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 黒部ルート見学記

2015.06.16~18

  北アルプス鷲羽岳(2924m)に源を発し立山連峰と後立山連峰の間を日本海に流れ下る黒部川は我が国屈指の急流でありかつ水量も多く水力発電に有利な条件を備え、戦前から日本電力、戦後は関西電力によって電源開発が行われてきた。現在、黒部・仙人谷・宇奈月など5つのダムと黒四・黒三・新黒三・愛本など11の水力発電所で総出力89万kwに達する最新型原発一基分に相当する電力を生み出しているクリーンな電源地帯となっている。
 今回、富山県と関西電力が主催する「黒部ルート見学会」に参加して、一般には立ち入ることが出来ない黒部トンネル→インクライン→黒部川第四発電所→仙人谷ダム→上部専用軌道→竪坑エレベーター→欅平に至る(総延長18kmに達する地下トンネル・空間で黒部ルートと称されている)区間を巡ってきた。




 見学会当日は、関電トンネル(大町トンネルとも呼ぶ)トロリーバス黒部ダム駅に10:30集合なので、前日、トロリーバス扇沢駅近くの日向高原「くろよんロイヤルホテル」(経営は(株)関電アメニックス)に宿泊する。このホテルは奇しくも黒部ダム・黒部第四発電所建設時の工事基地で関西電力の現地建設事務所があった場所であると云う。
 翌朝、ホテル前発09:22の路線バスで扇沢駅(標高1433m)へ、10:00発のトロリーバスに乗り換え関電トンネルを経由して黒部ダム駅10:16着。
 


 黒部ダム駅から黒部第四発電所へ
 
 集合場所の黒部ダム駅(標高1470m)駅長室前のベンチで待つことしばし、係りの人から今日の予定と注意事項を受けて、身分証明書類の提示・荷物検査(花火など火薬類は当然としてナイフ・カッター・はさみ類・ライターなども一時預かりとなる、妻は果物用ナイフを取り上げられていた)後、渡されたヘルメットを被り専用バスに乗り込む。参加者は夫婦連れや友達グループなど30人、男女半々といったところか。
 10:55黒四ダムを出発。先ずは黒部トンネル・インクラインを通って黒四発電所に向かう。
黒部トンネル(昭和34年完成)は黒部第四発電所建設に必要な資機材を運搬するためのトンネルで幅6・4m・高さ4.5m・延長10.3km・勾配1/40~1/200(最急1/10)、トンネルの完成断面を一回の発破で掘削する全断面工法で月進519mという当時の日本新記録のスピードで掘られたという。貫通点はダム側から3.5km地点で貫通誤差はわずか4cmであったという、堅硬な花崗岩という地質に恵まれたとはいえ昭和30年代前半のまだ十分な機械・資材のない時代にかくも立派な記録を作った技術者・作業員には頭が下がる思いだ。ちなみに施工はダム側は間組、発電所側は佐藤工業。
 
 工事中の換気やずり出しのためにトンネルから黒部川右岸岩壁に顔を出す横坑が掘削されたという。そのひとつ”たる沢”横坑で一時下車(11:10)、横坑を100mほど進むと黒部川の右岸山腹に窓のように顔を出す坑口に至る。ここからの眺めが素晴らしい、下方には黒部川の激流が岩を噛んで流れるいわゆる”下の廊下”と云われる秘境の一部「白竜峡」、目を上げるとはるか彼方に「剣岳」と「三の窓雪渓」が見える。いわゆる裏剣と呼ばれる場所でベテラン登山家でなければ見ることが出来ない眺望である。案内の方が言っていた「登山しないで剣岳を裏側から見られるのはここだけです!」と。

 ここで案内の方に質問「換気やずり出しのために5カ所の横坑が掘られたというが、掘削ずりはそのまま黒部川に落とし込んだのか?」
「ここは国立公園の中で自然環境の保全に厳しい制約があり、ずり捨て場を設けてちゃんと整地した」という答えが返って来た。少し時代が下るが同じく国立公園内に計画された南アルプススーパー林道では掘削した岩屑はそのまま谷側斜面にぶちまけるという荒っぽい作業が自然破壊だと世人の非難を浴びていたという好対照の事例がある。

