年4月29日印刷并出版、 印刷兼発行者長尾景弼(芝区) ※国立国会図書館本は表紙を欠く。「フィリッピー ヌ」という表記は原本目次のまま。著作者の名は奥 付による。発行所 博聞本社(東京)・博聞分社(大 阪・千葉県・埼玉県・福岡県博多中島町)・博聞社代 理店(佐賀県) * 近代デジタルライブラリー収録。ただし、表題を 『フヰリツピ−ヌ群島ニ於ケル日本人』とし、著者を 「陸実(日南)著」、著者標目「陸,羯南」とするなど、 書誌情報には誤りがある。このため、正しい書名でヒ ットしないし、福本日南で検索してもヒットしない。(2 006年1月9日現在) その後、著者標目「福本,日 南」と訂正されているのを確認した。タイトルも「フィリ ッピーヌ群島ニ於ケル日本人」と表記が正されたが、 すべて片仮名になっている点に注意。(4月5日現 在) → 『日南抄』(昭和17年10月25日発行、博文館) に収録。 ・ 日南を号としたのは『フィリッピーヌ群島 に於ける日本人』を刊行した折りのことで、 フィリッピンへの渡航前である。 |
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●榎本氏が『フィリッピーヌ群島に於ける日本人』の書名を『フィリッピーヌに於ける日本人』と誤って記したのは、『日南抄』(昭和17 年10月25日発行、博文館《東京市日本橋区》)の解説、柳田泉「福本日南に就いて」の挙げる福本日南著作一覧≠フ次の記載に従 ったことによると想像される。4頁に次のように書かれている。〈 〉内は二行割書。 〈フイリツピーヌに於ける〉日本人 明治廿二年 ただし、『日南抄』の目次では正しく書かれている。 |
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▽明治二十三年(一八九〇) 三十四歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五月、小沢豁郎、白井新太郎と発起して東邦協会 (東洋および南洋各地における地理、商況、兵制、 歴史等各種の問題を調査研究することを目的とす る)を結成。陸実が成立時から協力者の位置にあ った。十月二十三日、父泰風歿す。当時の住所 は、牛込区東五軒町四十四番地。十二月二十三、 四、九日の『日本』に、日南の南洋行に際し、日南 ほか小中村義象、萩野由之、市村【王+贊】次郎、 国分高胤、井上通泰ら十二氏が詠んだ酒興の和 漢詩二十五首掲ぐ。年末、呂宋に向けて出発。 |
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▽明治二十四年(一八九一) 三十五歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月二十五、六、七日、「旅の空より(一月六日 廈門港を発するに臨み敦賀丸に於て)」を、二月 八日、おなじく「旅の空より」を『日本』に寄せ、十 一日から二十一日まで「南辺幾微録」を同紙に連 載。三月、一時帰国。当時の住所は牛込区中里町 二十七番地。四月二日から二十二日まで十二回に わたり「排俗論」を、二十三日から二十八日まで 「殖民及航海」(四回)を、二十七日、「風紀を奈 何せん」を、五月二十一日、「両是懸崖人」を『日 本』に寄せる。七月二十日、東方(東邦の誤りか―石 瀧)協会の評議員会で幹事に選ばれる。夏過ぎる 交帰国。 |
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▽明治二十五年(一八九二) 三十六歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九月、『日本叢書 海国政談全』(述)を日本新聞 社刊。十月、菅沼貞風の『大日本商業史』(東邦協 会刊)に「菅沼貞風君伝」を寄せる。 |
九月、『海国政談』(日本新聞社)を 出版。 |
●日南述『海国政談 全』日本叢書 明治 25年9月10日出版、日本新聞社(東京神 田区) ※近代デジタルライブラリーの画像では奥付がな く、発行年月を確認できない。また、所蔵する国立国 会図書館、東京大学とも、オンラインによる蔵書検索 では明治25年発行とあるだけで、月までは特定でき ない。国立国会図書館本(近代デジタルライブラリー の画像)では、目次に図書館受入の日付印があり、 「図」の字の周りに「明治二五・一〇・七・内交」と見え る。 奥付のある内閣文庫本(国立公文書館)によって発 行年月日を確認した。同奥付では「著作者 日南」と のみあり、あえて姓を欠いて表記されている。 なお、福本家蔵/福本日南関係蔵書目録(広瀬玲 子『国粋主義者の国際認識と国家構想』)にも 『海国政談』日本新聞社[明治25年9月10日] と記載している。 * 近代デジタルライブラリー収録。 ●日南福本誠謹識「菅沼貞風君伝」(菅沼 貞風『大日本商業史 完』明治25年10 月7日発行、東邦協会《東京市神田区》 復 刻版等:明治35年10月10日訂正三版発行、八尾 新助書店《東京市神田区》;昭和15年11月27日発 行、岩波書店《東京市神田区》;昭和54年8月30日 発行、五月書房《東京都千代田区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 → 『東半球資料』第12号(昭和16年11月5日発 行、東半球協会)に収録。 → 『日南抄』(昭和17年10月25日発行、博文館) に「菅沼貞風伝」と改題して収録。 |
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▽明治二十六年(一八九三) 三十七歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏、東京湾を出て太平洋を西進、瀬戸内海から日 本海を経て、本州および北海道を周遊して東京に 帰るという航海を試み作歌。また陸羯南と鎌倉に遊 んでの詠草あり。この年、早稲田に住む。 |
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▽明治二十七年(一八九四) 三十八歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
春いらい韓国に東学党の蜂起あり。清国が大兵を 送ったことなどに心を動かし、六月意を決して入 韓。在韓両月にわたる。 |
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▽明治二十八年(一八九五) 三十九歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、『今世海軍全』を博文館刊。四月十日、近 衛師団付として従軍する正岡子規を宇品に送る。 十三日、大総督府の威海丸に従う佐倉丸に乗り、 大陸に渡る。柳樹屯、旅順、営口を巡察して帰国。 五月二十七、八日、帰国の船中喀血して神戸病院 に入院中の子規を見舞う。十二月、「スヱレス号 事件」を『日本人』に発表。 |
一月、『今世海軍』(博文館)を出版。 | ●福本誠『今世海軍 全』明治28年1月1 5日発行、博文館(東京日本橋区) * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ → 改訂増補版。明治30年5月5日発行、八尾商 店。 |
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▽明治二十九年(一八九六) 四十歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月一日、「廿九年来る」を『日本』に発表、七日 まで「暦の説」を同紙に連載(七回)。さらに、二十 二日、「政党合同の気運」を、二十五日、「国家と 議員」を等々、この年に入って『日本』紙上での執 筆にわかに活発となる。論説は三宅雪嶺らと交替 執筆の観がある。同月、「海軍拡張上の二大急 務」を『太陽』に発表。二月五日に「台湾に於ける 土地所有権問題」、十五日、「朝鮮の警報」、十 六日、「読史偶感」、二十、二十一日、「露西亜」を など『日本』に書く。三日、「革命の必要」を『日本 人』に発表、五日、「非国民か無政府か」を、十、 十二日に「海軍拡張漫評」を、十八日、「桜花軍 を興せ(行かん、行かん、半島まで)」を、二十一 日から四月三日まで「世界の海軍」(九回)を『日 本』に書く。四月十六日、「板垣伯」、二十七日から 五月五日まで「干戈を鎖して世界の昌平を致す の論」(四回)、五月十五、六日、「革命の理」をな ど『日本』に書く。六月、「イゴロットとキャンガン」 ほかを『太陽』に発表。七月八日、「西班牙と露西 亜」、二十九日、「今昔物語」をなど、八月四日か ら七日まで「皇族及華族制」(四回)、十六日、「米 国二大政党の政綱を読む」、三十一日、「戦後経 営の第一務」をなど、九月三十日、十月一日、「恐 ろしき鉄道」をなど『日本』に発表。十月、「呂宋群 島は如何になりゆく可き歟」を『太陽』に発表。十 二月十二日、「隣邦観察の必要(故荒尾精君が 対清弁妄を読む)」をなど『日本』に書く。 |
●柴東海散士・陸羯南・福本日南・落合直 文・小中村義象・谷口鹿洞述(『春花秋月』 研学叢書第1編 明治29年11月29日発 行、陸軍受験講義録編輯所《東京麹町 区》) ※アンソロジー。「第1編」は国立国会図書館の書 誌情報による。奥付では編輯兼発行人は塩沢梅(東 京麹町区下二番町四十二番地寄留)。発行所も同住 所。著者名は内題に続く記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 22日現在) |
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▽明治三十年(一八九七) 四十一歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月八、九日に「軍備拡張に対し内閣と議会」 を、二月七、八日、「京都改造の議」を、三月五 日、「足尾銅山鉱毒事件」、二十四日、「会計検 査院は何が為に設くる歟」、四月一日、十四日に その再論をなど『日本』に書き、四月へかけて、「明 治二十九年の各国海軍」(四回)を『日本人』に連 載。四月九日、「政党堕落」、二十一日、「郵船会 社問題」、二十六日から二十八日まで「兵商艦 隊」(三回)をなど、五月七日、「赤十字隊を希土 戦争に送れ」をなど『日本』に発表。七月二十八 日、「米布合併に対する我国の態度」を、八月四 日、「経国三観」、二十五日、「太平洋上の形勢」 をなど『日本』に書き、「進歩党終に如何」を『日本 人』に、九月へかけて「皇族及華族制」を同誌に発 表。九月十五日から十八日まで「衆議院改造論」 (四回)、二十三日、「大阪役」を、十月十三日、 「皇帝の尊号」を、十一月、十四日から十七日まで 「一道の光明(支那の近状)」(三回)、二十六日、 「山東事件と満洲事件」をなど『日本』に発表。十 二月、「政府を匝繞せる氛囲気」を『日本人』に発 表。 |
五月、『今世海軍』(改訂版、八尾商 店・八尾書店)を出版。 |
●陸羯南・三宅雪嶺・福本日南・桂湖邨・中 西牛郎・落合直文・鈴木天眼(・小中村義 象)述(研学会編『千紫万紅』研学叢書第 2編 明治30年2月26日発行、陸軍受験 講義録編輯所《東京市麹町区》) ※アンソロジー。扉に研学会編輯とあり、奥付では 編輯兼発行人は塩沢梅(東京麹町区三番町八十五 番地寄留)。発行所も同住所。印刷所は秀英舎第一 工場。著者名は内題に続く記載にしたがう。扉では著 者の中に小中村義象を含むが、内題の次では落とし ている。名前の並びも違う。それで末尾に( )に入れ て記した。 * 近代デジタルライブラリー収録。 ●陸羯南・三宅雪嶺・福本日南・落合直文・ 小中村義象・桂湖邨・西村天囚・鈴木天眼 述(『柳暗花明』研学叢書第3編 明治30 年4月22日発行、陸軍受験講義録編輯所 《東京麹町区》) ※アンソロジー。「第3編」は国立国会図書館の書 誌情報による。奥付では編輯兼発行人は塩沢梅(東 京麹町区三番町八十五番地寄留)。発行所も同住 所。印刷所は秀英舎第一工場。著者名は内題に続く 記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 22日現在) ●福本誠『今世海軍』明治30年5月5日発 行、八尾商店(東京市京橋区)・八尾書店 (東京市神田区) ← 改訂増補版。底本は明治28年1月15日発行、 博文館。奥付では著作者福本誠、東京市神田区仲 猿楽町十番地。 * 近代デジタルライブラリー収録。 ●陸羯南・三宅雪嶺・福本日南・落合直文・ 小中村義象・鈴木天眼述(塩沢梅編『山紫 水明』研学叢書第4編 明治30年6月1日 発行、陸軍受験講義録編輯所《東京市麹 町区》) ※アンソロジー。扉を欠く。国立国会図書館(書誌 情報)は研学会編とする。奥付では編輯兼発行人は 塩沢梅(東京市麹町区三番町八十五番地寄留)とな っている。発行所も同住所。印刷所は秀英舎第一工 場。著者名は内題に続く記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー収録。 ●玄々子「今世海軍を評す」(『日本人』第 44号 明治30年6月5日発行、政教社《東 京神田》) |
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▽明治三十一年(一八九八) 四十二歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「東大陸の為にフランク、マソン的秘密結 社を興す可し」を『日本人』に発表(二十四日、『日 本』に転載)。十日、「我政党は維新の義を解せ ざる歟」、二十、二十二日に「日本立脚の地を思 へ」、二月十一日、「溯上紀元記」をなど、『日本』 に発表。三月、二十日の『日本』紙上に西遊の途に つく挨拶を掲載、二十一日出国。三十一日入漢、 四月十五日、「日漢の時局(四月八日日南迂夫 東呉申江の客館に記す)」を『日本』に寄せる。五 月、スエズを経て仏国に達し、七月、欧洲大陸をさ らに西へ進む。同六日から八日にかけて「グラッド ストーンの葬儀」(五月二十八日夕記)を九日、エ ッフェル塔での一首を『日本』に寄せる。二十二日 (六月六日夕記)から九月十七日(七月二十五日 発)まで「米西の戦局」を同紙に断続連載(十回)。 九月十、十一、十三日に「ピレネー山南の風雲」 (八月五日於巴黎)をなど『日本』に寄せる。十月、 「近政私見」を『太陽』に発表。十一月二十七日、 「仏国の現制(政府)」を寄せ、以下、「巴理だよ り」と総称される論稿を、外務、大蔵、農務、文部、 陸軍、海軍等々の行政組織、さらには経済、美術 や数学・化学・生理学・史学ほかの学科、科学にわ たって、『日本』に連載。 |
●福本誠「雄武なる日本国民」/日南居士 「日漢交戦考」(『東洋戦争談』(少国民第十 齢紀念臨時増刊、第十年第五号)明治31年2月 25日発行、北隆館出版部《東京市京橋 区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ●三宅雪嶺・福本日南・服部誠一・西村天 囚・鈴木天眼・木内天眠・三島中州・落合直 文述(『秋声白露』研学叢書第5編 明治3 1年12月□日発行、研学会《東京市麹町 区》) ※アンソロジー。奥付では編輯兼発行人は塩沢梅 (東京市麹町区三番町八十五番地)。発兌元研学会 (住所は同上)。発行所は記載がないので研学会発 行と見なした。印刷所は晩翠舎印刷所(東京市神田 区)。著者名は内題に続く記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 22日現在) |
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▽明治三十二年(一八九九) 四十三歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「拿破翁帝の墓に詣づ」(十一月十日巴里 発、健日別と署す)を『日本』に書き、「巴里だより」 を続載(二月二十日完。この間、ときに敏鎌舎、利 鎌舎の号で和歌を詠む)。二月二十八日、英仏海 峡を渡る。在英中、南方熊楠と会し、ケンシントン 博物館に伴われてダーヴィニズムによる人類優先 の実物教示を受け、裨益するところ大であった。三 月七、八日、「新条約最先の賜 如何なる賜ぞ 仏国に於ける日本絹織物輸入の禁止税」(一月 二十一日巴里発)を『日本』に寄せる。九日付で病 床の子規より来書。「イタツキニワレハフシヲルフラ ンスノタマノウテナニキミハスムトフ」の一首あり。 「暫〈しばし〉待て万葉十六茶漬飯食ひては語り語り ては食はん」と詠んで復す。十四日、「新条約実施 後十八日間の日蝕(新条約效力の欠蝕)」を倫 敦より『日本』に寄せる。四月二十三日、「倫敦だ より(英国政治家の対清意見)」(三月九日発)を 『日本』に寄せる。五月二、三日、「渡英仏海峡」 「英京雑歌他」と題する短歌を利鎌舎の名で『日 本』に寄せるなど、倫敦、巴里からの通信つづく。 六月二十九、三十日、「新条約の観点」を、八月 四、五日、「徳京雑歌」を『日本』に寄せ、六月二十 四日夕記として、七月三日アンヴェル港を佐渡丸で 出帆の予定など付す。八月二十三日、帰京。九 月、五日から九日まで「帰舟雑歌」を利鎌舎の名 で『日本』に寄せ、『美文散文 巌下滴泉』(大学館 刊)に「奈破翁の墓に詣づ」を収む。十月、「日本 立国の三難」を『日本人』に、「支那問題」を『大帝 国』に発表。十三日、支那調査会設立準備委員会 に出席、常務委員に推される。十一月三日、「祭」 を、二十四日、「悼佐藤宏歌」を『日本』に寄せる。 |
