山域 谷川連峰
コース 小出俣山(敗退) ヨシガ沢山
〜山人仮復活山行の落とし穴〜
日程 平成17(2005)年4月9日〜10日
データ
アプローチ
東京駅11:00〜高崎駅12:01/12:17〜水上駅13:19/タクシー仏岩トンネル13:45(約2800円)

コースタイム
4月9日
仏岩トンネル14:00〜赤谷越14:45〜ヨシガ沢山15:45
4月10日
ヨシガ沢山10:10〜赤谷越11:00〜仏岩トンネル11:45/タクシー12:05〜T病院12:40/診察終了13:00〜後閑駅13:10/13:50〜上野駅16:46

 3月2日に抜釘手術を受けてから約40日が経とうとしている。というわけで、4月7日に整形外科の先生にレントゲンを撮影してもらいどのような状態か診てもらうことにした。前回のレントゲンと比較して先生が説明をする。素人の私から見ても、ボルトの穴はまだはっきりと確認できる。少しは、骨ができてきて薄くなっている部分もあるが、自分が思ったほど回復していないのは少しショックだった。

・全力疾走はしないようにしてください。
・急激な捻りには注意してください。
・ボールを蹴らないでください。

という注意を受けた。また二ヶ月後に診察に来てくださいとのこと。今週末、山に登る計画があったが先生にはあえて「山に登っても大丈夫ですか?」の質問はしなかった。

私自身も、昨年10月の朝日連峰天狗小屋宴会山行、以来山に行っていないので行きたくてしょうがなかった。さらに春のポカポカ陽気が気分を一層山へ向かわせた。

というわけで、強硬な感じもするがモコモコさんと一泊二日で小出俣山へ向かうことにした。


4月9日
コースタイム;仏岩トンネル14:00〜赤谷越14:45〜ヨシガ沢山15:45



土曜日の早朝から出発したかったのだが、私が金曜日、土曜日と泊りでの仕事だった関係で、勤務が終わるのが土曜日の朝の9:00となってしまった。それから、東京駅へ向かった。荷物は金曜日出勤前に東京駅のコインロッカーに仕舞いこんでいる。

徹夜状態なので、新幹線の中で仮眠を取る。上越線の中でも体を休めるのに努める。谷川岳の真っ白な姿が電車の窓から見え気分を高揚させる。水上駅に到着する。駅周辺にも残雪がところどころにある。天気は最高でポカポカだ。テンションが上がり眠気も吹っ飛んだ。

タクシーに乗り込み仏岩トンネルへ向かう。運転手さんも「こんなに雪が4月になっても残っている年は珍しい」と言っていた。おしゃべりをしながら乗ること15分で仏岩トンネル到着。降りてみてびっくり、2002年同じ時期に来たときよりもたんまり残雪がある。車が4台ほど駐車している。何人か入っているようだ。東屋近くにモンベルのムーンライトを張っている男性がいて、タクシーの運転手さんとなにやら話し込んでいる。どうやら、渡りに船で撤収するようだ。テントを畳みだして、タクシーに積んでこれから帰るようだ。

残雪が出てくるまで、ストックを使おうかなと持ってきていたが最初からピッケルで行くことにする。ストックは藪に隠していくことにした。

雪に囲まれた東屋 出発前に日焼け止めを塗る


本日の予定では鍋クウシ山で幕営の予定だ。2時間行動時間の予定だ。モコモコさんの音頭により準備体操をする。モコモコさん先頭に薄暗い杉林の中をとトレースを辿り登る。15分ほど登ると、5・6人のパーティーが下山してきた。日帰りの装備だ。駐車場の車の持ち主のようだ。

ゆっくりとしたペースで、感覚をつかむ。最初の目標地である赤谷越に到着。

片面に残雪が残る稜線を行く


赤谷越で記念撮影&水分補給をする。赤谷越からほんのわずかだが、急登になる。この間日当たりのよい尾根であるせいか、雪は消えていた。 しかし、傾斜が緩くなるとすぐに残雪に覆われる。前回は結構な距離を山腹をトラバースするような感じでかすかにあるふみ跡(送電線巡視路と思われる)を辿ったが、今回は尾根を忠実になぞっていける。途中しゃくなげの藪に覆われたやせ尾根になったりするが、特に問題になるところはない。

少しずつであるが、高度を上げていくと前回と同様に、いきなりヘリポートのようにポッカリと藪がない小ピークに出る。ヨシガ沢山だ。 予定では、その先の鍋クウシ山まで進むつもりであったが、行動を打ち切るのにいい時間であったし、なにしろ「ここに泊っていけ」とその場所が訴えかけてくるほどの最高の幕営ポイントであるため、本日の宿とする。

武尊山を望む ヨシガ沢山より小出俣山を望む

周りを見回すと少し主稜線から離れたところがよさそうなので、移動して早速土木工事をする。
土木工事をして水を作ったりしているうちに日がだいぶ傾いてきてポカポカだったのが急に気温が下がってきたので、 赤いキツネを食べて体を温める。 

さらに、定番の白菜汁を作り始める。白菜汁ができるまで、ビールで乾杯をして明日向かう小出俣山を眺める。モコモコさんとおしゃべりを楽しんでいると鍋が 煮立って吹きこぼれてきた。 火を止めようとしていると鍋があっという間もなく倒れてきて、左足の脛にもろに中身がかかってしまった。あまりの熱さに反射的にズボンを脱いで雪で冷やしたが、すでに水泡ができていてそれが破れていた。