”たる沢横坑”から剣岳を望む。手前左は”黒部別山”、中央奥に”剣岳”と”三の窓雪渓”(日本で現存する唯一の氷河とされる)を見ることが出来る。  ”たる沢横坑”分岐点付近の黒部トンネル。コンクリート巻き立てがされていないことから堅硬な岩盤(花崗岩?)であり当時日本一の掘削進行が得られた一因であることが分かる。

 11:25 再びバスに乗車しおよそ2km先の”作廊谷”へ。
ここから斜度34度のインクライン(昭和34年建設)で456mを一気に下り、「黒部第四発電所」へ(12:05)。
 インクラインは、斜面にレールを敷き動力で台車を動かして船・貨物を運ぶ装置、日本語で云えば”勾配鉄道か?京都琵琶湖疎水蹴上にあったものが有名だがここは荷物だけではなく人員も載せられるように一工夫(水平保持されている客室ユニットを取り外すと大型機材を運搬することが出来る)されている。最大積載能力25tで発電所の大型機器の搬入は大町→扇沢から関電トンネル・黒部トンネルを経由してすべてこのインクラインを利用した。(着工昭和32.8、運転開始昭和34.11)
 勾配34度(箱根ケーブルカーは11°18'、高尾山ケーブルカー最大斜度31.14°)。並行する水圧鉄管路の勾配は47.2°、ちなみに私は工事中の東電今市地下発電所の勾配48°の水圧鉄管路トンネルに入ったことがあるが断崖の上に立った感じで足が震えて何も出来ない状態となる)、上部駅(標高1325m)から下部駅(標高869m)へ斜距離815mを40m/分の速度でおよそ20分で到達する。


 
 見学客30人と案内人を乗せたケーブルカーは、11:44上部駅を出発。
案内人の「万一、故障などの際にはトンネル脇に設けられた1319段の階段で避難することになる」との話を聞いてそうなったらもうあきらめるしかないねと妻と話す。が「訓練と点検以外で使用されたことは未だ無い」と聞いてホッ!
 乗車中に中島みゆきの紅白歌合戦のDVDが上映され、緊張をほぐす気遣いもされていて関電さんの本気サービスに感心、それにしても歌詞の間違いをこの場まで引っ張られるとは、みゆきさんちょっとお気の毒でした。
 中間地点で、欅平→黒部ダムコースの見学会参加者を乗せた上りケーブルカーと行き違いをして12:04下部駅に無事到着。

 黒部ダムから取水した水を地下発電所に落とし込む水圧鉄管路もインクラインと並行している。ちなみにインクライン・水圧鉄管路・地下発電所の施工は大成建設。



 黒部川第四発電所

 インクライン下部駅を降りて階段を数段上ると黒部川第四発電所の構内となる。まずは地下深部とは思えないような立派な大会議室に案内されてジオラマ使っての黒部川全体の発電施設の概要や工事の経緯、発電の仕組みなどの説明を受ける。
 
 黒部川第四発電所は国立公園内であること、自然環境を大切に保持するため及び厳冬期の雪崩対策として発電所・変電・開閉所・水圧鉄管路などすべての構造物が地下に造られている。
 昭和31年着工 昭和36年1月1・2号機運用開始 昭和37年8月3号機運用開始し総出力23万4000kw、昭和48年4号機を増設し最大出力33万5000kwとなりダム式水力発電所としては日本第四位の発電能力(ちなみに1位は奥只見発電所)。導水路延長:10k909.6m、最大有効落差:545.5m、水圧鉄管内径3070mm~3030mm延長771.5m1条、発電所:幅22m 高さ33m 長さ117m。