●東久世竹亭・福本日南・坂正臣・小中村 義象・三宅雪嶺・結城蓄堂・三島中洲・卜部 義矩述(『花影暗香』研学叢書第6編 明 治32年2月□日発行、研学会《東京市麹 町区》) ※アンソロジー。奥付では編輯兼発行人は塩沢梅 (東京市麹町区三番町八十五番地)。発兌元研学会 (住所は同上)。発行所は記載がないので研学会発 行と見なした。印刷所は晩翠舎印刷所(東京市神田 区)。著者名は内題に続く記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 22日現在) ●日南福本誠「靖国神社に詣づ」(高松正 道編『清風明月』明治32年8月5日発行、 大学館《東京神田区》) ※アンソロジー。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年5月 15日現在) ●健日別「拿破翁帝の墓に詣づ」(石橋愛 太郎編『美文散文 巌下滴泉』明治32年 9月28日発行、大学館《東京神田区》) ※アンソロジー。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年5月 15日現在) ●三宅雪嶺・豊島洞斎・陸羯南・国友随軒・ 福本日南・三島中洲述(塩沢梅編『春蘭秋 菊』文範叢書 明治32年12月17日発行、 研学会《東京市麹町区》) ※アンソロジー。奥付では編輯兼発行人は塩沢梅 (東京市麹町区中六番町十四番地、研学会代表人) となっている。発行所は記載がないので研学会発行 と見なした。印刷所は岡本活版所(東京市麹町区)、 発売元は修学堂(東京市神田区)。また、奥付では 発行を印刷より早く記載しているので、印刷日を発行 日と見なした。著者名は内題に続く記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー収録。 |
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▽明治三十三年(一九〇〇) 四十四歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月八日、「南阿概論」を『日本』に書き、「文談」 を『活文壇』に発表、「東観小録」を『日本人』に連 載(二月まで)。二月、「強者の権利のみ権利なる 歟((英阿戦争に就きて))」を『太陽』に発表、『新 建国』を博文館刊。十六日、「新聞」を『日本』に書 く。三月、「平和の冀望」を『日本人』に発表、「維 新の精神」(『二十世紀』所載)の要旨を『日本』に 掲ぐ。四月、『日南子』を博文館刊。五月二十六日 の『日本』に「余は今ま筆硯を棄てたり」云々の一 文を寄せる。六月、『現代欧洲』を耕読社刊。この 月、支那革命を企図する孫文、宮崎滔天ら同志と 大陸に入り、香港を経て新嘉坡に至る。義和団の 暴動をきき、七月十七日香港に戻ったが事すでに 過ぎており、空しく帰国。九月、「英と仏」を、十二 月、「佐藤宏君伝」を『日本人』に発表。十月、東邦 協会の用向きで帰郷、博渉会で支那問題を講ず。 |
二月、『新建国』(博文館)を、四月、 『日南子』(同上)を、六月、『現欧 洲』(耕読社)を出版。 |
●「福本日南」「日南の佳■」「日南と国 風」(怪庵編『文士政客風聞録』明治33 年1月9日発行、大学舘《東京神田区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ●陸羯南・木内天民・依田学海・福本日南・ 三宅雪嶺・亀谷省軒述(『香雪紫雲』文範 叢書 明治33年2月5日発行、研学会《東 京市麹町区》) ※アンソロジー。奥付では編輯兼発行人は塩沢梅 (東京市麹町区中六番町十四番地、研学会代表人) となっている。発行所は記載がないので研学会発行 と見なした。印刷所は岡本活版所(東京市麹町区)、 発売元は修学堂(東京市神田区)。著者名は内題に 続く記載にしたがう。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 22日現在) ●福本誠『新建国』明治33年2月21日発 行、博文館(東京日本橋区) * 近代デジタルライブラリー収録。 ◆3月10日、開花亭で普通選挙期成同盟 会集会。席上、福本日南の演説あり。幹事 に幸徳秋水ら選出。▼『労働世界』第58号 (明治33年4月1日発行) ●福本誠『日南子』明治33年4月14日発 行、博文館(東京日本橋区) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) * 福本日南コレクションへ → 『日南抄』(昭和17年10月25日発行、博文館) に収録。 ●「新刊紹介 福本誠著『新建国』」(『地理 と歴史』第1巻第3号 明治33年5月27日 発行、地理歴史学会《東京市牛込区》) ●福本誠『現欧洲 完』明治33年6月28 日発行、耕読社(東京市京橋区) ※奥付によると、著者の住所は「東京市牛込区矢 来町三番地」。 * 近代デジタルライブラリー収録。 ●日南福本誠「新布哇叙」(藤井秀五郎 『新布哇』明治33年12月30日発行、大 平館《東京市牛込区》) ※奥付は著作兼発行人藤井秀五郎(福岡県嘉穂 郡内野村、東京市牛込区矢来町九番地寄留)で、明 治34年の日南の住所に近い。また、発行所は大平 館(東京市牛込区矢来町九番地)で、藤井の寄留先 に一致する。 → 改訂増補版。明治35年1月5日発行、文献社。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 2日現在) |
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▽明治三十四年(一九〇一) 四十五歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月一日、「馬鹿物語」(日南入道暗雲雑記)を 『日本』に書き、「大陸問題」「国語の崇尚」を『日 本人』に発表。四月、談論会を設け会約を草す。六 月、仏国デジャルダンの著を『国際支那』として訳 述、序を寄せて文献社刊。おなじく『支那通商』を 監修して文献社刊。七月、「仏国の雲南鉄道」を 『日本人』に発表、十八日、「雨中口吟」を『日本』 に寄せる。八月、「雲南」を『日本人』に発表、二十 二日から二十七日まで『国際支那』の紹介を『日 本』に掲ぐ。十一月から翌年二月にかけて「過渡的 日本人」(三回)とその続篇(三回)を『日本人』に発 表。 |
六月、『国際支那』(文献社、アルチ ュール・デ・ジャルダン『支那と国際 法』〈一九〇〇年十二月一、十五日 『ルヴュー・デ・ヅゥー・モンド』連載〉の 訳)を出版。七月、支那調査会編述 『支那通商』を宮廷に献上し、三百円 を賞賜される。 |
支那調査会訳述『支那現勢論』明治34 年3月3日発行、支那調査会(東京市京橋 区) ※『日南草廬集』では、『支那現勢論』は仏国匿名 氏の著を日南が訳したものとする。表向きは支那調 査会訳となっている。 安岡昭男氏によると、この本は「フランス人某の著 書 LA CHINE を訳」したもので、「扉ページに原書名 および『M・S・』と原著者氏名の頭文字のみ」が記さ れている(『明治前期大陸政策史の研究』平成10年 3月30日発行、法政大学出版局)。序の署名は「エ ム・エス」。 ※巻末の「東邦協会発行図書目」に、支那革命派 首領孫文逸仙編著『支那現勢地図』がある。発行所 は東邦協会、発売所は耕読社。また、福本誠君著・ 耕読社発行『現欧洲』の広告がある。 * 近代デジタルライブラリー収録。ただし、表紙・扉 を欠く。 ●支那調査会編『支那通商』明治34年6 月26日発行、文献社(東京市京橋区) ※非売品。奥付では、編纂者支那調査会(東京市 芝区)、右代表者遠山景直(東京市牛込区)。『日南 草廬集』では東邦協会刊行としているが、奥付には 文献社発行となっていて、東邦協会の名は見えな い。 ※7月8日発行の『国際支那 全』再版に付した折 込広告(予告との目次の異同を記す)では、『支那通 商』を本篇(非売品)とし、『国際支那』を附録としてい る。両書はセットで発行されたものであることがわか る。非売品であるが、予約者には代価の送金を求め ている。 ※『日南草廬集』によると、『支那通商』は自監で、 序についても支那調査会名で発表されたものを、自 分が執筆したとして収録する。ただし、表紙・目次・本 文・奥付などに監修者福本誠(日南)の名前は出てこ ない。 * 近代デジタルライブラリー収録。書誌データでは 出版年を1909と誤記している。(2006年1月14日 現在) ●福本誠識「国際支那序」(支那調査会訳 述『国際支那』明治34年6月26日発行、 文献社《東京市京橋区》) ※『日南草廬集』によると、『国際支那』は自訳。表 向きは支那調査会訳となっている。 ※アルチュール・デジャルダン『支那と国際法』の 訳。 * 近代デジタルライブラリー収録。ただし、表紙を欠 く。 ●福本誠識「国際支那序」(ア・デジャルダ ン著・福本誠訳『国際支那 全』明治34年 7月8日再版発行、文献社《東京市京橋 区》) ※6月26日発行の初版奥付で支那調査会訳述と なっていたのが、再版では福本誠訳述に変わった。 著者の住所は「東京市牛込区矢来町三番地」。初版 の奥付には定価の記載がなく、再版では「定価金弐 拾五銭」とある。 巻末に藤井玄溟著『訂正増補 新布哇』の予約広 告がある。菊判・本年十二月末日発兌。文献社発 行。 また、折込広告では予約時の目次と、6月26日発 行の『国際支那』目次との異同を記す。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 1日現在) ●福本誠「ピレネー山南の王国」(進藤信 義編『先覚詞藻』明治34年10月7日発 行、鍾美堂本店《大阪市南区》・鍾美堂支 店《東京市日本橋区》) ※上中下の内、上篇のみ収録。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) ●福本誠「佐藤宏君伝」(村松忠雄編『名 家の遺影』明治34年12月9日発行、東洋 社《東京市神田区》) ※アンソロジー。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年5月 15日現在) |
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▽明治三十五年(一九〇二) 四十六歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「一代の人物」を『日本人』に発表、藤井玄 溟『新布哇』に序を書く。三月、「吹雪」(短詩)を 『明星』に発表。五月、藤園の『欧羅巴』に序を寄 せ、「九州の一角(筑前人の気質)」を『日本人』 に発表。七月、「遷善の道途」(九月まで三回)、 「逸聞数則」を『日本人』に、八月、「国服の制定」 を『中央公論』に発表。十一月、「壬寅会趣旨」を 草し、協賛者を求む。 |
●日南福本誠「新布哇叙」(藤井玄溟『改 訂増補新布哇』明治35年1月5日発行、 文献社(東京市京橋区) ※奥付は著者藤井秀五郎(東京市牛込区矢来町 九番地)で、元版にあった本籍と寄留の文字が消え る。 支那調査会編纂『支那通商』、仏国ア、デジヤルダ ン先生著・福本誠先生評訳『国際支那』の広告あり (復刻版による)。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) ← 改訂増補版。元版は明治33年12月30日発 行、大平館。 → 復刻版。【初期在北米日本人の記録】《布哇編》 第一冊『新布哇 附録:在布哇日本人出身録』平成1 5年11月26日発行、文生書院(東京都文京区) ●日南福本誠「海外評論叙」(浩々居同人 訳述『日英同盟と世界の輿論』海外評論 第壱 明治35年5月7日発行、言文社《東 京市本郷区》) * 著作者は平田知夫。浩々居とは、中学修猷館か ら第一高等学校へ進んだ広田弘毅・平田知夫らの共 同生活の場で、副島種臣の揮毫した「浩浩居」という 額を掲げていた。この本は広田が「浩浩居の住人た ちに呼びかけ、英語ドイツ語フランス語ロシヤ語など、 それぞれ得意の語学を生かし、諸外国の新聞からこ の問題についての論評を丹念に集め、翻訳させた」も のであった(城山三郎『落日燃ゆ』昭和49年1月20 日発行、新潮社)。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 2日現在) ●福本日南「税所刀自の歌のはしがき」/ 「税所刀自の歌」(『清風録』明治35年7 月2日発行、研文学会編輯・発行《東京市 神田区》) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) ●無縁寺和尚日南房志「序」(ただし原書無 題)(池邊義象『欧羅巴』明治35年8月10 日発行、金港堂書籍《東京市日本橋区》) ※「日南房志」とは「日南坊誌《しるす》」の意か。池 邊義象は藤園と号す。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) |
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▽明治三十六年(一九〇三) 四十七歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「操觚社会」を『日本人』に発表、『筑前志』 を国光社刊。四月、「再たび不弥国に就きて」を 『太陽』に発表。六月、「平和の保障」を『太陽』、 「人道とは何ぞや」を『日本人』に発表。七月、「二 頭の羊」を『日本人』に発表。九月、「平民社趣 旨」、十月、「機や逸す可からず」「戦争は権利な り」、十一月、「物の出現を促す勿れ」、十二月、 「神よ此微衷を享けよ」等々を執筆。 |
一月、『筑前志』(国光社)を出版。 | ●福本誠『筑前志』明治36年1月1日発 行、国光社(東京市京橋区) ※「筑前志」という名称については、貝原益軒の『筑 前志略』、伊藤常足の『太宰管内志』の内の「筑前 志」に先行例がある。 * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ → 復刻版。『筑前誌』と改題。昭和49年4月20日 発行、臨川書店。 → 復刻版。『明治後期産業発達史資料』第392巻 (平成10年1月発行、龍溪書舎《東京都板橋区》)に 収録。 ●(文科大学)草香江「九州の北岸(筑前 志を読む)」(『歴史地理』第5巻第4号 明 治36年4月1日発行、日本歴史地理研究 会《東京市牛込区》) → 復刻版。日本歴史地理学会編『歴史地理』(平成 2年4月25日発行、第一書房《東京都文京区》)。 |
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▽明治三十七年(一九〇四) 四十八歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二月、「本国」を、三月、「日本」(上下)を『日本 人』に発表、『進軍歌』(内田久米太郎作曲)を吉川 弘文館刊。五月、『愛国本義』を金港堂刊。六月、 「露将列伝」を『太陽』に発表。七月、「魯連は無き 歟」を、十月、「城」を、十一月、「ラツール・ドーヴ ェルニュ」「日露の離合」「市川団十郎」などを書 く。『剣南遠征録』に序を寄せる。 |
五月、『愛国本義』(金港堂)を出版。 | ●福本誠作歌・内田粂太郎作曲『進軍歌』 明治37年3月5日発行、弘文館 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) ●日南福本誠「戦争大観序」(藤田龍城 『戦争大観』明治37年4月18日発行、晴 光館書店《東京市京橋区》) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 2日現在) ●福本誠『愛国本義』明治37年5月24日 発行、金港堂書籍(東京市日本橋区) * 近代デジタルライブラリー収録。 →福本日南『愛国本義』文明叢書第五十四篇(大正 3年12月12日発行、植竹書院《東京市神田区》)に 収録。 ●牛門逸民福本日南識「征塵録序」(小山 田剣南『征塵録』明治37年11月27日発 行、中野書店《東京市牛込区》) ※奥付によると著者の本名は小山田淑助。中野書 店の住所は東京市牛込区矢来町十七番地で、明治 34年の日南の住所に近い。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) → 『明治北方調査探検記集成』第9巻(平成元年2 月25日発行、ゆまに書房)に収録。 |
