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「ふとした言葉」過去分 2004年後半

「ふとした言葉」は、私がふと気にとめた言葉という意味です。 「ふとした言葉」過去分目次へ

2004/12/12

「急に6年制とか、医療を担うなんて無理さ。第一、教えるにも教わった経験がない。」という意見だ。そのうちに、「やっぱり、今まで通りの基礎研究でいくのが良い。」となってしまう。無気力な研究者エゴのように見えて仕方がない。でも、この基礎研究者も身内やご自身が病気になると、たちまち「医療関係者」に豹変するから、さらに不思議というものだ。
−鎌滝哲也「薬学はサイエンスにもとづいた実学」(ファルマシア2004年12月号)より−

2004/12/5

こう考えますと、科学者の客観性とは、はかることにのみあり、覚えたり、なぜと考えたりという部分は、そのはかった結果が間違っていれば何にもならないということになります。
−紀本岳志「知ることとはかること」(河合潤・樋上照男編「はかってなんぼ」第1章)より−

2004/11/17

いったい科学の何が現在の人類の繁栄をもたらしたのでしょうか。それを考えるうえでのキーワードが”知る”ことと”はかる”ことなのです。
−紀本岳志「知ることとはかること」(河合潤・樋上照男編「はかってなんぼ」第1章)より−

2004/10/27

化学あるいは生化学に関連する他の学会の定款(目的)と比較したとき、日本分析化学会の定款(目的)の特徴は二つあり、一つは、「学理技術の進歩をはかる」ことを「会員相互の連絡研修」よりも先に、第一にあげていること、もう一つは、「学理技術」という言葉を使い、「学術」の内容をより詳しく定義していることである。
−真鍋敬「生命化学と日本分析化学会」(ぶんせき誌2004年10月号)より−

2004/10/17

第4条
この法人は、分析化学に関する学理技術の進歩を図るとともに、会員相互の連絡研修を行い、もって学術、文化の発展に寄与することを目的とする。
−社団法人日本分析化学会定款より−

2004/10/11

わたしの猫はずゐぶんと齢(とし)をとつてゐるのだ
毛なみもよごれて日暮れの窓枠の上に
うつつなく消えゆく日影を惜むでゐるのだ
−三好達治「私の猫」より−

2004/10/3

一本の木に十ニ本の枝
ひとつの枝には四つの巣
巣の中にはどれも七つのたまご
(ブルガリアのなぞなぞ)
−福音館書店編集部編「なぞなぞの本」より:答え

2004/9/26

ぼくがつきをみると つきもぼくをみる
かみさまつきをおまもりください かみさまぼくをおまもりください
−谷川俊太郎 訳「マザー・グースのうた」より−

2004/9/12

それは忘れてよいもの これは忘れてならぬもの
それとこれとを 二つの筥(はこ)にわけておいたのに
一つは焼けて 一つは殘つた
焼けたのは それは忘れてはならぬもの。
−竹久夢二「殘つたもの」−

2004/9/5

つまり、強くなるためには、好とやると根、この三つの”き”がいずれも欠かせない要素である。
これは碁に限らず、何ごとにも通じる上達の必要条件だと私は思っている。
−菊池康郎「囲碁に強くなる本」より−

2004/8/29

上むきのときはからっぽ 下むきのときはまんぱい
(フィンランドのなぞなぞ)
−福音館書店編集部編「なぞなぞの本」より:答え

2004/8/22

誰でもが太陽であり得る。わたし達の急務は、たゞたゞ眼前の太陽を追ひかけることではなくて、自分等の内に高く太陽をかゝげることだ。
−島崎藤村「太陽の言葉」より−

2004/8/16

筆者の師の師である故小林松助先生は、「分析化学の分析とは、斧や刀で木を八つに切り分けるが如し」と定義されたそうである。いわば事象や対象物をバラバラにするわけであるから、一見生産的な行為とは思えない。しかし、その行為が「解析の化学」や「物質の本質を解明する化学」のための第一歩であるとすれば、私見ではあるがインドのシバ神的要素を持った学問領域であると解釈できる。
−相原将人「分析化学と産学官連携」ぶんせき誌2003年10号−

2004/8/9

二等辺三角形ABCを、Aが20度かつ頂点になるように描く。
辺AB上に点Dを、角DCBが60度になるように取る。
辺AC上に点Eを、角EBCが50度になるように取る。
角EDCは何度か?
−出典不詳(今回、夏休みお楽しみ用につき難度はかなり高めですが、中学校レベルの知識で解けます。解答AとA'解答B解答C )−

2004/8/1

ある惑星上で知的な生物が成熟したといえるのは、その生物が自己の存在理由をはじめてみいだしたときである。もし宇宙の知的にすぐれた生物が地球を訪れたとしたら、彼らがわれわれの文明度を測ろうとしてまず問うのは、われわれが「進化というものをすでに発見しているかどうか」ということであろう。
−リチャード・ドーキンス著/日高敏隆・他訳「生物=生存機械論」より−

2004/7/25

「明治工業史」には、「分析法の如きは、技術者其の好む所に従って欧米の術に拠りたるを以って捕捉し得可き史的材料なし」と切り捨てられているのを読み、愕然とした。
−古谷圭一「分析化学のあゆみ:固体中における軽元素の特性化技術を追いかけて」(ぶんせき誌2004年7月号)より−

2004/7/19

私のクロマトグラフィーの恩師とも言うべき某大学T教授が、その昔に講演をされるとき、ご自身のことを「分離屋です。夫婦以外は全て分けます。」とおっしゃっていたのが、今でも強く印象に残っています。
−金澤秀子「分けるということ」LC talk Vol.55 (2004年7月)より−

2004/7/11

私には書くということが一等身近である。読むことはその裏がえしなのだ。私から本と鉛筆を取り上げてしまったらあとには何も残らない。
−井亀あおい「アルゴノオト」(1976年8月31日)より−

2004/7/4

ゾウさんも ネコも ネズミも 心臓は ドッキン ドッキン ドッキンと 20億回 打って止まる
ウグイスも カラス トンビに ツル ダチョウ スゥハァ スゥハァ スゥハァと 息を 3億回 吸って終わる
けものなら みんな変わらず 一生に 1キログラムの 体重あたり 15億ジュール 消費する
−本川達雄「一生のうた」(「ゾウの時間ネズミの時間」付録)より−


なぞなぞの回答

2004/10/3 年、月、週、日

2004/8/29 帽子


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管理者:津村ゆかり yukari.tsumura@nifty.com