  
     掘削工事中の地下発電所


 発破孔掘削機クローラードリルとずり積込み用パワーショベル・ずり運搬用ダンプトラックームが見える。(写真は「大成建設土木史(平成9年3月刊)」より
       
    完成後現在の地下発電所


 黒部の山深く地下にこんなに巨大な地下空間があるとは驚きである。幅22m高さ33m長さ117m。

 会議室での説明を終えて発電機室へ。
体育館のような巨大な地下空間にちっぽけに見える発電機の頭部が四基並んでいる。この巨大な地下大空間を造ったのは私の大先輩たちである、厳しい環境の中で汗と油にまみれての苦闘を想いその偉業をたたえながら、しばしの間じっと佇む。
 工事中の幾つかの地下発電所や完成した奥只見地下発電所などに入坑したことがあるが、いままで気がつかなかったこと、発電機の大きさに比べてなんと天井が高いことか、かくもの大きな空間はなぜ必要なのか?無意味な空間ではないか?との疑問が湧く。よく見ると天井の脇にクレーンのレールが走っているのが目に留まる、そうか水車や発電機本体の設置・解体修理・点検・メンテにはこのクレーンで引っ張り上げて行うのでこの高さが必要なのだと納得する。
 次に更に階段を下り水車の回転を発電機に伝えるシャフトが毎秒6回転のうなりをあげて回転する様を5人ずつのグループに分かれて見学。ドア越しに見せるだけかと思ったら内部に入って手が届く距離まで近づかせてくれるとは驚いた。見学開始前の厳し過ぎるほどの持ち物検査に納得!
 平成5年に無人化(新愛本制御所で遠隔操作)されて今は見学者に見せるだけとなっている運転制御室の前を通って再び会議室に戻る。
 各自準備の昼食(私は扇沢駅でゲットしたおにぎり2個、妻は朝食の食べ残しパン)、サービスで提供された関電トンネル破砕帯から今でも湧き出る水をボトリングした"黒部の氷筍水”と命名されたミネラルウォーターで喉を潤し、20分という短い昼食休憩後次の行程へ。

 仙人谷ダム・上部専用鉄道(高熱隧道)→竪坑エレベーター→欅平へ

 インクライン下部駅に接続して上部専用鉄道の黒部第四発電所前駅(標高859m)が並設されている。
上部専用鉄道(トンネルは昭和14年8月貫通)と竪坑エレベーター(昭和14年竣工)は全地下式で黒部川第三発電所取水堰堤である仙人谷ダム建設のために造られた。この付近の黒部川は勾配1/24という急流で、宇奈月から欅平まで開通(昭和12年)していた鉄道を河川沿いにこれ以上延ばすことが出来なかったため標高差200mの竪坑と更にトンネルを開削し鉄道を設置(つまり1本のレールで結ぶには線路勾配がきつ過ぎ高低差をエレベーターで結ぶことで解決)して仙人谷ダム地点への作業員・工事用資材の輸送に使用され、その後昭和31年からの黒部川第四発電所建設に際して仙人谷ダム地点から黒部川第四発電所建設地点まで延伸された。現在も宇奈月方面からの人員・諸機材の輸送に欠かせない存在となっている。

 13:05 上部専用鉄道のトロッコに10人ずつ分乗して下流へ向かう、前部車両には工事関係者も乗車している。。
 工事用列車といえどもダイヤや停車する場所も決まっていて駅名もつけられている、出発地点の駅名は黒部第四発電所前。私たちの乗った客車は補助いすも含めて定員12名(でも実質10名で満杯!)、耐熱仕様の特別な車両でお値段は1千万円台とか。機関車はバッテリーカーである、ディーゼル機関車では高熱区間で燃料に引火する危険性があり電機機関車では架線が硫黄分で腐食してしまうからだという。

 発車して間もなく、案内人から「この辺りが中島みゆきさんが歌った場所ですよ」と声がかかる。もう、ひと昔以上前の2012年第53回NHK紅白歌合戦で中島みゆきさんが黒部ダムからの生中継で「地上の星」を歌ったことは歌詞を間違えたことも含めてよく覚えている。でも私は、歌った場所は、トロリーバスの走っている関電トンネルの黒部ダム側の何処かだろうといまの今まで思っていた、先ほどインクライン乗車中に見たDVD映像では背景にレールが写っているので、レールの敷かれていない関電トンネル内ではないらしいと薄々感じてはいたのだが・・・・・、こんなにも黒部の谷奥深くから放送されたとは知らなかった、驚く゚ばかりである。ここからインクライン→黒部トンネル→大町トンネルを抜けて扇沢から衛星中継したという。延々17kmもTVケーブル(しかも予備のため2条も)を張っての生放送、スタッフの苦労は大変だっただろうが、NHKはお金持ちなんだなと思う。
案内の人から裏話あり、ひとつはトンネル内は反響音が激しくあちこち探して比較的反響の少ない地点を選定したこと。反響が少ないのは音が吸収されやすい岩盤のところ、すなわち破砕帯とまではいかなないまでも地質的に軟らかい岩盤区間ということだろう。二つめは、中島みゆきさんは作業員宿舎に泊まることを嫌い急遽発電所の会議室を段取りしたこと、以後職員の間ではこの会議室を中島ルームと呼んでいるそうだ。三つめは、歌う場所の候補として黒部・青函kントンネル・○✕▽(聞き漏らした)の三カ所が挙げられたが彼女の「黒部が好い」の一言で決まった。