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●『進軍歌』について従来判明していたのは以下の点である。 (1)『読書と文献』第4巻第2号(昭和19年6月29日発行、日本古書通信社《東京都神田区》)所載の「福本日南=著者別書目一覧=」 進軍歌 吉川弘文館 明37 3 〈菊〉 仮 この一覧から判型・装幀が菊判・仮綴というところまでは判明する。ただし、作曲者内田粂太郎についての情報はない (2)榎本隆司氏編「福本日南年譜」(『明治歴史文学集(二)』明治文学全集第90巻 昭和47年1月30日発行、筑摩書房)に、 (明治37年3月)『進軍歌』(内田久米太郎作曲)を吉川弘文館刊。 楽譜であることはわかるが、福本日南〈作詞〉は明示されていない。内田粂太郎の名の表記を誤っている。おそらく(1)に依拠したのだ ろうが、作曲者については別途その情報に接したことになる。 (3)「唱歌教材目録(明治編)」(『音楽研究所年報』第4集 昭和56年3月30日発行、国立音楽大学音楽研究所《東京都立川市》)に、 「進軍歌」の調査結果が報告されている。最後の「学」が所蔵館で、東京学芸大学附属図書館である。 進軍歌 福本誠作詞 内田粂太郎作曲 東京 弘文館 明37〔1904〕 3p 15×22p 5線譜/数字譜 学 (4)塚本靖彦氏「内田粂太郎作曲目録(1991年9月)」『群馬大学教育学部紀要 芸術・技術体育・生活科学編』第27巻、平成4年3月 30日発行。 作品番号12として、 (作品名)進軍歌 (作詞者)福本誠 (分類)軍歌 (発表年月)明治37年5月 (所載)(楽譜入手まだ出来ず) (出版社)東京 弘文 館 塚本靖彦氏は同紀要第24巻(平成元年3月30日発行)に斎藤博氏との連名で「明治期の師範学校での音楽教育と音楽―内田粂太 郎の生涯と音楽作品―」、第27巻には塚本氏単独で「内田粂太郎の新判明作品と全作品―内田粂太郎の空白部分発掘と補遺―」を 発表しておられる。 東京学芸大学附属図書館へ問い合わせた結果、所在を確認し、次の点が明らかにできた。 進軍歌 内田粂太郎作曲、福本誠作歌 東京 弘文館 明治37年3月5日発行 表紙を含めて6頁 判型は150×220なので菊判に間違いない。発行年月は(1)(2)が正しく、発行所は(3)が正しいことがわかった。 全体では表紙を含 む6頁だが、頁数は記されていない。1枚目裏に楽譜、2枚目表裏に歌詞があるので、(3)が本文内容を3pとしたのである。 吉川弘文館ホームページの「沿革」によると、「弘文館」の商号を建てたのは明治33年、「吉川弘文館」の名称を使用するのは明治3 7年である。月日までは明示されていない。 試みにWebcatで、出版者「弘文館」「吉川弘文館」のそれぞれについて出版年「1904」の図書・雑誌を検索してみた。前者で17件、後 者で12件がヒットした。刊行月の明らかなものについて比較すると、「弘文館」の終期、「吉川弘文館」の始期とも、1904年8月と判明し た。つまり、明治37年(1904)7月以前に〈出版者:吉川弘文館〉はありえないことになる。(1)は現物を見ての報告だが、後の吉川弘 文館という意味で、「吉川」の二字を加えたのだろうと推測している。 (2006/01/19 記)
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▽明治三十八年(一九〇五) 四十九歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「戦局私観」を『中央公論』に発表。四月、 「文章の奥義」を『現代名家作文秘訣』(成功雑誌 社刊)に収める。五月、「列強の君主を評し奉る」 を『中央公論』に発表、『旅順陥落琵琶歌』を中野 書店刊。九月、「露国宮廷の内幕」、十月、「露国 軍事界の内幕」、十一月、「露独両皇帝会合の 真相」を『中央公論』に発表。十一月、『九州日報』 の主筆兼第四代社長に就任、居を那珂川の右岸 住吉神社前の池畔に定む。ただちに社内改革に着 手、十二月一日より紙面刷新をはかると同時に、 みずから「飯牛の客」「利鎌舎主人」などの署名で 旺盛な執筆活動を展開する。六、七日、「天外の 飛行(マダーム、アダムの書)」、八日から翌年一 月九日にかけて「九州の文化」、二十日、「カイゼ ル政略」、二十三日、「大日本建国史(木村鷹太 郎著)」、二十五日、「クリストマス」、二十六日、 「法官の威信」等々がそれである。 |
●福本日南君「文章の奥義」(成功雑誌社 編『現代名家作文秘訣』明治38年4月3 日発行、成功雑誌社出版部《東京市本郷 区》) ※アンソロジー。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年5月 15日現在) ●福本日南『琵琶の曲 旅順陥落』明治3 8年5月10日発行、中野書店(東京市牛込 区) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) * 福本日南コレクションへ ◆11月、福本日南が福岡市の九州日報 社長に就任し、河波荒次郎を副社長に据 える。日南は主筆を兼ねて社業刷新に着 手。12月1日から、年末年始・大祭祝日を 除き無休刊とし、八頁を六頁に減らして月 ぎめ購読料を5銭値下げし、外国通信社と の特約によって通信を強化した。ただし、 翌39年8月から色刷り輪転機を用いると 同時に、頁数と購読料を旧にもどした。▼ 『西日本新聞百年史』(昭和53年3月31 日発行、西日本新聞社) |
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●榎本氏が『琵琶の曲 旅順陥落』の書名を『旅順陥落琵琶歌』と誤って記したのは、おそらく『読書と文献』第4巻第2号(昭和19年 6月29日発行、日本古書通信社《東京都神田区》)所載の福本日南著作一覧≠ノ従ったことによる。28頁に次のように書かれている からだ。〈 〉内は二行割書。 〈旅順陥落〉琵琶歌 中野書店 明38 5 |
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▽明治三十九年(一九〇六) 五十歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、上京。十七日、「東京だより」を『九州日報』 に寄せ、以後同題で二月六日まで断続連載。二月 はじめ帰社。十三日、「我文学引」を、十四、五、 六日、「日本文学 アストン」(抄訳批評)を、十九 日、「李陵海上歌」をと『九州日報』への執筆がつ づくが、各月ともその数はきわめて多い(紙幅の都 合から、以下同紙掲載の分は、その主たるものを 一括抄録する)。二十一日、「摩洛哥問題」、三月 十六日から二十三日まで「新生活」、十九日から 二十一日まで「仏国の未来」、二十五日、「飯牛 歌」、二十六日、「自治制の振粛」、四月十八日、 「宗像の古碑」、五月四日から二十日まで「博多 の未来」(九回)、六月九日から十九日まで「入豊 雑記」(十一回)、二十日、「古器物の発掘」、七月 十一日から二十日まで「豊後文字」(八回)、八月 一日、「福岡人と博多人」、十月七日、「閣龍のな ごり」、十九日、「形勢一変の兆」、二十四日、「聯 隊旗の焼失」、二十九日、社主の死を悼んで「嗚 呼平岡浩太郎君」、十一月二十二日から二十六 日まで「孟子神髄序」(四回)、十二月十三日、「孤 懐悽寥」をなど、『九州日報』に書く。別にこの年、 四月、「新生活」を『中央公論』に掲載、「十九世紀 の仏国音楽」を『音楽新報』に発表。八月、「現時 新體詩の価値」と題する『中央公論』のアンケート に回答、十一月、「清廷の大謬見」を同誌に発表、 十二月十七日、「孤懐悽寥」を『二六新聞』に書く。 |
●福本日南「『人類の大権』を読む」(宮崎 民蔵『土地均享 人類の大権』明治39年 3月10日発行、新進書局《東京市神田 区》) ※熊本県立図書館本では福本日南の序は見えな い。『明治文化全集』では表紙と目次の間に日南の 序を置く。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) → 『明治文化全集』第21巻社会篇(昭和4年2月2 0日発行、日本評論社)に収録。 → 宮崎民蔵『土地均享 人類の大権』近代日本文 化叢書(昭和23年発行、実業之日本社)に収録。 → 『明治文化全集』第6巻社会篇(昭和30年10月 30日改版発行、日本評論新社)に収録。ただし、上 二つの『明治文化全集』300頁で発行年を「明治三 十五年」としたのは、奥付を転記した際の誤りであ る。 → 『明治大正農政経済名著集』第24巻(昭和52年 11月10日発行、農山漁村文化協会)に収録。 → 『明治文化全集』第22巻社会篇上巻(平成5年1 月発行、日本評論社)に収録。 ◆3月21日、水茶屋常盤館で初めて九州 日報読者大会を開催。745名が参加。福 本社長の講演、桃中軒雲右衛門の浪曲な ど。10月17日、東公園亀山上皇銅像下で 再び開催。1500余名が参加した。▼『西 日本新聞百年史』 ◆10月24日、資本主平岡浩太郎が死 去。九日社の経営に大きな損失となる。葬 儀当日の10月29日、日南は「嗚呼平岡浩 太郎君」を九日紙面に執筆した。▼『西日 本新聞百年史』 |
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▽明治四十年(一九〇七) 五十一歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月一日の「希望第一」をはじめ、『九州日報』に、 十日、「北海の新太守」をなど、二月六日から十五 日まで「怡土の曙色」、十三日、「お伽譚 王様と 盗賊」、九日から十六日まで「菅沼貞風君伝」(四 回、再録)、三月二十九日から四月七日まで「青春 二週」(七回)、四月二十四、五、六日、「九州史の 研究」、五月二十七日、「勝てば文明(日露海戦 前後に於ける万国の日本海軍観)」、六月一日、 「嶺南の雲乱る」「バイロンを憶ふ」、七月九、十 日、「ヤンキーの狂挙」、十二日から二十一日まで 「葉隠れ」(十月の『中央公論』にも掲載)、八月二 日、「真の英雄」、九月三、四日、「外人の鉱業 権」、二十三日、「太宰権帥の賽現?」(十月の 『中央公論』にも掲載)、十月十九日、「誰か一剣 の任に仗る」、十一月三日、「日本のミカド」、十 五日から十八日まで「宗像史談」、二十七日、「技 芸の妙味」、十二月五日から二十二日まで「国文 管見」(八回)を書く。別に、二月、「文章我観」を 『文章世界』、五月、「日本最初の開港」を『太 陽』、六月、「大学論」、七月、「福沢翁の譬喩」を 『中央公論』、八月、「大学論」を『太陽』に発表。な お三月二十三日、出京を機に、頭山満、内田良 平、内田良五郎ほか玄洋社の同志と撮影。 |
福本誠『大学』明治40年10月14日発 行、隆文館(東京市京橋区) * 近代デジタルライブラリー収録。 |
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▽明治四十一年(一九〇八) 五十二歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月一日、「年、年号、紀元」ほかを、五日、「著 作と報酬」、十一日、「新色旗」をなど『九州日報』 に書く。以後、二月四、五、六日に「理想の一君 主」、七、八日と十六日に「無政府主義」(三回)、 二十三日から三月十三日まで「世界大観」(二十 回)、三月十四、六、七日、「『石田三成』」、二十 六日から三十日まで「柳暗花明」(五回)、四月八、 九日、「花と人」、十一、三日、「人と花」、十四日、 「新満洲問題」、五月、第十回衆議院議員選挙へ の立候補に当たり、七日、「自薦状」を、六月六日 から十一日まで「興来録」(五回)、二十七日、「今 世の英雄―カルネギーとコツホ博士」、二十九日 から七月二日まで「我希望の一―政党及政党員 に望む」(三回)、七、八、九日、「一代の好漢― 『橋本左内全集』を読む」、二十一、二日、「エミ ール・ゾラ」をなど同紙に発表、八月十一日より同 紙に「講演 元禄快挙録」の連載をはじめる(四十 二年九月七日まで二九五回)。ほかに、五月、衆議 院議員に当選(憲政本党)。六月、「大学の社会的 事業」を『太陽』に発表(七月に続載)。七月、『江 湖』の「学生時代の学科に対する名流の回想」と題 するアンケートに「唯『史』乎。」云々と回答。八月、 「時論二則」を『中央公論』に発表。九月二十六 日、早稲田弁天町の雲居山宗三寺における山鹿 素行二百二十四回期に犬養木堂を伴って出席。十 一月から四十二年九月にかけて「元禄快挙録」の 六十四までを『文章世界』に転載。十二月十四日 夜、崇福寺で第一回義士会を開く。十八日上京の 途につき、議会開期中、東京市牛込区矢来町三番 地に住む。 |
●中野正剛「日南先生を懐ふ」(『九州日 報』明治41年2月14日発行、九州日報社 《福岡市》) ◆5月15日施行の第10回総選挙に憲政 本党から立候補し当選。▼『西日本新聞百 年史』 ◆5月23日、可也村長簡牛俊介、実業功 労者名古屋敬吾に感謝状を贈る。文は福 本日南の撰。▼『糸島郡誌』(昭和2年10 月1日発行、糸島郡教育会) 復刻版:昭和6 1年6月5日発行、臨川書店(京都市左京区) ※名護屋が正しい。 ◆8月11日、九州日報紙上で「元禄快挙 録」の連載を開始。295回に及ぶ。▼『西 日本新聞百年史』 ●日南福本誠「日本炭礦誌序」(高野江基 太郎『日本炭礦誌』明治41年9月25日発 行) ※奥付に、著作者兼発行者高野江基太郎(福岡県 福岡市東職人町四番地寄留)とある。発売所は積善 舘支店(福岡県福岡市中島町)。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 31日現在) → 高野江基太郎『増訂再版 日本炭礦誌』(明治4 4年7月5日発行)。著作者兼発行者は初版に同じ。 発売書店に丸善(東京市日本橋区通三丁目)を加え る。日南の序文はない。 → 復刻版。『明治前期産業発達史資料』に収録。 『日本炭鉱誌』T・Uと、改題の上2分冊になっている (昭和45年9月発行、明治文献資料刊行会《東京都 豊島区》)。 ◆12月14日夜、九州日報社主催で、博多 御供所町聖福寺において第1回義士会を 開く。粥を炊くための白米3合ずつを持ち寄 った男女400余名が福本社長、東瀛禅師 の講話を聞く。毎年12月14日に義士会を 開くことを申し合わせる。▼『西日本新聞 百年史』 ・ 西日本新聞百年史が「聖福寺で」とした のは崇福寺の間違い。→この件は後日書 き直したい。ここでは百年史を要約するに とどめる。 |
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▽明治四十二年(一九〇九) 五十三歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月五日から「感想録」を『九州日報』に断続連 載。二月、「俗吏の検閲に勝る」(特集「文芸院設 立の要ありや」)を『文章世界』、三月、「議院観」を 『太陽』に寄せる。四月七、八、九日、「犬養木堂」 を、五月、十三、四日、「花と国民性」を『九州日 報』に掲げ、同月、「文談数則」を『文章世界』に発 表。六月十七日、東京からの帰途赤穂に寄り、七 月一日、「赤穂の一日」を『九州日報』に書く。同十 三、四日と八、九月の同日、「進歩」を、九月十一、 二日、「英国の軍備問題を挙げて我国民の前に 提出し其所思如何を問ふ」を、十四日から十一月 へかけて「野花繚乱」(断続連載)を、二十七日、 「人間の新領分」、十月十三日、「友邦の友党」を 『九州日報』に書く。同月、憲政本党第十二回大会 出席のため上京。二十八日の『東京二六新聞』に 「文芸家と晩餐」と題するアンケートの回答が載 る。十一月十五日、「英国の新帝国主義」、十八 日と二十一日、「芙爾頓〈フルトン〉の百年祭」、二十 九日、「全県坑夫のトレードユニオンを起す可し」 を、十二月八、九日、「減租の必要」を『九州日報』 に書く。十四日、崇福寺における第二回義士会で 講演。二十日、議会召集に応じて上京。経営上の 問題からこの月をもって退社を決意、矢田挿雲、雑 賀博愛ら十余名がこれに殉じた。同月、小川運平 『満洲及樺太』(博文館刊)に序文を寄せ、『元禄 快挙録』を啓成社刊。 |
十二月、『元禄快挙録』(啓成社)を 出版。 |
