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信州小谷(おたり)村(栂池高原& 小谷温泉)

2008.JUN.15~17

 信州安曇野に住むSさんが,地元の若い芸術家と組んでの自宅を特別ギャラリーにしたてての絵と焼き物と木器の三人展を開くというので2年ぶりに訪れた。いつもの如く,松本駅でレンタカーを借りての気ままな二人旅である。
 翌日は,白馬町まで足を伸ばし,折から「水芭蕉祭り」をやっている栂池自然園へ。
名湯として知られている小谷温泉に宿をとり,3日目は日本三大崩れの一つである「稗田山崩壊地」を見学。
 
 折からの梅雨時であるが,幸運にも3日間とも梅雨の一休み,晴天に恵まれ,白馬岳をはじめとする後立山連峰の山々や,いつも霧がかかっていてその全貌を見せてくれないという稗田山のすさまじい崩壊地をじっくり観察することが出来た。
 

■ Sさん宅にて
 特設ギャラリーの一コーナー
 新宿発12:00の「スーパーあずさ」で松本着14:35。
いつものレンタカー営業所が引っ越してしまったらしく見当たらない! 駅前交番で尋ねると西口に移転したとのことで,再び駅構内を横断してたどり着く。15時から借りる予約をしておいたのでぴったりジャスト時刻に借り出せた。

 Sさん宅は,旧穂高町 車で1時間ほどの所,今回で4回目の訪問であるが,以前の3回とも,暗くなってからの個展会場から家に向かうSさんの車に追いていったので,いささか不案内気味のドライブになるかと思ったが,カーナビのおかげで少しも迷わず到着。

 お客さんが13人もやってきていてたいそう賑やかな特設ギャラリーである。脇に臨時駐車場も設けてある,いつものことながら凄い意気込みである。
 今回は,地元で修行中の若いご夫婦との絵と陶器と漆器の三人展である。1階の大きなリビング・ダイニングと和室一間にずら~と展示してある。既に売約済みの品がたくさんあってかなりの盛況の様子であった。

 夕食は,Sさんが20人分の蕎麦を自ら打ってくれて,当方が差し入れした岩手産「ほや」と「帆立」(前日発生した岩手・宮城内陸地震の影響で宅配便が間に合わないかと心配したが無事着荷していた)を肴にしてこれまた持参の宮城県の銘酒を酌み交わして歓談。15人が一堂に会しての晩餐は壮観である。

 
Sさんのあざやかな手さばきに見入る,20食分を2回に分けてわずか20分足らずで打ち上げてしまった。


■ 栂池高原自然園
                   
雪解けが進まない自然園 白馬岳(ここからの標高差1072m)

                     
 Sさん宅を九時半に出発して県道306号(有明・大町線)を北上,山沿いの道で対向車はほとんどなく快適に走る。
大町市から国道148号(糸魚川街道)に入り木崎湖・青木湖を過ぎて,白馬村の手前の「道の駅」で一休み。JR大糸線白馬大池駅手前で左折して山に向かう。

 栂池ロープウェイの下駅「栂池高原」駅着11時半。昼食は後とすることにしてそのままロープウェイに乗り込む。二人乗りのゴンドラリフトである。約20分で「栂大門」駅着,200mほど歩いて「栂の森」駅から今度は71人乗りのロープウェイに乗り換えて10分足らずで頂上駅「自然園」へ。標高831mから1829mまで一気に1000mの高度を稼ぐ料金は往復3000円也である。

 栂池自然園は,標高1860mから2000mに広がる,水芭蕉湿原・浮島湿原・ワタスゲ湿原・展望湿原の四つの池糖からなり,整備された遊歩道で結ばれていて,白馬連峰の雄大な山並みと高山植物を楽しむことが出来る。しかし今年の5,6月の平均気温は平年より3℃も低く,雪解けが進まず,自然園は一部を除いて残雪に覆われていて,雪の上を歩く散策を強いられる。
 奥の方に「シラネアオイ」が咲いているとのことで,その地点を目指すが,雪道なのでなかなか距離がはかどれず,已む無く途中で引き返す。
 
 6月14日(土)から22日(日)まで「水ばしょう祭り」だという触れ込みではあったが,いささか期待はずれ。

 出発点のビジターセンターまで戻り,展示を眺めて外に出たら,今まで雲に隠れていた白馬岳がその全容を現してくれた。やあ~ラッキー!ラッキー!!