モコモコさんにテントの中を整えてもらっている間、外でパンツ一丁に登山靴という怪しいスタイルでひたすら冷やし続け、テントに入ってからも冷やし続ける。天国からいきなり地獄に転落したようだ。

 ずきずき&ひりひりという感じの痛みが続く。夕食をとりながらさらに冷やして、鎮痛剤を飲む。 モコモコさんと話し合い、明日はこのまま戻ることにした。さらにモコモコさんに「降りた後、病院へ行ったほうがいい。」と強く勧められる。病院へいかなくても大丈夫なような気もしたが、モコモコさんの勧めに従うことにする。実は、整形外科へ診察に行ったままなんとなく保険証を財布に入れたままだったのだ。無意識であるが、怪我をする予感がしたのだろうか。

よく冷やしたのと鎮痛剤がきいたのか、痛みもだいぶ治まった。今回持ってきたのが3シーズン用のシュラフだったせいか、夜中に一度寒さで起きてしまったが、午前3時くらいまでは比較的よく眠れた。

水を作っている途中です。このあと悲劇が・・・。 もーすぐ春ですね。
今宵の宿
テント内は整理整頓!火気注意です!


4月10日
コースタイム
ヨシガ沢山10:10〜赤谷越11:00〜仏岩トンネル11:45/タクシー12:05〜T病院12:40/診察終了13:00〜後閑駅13:10/13:50〜上野駅16:46



翌朝、4時起床、荷物をデポして小出俣山へピストンで5時に出発の予定だったがこのまま降りるので二度寝する。 モコモコさんともども朝寝坊が大好きなので、再びぐっすり寝てしまう。足音で目を覚ますとすでに8時近くになっている。いい加減おきることにする。

↑小出俣山さようなら、また来るよ!

←二日目もいい天気だけど撤退

朝ごはんを食べていると足音の主が現れた。挨拶をすると、間違えて我々が幕営した枝尾根をそのまま下ってしまって戻ってきたとのことだ。これから阿能川岳へ向かうとのことだ。お互いの安全を祈る。 気温がぐんぐん上がる中、下山にかかる。昨日は楽に歩けたところも、雪がだいぶ緩んで時々踏み抜いてしまうことろもでてくる。

 雪の照り返しの暑さもあり、距離のわりに時間がかかって赤谷越に着く。ここからは杉の樹林帯となるので、涼しくなる。無事に登山口に到着することができた。

登山口について早速病院に電話する。(仏岩トンネルの前には公衆電話がある)すると、幸いなことに今日の当番は外科の先生であるので診られますよとの返事。病院にかかれることが確実になったので少し安心。タクシーを呼ぶ。タクシーが15分ほどで迎えに来てくれ、病院まで運んでもらうことにする。いきなり病院へ向かうように頼まれた運転手さんは、驚いていた。

 なかなか楽しい運転手さんで、「おとといに最終電車で来た人をやっぱり仏岩トンネルまで乗せたんですが、その人は一人でテント張ってました。怖くないんですかねー。」とか、「以前、夜に女の人を一ノ倉の出会いまで乗せたことがあるけど、その人そのままテント張って寝るっていっていて私には怖くてとてもまねできないね。」さらに「夜遅くに一ノ倉出会いから迎えに来てほしいって電話があったけど、本当に足の生えた人間からかな〜?と思っていきたくないなということもありますよ。」といろいろお話をしてくれた。

杉林の中を下山

タクシーのメーターがとても気になりだしたころにようやく病院に到着。(仏岩トンネルから約7500円也)診察まで少し待たされる。診察室(救急処置室)に入ると、看護師さんにやけどの部分を保護していた包帯とガーゼをとってもらう。先生がくるまで怪我した原因とか、どこの山に行ってきたのかとかを質問される。さすが谷川岳に集まる岳人の駆け込み寺となっている病院に勤める方だ。なかなかに詳しい。

また少し待つとやっと先生が登場。傷を消毒して、つぶれた水泡のためにはがれた余分な皮をハサミで切り取る。軟膏をぬって包帯を巻いて終わり。最後に「このあとも地元の病院で一度診てもらってください」といわれる。看護師さんからも火傷は2、3日たってからひどくなることがあるので、病院に行ったほうがいいですよと念を押される。

仮ではあるが、復活登山のつもりが火傷山行になってしまった。
しかし、雪のあるときに歩くことができて楽しかった。





後日談

翌日、近くの外科で火傷を見てもらったところ、2度の火傷とのこと。3度になると皮膚移植が必要ですとのこと。
3度でなくて良かった。これから2週間毎日通ってくださいといわれる。またもや長期戦だ・・・。がっくり。
また、右足(骨折した方)をみるとすこし腫れているようだ。テント、シュラフ等を背負う登山はまだ早かったようだ。

このやけどはもう少しおとなしくしていなさいという、山からのありがたい警告として受け止めることにしよう。
なんだかこの一年診療科目を問わなければ医者にかからない月はなかった。5年分くらいの怪我や病気を一年でやってしまった感じだ。

余談ですが、山岳保険の更新をして適用希望開始日を4月9日としていた。モコモコさんはなんだか日が悪そうだということで4月8日にしていた。偶然だとは思うが、なんとなく気になった。


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