●「福本日南の夫人碁盤を両断す」(渡辺 斬鬼編『名流百話』明治42年2月13日発 行、文錦堂《東京市神田区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ●福本日南『元禄快挙録』明治42年12月 10日発行、啓成社(東京市本郷区) * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ → 袖珍版。明治44年7月23日発行、啓成社。 → 『新聞文学集』現代日本文学全集第51篇 昭和 6年5月20日発行、改造社に収録。 → 昭和14〜15年、岩波文庫に収録(3分冊)。同 57年改版発行。 → 瀬沼茂樹編『明治歴史文学集(二)』明治文学全 集第90巻(昭和47年1月30日発行、筑摩書房《東 京都千代田区》)に収録。 ●日南福本誠「題文学錦嚢」(高木武『文 学錦嚢』明治42年12月20日発行、文成 社《東京市本郷区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ◆10月、金策上のことで河波副社長が刑 事事件に問われ、責任を感じた福本社長 は12月末、河波と共に辞任、退社。福本 に従った雑賀博愛、矢田挿雲ら11人も退 社した。▼『西日本新聞百年史』 |
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▽明治四十三年(一九一〇) 五十四歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月二日の『九州日報』社告に、退社が報ぜられ る。二十二日、博多を発ち、東京市本郷区湯島三 組町八十二番地に落ちつく。同月、「当代名士の 義徒観評」を『日本及日本人』に発表(三月に続 載)、二月、「平野国臣寒梅集序」を同誌に書く。 三月、「元禄快挙別録序」を『日本及日本人』に寄 せ、「昨今の政局」、四月、「今一遍」を『中央公 論』に発表。六月、『直江山城守』を東亜堂書房 刊。九月、「愚論歟名論歟」を『中央公論』に発 表。十一月、「依緑軒逸話」を『日本及日本人』に 寄せ、『日南集』(「国風」と題する四百首を自伝風 に編んで付す)を東亜堂書房刊。十二月の『中央公 論』に「日南放言」「玉島古意」「白瀬中尉につい て」を書く。 |
六月、『直江山城守』(〈直江兼続〉東 亜堂書房)を、十一月、『日南集』(同 上)を出版。 |
●九州の人福本誠「満洲及樺太序」(小川 運平『満洲及樺太』明治43年3月4日発 行、博文館《東京市日本橋区》) ※印刷・発行日は本来の明治42年12月が、手書 きで修正されている(修正個所に捺印あり)。なお、序 文の筆者名は誠を「誡」と誤植。 * 近代デジタルライブラリー収録。 → 『満蒙地理歴史風俗誌叢書』第141巻(1997 年5月発行、景仁文化社《韓国》)に収録。 ●日南学人「序文」(ただし原書無題)(痴遊著 『西郷南洲』明治43年3月11日発行、東 亜堂書房《東京市本郷区》) ※縮刷版『西郷南洲』第一巻の著者痴遊「凡例」 (大正二年晩秋)には、「先輩福本日南先生」が序文 を寄せたことを「僕の光栄」としている。第一巻の内容 は島津家騒動から江戸城明け渡しまで。上野の戦い からが第二巻になる。 また、伊藤痴遊先生著『縮刷 西郷南洲』菊判、美 装、三冊合本の広告がある。縮刷(縦の長さは文庫 大)を称しながら判型が菊判では表現に矛盾がある。 後で述べるように、合本は縮刷ではない。誤記であろ う。 明治45年5月20日、東亜堂書房刊の鵜崎鷺城 『人物評論 朝野の五大閥』に付した広告(同じ広告 が『後の西郷南洲』完編にもある)によると、伊藤痴遊 著の『西郷南洲』は正編・続編・終編(大判美装全三 冊)から成り、三冊合本特製美本も発行されている。 この『西郷南洲』は長谷場文部大臣閣下序文及長 歌、福本日南先生序を付している。この序文が縮刷 版第一巻にも収録されている。 さらに、同著者による『後の西郷南洲』(大判洋 装)、『西郷南洲外篇』(中判美本)の広告も載せられ ている。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 31日現在) → 「西郷隆盛―西郷南洲伝序―」と題して『日南 集』(明治43年11月20日発行、東亜堂書房)に収 録。 ●(「第一篇 養心」の内)福本日南「我観 豊太閤」(井上泰岳編『我処世観』明治43 年3月25日発行、博文館《東京市日本橋 区》) ※緒言によると「編中諸家の所述は編者が親しく之 れを聴いて記述」したものという。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 22日現在) ●日南学人「序」(福本日南校閲評序・三田 村玄龍著『元禄快挙別録』明治43年5月 8日発行、啓成社《東京市本郷区》) ※福本日南先生著・天覧『元禄快挙録』好評六 版・菊版の広告あり。なお、三田村玄龍は後の鳶魚。 * 近代デジタルライブラリー収録。 → 瀬沼茂樹編『明治歴史文学集(二)』明治文学全 集第90巻(昭和47年1月30日発行、筑摩書房《東 京都千代田区》)に収録。 → 『三田村鳶魚全集』第16巻(昭和50年11月25 日発行、中央公論社《東京都中央区》)に収録。ただ し、福本日南の序文は朝倉治彦「編集後記」に移さ れている。 → 『元禄快挙別録』鳶魚江戸文庫第27巻 中公文 庫(平成10年11月18日発行、中央公論社《東京都 中央区》)に収録。福本日南の序文は同上。 ●福本日南『直江山城守』明治43年6月2 3日発行、東亜堂書房(東京市本郷区) * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ → 『縮刷 英雄論』(大正8年3月20日発行、東亜 堂)に収録。 → 復刻版。昭和55年3月25日発行、歴史図書 社。 ●後学福本誠「宋名臣言行録序」(福本日 南校訂・小野鍾山訳『和訳宋名臣言行 録』明治43年11月15日発行、文成社《東 京市本郷区》) * 近代デジタルライブラリー収録。(2006年7月1 4日現在)←近代デジタルライブラリー未収録。(200 6年1月14日現在) ●福本日南『日南集』明治43年11月20 日発行、東亜堂書房(東京市神田区) * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ ●日南学人「序」(ただし原書無題)(伊藤仁太 郎『縮刷 西郷南洲』第一巻 大正2年1 2月8日発行、東亜堂《東京市神田区》) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年2月 2日現在) |
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●痴遊伊藤仁太郎は西郷隆盛についていくつもの本を書いている。その内、『西郷南洲伝』シリーズとも言うべきものは、『西郷南洲』 正編・続編・終編の3編に始まり、『後の西郷南洲』と、同・完編の5冊をもって完結した。この間、その延長上にある『西郷南洲外編 僧 月照』も書いており、明治43年から大正元年までに発行された計6冊が、一連の作品と見なしうるものである。『西郷南洲外編 僧月照』 について、痴遊自身が「併せて一読せられむ事を希望する」とも書いている(痴遊伊藤仁太郎識「西郷南洲伝の完成に際して」『後の西 郷南洲』完編)。 『西郷南洲』正編・続編・終編は合本して一冊としたものが明治43年に刊行されており、他に『縮刷 西郷南洲』3巻本が大正2年〜3 年に刊行されたから、『西郷南洲』だけをとっても3種類の版があることになる。 整理すると、 @)『西郷南洲』明治43年(1900)3月11日発行 正編にあたるが、表題には表れない。広告で正編と称したものである。福本日南の序がある。382頁まで収録。以下、3巻を通じて頁 は通し番号になる。 A)『西郷南洲 続編』明治43年5月3日発行 日南の序はない。756頁まで収録。 B)『西郷南洲』合本 明治43年12月20日発行 奥付に「南洲合本」とある。既刊の正編・続編に加え、次の終編を含むが、なぜか合本の方が分冊の終編よりもわずかに早く出版され ている。日南の序がある。総1218頁。 C)『西郷南洲』明治44年1月2日発行 終編にあたるが、表題には表れない。広告で終編と称したもの。巻末に「西郷南洲 終」と出てくる。日南の序がある。1218頁まで収 録。 D)『西郷南洲外編 僧月照』明治44年10月7日発行 * 近代デジタルライブラリー収録。 E)『後の西郷南洲』明治45年1月26日発行 * 近代デジタルライブラリー収録。 F)『後の西郷南洲』完編 大正元年12月18日発行 * 近代デジタルライブラリー収録。 G)『縮刷 西郷南洲』全3巻 大正2年〜3年発行 第一巻 大正2年12月8日発行 福本日南の序がある。 第二巻 大正3年1月2日発行 第三巻 大正3年2月4日発行 これらを検索して、書誌の表記が混乱していることに気づいた。 (1)国立国会図書館で 「西郷南洲.前,続編/伊藤痴遊(仁太郎).--東亜堂,明43」(書誌 一覧表示) としているのは、前編を改め〈正,続編〉とすべきところである。前編に対応するのは後編であろう。 「西郷南洲/伊藤仁太郎.--東亜堂,明44.1」(書誌 一覧表示) は、(書誌 全項目表示)でも、終編であることが明示されていない。 「僧月照/伊藤痴遊.--東亜堂書房,明44.10」(書誌 一覧表示) では、「西郷南洲外編」が表題の一部として認識されていない。正・続・終に対する外編なのである。(書誌 全項目表示)ではタイトルに 表れている。 (2)WEBCATで 「西郷南洲/伊藤仁太郎著;本篇.--再版.--東亜堂書房,1910」 は、正篇を本篇と記載したものである。もうひとつヒットする「正篇,続篇.」の方でも所蔵図書館は[本篇]と表示しているが、これはわざわ ざ正篇を本篇と読み替えているようだ。痴遊の文に「本編」の文字が見えても、その場合、「この編」の意味で使用しているのである。 なお、著者痴遊による「例言」(『後の西郷南洲』)では、『西郷南洲』正編・続編・終編の3編を一括して「南洲先生の本伝」あるいは「南 洲本伝」と称している。これは『後の西郷南洲』および外編に対しての「本伝」の意となる。 (2006/02/04 記)
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▽明治四十四年(一九一一) 五十五歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「国家の価値幾何ぞ」を『太陽』に発表。二 月、『中央公論』に「政治舞台」「井上侯の逸話」 を書く。五月、「依然たる聖堂教育」を『中央公 論』に発表、「太平洋問題」を『太陽』に語り、『黒 田如水』を東亜堂書房刊。六月、「堀部安兵衛」 を『日本及日本人』に、「仏国海相デルカツセ氏」 を『太陽』に発表。七月、『袖珍元禄快挙録』を啓 成社刊。八月、「国のヌシ」(特集「東郷大将と乃 木大将)」を『中央公論』に書く。九月、「時局縦 論」を『中央公論』に発表、『国體の本義』を啓成 社刊。十月から十一月にかけて「英雄論」(二回) と「山鹿素行と赤穂義士」(二回)を『日本及日本 人』に連載、「お出なさつた」を『中央公論』に書 く。十一月、「何人か首相の適任者なる?」という 『新日本』のアンケートに回答。十二月、「八方塞 りの現内閣」を『中央公論』に寄せ、『英雄論』を 東亜堂書房刊。 |
五月、『黒田如水』(東亜堂書房)、七 月、『袖珍 元禄快挙録』(啓成社)、 九月、『国體の本義』(同上)、十二 月、『英雄論』(東亜堂書房)を順次 出版。 |
●日南福本誠識「国語日本政記の首に題 す」(福本誠監、黒沢正直・雑賀博愛訳『国 語日本政記』明治44年4月15日発行、啓 成社《東京市本郷区》) ※福本日南著『元禄快挙録』、福本日南先生校閲 評序・三田村玄龍先生著『元禄快挙別録』の広告あ り。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) ●福本日南『黒田如水』明治44年5月1日 発行、東亜堂書房(東京市神田区) * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ → 『縮刷 英雄論』(大正8年3月20日発行、東亜 堂)に収録。 ●日南学人「先秦の偉人序」(尾池宜卿 『先秦之偉人』明治44年5月5日発行、昭 文堂《東京市本郷区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ◆5月5日、桜田門外の変の烈士祭典執 行を目的に桜会を設立(幹事長伊東祐亨 伯爵)。福本誠は幹事に推挙される。▼『維 新前史 桜田義挙録』花(明治44年7月 13日発行) ●福本日南『袖珍 元禄快挙録』明治44 年7月23日発行、啓成社(11・12版、大 正2年1月・3月の住所は東京市日本橋 区) ← 袖珍版。底本は明治42年12月10日発行、啓 成社。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) * 福本日南コレクションへ ●日南学人「叙」(岩崎英重『維新前史 桜 田義挙録』雪・月・花 明治44年7月13 日発行、吉川弘文館《東京市京橋区》) ※雪(上編)・月(中編)・花(下編)の三巻本。下編 の後に「桜田烈士五十年祭典の記」を付す(明治44 年11月25日発行、訂正4版)。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 18日現在) ●福本日南「石田三成」(『新小説』第16 年第9巻、明治44年9月1日発行、春陽 堂) ●福本誠『国體の本義』明治44年9月15 日発行、啓成社(東京市本郷区) ※福本日南監訳『国語日本政記』袖珍;福本日南 著・天覧『元禄快挙録』三五版;福本日南先生校閲 評序・三田村玄龍著『元禄快挙別録』菊版の広告あ り。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) ●九州日南学人「第十二師団戦闘史叙」 (佐藤嘉門『第十二師団戦闘史』明治44 年9月23日発行、安部新聞舗《大分市》) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 15日現在) ●日南学人「序」(鵜崎熊吉『薩の海軍・長 の陸軍』明治44年11月26日発行、政教 社《東京市神田区》) ※著者は「自序」を鷺城学人の名で書いている。 * 近代デジタルライブラリー収録。 ●福本日南「清国革命論」(小川運平『支 那及支那人』明治44年12月14日発行、 東亜堂書房《東京市神田区》) ※「清国革命論」は10月18日付。著者の自叙の 次、目次の前にある。辛亥革命の勃発(10月10日) から日を置かないで書かれていることが注意される点 である。 扉には表題の横に「附録 支那革命の真相」とあっ て、これは巻末に置かれている。 ※福本日南著、大好評忽三版『黒田如水』、大好評 忽六版『直江山城守』、好評参版『日南集』の広告あ り。 * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 25日現在) ●日南学人識「序」(川島清治郎『国防海 軍論』明治44年12月15日発行、嵩山房 《東京市神田区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ●福本日南『英雄論』明治44年12月17 日発行、東亜堂書房(東京市神田区) * 近代デジタルライブラリー収録。 * 福本日南コレクションへ → 『縮刷 英雄論』(大正8年3月20日発行、東亜 堂)に収録。 |
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▽明治四十五年・大正元年(一九一二) 五十六歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「カイゼル論」を『中央公論』に発表、「支那 再造論」(のち『日南草廬集』に収む)を書く。同月 二十日、立憲国民党の常議員に選出される。二 月、「日本の利益を主眼として見し支那問題」に ついて、三月、「領土拡張主義と商権拡張主義」 について『中央公論』に書く。四月、「太閤論」を 『中央公論』に発表(七、八月に続載)、『日南草廬 集』を岡部春秋堂・柳原積玉園(大阪)刊。七月、 「教育ある遊民の処置問題」について『中央公 論』に書き、八月、『太閤とカイゼル』を岡部春秋 堂刊。十月、「ナポレオン論」を、十一月、「山鹿 素行論」を『中央公論』に発表。 |
四月、『日南草廬集』(岡部春秋堂・ 柳原積玉圃)を出版。八月、『太閤と カイゼル』(岡部春秋堂)を出版。 |