 自然園入り口近くの流れに岩魚が6匹元気に泳ぎ回っていた。ビジターセンターの方が数年前2匹を放流したところ増えたとのこと。

 自然園駅発15:40のロープウエイで下る,途中の乗換駅付近の「水芭蕉群生地」に寄る。標高は1580m,僅か300m足らずの高度差であるがこの辺りの水芭蕉は既に盛りを過ぎていた。

 栂池高原で見つけた高山植物

ユキヤナギ 猩猩袴 山荷葉 延齢草 コミヤマカタバミ
座禅草 タチツボスミレ キヌガサソウ
オオカメノキ 水芭蕉 リュウキンカ

■ 小谷温泉&鎌池
                      
 16:30 栂池高原をあとにしておよそ20km離れた小谷温泉へ向かう。
国道148号に出て糸魚川方向へ。長いトンネル(中土トンネル)を抜けてすぐ,右折してあとは一本道,17時30分今夜の宿「村営雨飾荘」に無事到着。

 夕食時間は18時~19時だという。村営施設なので従業員が早く帰宅する,したがってお客は夕食を午後7時までに終わらせなければならないという制約をを受けるがその分宿泊費が安いので我慢しなければならない。

 お風呂は汗を流す程度にして,夕食後にゆっくり入ることにする。

 小谷温泉の開湯は1555年,武田氏の家臣岡田甚一郎により発見されたといわれている名湯。
雨飾荘」の源泉は,約1km離れた場所にある深さ178mの井戸から揚湯されている。温度56.3℃・湧出量255ℓ/min,肌にすべすべ感のするナトリウー炭酸水素塩泉である。
 浴室は,宿の内風呂・露天風呂(人工的な遮蔽物のない全くの青空露天風呂だ)のほかに,歩いて4,5分の場所に岩石でしつらえられた素敵な露天風呂があるというが,今回はパス!
昭和46年国民保養温泉地に指定されている,また「日本百名山」のひとつに上げられている信越国境に聳える「雨飾山(1963m)」の長野県側登山口でもある。。

 翌日も,まだ梅雨の晴れ間が続く。
雨飾山登山道入り口へと通じる林道を15分ほど走って「鎌池」の駐車場に着く。
 
 ”鎌池”は標高1190mに位置し,昔,信越の境のある池に仲のよい雌雄の大蛇が棲んでいたが,民へのいたずらが過ぎて懲らしめられことに。雄の死を悲しみながら,越後から野尻湖へ逃れる途中,雌の大蛇が流した涙が鎌池になったという伝説を秘め,ブナ原生林に包まれたひっそりした一周1km程度の小さな池である。
雪解けと深緑のコントラストや湖面まで染める紅葉の美しさは格別で,シーズンには湖畔にカメラの砲列が並ぶという。
 
      
真新緑のブナ林 湖面に映える新緑
白馬岳(右)と杓子岳(小谷温泉から帰途の道路から)
■ 稗田山崩れ

 鎌池から来た道を戻り国道148号を横断して姫川の左岸に渡り,JR大糸線中土駅前から急坂を登り「池原」という集落に出る。右折して道幅の狭い山道を上り下りして「石坂」集落を過ぎ姫川に流れ下る浦川へ向かう。この道は往時,糸魚川から安曇野方面への街道筋で「塩の道」と呼ばれる千国街道であちこちに道祖神や庚申塔などの石仏群を見ることができる。千国街道は,糸魚川から松本まで約30里(120km)を結び,信州川では「糸魚川街道」,越後側では「松本街道」と呼ばれ,戦国時代,上杉謙信がこの道を経て,仇敵武田信玄に塩を送ったという「義塩」の故事にならって”塩の道”と言われる。
 
