思い出コレクション
どこかで聞いたような? はて?




bT 変色した「玄洋社発掘」連載第1回の切り抜き。
石瀧が29歳から30歳にかけて1年間、毎週1回、西日本新聞に連載。
全62回をノート1冊に貼り付けていたものが手元にある。後に西日
本新聞社から単行本化(現在の版のタイトルは『増補版 玄洋社発掘』品切れのため再刊準備中)。

遠い道のりの記念すべき第1回がこれ。すべてはここから始まった。
この頃の私を知る某氏曰く。「精悍だった」というのですが、はたしてどう
見えますか……?

1979年5月11日(西日本新聞夕刊)

bS 上杉・石瀧共著『筑前竹槍一揆論』 すでに品切れ。
その欠を補うべく、石瀧の論文集『筑前竹槍一揆の研究』を刊行しました(2004年10月)。……これも品切れ(2008年7月30日現在)。

1988年7月15日発行(海鳥社)

bR 浮羽郡での連続講座のちらし。

4月、福岡県部落解放・人権研究所の事務局長になり、
地元同研と協力して連続講座を始めました。その第一弾。
自家用車を駆って浮羽郡まで通ったのが、今は嘘のよう。
翌年からドクターストップで車の運転を控えるようになりましたので。
地元の先生が作ったちらし。
カラフルで新発想と評判に。
地元の皆さん、和気藹々と楽しそうでした。

「同和」教育に新風を! ―は私のアイデア!!! エヘン。

2001年 9月〜11月

bQ 糸島地区での連続講座のちらし。

題して「石瀧豊美のツボ」???
地元の先生が作りました。
何の写真かわからず、言われるままにポーズをとっているので、全く
無警戒。
自分で言うのも何ですが、身構えない自然な表情になりました。
ヒゲに服と相俟って、ほんとうに指圧を商売にしていると思った人が
いたとか、いないとか。実は患者の方なのですが……

2002年 6月〜10月

bP 第2回筑前竹槍一揆ウォーク in 嘉穂 のちらし (石瀧作)

筑前竹槍一揆ウォークは
 2001年8月19日、嘉穂郡庄内町、
 2002年8月24日が隣りの嘉穂町。
 2003年10月26日、田川市で。
筑前竹槍一揆について、および筑前竹槍一揆ウォークについて、
詳しくは 福岡県人権研究所のホームページをごらん下さい。
URLは  www2.odn.ne.jp/~aau85780
       ●●● 枠の中の説明だけ転記しておきます。石瀧が書いたものです。
「筑前竹槍一揆」とは?
 筑前竹槍一揆は近代部落問題の原点。10万人が参加した一揆
が、「解放令」反対を掲げ、那珂郡・早良郡・糸島地方・朝倉地方の
各地で、被差別部落を襲い、焼き打ちを行いました。
 明治4年の解放令施行から同6年6月の筑前竹槍一揆への過程
は、同時に旧被差別身分の平等要求の過程でした。
 筑前竹槍一揆とは何だったのか。単に、一揆の負の側面を暴くの
ではなく、一揆はなぜ「解放令」の取消を要求したのか、なぜ部落焼
き打ちを行ったのか。その意味を現場でふりかえることには大きな
意義があります。筑前竹槍一揆は忘れることのできない出来事で
す。

2002年 8月



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