●福本日南『日南草廬集』明治45年4月1 日発行、岡部春秋堂(東京市神田区)・柳 原積玉圃(大阪市東区) * 近代デジタルライブラリー未収録。(2006年1月 14日現在) * 福本日南コレクションへ ●日南学人「叙」(鵜崎鷺城『人物評論 朝 野の五大閥』明治45年5月20日発行、東 亜堂書房《東京市神田区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 → 復刻版。列伝叢書第17巻(平成7年2月22日発 行、大空社《東京都北区》)に収録。 ◆6月28日、淡路町多賀羅亭でルソー誕 生弐百年記念晩餐会。また青年会館に会 場を移し記念講演会。福本日南は「天民の 先覚」と題して演説。▼『新仏教』第13巻 第8号(明治45年8月1日発行、新仏教徒 同志会《東京市本郷区》) ●「福本日南氏の落涙」(森田太三郎『名 流漫画』明治45年7月27日発行、博文館 《東京市日本橋区》) * 近代デジタルライブラリー収録。 ●福本日南『太閤とカイゼル』大正元年8 月15日発行、岡部春秋堂(東京市神田 区) * 福本日南コレクションへ ●日南学人「奇人正人に題す」(戸山銃声 『人物評論 奇人正人』大正元年10月1 2日発行、活人社《東京府豊多摩郡戸塚 村》) |
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▽大正二年(一九一三) 五十七歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三月、「三奇厄」を『中央公論』、「木学両堂論」を 『太陽』に発表、「現代世界文明十二偉人は誰 か?」と題する『新日本』のアンケートに回答。五 月、「宮内省は元老の出店のみ」を、六月、「女 問題八ツ当り」を『太陽』に発表。七月、「予は予 の娘に如何なる女たらんことを希望するか」に ついて『中央公論』にこたえ、佐野保太郎・玉井広 平共編の『明治文学選』に「英雄の特質」を収む。 九月、「襲の国我利の民」を『太陽』に発表。十 月、「縦論横議」を、十一月、「政党発起は公の 至誠」(特集「桂公功過録」)を『中央公論』に書く。 |
●福本日南「神代史上の一考案―高天原 の所在―」/「神代史上の一考案―高天 原の所在―」(中)/「神代史上の一考案 ―高天原の所在と天照大御神の山陵―」 (下)(『青年日本』第1巻第1号〜第3号 大正2年2月11日/3月1日/4月1日発 行、青年日本社《東京市牛込区》) ※連載第1回には表題に(上)を欠く。『青年日本』 の編輯兼発行人は雜賀博愛で、創刊号執筆の顔ぶ れを見ると、日南の実弟安田巌城が「十勝に於ける アイヌ古城址」、同郷の藤井甚太郎が「神武創業 論」、雑賀博愛と並んで日南の門下とされる重徳泗 水(『福岡県人』第15巻第8号 昭和12年8月1日発 行)が「欧洲外交概論」を書くなど、日南の人脈が生 かされていることがわかる。 ●福本日南「英雄の特質」(佐野保太郎・ 玉井広平編『明治文学選』大正2年7月2 0日発行、春陽堂《東京市日本橋区》) ※アンソロジー。「英雄の特質」は『英雄論』(明治4 4年12月刊)の一節。 |
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▽大正三年(一九一四) 五十八歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「極東に於ける仏国コムミユン乱再現の 兆候」を『中央公論』に発表。このころ、筑紫史談 会に加わり、四月創刊の『筑紫史談』に会員として 名を連ねる。そこにとどめられた三月末現在の住 所は、東京市牛込区市ケ谷加賀町二丁目三十三 番地で「著述業」となっている。四月、「三徳を並び 勧むべし」(「東宮殿下の御補導を置かせらるるに 当り帝王学に就て卑見を述ぶ」)を『中央公論』に 寄せ、『元禄快挙真相録』を東亜堂書房刊。五 月、「大隈伯の三大使命」を『中央公論』に、六 月、「雌伏試錬の時代にある政友会(原氏の独 り舞台)」を『太陽』に発表。八月、「氷を嚼んで大 暑の人を観る」を『中央公論』に発表。九月、「現 代の青年男女を如何に観る?」との『新日本』の アンケートに回答、『豊太閤』を植竹書院刊。 |
四月、一連の「元禄快挙録」の定本と して『元禄快挙真相録』(東亜堂書 房)を、六月、『大石内蔵助』(養賢 堂)、八月、『石臼のへそ』(〈『読売新 聞』連載随筆〉東亜堂書房)、九月、 『豊太閤』(植竹書院)を順次出版。 |
●福本日南『元禄快挙真相録』大正3年4 月20日発行、東亜堂書房(2版、大正10 年6月の社名は東亜堂、住所は東京市神 田区) * 福本日南コレクションへ ●福本日南『大石内蔵助』大正3年6月23 日発行、養賢堂(東京市日本橋区) ●福本日南『石臼のへそ』大正3年8月3 日発行、東亜堂書房(東京市牛込区) * 福本日南コレクションへ → 縮刷版。大正7年11月30日発行、東亜堂書 房。 福本日南(奥付・福本誠)『カイゼル』文明 叢書第一編、大正3年9月13日発行、植 竹書院(東京市神田区) ●福本日南『豊太閤』大正3年9月23日発 行、植竹書院(東京市神田区) * 福本日南コレクションへ 福本日南(奥付・福本誠)『愛国本義』文明 叢書第五十四篇、大正3年12月12日発 行、植竹書院(東京市神田区) ← 文庫版。底本は明治37年5月24日発行、金港 堂書籍(東京市日本橋区) * 福本日南コレクションへ |
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▽大正四年(一九一五) 五十九歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二月、「時局横議」を『中央公論』に発表、『大勢 史眼』を至誠堂書店刊。このころ、小石川区橋ケ 谷町百四十七番地に転居。七月、「陸海軍首脳 の諸将耳を仮せ」を『中央公論』に発表。九月、 「天下多難の秋」を『中央公論』に発表、『栗山大 膳』を実業之日本社刊。十一月、「精治万歳」を 『中央公論』に発表。 |
二月、『大勢史眼』(至誠堂書店)、九 月、『栗山大膳』(実業之日本社)を 順次出版。 |
●福本日南『大勢史眼』大正4年2月8日 発行、至誠堂書店(東京日本橋区)・至誠 堂小売部(同) * 福本日南コレクションへ ●福本日南「第六 赤穂義徒の一挙より 享受せる教訓」(足立栗園編『模範講話 名家演説集 全』大正4年2月20日発 行、明治出版協会《東京市京橋区》) ※書名は扉による。背と奥付では『名家演説集』。 奥付では発行所に中外出版社(東京市麻布区)を加 える。 ●福本日南『栗山大膳』大正4年9月5日 発行、実業之日本社(東京市京橋区) * 福本日南コレクションへ ◆10月17日、北海道庁立小樽水産学校 が創立10周年記念に校歌「北海健児の 歌」を制定。福本日南作詞・藤村北涯作 曲。北涯藤村信吉は当時、同校校長。▼ 『樽水六十年』昭和41年12月10日発 行、小樽水産高等学校創立六十周年記念 事業協賛会/中神凡夫『北斗爛【日+干】 上に在り』平成16年3月1日(三訂増刷) 発行/木呂子敏彦編『福本日南先生略 年譜』昭和60年7月1日発行(私家版) ※小樽水産学校は現・北海道小樽水産高等学校。 北海道小樽水産高等学校のサイトで、 校歌を聴くことができます。「学校紹介・校 長挨拶」から「校歌」に入る。>>>>http:// www.otarusuisan.hokkaido-c.ed.jp/ ◆12月14日、日本弘道会で赤穂義士討 ち入り214周年の会合。中央義士会創設 さる。▼『中央義士会第一回報告』(大正 六年度) |
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▽大正五年(一九一六) 六十歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、「当世男に向つて神風主義を宣伝す」を 『中央公論』に発表。二月、前年末ごろから創立の 動きのあった中央義士会の趣旨案及び規約案成 る。九月、「イスラエルの一老叟」を『東方時論』 に発表、『清教徒神風連』を実業之日本社刊。十 月、「天を仰いで大笑す」を『中央公論』に発表、 「天然楽土の祟り」(特集「海外発展の根本問 題」)を『新日本』に書く。十二月十四日、芝高輪の 泉岳寺において中央義士会の発会式が挙げら れ、幹事長に推される。 |
九月、『清教徒神風連』(実業之日本 社)を出版。 |
◆2月28日、日本弘道会で中央義士会趣 旨案及び規約案を協定。福本誠、創立委 員長となる。▼『中央義士会第一回報告』 (大正六年度) ●片口安之助「福本日南の歌」(『水甕』第 3巻第5号 大正5年5月1日発行、水甕社 《東京市外西大久保》) → 復刻版。昭和53年発行、文泉堂出版。 ●福本日南『清教徒神風連』大正5年9月 5日発行、実業之日本社(東京市京橋区) * 福本日南コレクションへ ◆12月14日、義士討ち入り215周年の 記念日。高輪泉岳寺で祭典を兼ね、中央 義士会発会式。福本誠、幹事長に選ばる。 ▼『中央義士会第一回報告』(大正六年 度) |
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▽大正六年(一九一七) 六十一歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
五月、『堀部安兵衛』を中央義士会刊。六月十九 日、副島義一らと対外同志会を結成。別に『大石 内蔵助』を中央義士会刊。 |
五月、『堀部安兵衛』(中央義士会) を出版。 |
●「福本日南先生祝辞演説」(『岩佐君記 者生活二十年記念』大正6年2月10日 《序文》、岩佐君祝賀記念会発行《非売品・ 奥付なし》) ●福本日南『堀部安兵衛』大正6年5月15 日発行、中央義士会(東京市神田区) ※発売所は四方社(東京市牛込区) ◆5月15日、中央義士会評議員会で福本 誠、特別会員に選ばる。▼『中央義士会第 一回報告』(大正六年度) ●門司井原智堂「福本日南と福間の又 左」(1)(『宗像』第111号 大正6年10月 10日発行、宗像会《東京市本郷区》) ※福本日南『石臼のへそ』(大正3年8月3日発行、 東亜堂書房)から「福間の又左《またぜ》」(一)〜 (三)を転載。 ●福本日南「士の家」(『弘道』第307号 大正6年10月15日発行、日本弘道会《東 京市神田区》) |
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●榎本氏作成年譜に見える、中央義士会による『大石内蔵助』の刊行は疑いが残る。榎本氏はここで刊行の月を記していない。他の 例からすると、「別に、何月」と明示すべきところである。 岩波文庫『元禄快挙録』下篇(改版)の解説(松島栄一)では、大正6年に日南が「『堀部安兵衛』『大石内蔵助』などの小冊子を書いて いる」としているが(368頁)、松島氏も『大石内蔵助』を実見しないで(榎本氏年譜に引きずられて)書いているのではないか。 他にも福本日南が2種類の『大石内蔵助』を書いたとするものがある。『読書と文献』第4巻第2号(昭和19年6月29日発行、日本古 書通信社《東京都神田区》)所載の「福本日南=著者別書目一覧=」に次の記載が見られる。 大石内蔵之助 養賢堂 大3 同 誠文堂 ただし、誠文堂刊行分には刊行年が記載されていないのが気になる。あるいは誤記・誤植の類かもしれない。 いずれにせよ、大正7年の日南による「義士史伝解題」二(『中央義士会第三回報告』大正七年)では、『大石内蔵助』(大正3年、養賢 堂刊)、『堀部安兵衛』(大正6年、中央義士会・四方社刊)を挙げるにとどまる。したがって、少なくともこれ以前には日南著の『大石内蔵 助』は一種しかないと断定できるのである。 なお、『堀部安兵衛』について補足すると、奥付では発行が中央義士会、発売が四方社であるが、日南自身が「中央義士会と四方社と が合して発行した」と書いている(「義士史伝解題」二)。 |
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▽大正七年(一九一八) 六十二歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
十一月、「如何なる条件を以て媾和は成立すべ き乎」について『大観』にこたえる。 |
五月、『大阪陣』前編(南北社出版 部)を出版。 |
●井原智堂「福本日南と福間の又左」(2) (『宗像』第113号 大正7年4月20日発 行、宗像会《東京市本郷区》) ※福本日南『石臼のへそ』(大正3年8月3日発行、 東亜堂書房)から「福間の又左」(四)〜(六)を転載。 ●福本日南『大阪陣 前編』大正7年5月2 0日発行、南北社出版部(東京牛込区) * 福本日南コレクションへ ◆9月15日、北海道幕別村の幕別村青年 団発団式を幕別尋常高等小学校で開催。 たまたま札幌に滞在中の青年団中央部理 事福本日南も臨席して講演。▼『幕別村 誌』(大正8年5月発行、中川郡幕別村役 場)/『幕別町百年史』(平成8年10月1 日発行、幕別町《北海道中川郡》) 福本日南『縮刷 石臼のへそ』大正7年 11月30日発行、東亜堂書房(東京市牛込 区) * 福本日南コレクションへ ← 縮刷版。底本は大正3年8月3日発行、東亜堂 書房刊。 ●福本日南「義士史伝解題」(『中央義士 会第二回報告』《大正七年T》) ※幹事長・特別会員福本誠。第一回報告は大正6 年6月、福本誠寄贈の新著『堀部安兵衛』と併せ頒 附。 ●福本日南「義士史伝解題」二(『中央義 士会第三回報告』《大正七年U》) ※幹事長・特別会員福本誠。第二回報告は大正7 年3月12日頒附。 |
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▽大正八年(一九一九) 六十三歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月、『石臼のへそ』縮冊(縮刷の誤り―石瀧)版を 東亜堂書房刊。 |
◆2月11日、福本幹事長の室、本会会員 たる福本芳子死去。▼『中央義士会第四 回報告』(大正八年四月) 福本日南『縮刷 英雄論』大正8年3月 20日発行、東亜堂(東京市牛込区) ※袖珍名家文庫第二編。英雄論・黒田如水・直江 山城守を収録。 ← 「直江山城守」の底本は明治43年6月23日発 行、東亜堂書房。 ← 「黒田如水」の底本は明治44年5月1日発行、 東亜堂書房。 ← 「英雄論」の底本は明治44年12月17日発行、 東亜堂書房。 * 福本日南コレクションへ ●日南「欧洲人の目に映じたる日本の武 士道」/「聯合軍の三雄将」/「平民主義と 赤穂義徒」/福本日南撰「快挙年表」(『中 央義士会第四回報告』《大正八年四月》) ※幹事長・特別会員福本誠。会員名簿では福本 誠、小石川区指ヶ谷町一四七。第三回報告は大正7 年7月4日頒附。 福本日南先生述『現代思想と立国の大 本』大正8年7月10日発行(非売品)、奉 公会(東京市小石川区) ●福本日南「現代思想と立国の大本」 (『芸備教育』第182号、大正8年8月30 日発行、広島県教育会) ※第4回青年団指導者講習会における講演の大 意。 ●福本日南「現代思想と立国の大本」/ジ ョン・アイルズ(日南訳)「日本の女性」/福 本日南「義士史伝解題」三(『中央義士会 第五回報告』《大正八年八月》) ※幹事長・特別会員福本誠。第三回報告は大正7 年7月4日頒附。 |
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▼大正九年(一九二〇) 六十四歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本誠「建国の根本義」(山内祀夫『神 道講演集 全』大正9年4月10日発行、西 濃印刷出版部《岐阜県大垣市》) ※和本。 福本日南述『現代思想と立国の大本』 大正9年4月16日(4日を16日と手書き修 正)発行、中央報徳会(東京市赤坂区) ●青年団中央部理事福本日南「現代思想 と立国の大本」(青年団中央部編『新時代 の青年団 全』大正9年7月25日発行、 帝国青年発行所《東京市赤坂区》) |
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▽大正十年(一九二一) 六十五歳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一月二十二日、千葉県大多喜中学での講演中卒 倒、同地の久貝病院に入院。二月、東京に帰り、 爾来、千駄ケ谷原宿の自邸で療養。四月、『大阪 城の七将星』を文会堂書店刊。大町桂月ほかの 諸氏が序跋を寄せた。八月二十七日、尿毒症を併 発、三十日、原宿の杉村病院に入院したが、九月 一日危篤に陥り、二日、午後三時死去。病床にあ って、たまたま皇太子が欧洲から還り館山湾に仮 泊中ときき詠んだ「山川も草木も共にうち寄りて呼 ばふは君が万代の声」の一首が辞世となった。遺 骨は青山墓地に納められ、高輪泉岳寺に墓碑が 建てられた。 |
四月、『大阪城の七将星』(文会堂書 店)を出版。 |