 浦川は,白馬岳の北に連なる山並み乗鞍岳,白馬大池付近に発し姫川に流下するありきたりの小河川であった。ところが,浦川の一支沢である金沢の源頭部に当たる稗田山が大崩壊を起こし流況は一変した。現在も日本一の暴れ川,荒廃河川である。
 1911年(明治44)8月8日午前3時何の前触れもなく突如稗田山北側斜面が大崩壊を起こし,土石流が浦川を流下し,姫川に達したところで対岸にぶつかり上下流に土砂が堆積し手出来た土砂ダムが形成された。凄まじい土石流による被害とともに堰止湖の崩壊によって下流の」来馬」集落が全滅したという。
 稗田山崩壊は,富山県立山カルデラの鳶山崩れ,静岡県安倍川上流の大谷崩れとともに日本三大崩れのひとつと言われている。

 石坂集落を下った浦川右岸の道路わきに作家 幸田文が「崩れ」で書いた一節を引いた「歳月茫々碑」がある。
「碑」である。
 
 歳月茫々碑

 大崩壊から80年ほどが過ぎた1992年(平成4)10月に除幕されたが,それから3年後の1995年(平成7)7月11日の梅雨前線豪雨(時間雨量48mm,最大日雨量357mm)で発生した土石流で,小谷村は再び壊滅的な被害を受けた。JR大糸線はなんと2年5ヶ月も不通となった。

 この豪雨のさなか「歳月茫々碑」もまた土石流をまともに受け台座ごと吹っ飛んだ。翌年になって80mほど離れた土砂からかどの一部が顔を出しているところを見つけられて現在地に据えられたという。碑文を刻んだ御影石には幾筋もの擦り傷が残されているという。
 「歳月茫々碑」脇の案内板にあった写真

 栂池高原側からの空撮映像と思われる。中央部(植生に覆われている部分)は,崩壊ブロックがそのまま残っている,将来も崩壊し続けることは確実である。


 更に,稗田山崩壊地の全貌が望めるという金谷橋に向かう。道路地図にも載っていない山道であるが多分この道に間違いないと見当をつけて進む。
途中に,”砂防事業30年”を記念した石碑のある場所で浦川の右岸側から上流を望むと,崩壊地の一部が見える。
道は,山側に登っていくので,「おや!目的の金谷橋には通じていないのかな?」とは思ったが,行ける所まで行ってみようと車を走らせる。
 まもなく鉄塔が見えてきた。
降雨量や土石流予報装置をコントロールし無線でデータを送信する無人観測ステーションである。
直ぐ先で,目的の金谷橋に着く。


 
      稗田山大崩壊

 金谷橋の上から稗田山大崩壊のほぼ全貌が見渡せる。垂直の岩肌がいかにもまがまがしい今にも全山が崩れ落ちたきそうな恐怖感に捕らわれる。大絶壁,断崖は岩石というより茶褐色の土砂という感じである。

 この辺りはわが国第一級の構造線である「糸魚川ー静岡構造線」が走っており,温泉も多く存在し,岩石の脆弱化が進んでいるのであろう。

 こんなに巨大な崩壊地を見るのは初めてである。自然の営力の巨大さに圧倒されるばかりであった・・!!。
         
金谷橋
 この吊り橋は,1967年(昭和42),わが国ではじめての平行線ケーブル工法により架設されたつり橋で,関門大橋を造る為の実証実験的な意味で長野営林局と当時の八幡製鉄によって建設されたという。まことにシンプルな構造ではあるが,横浜ベイブリッジや瀬戸大橋などのその後のわが国の長大つり橋架橋の礎となったとも言われている。
 
 このあと,「千国の庄史料館」(小谷村)見学,白馬村の「そば処和味亭」で昼食,「菊池哲男山岳フォトギャラリー」(白馬村津和田)に寄ってから松本へ。
 フォトギャラリーでは,たまたま栂池撮影ツアーのメンバーを引き連れて自分のギャラリーを案内していた菊池先生さん(ニコン写真塾で教わった)に偶然お会いすることが出来た。

 松本市街にはいってから「開運堂」でお菓子,松本駅北口駅前の山菜を売る店で蕨ほか山菜類若干をを求める。
予定より,1時間ほど早く車を返却してこれまた予定より一列車早い「特急あずさ」で帰京。
 総走行距離:220km,ガソリン消費量:10.7ℓ,燃費:20.5km/ℓ。

 梅雨の真っ最中にも拘らず,天候に恵まれた愉しい信州小旅行を終える。


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