●福本日南『大阪城の七将星』大正10年 4月20日発行、文会堂書店(東京市神田 区) * 福本日南コレクションへ → 復刻版。昭和55年11月21日発行、東洋書院。 日南福本誠講述『義士大観解説』(義士 会編纂『義士大観』大正10年4月24日発 行、義士会出版部《東京市牛込区》) ※和綴じ、帙入り。非売品。『義士大観』天の巻、地 の巻の2冊と福本日南講述の解説1冊からなる。 * 福本日南コレクションへ ●池邊義象「亡友福本日南」(『日本及日 本人』第817号 大正10年9月15日発 行、政教社《東京市神田区》) ●「著述家福本日南氏」(岡本弥『特殊部 落の解放』大正10年10月18日発行、警 醒社書店《東京市京橋区》) ※発行日は国立国会図書館所蔵本の奥付による。 「十八」を手書き。復刻版では10月10日となってい る。 → 復刻版。『部落問題資料文献叢書』第2巻(近代 文芸資料複刻叢書第7集 昭和43年3月10日発 行、世界文庫《東京都目黒区》)に収録。 ◆12月14日、泉岳寺で中央義士会による 故福本日南先生追悼祭行われる。▼『中 央義士会第拾回会報』 ・ 『新聞文学集』(昭和6年5月20日発 行、改造社)所載の福本日南略年譜では 「八月下旬病気再発の為、東洋病院に入 院。」とする。 9月4日 「福本日南氏」 東京朝日新聞 9月5日 「噫日南 文を以て終始した 人」 九州日報 9月6日 「福本日南氏 原宿の自邸に 逝く」 福岡日日新聞 |
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* 作成にあたって、雑賀鹿野氏の「文豪としての 福本日南翁」、大熊浅次郎氏の「『文豪福本日南 先生の十周年を追懐す』追記」、福本栄氏の「先考 を憶ふ」など参照させていただいたことを特記し、 謝意を表する。 (榎本隆司編) |
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以下は、歿後について石瀧が追記。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▼大正十一年(一九二二) 歿後一年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆2月4日、泉岳寺墓域内に中央義士会が「日南福本先生之墓」を建てる。▼『中央義士会第拾回会報』 ※ただし、墓銘は2月4日とするも、実際には建碑は初夏にずれ込んだという(『中央義士会第拾回会報』)。 故日南先生遺稿「義士列伝」(『中央義士会第拾回会報―故日南福本先生追悼号―』) ※「義士列伝」の中に、倉橋伝介・勝田新左衛門・杉野十平次・吉良の首級之件。 ※「故日南福本先生追悼」の中に、 日南福本先生之墓銘 祭文 日南先生を懐ふ(松野緑) (松本浦太) 日南先生の思出で(島田北嶺) 所感(深田長鋏生) 読元禄快挙録追憶福本日南(中島利一 郎) 福本日南君を懐ふ(南波登発) 弔詞(高鍋義士会、福本貞祐、植田馬吉) ……以上、目次より。 |
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▼大正十二年(一九二三) 歿後二年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南「山鹿素行の操志」/「浅野長矩の沈毅」/「羽柴秀吉の大志」/「水戸義公の抑情」/「小野寺十内の家庭」/「羽柴秀吉 の信誼」/「平民主義の大石良雄」/「赤穂義士の行難」(帝国講学会編輯部編『必ず踏むべき人の道』大正12年3月5日発行、帝 国講学会《東京市本郷区》) |
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▼大正十四年(一九二五) 歿後四年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●故福本日南「都府楼の盛時」(『九鉄と沿線』大正14年10月8日発行、九州鉄道株式会社《福岡市天神町》) ← 『日南集』(明治43年11月20日発行、東亜堂書房)から引用。 |
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▼大正十五年・昭和元年(一九二六) 歿後五年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●斎藤茂吉「明治和歌革新運動の序幕に至る迄の考察」の内「第十 福本日南」(『中央公論』第41巻第1号 大正15年1月1日発 行、中央公論社《東京市丸ノ内》) → 斎藤茂吉『明治大正短歌史』(昭和25年10月25日発行、中央公論社)に収録。 → 『明治大正短歌史』斎藤茂吉全集第35巻(昭和30年1月14日発行、岩波書店《東京都千代田区》) → 『明治大正短歌史』斎藤茂吉全集第21巻(昭和48年8月13日発行、岩波書店) ●斎藤茂吉「福本日南の事」(『アララギ』第19巻第3号 大正15年3月1日発行、アララギ発行所《東京市麹町区》) → 斎藤茂吉『明治大正短歌史』(昭和25年10月25日発行、中央公論社)に収録。 → 『明治大正短歌史』斎藤茂吉全集第35巻(昭和30年1月14日発行、岩波書店《東京都千代田区》)に収録。 → 『明治大正短歌史』斎藤茂吉全集第21巻(昭和48年8月13日発行、岩波書店)に収録。 → 『アララギ』復刻版。昭和52年9月15日発行、教育出版センター(東京都豊島区)。 |
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▼昭和二年(一九二七) 歿後六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本巴「普通民権論」(『自由民権篇』明治文化全集第5巻 昭和2年11月20日発行、日本評論社《東京市麹町区》) ← 底本は明治12年11月発行、磊落堂。 |
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▼昭和三年(一九二八) 歿後七年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●菊池寛『曽我物語・忠臣蔵物語』(小学生全集 第31巻)昭和3年7月1日発行、興文社(東京市日本橋区)・文藝春秋社(東京市麹 町区) ※児童書。「忠臣蔵物語」の原作は福本日南『元禄快挙録』(明治42年12月10日発行、啓成社)。岩波文庫『元禄快挙録』下篇(昭和57年改版)に付した松島栄一 解説は、著者名が菊池寛となっているが、実質的執筆者は窪川鶴次郎で、『元禄快挙録』を原作に、小学生向けに書き直したものとする。 国立国会図書館、福岡県立図書館とも、書名を『忠臣蔵物語・曽我物語』とするが(2006年1月15日現在)、『曽我物語・忠臣蔵物語』が正しい。背文字・奥付ともそ うなっているし、配列も時代順に曽我物語を先に、忠臣蔵物語を後に置いている。敵討ちという共通テーマで一巻にまとめたものである。また、扉には「天覧台覧」のこと が記されている。 |
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▼昭和四年(一九二七) 歿後六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●杉浦重剛「樊【口+會】夢物語」(『社会篇』明治文化全集第21巻 昭和4年2月20日発行、日本評論社《東京市麹町区》) ※「社会問題雑纂」の内に収録。目次では杉浦重剛著とし、本文では青天布衣筆記として、福本誠の名は見えない。解題(神代種亮)ではふれている。 ← 底本は明治19年10月発行、沢屋。 ●杉浦重剛「樊【口+會】夢物語」/福本誠「平等社設立の趣旨」(三好伊平次編『融和問題論叢』昭和4年3月31日発行、中央融和事 業協会《東京市麹町区》) ※「平等社」は「平民社」の誤り。原題「平民社趣旨」は福本日南『日南草廬集』(明治45年4月1日発行)に収録。 → 復刻版。『部落問題資料文献叢書』別巻1(近代文芸資料複刻叢書第7集 昭和48年7月16日発行、世界文庫《東京都目黒区》)に収録。 |
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▼昭和六年(一九三一) 歿後十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南篇〈「元禄快挙録」上篇・中篇・下篇〉(『新聞文学集』現代日本文学全集第51篇 昭和6年5月20日発行、改造社《東京市 芝区》) ※福本日南略年譜を付す。 ← 底本は明治42年12月10日発行、啓成社。 ◆10月23日、東京京橋区銀座西5丁目、対鶴館4階中央義士会事務所にて、中央義士会第35回有志懇話会を開く。故福本日南先 生の十周年記念会(日南先生追憶の会)を兼ねる。席上、雑賀博愛が講演。末永節・大熊浅次郎らも追憶談を語る。▼雑賀博愛/大熊 浅次郎『中央義士会会報』第29号 ◆12月14日、高輪泉岳寺にて、中央義士会第16回大会、赤穂義士討入二百三十年祭典、故福本幹事長十周年忌法要を営む。その 後の研究会では追憶の会合が催される。▼小林一郎/大熊浅次郎『中央義士会会報』第29号 ●大熊浅次郎「文豪福本日南先生の十週年を追懐す」(『筑紫史談』第54集 昭和6年12月30日発行、筑紫史談会) → 『中央義士会会報―福本日南先生追悼号―』第29号(昭和7年6月14日発行)に収録。表紙では「……十周年を追憶す」と改題されている。ただし、本文表題は 「追懐す」。 → 瀬沼茂樹編『明治歴史文学集(二)』明治文学全集第90巻(昭和47年1月30日発行、筑摩書房《東京都千代田区》)に収録。 → 『筑紫史談』復刻版。第54集は昭和50年9月1日発行、福岡県文化財資料集刊行会《福岡市東区》。 |
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▼昭和七年(一九三二) 歿後十一年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●大熊浅次郎「『文豪福本日南先生の十週年を追懐す』追記」(『筑紫史談』第55集 昭和7年4月30日発行、筑紫史談会) → 『中央義士会会報―福本日南先生追悼号―』第29号(昭和7年6月14日発行)に収録。 → 『筑紫史談』復刻版。第55集は昭和51年2月21日発行、福岡県文化財資料集刊行会。 『中央義士会会報―福本日南先生追悼号―』第29号(昭和7年6月14日発行、中央義士会《東京市京橋区》) 目 次
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▼昭和八年(一九三三) 歿後十二年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「福本日南」(三松荘一編『福岡県先賢人名辞典』昭和8年10月5日発行、文照堂書店《福岡市下新川端町》) → 復刻版。昭和61年7月30日発行、古書肆葦書房(福岡市中央区)。 |
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▼昭和十一年(一九三六) 歿後十五年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆郷土歌人概観展覧会に「福本日南筆短冊 一枚 (所蔵者)福岡市林大寿 咲匂ふ丘のこの花さくら花さくらに恥ちぬ武夫のはな」が 出品される。▼『郷土歌人概観展覧会目録』(昭和11年2月15日〜17日、福岡県立図書館主催) ●雑賀鹿野「文豪としての福本日南翁」(『伝記』第3巻第7号 昭和11年7月1日発行、伝記学会《東京市麹町区》) * 鹿野は雑賀博愛の号。 → 『復刻 伝記』第6巻(昭和50年4月25日発行、広文庫)に収録。 → 瀬沼茂樹編『明治歴史文学集(二)』明治文学全集第90巻(昭和47年1月30日発行、筑摩書房《東京都千代田区》)に収録。 ●「福本誠」(葛生能久『東亜先覚志士記伝』下巻 昭和11年10月22日発行、黒龍会出版部《東京市麹町区》) → 復刻版。『明治百年史叢書』第24巻(昭和41年6月20日発行、原書房《東京都新宿区》) → 復刻版。『伝記叢書』第256巻(平成9年5月発行、大空社) |
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▼昭和十二年(一九三七) 歿後十六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「福本日南」(吉岡栄『自治産業教化理想郷』昭和12年5月1日発行、帝国聯合通信社《東京市小石川区》) ▼(在東京)武田信次郎「五百木良三先生を偲ぶ」(『福岡県人』第15巻第8号 昭和12年8月1日発行、福岡県人社《東京市杉並 区》 * 「現に『日本及日本人』は雑賀博愛主筆の下に天下に重きを為して居り、同主筆は重徳駐仏朝日と共に日南門下の秀才である」との言及がある。 重徳駐仏朝日とは大阪朝日新聞パリ特派員(大正12年〜昭和12年)の意で、重徳来助のこと。重徳は泗水とも号した。 |
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▼昭和十四年(一九三九) 歿後十八年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南『元禄快挙録』上篇、岩波文庫、昭和14年12月14日発行、岩波書店(東京市神田区) ← 底本は明治42年12月10日発行、啓成社。 * 福本日南コレクションへ → 改版。昭和57年10月18日、岩波書店。 |
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▼昭和十五年(一九四〇) 歿後十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南『元禄快挙録』中篇、岩波文庫、昭和15年5月7日発行、岩波書店(東京市神田区) ← 底本は明治42年12月10日発行、啓成社。 * 福本日南コレクションへ → 改版。昭和57年11月16日、岩波書店。 ●福本日南『元禄快挙録』下篇、岩波文庫、昭和15年11月15日発行、岩波書店(東京市神田区) ← 底本は明治42年12月10日発行、啓成社。 * 福本日南コレクションへ → 改版。昭和57年12月16日、岩波書店。 |
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▼昭和十六年(一九四一) 歿後二十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南「菅沼貞風君伝」(『東半球資料』第12号、昭和16年11月5日発行、東半球協会《東京市中野区》) ← 「菅沼貞風君伝」(『大日本商業史』《明治25年10月7日発行、東邦協会》所収)の再録。 表紙に『菅沼貞風伝』と題し、日南以外の論考も収める。また、南洋資料第3号(南洋経済研究所)を兼ねる。 |
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▼昭和十七年(一九四二) 歿後二十一年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●柳田泉「南進の先覚福本日南」(『放送』10月号 昭和17年10月1日発行、日本放送出版協会《東京市芝区》) ※8月4日・5日にラジオで放送されたもの。 ●福本日南『日南抄』博文館文庫、昭和17年10月25日発行、博文館(東京市日本橋区) ※フィリッピーヌ群島における日本人・日南子・菅沼貞風伝ほかを収録。 ← 「フィリッピーヌ群島における日本人」の底本は明治22年4月29日発行、博聞本社など。 ← 「日南子」の底本は明治33年4月14日発行、博文館。 ← 「菅沼貞風伝」の底本は「菅沼貞風君伝」(『大日本商業史』《明治25年10月7日発行、東邦協会》所収)。ただし、明治40年の追記を付す。 * 福本日南コレクションへ ●柳田泉「福本日南に就いて」(『日南抄』博文館文庫、昭和17年10月25日発行、博文館) → 瀬沼茂樹編『明治歴史文学集(二)』明治文学全集第90巻(昭和47年1月30日発行、筑摩書房《東京都千代田区》)に収録。 ●「マニラに於ける菅沼貞風と福本日南」(木村毅『マニラ紀行 南の真珠』昭和17年10月30日発行、全国書房《大阪市南区》) ●雑賀博愛「国士福本日南翁」(一)(『福岡県人』第20巻第11号 昭和17年11月1日発行、福岡県人社《東京市杉並区》) ●福本日南「支那再造論」(『東半球資料』第28号 昭和17年11月10日発行、東半球協会《東京市中野区》) ※発行日は奥付による。表紙には昭和17年10月1日と書かれている。 ●福本日南(今田哲夫校註)『日南歌集』新文庫、昭和17年12月1日発行、春陽堂書店(東京市日本橋区) * 福本日南コレクションへ ●今田哲夫「利鎌舎〈とがまのや〉大人の歌」(『文芸文化』第5巻第12号 昭和17年12月1日発行、日本文学の会《東京市世田谷区》) → 復刻版。昭和46年6月発行、雄松堂書店。 ●雑賀博愛「国士福本日南翁」(二)(『福岡県人』第20巻第12号 昭和17年12月1日発行、福岡県人社) |
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▼昭和十八年(一九四三) 歿後二十二年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●天台道士立案・青天布衣筆記「樊【口+會】《はんかい》夢物語」『東半球資料』第35号、昭和18年3月15日発行、東半球協会(東京市 中野区) ※天台道士は杉浦重剛、青天布衣は福本誠。実質的には福本日南が構想、執筆したものとして紹介されている。発行日は奥付による。表紙には昭和18年2月1日 と書かれている。 ← 底本は明治19年10月発行、沢屋。 ●「第六章 南進構想・夢物語」の内「二、『樊【口+會】《はんかい》夢物語』」(入江寅次『明治南進史稿』昭和18年3月15日発行、井田 書店《東京市神田区》) ●柳田泉述「南進思想の文学について」(『南洋資料』第247号 昭和18年8月20日発行、南洋経済研究所出版部《東京都赤坂 区》) ●雑賀博愛「南進の先覚者福本日南先生」(『南洋経済研究』第6巻第9号、昭和18年9月1日発行、南洋経済研究所《東京都赤坂 区》) ●雑賀博愛「南進の先覚者福本日南先生」(二)(『南洋経済研究』第6巻第10号、昭和18年10月1日発行、南洋経済研究所) ●雑賀博愛「南進の先覚者福本日南先生」(三)(『南洋経済研究』第6巻第11号、昭和18年11月1日発行、南洋経済研究所) |
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▼昭和十九年(一九四四) 歿後二十三年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「福本日南」「日南と鴎外」(浅野晃『明治文学史考―漱石と鴎外と天心―』昭和19年5月1日発行、万里閣《東京都芝区》) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▼昭和二十五年(一九五〇) 歿後二十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●斎藤茂吉「明治和歌革新運動の序幕に至る迄の考察」の内「第十 福本日南」/「福本日南の事」(『明治大正短歌史』昭和25年1 0月25日発行、中央公論社《東京都千代田区》) ← 「明治和歌革新運動の序幕に至る迄の考察」の初出は『中央公論』大正15年1月号。 ← 「福本日南の事」の初出は『アララギ』大正15年3月号。 → 『明治大正短歌史』斎藤茂吉全集第35巻(昭和30年1月14日発行、岩波書店《東京都千代田区》) → 『明治大正短歌史』斎藤茂吉全集第21巻(昭和48年8月13日発行、岩波書店) |
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▼昭和二十九年(一九五四) 歿後三十三年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●吉田与志雄『忠臣蔵』(世界名作文庫 第93巻)昭和29年8月15日発行、偕成社(東京都新宿区) ※児童書。原作は福本日南『元禄快挙録』(明治42年12月10日発行、啓成社)。 ●中島薄紅編『赤穂義士』(日本名作物語 第7巻)昭和29年12月30日発行、黎明社(東京都台東区) ※児童書。原作は福本日南『元禄快挙録』(明治42年12月10日発行、啓成社)。 |
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▼昭和三十年(一九五五) 歿後三十四年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本巴「普通民権論」(『自由民権篇』明治文化全集第2巻 昭和30年1月25日改版発行、日本評論新社《東京都中央区》) ← 底本は明治12年11月発行、磊落堂。 ●杉浦重剛「樊【口+會】夢物語」(『社会篇』明治文化全集第6巻 昭和30年10月30日改版発行、日本評論新社《東京都中央区》) ※「社会問題雑纂」の内に収録。目次では杉浦重剛著とし、本文では青天布衣筆記として、福本誠の名は見えない。解題(神代種亮)ではふれている。 ← 底本は明治19年10月発行、沢屋。 |
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▼昭和三十二年(一九五七) 歿後三十六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●中島薄紅編『赤穂義士』(日本名作全集 第6巻)昭和32年11月10日発行、黎明社(東京都台東区) ※児童書。原作は福本日南『元禄快挙録』(明治42年12月10日発行、啓成社)。 |
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▼昭和三十六年(一九六一) 歿後四十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●榎本隆司「福本日南(一) 評論・思想・随筆」/片桐顕智「福本日南(二) 短歌」(『人と作品 現代文学講座』明治編T 昭和36 年10月10日発行、明治書院《東京都千代田区》) ※「略歴」「作品年譜」を付す。 |
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▼昭和三十七年(一九六二) 歿後四十一年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「福本誠」(『衆議院議員名鑑』(議会制度七十年史)昭和37年12月発行、大蔵省印刷局) → 復刻版。『日本人物情報大系』第30巻〔憲政編 第10巻〕(平成12年1月15日発行、皓星社) |
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▼昭和四十二年(一九六七) 歿後四十六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▼宮崎滔天『三十三年の夢』東洋文庫100 昭和42年10月10日発行、平凡社 ※162頁以下に、「乃ち狼嘯と共に日南君を其寓に訪ひ、秘懐を吐露して賛成を求む」などの言及がある。狼嘯は末永節のこと。日南はこれより孫文らと行動を共に する。これに対応するのが日南「余は今ま筆硯を棄てたり」(『日本』明治33年5月26日付、雑報欄)である。 |
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▼昭和四十四年(一九六九) 歿後四十八年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▼松本清張『小説東京帝国大学』昭和44年12月5日発行、新潮社 ※331頁に、明治44年2月15日、犬養毅の助言により「気の狂った藤沢元造の代りに、福本日南を議場に立てて、南北朝正閏問題を取扱った国定教科書について 政府に質問をさせることになったが」との言及がある。質問は見合わされ、藤沢は辞職した。 2月21日、国民党総理犬養毅が提出者となって南北朝問題弾劾決議案が議会に提出された時、福本誠(日南)も賛成者として名を連ねた(340頁)。 議会で弾劾決議案は否決され、24日神田青年会館で、また25日には本郷会堂で、大日本国体擁護団の主催する講演会が行われた。福本日南も演壇に立った(3 41頁)。 |
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▼昭和四十五年(一九七〇) 歿後四十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「福本日南の万葉調と其の周囲」(谷馨『鳥がなく東の相聞』昭和45年5月15日発行、桜楓社《東京都千代田区》) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▼昭和四十六年(一九七一) 歿後五十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南「出て来た歟」(『南方熊楠全集月報』4 昭和46年11月発行、平凡社《東京都千代田区》) ※「出て来た歟」(一)(三)〜(六)を抄録。初出は大阪毎日新聞、明治43年7月21日〜26日(連載)。底本は『日南草廬集』明治45年4月1日発行、岡部春秋堂・ 柳原積玉圃。 |
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▼昭和四十七年(一九七二) 歿後五十一年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南「元禄快挙録」(瀬沼茂樹編『明治歴史文学集(二)』明治文学全集第90巻 昭和47年1月30日発行、筑摩書房《東京都千 代田区》) ※大熊浅次郎「文豪福本日南先生の十周年を追懐す」/雑賀鹿野「文豪としての福本日南翁」/柳田泉「福本日南に就いて」を収録。 ※榎本隆司編「福本日南年譜」「参考文献」を付す。 ← 底本は明治42年12月10日発行、啓成社。 ●松島栄一「福本日南の「元禄快挙録」について」(『明治文学全集月報』68 昭和47年1月発行、筑摩書房《東京都千代田区》) ※明治文学全集第90巻付録。 |
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▼昭和四十九年(一九七四) 歿後五十三年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本誠『筑前誌』昭和49年4月20日発行、臨川書店(京都市左京区) ← 復刻版。底本は『筑前志』(明治36年1月1日発行、国光社)。 * 福本日南コレクションへ ●福本日南「出て来た歟」(飯倉照平編『南方熊楠 人と思想』昭和49年9月20日発行、平凡社《東京都千代田区》) ※初出は大阪毎日新聞、明治43年7月21日〜26日(連載)。底本は『日南草廬集』明治45年4月1日発行、岡部春秋堂・柳原積玉圃。 |
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▼昭和五十一年(一九七六) 歿後五十五年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●中野一夫「正岡子規とナショナリズム(その五)―福本日南をめぐって―」(『跡見学園国語科紀要』第24号 昭和51年3月15日 発行、跡見学園《東京都文京区》) ▼『折口信夫全集』中公文庫 第11巻(昭和51年4月10日発行、中央公論社) ※166頁に、「日南は、子規より何歩も前に、万葉語を使つた歌を作つてゐた」との言及がある(「追ひ書きにかへて」『世々の歌びと』《底本は昭和24年9月発行、鎌 倉文庫》)。 ▼『折口信夫全集』中公文庫 第14巻(昭和51年6月10日発行、中央公論社) ※395頁に、「僧愚庵、福本日南などの、微弱な万葉調の歌、或は単語だけの万葉風の歌などが、多少知り合ひのあつた関係から、正岡子規の歌に投影したのは 当然であつた」との言及がある(『短歌論』《底本は昭和23年から27年までに発行された、慶應義塾大学通信教育部の教材の一》)。 |
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▼昭和五十三年(一九七八) 歿後五十七年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「第四期 福日、九日両紙の県外進出」の「第四章 変動する九日社の首脳陣」の内「2 福本社長の活躍」(『西日本新聞百年史』 昭和53年3月31日発行、西日本新聞社《福岡市中央区》) |
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▼昭和五十五年(一九八〇) 歿後五十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南『直江山城守』昭和55年3月25日発行、歴史図書社(東京都千代田区) ← 復刻版。底本は明治43年6月23日発行、東亜堂書房。 * 福本日南コレクションへ ●福本日南篇(松本三之介編『政教社文学集』明治文学全集第37巻 昭和55年5月15日発行、筑摩書房《東京都千代田区》) ※新聞・雑誌掲載の論説24編を収録。松本三之介「解題」、佐藤能丸編「福本日南年譜」「参考文献」などを付す。 → 「解題」は松本三之介『明治思想における伝統と近代』(平成8年2月22日発行、東京大学出版会)に収録。 → 「福本日南年譜」は佐藤能丸『明治ナショナリズムの研究―政教社の成立とその周辺―』(平成10年11月25日発行、芙蓉書房出版)に収録。 ●広瀬玲子「福本日南の思想形成―明治一〇年代ナショナリズムの一側面―」(『日本史研究』第214号 昭和55年6月20日発行、 日本史研究会《京都市左京区》) ●福本日南『大阪城の七将星』昭和55年11月21日発行、東洋書院(東京都千代田区) ← 復刻版。底本は大正10年4月20日発行、文会堂書店。 * 福本日南コレクションへ |
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▼昭和五十六年(一九八一) 歿後六十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「無名の青年―『普通民権論』に高い評価―」/「文豪日南―開拓と植民への情熱―」(石瀧豊美『玄洋社発掘―もうひとつの自由民権 ―』昭和56年5月20日発行、西日本新聞社《福岡市中央区》) ※145頁で日南の父を泰鳳としたのは泰風の間違い。増補版では訂正している。 → 増補版。平成9年8月25日発行、西日本新聞社。 → 新版。『玄洋社・封印された実像』(平成22年10月15日発行、海鳥社)に収録。 |
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▼昭和五十七年(一九八二) 歿後六十一年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南『元禄快挙録』上篇:昭和57年10月18日(4刷改版)発行、中篇:昭和57年11月16日(4刷改版)発行、下篇:昭和57年 12月16日(3刷改版)発行、岩波文庫、岩波書店(東京都千代田区) ← 昭和14〜15年刊行分の改版。新たに松島栄一「解説」を付す。 * 福本日南コレクションへ ●鬼頭鎮雄「福本日南」(『福岡県百科事典』下巻 昭和57年11月10日発行、西日本新聞社《福岡市中央区》) ●榎本隆司「日南と子規―その万葉継承をめぐって―」(『学術研究―国語・国文学編―』第31号 昭和57年12月25日発行、早稲 田大学教育会) |
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▼昭和五十九年(一九八四) 歿後六十三年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福永滋「福本日南の生涯」(『復興アジアの志士群像―東亜先覚者列伝―』昭和59年5月25日発行、大東塾出版部《東京都港 区》) |
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▼昭和六十年(一九八五) 歿後六十四年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●木呂子敏彦編『福本日南先生略年譜』昭和60年7月1日発行(私家版) ※木呂子氏は北海道帯広市在住。 |
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▼昭和六十一年(一九八六) 歿後六十五年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「福本日南」(三松荘一編『福岡県先賢人名辞典』昭和61年7月30日発行、古書肆葦書房《福岡市中央区》) ← 復刻版。底本は昭和8年10月5日発行、文照堂書店。 |
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▼昭和六十三年(一九八八) 歿後六十七年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●草地貞吾「天山の雪≠ヘ消えず―陸羯南と福本日南にみる勁烈な木鐸の真骨頂―」(『日本及日本人』第1590号 昭和63年4 月1日発行、日本及日本人社《東京都中央区》) ※草地氏は終戦時の関東軍作戦班長(陸軍大佐)。平成13年11月15日歿。享年九十八。歌人でもあったという。 ●三宅桃子「福本日南論―「遭厄紀事」を中心として―」(『季刊日本思想史』第30号 昭和63年8月20日発行、ぺりかん社《東京都 文京区》) ●広瀬玲子「福本日南のボーア戦争観―そのイギリス帝国主義認識をめぐって―」(『北海道情報大学紀要』第2巻第1号 昭和63 年9月30日発行、北海道情報大学《北海道江別市》) |
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▼平成二年(一九九〇) 歿後六十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●広瀬玲子「興亜思想から経済侵略主義へ―国粋主義者福本誠の軌跡―」(『近代日本研究』第6巻 平成2年3月31日発行、慶應 義塾福澤研究センター《東京都港区》) ●福本日南「過渡的日本人」/「続過渡的日本人」(松本三之介編『明治思想集』V 近代日本思想大系第32巻 平成2年7月30日 発行、筑摩書房) ●「言論人篇」の内「福本日南 文章は経国の大業が地」(杉田幸三『明治人物おもしろ史話』平成2年7月30日発行、毎日新聞社 《東京都千代田区》) |
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▼平成三年(一九九一) 歿後七十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●山崎一穎「『栗山大膳』論―黒田騒動の系譜―」(東京大学国語国文学会編『国語と国文学』第68巻第3号 平成3年3月1日発 行、至文堂《東京都新宿区》) ●福本日南「出て来た歟」(飯倉照平・長谷川興蔵編『南方熊楠百話』平成3年4月10日発行、八坂書房《東京都千代田区》) ※「出て来た歟」(一)〜(四)までを抄録。初出は大阪毎日新聞6回連載(明治43年7月15日〜20日)。『南方熊楠百話』48頁で、連載期間を7月21日〜26日とし ているのは誤り。 ●佐藤能丸「福本日南」(『国史大辞典』第12巻 平成3年6月30日発行、吉川弘文館《東京都文京区》) |
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▼平成五年(一九九三) 歿後七十二年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「U 南方熊楠をめぐる人名目録」の「2 アメリカ・ロンドン時代」の内「福本日南」(松居竜五・月川和雄・中瀬喜陽・桐本東太『南方 熊楠を知る事典』講談社現代新書 平成5年4月20日発行、講談社《東京都文京区》) |
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▼平成六年(一九九四) 歿後七十三年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●石瀧豊美「福本日南『北門時事』と臼井浅夫」(福岡県地域史研究所編『県史だより』第76号 平成6年11月30日発行、西日本文 化協会《福岡市中央区》) |
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▼平成七年(一九九五) 歿後七十四年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「第二章 何の余力ありてか」の内「[1] 与へぬも大事―福本日南の挫折―」(清永孝『良妻賢母の誕生』平成7年7月20日発行、 筑摩書房《東京都台東区》) |
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▼平成八年(一九九六) 歿後七十五年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●「第七章 政教社―人と思想―」の内「五 福本日南」(松本三之介『明治思想における伝統と近代』平成8年2月22日発行、東京 大学出版会《東京都文京区》) ← 初出は松本三之介「解題」(『政教社文学集』明治文学全集第37巻 昭和55年5月15日発行、筑摩書房)。 |
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▼平成九年(一九九七) 歿後七十六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●広瀬玲子「明治中期の南進論とアジア主義―菅沼貞風〈ただかぜ〉と福本日南を中心に―」(『北海道情報大学紀要』第8巻第2号 平 成9年3月31日発行、北海道情報大学《北海道江別市》) ●中野菊夫「日南と愚庵―海外詠、万葉調―」(『短歌現代』第21巻第6号 平成9年6月1日発行、短歌新聞社《東京都杉並区》) ●「無名の青年―『普通民権論』に高い評価―」/「文豪日南―開拓と植民への情熱―」(石瀧豊美『増補版 玄洋社発掘―もうひとつ の自由民権―』平成9年8月25日発行、西日本新聞社《福岡市中央区》) ← 増補版。底本は昭和56年5月20日発行、西日本新聞社。 → 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』(平成22年10月15日発行、海鳥社)に収録。 |
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▼平成十年(一九九八) 歿後七十七年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本誠『筑前志』明治後期産業発達史資料第392巻 平成10年1月発行、龍溪書舎(東京都板橋区) ← 復刻版。底本は明治36年1月1日発行、国光社。 ●岡保生「『元禄快挙録』を読む」(『大衆文学研究』1998年第3号 平成10年10月発行、大衆文学研究会《東京都西東京市》) ●石瀧豊美「南進北鎖の夢―素描・明治の史論家 福本日南―」(平成10年11月3日〜18日 西日本新聞朝刊 9回連載) → 石瀧豊美『近代福岡の歴史と人物―異・偉人伝―』(平成21年11月17日発行、イシタキ人権学研究所)に収録。 ●「W 政教社系同人年譜・政教社系年表」の「一 政教社系同人年譜」の内「福本日南」(佐藤能丸『明治ナショナリズムの研究―政 教社の成立とその周辺―』平成10年11月25日発行、芙蓉書房出版《東京都文京区》) ← 初出は佐藤能丸編「福本日南年譜」(『政教社文学集』明治文学全集第37巻 昭和55年5月15日発行、筑摩書房)。 |
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▼平成十二年(二〇〇〇) 歿後七十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●川添昭二「福本日南の『筑前志』」(『日本歴史』第620号 平成12年1月1日発行、吉川弘文館) ← 川添昭二『中世・近世博多史論』(平成20年7月15日発行、海鳥社)に収録。 ●石瀧豊美・井上雄介対談/土居善胤司会『福本日南―明治日本の羅針盤―』(「博多に強くなろうシリーズ」第70号《通巻第82号》 平成12年6月20日、福岡シティ銀行) ※福岡シティ銀行は現・西日本シティ銀行(福岡市博多区)。 ●石瀧豊美「『樊【口+會】夢物語』の構造と評価」(『部落解放史・ふくおか』第98号、平成12年6月24日発行、福岡部落史研究 会) ●森本平「福本日南と国学の影」(『礫』第170号 平成12年12月1日発行、礫の会《兵庫県神戸市》) |
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▼平成十三年(二〇〇一) 歿後八十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●石瀧豊美「『大西郷全伝』の著者雑賀博愛について」(「県史だより」第113号 平成13年1月31日発行、西日本文化協会福岡県 地域史研究所《福岡市中央区》) ※雑賀博愛は福本日南の愛弟子の一人。 |
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▼平成十六年(二〇〇四) 歿後八十三年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●広瀬玲子『国粋主義者の国際認識と国家構想―福本日南を中心として―』(平成16年1月27日発行、芙蓉書房出版《東京都文京 区》) ▼坂田卓雄「消された歴史 北海道福岡領と偽札事件」(平成16年8月25日〜9月8日 西日本新聞朝刊 6回連載) ※第2回「恩人の墓標 晩年ささげた岡本三郎」(平成16年8月26日掲載)で、「広福寺という町内で一番大きな寺院」は明治2年福岡藩が建立したもので、「寺の名 は出張所役人の広瀬謙造と福本太風の二人の頭の字をとって広福寺と称した」と指摘。福本太風は正確には泰風で、福本日南の父。 |
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▼平成十七年(二〇〇五) 歿後八十四年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●松田宏一郎「書評と紹介 広瀬玲子著『国粋主義者の国際認識と国家構想―福本日南を中心として―』」(『日本歴史』第685号 平成1 7年6月1日発行、吉川弘文館《東京都文京区》) ◆8月21日、KBCテレビ(九州朝日放送《福岡市中央区》)ほか4局の番組『九州街道ものがたり』で、「近世怪人伝B 福本日南の時 代」放映。出演・石瀧豊美。 ●和田守「書評 広瀬玲子『国粋主義者の国際認識と国家構想―福本日南を中心として―』」(『歴史学研究』第806号 平成17年10月1 5日発行、青木書店《東京都千代田区》) ◆10月5日、北海道小樽水産高等学校の創立100周年記念事業で校歌碑除幕式。校歌「北海健児の歌」は福本日南作詞・藤村北 涯作曲(大正4年10月17日制定)。 北海道小樽水産高等学校のサイトで、校歌を聴くことができます。「学校紹介・校長挨拶」から「校歌」に入る。>>>>http://www. otarusuisan.hokkaido-c.ed.jp/ ●石瀧豊美「探求二十五年 福本日南の著作を追って」(『ふるほん福岡』第3号 平成17年11月11日発行、福岡市古書籍商組合 《福岡市中央区》) |
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▼平成十八年(二〇〇六) 歿後八十五年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●石瀧豊美「校訂・福本日南年譜」(『福岡県地域史研究』第23号 平成18年3月31日発行、西日本文化協会 福岡県地域史研究 所) ●木村健二「書評 広瀬玲子著『国粋主義者の国際認識と国家構想―福本日南を中心として―』」(『移民研究年報』第12号 平成18年3 月31日発行、日本移民学会《埼玉県所沢市》) ●第七部第2章の内(吉田整史)「校歌の由来」/神田優「校歌に思う―福本日南を追って―」(『北海道小樽水産高等学校創立百 年史 1905〜2006』平成18年6月23日発行、小樽水産高等学校百周年記念誌編集委員会) |
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▼平成十九年(二〇〇七) 歿後八十六年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●杉原志啓「さあ、面白い歴史物語を読もう(6) 福本日南『元禄快挙録』」(『表現者』第15号 平成19年11月1日発行、イプシロン出 版企画《東京都新宿区》) |
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▼平成二十年(二〇〇八) 歿後八十七年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●石瀧豊美「史論家 福本日南」(『文学館倶楽部』第6号 平成20年3月31日発行、福岡市文学館《福岡市中央区》) ※「福岡の文学者 福本日南」を特集。 ●「福本日南の『筑前志』」(川添昭二『中世・近世博多史論』平成20年7月15日発行、海鳥社《福岡市中央区》) ← 初出は『日本歴史』第620号(平成12年1月1日発行、吉川弘文館) ●坪内隆彦「日本文明の先駆者H 福本日南」(『月刊日本』第12巻第8号 平成20年7月22日発行、K&Kプレス《東京都千代田 区》) ●中島康夫「中央義士会創立者 福本日南先生」(『(財)中央義士会会報』第59号「中央義士会100周年記念号」 平成20年10月 18日発行、(財)中央義士会《東京都港区》) |
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▼平成二十一年(二〇〇九) 歿後八十八年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●石瀧豊美『近代福岡の歴史と人物―異・偉人伝―』(平成21年11月17日発行、イシタキ人権学研究所《福岡県糟屋郡》) ← 初出は「南進北鎖の夢―素描・明治の史論家 福本日南―」(平成10年11月3日〜18日 西日本新聞朝刊 9回連載) |
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▼平成二十二年(二〇一〇) 歿後八十九年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●羅皓星「日本國粹主義者對戊戌變法之看法―以福本日南為中心的考察―」(『新史學』第21巻第1期《季刊》 2010年3月【中華 民國99年3月】発行、三民書局《臺北市》) ※キーワード:戊戌変法・日本国粋主義・福本日南・亜細亜主義(同論文より) Contents より Ho-sing Law A Japanese Nationalist Perspective on the 1898 Reform Movement: A Study of Fukumoto Nichinan ●「無名の青年」/「文豪日南」(石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』平成22年10月15日発行、海鳥社《福岡市中央区》) ← 新版。底本は昭和56年5月20日発行、西日本新聞社。増補版は平成9年8月25日発行、同社。 |
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▼平成二十三年(二〇一一) 歿後九十年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●神田優「先輩 福本日南との出会い」(『菁莪』2011 平成23年1月31日発行、修猷館同窓会《福岡市早良区》) ●神田優「福本日南と北海道―小樽水産高校の校歌のいわれ―」(『北海道の文化』第83号 平成23年3月10日発行、北海道文化 財保護協会《北海道札幌市》) ●松本憲明「ふるさと人物誌(39) 『大西郷全伝』の著者 雑賀博愛」(『広報あさくら』第121号 平成23年4月1日発行、朝倉市役 所《福岡県朝倉市》) ※雑賀博愛は福本日南の愛弟子の一人。 |
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▼平成二十五年(二〇一三) 歿後九十二年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●福本日南『黒田如水』福岡市文学館選書1 2013年11月20日発行、企画・編集 福岡市文学振興事業実行委員会/発行 福岡市 文学館/制作・発売 海鳥社 ← 復刻版。底本は明治44年5月1日発行、東亜堂書房。石瀧豊美 解説「史論家」としての福本日南 を付す。 ●石瀧豊美「史実と小説の狭間 福本日南『黒田如水』・金子堅太郎『黒田如水伝』」他(図録『さとはふくおか―作家たちに愛された黒田 官兵衛―』2013年11月20日発行、編集・発行 福岡市文学館) ※企画展(11月20日〜12月23日)の図録として制作された。 ●中山千枝子「長崎県立長崎図書館蔵 福本日南著「黒田如水」新聞切抜合綴について」(図録『さとはふくおか―作家たちに愛され た黒田官兵衛―』) ●石瀧豊美「福本日南と『平野国臣歌集』 上―正岡子規への書簡―」(『西日本文化』第466号 2013年12月1日発行、西日本文 化協会) ※(財)霊山顕彰会福岡県支部 歴史講座報告 |
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