 閑話休題、トロッコはおよそ1kmほど進むと地上に顔を出し黒部川を右岸から左岸へ渡る、上部専用鉄道で唯一地上に出る場所である。ここまでが黒部ダム・黒四発電所建設時代に造られた施設で、これより下流側が、日中戦争たけなわの頃、電力増強が国家の急務であった昭和10年代に造られた施設である。発電所前~仙人谷:0.8km、仙人谷~欅平上部:5.7km。

 黒部川を跨ぐ橋上駅仙人谷駅(標高859m)で一時下車。直上流に「仙人谷ダム」の威容が、ダムのさらに上流は”十字峡”や”S字峡”などがある黒部川の秘境部である。、昭和4年完成した水平歩道(日電歩道)を歩いてやってくるベテラン登山者以外は一般には見ることが出来ない絶景スポットである。紅葉に時期はいかばかりか素晴らしいであろう!

          仙人谷ダム
 この見学会に参加しなければよほどの健脚な登山好きでなければお目にかかれないダム。
 重力式コンクリートダム、堤高:47.5m、堤長:77.3m、堤体積:37000㎥、 昭和11年着工・15年竣工
施工:佐藤工業
     黒部川の秘境部

    仙人谷駅より下流を望む。

 13:20再びトロッコに乗車、下流へ向かう。間もなくトロッコは、掘削時に岩盤温度が160℃にも達したという”高熱隧道”区間に入る。

 昭和11年に始まった黒部川第三発電所取水堰堤である仙人谷ダム建設のための上部専用鉄道隧道工事は総延長6kmのうち最上流側の阿曾原谷から仙人谷ダム間904mのうち約500mの区間は岩盤温度が65℃から166℃に達する高温で言語に絶する難工事であった。高熱によるダイナマイトの暴発事故や泡雪崩(ほうなだれ)が工事用宿舎を襲うなど作業員の苦闘と尊い犠牲(ちなみに全工区での人命損失は300名を越えている)の上に昭和15年、仙人谷ダム・黒部川第三発電所は完成した。この間の様子は吉村昭のドキュメンタリー小説「高熱隧道」に詳しく描かれている。
施工は、仙人谷ダム・軌道&水路トンネル上流側:佐藤工業、軌道&水路トンネル下流側・竪坑:大林組。
 *「大成建設土木史」には、発電所水圧鉄管路トンネルでも106℃に達する岩盤に遭遇したとの記載がある。

 私たちが乗車したトロッコは、耐熱式客車なので車内では暑さはあまり感じられなかったが、案内の方がドアーを開けるとむっとする熱気と硫黄の臭いが車内に立ち込める、今でも岩盤温度は40℃位あるという、並行して走る黒三発電所への水路トンネルがラジエーターの役割をはたしているが、建設時から75年経た今でも岩盤温度は40℃もあり、3年に一回点検のため水路トンネルの送水をストップすると一気に70℃くらいになるそうです。高熱トンネル部分はコンクリートで巻き立てられている区間と無支保(掘ったままの裸岩状態)区間がある、後者では岩肌に湯の花の類が付着して白っぽくなっている、また工事中のノミ跡(削孔の跡)が残っていて高温と高熱水に悩まされながら硬い岩盤に挑んだ作業員の労苦をひしひしと感じる。

 案内人の写真を交えながらの先人たちの苦労が偲ばれる工事の経緯や泡雪崩の話が続く中、トロッコはひたすらゴトゴトと走り、小説「高熱隧道」の舞台、折尾谷・志合谷などをそれと知らぬ間に通過して13:40欅平上部駅に到着。

竪坑エレベーター
 

 竪坑エレベーターが積み荷を降下させる作業をする間、黒部川左岸岸壁の途中に設けられた”竪坑展望台”へ。
ここからは立山連峰と黒部川を挟んで対峙する後立山連峰がよく見えるというが、今日は生憎の天気で鹿島槍南峰(標高2889m)がわずかに霞んで見えるだけ。

 欅平上部駅(標高800m)に戻り、トロッコ1台を積み荷ととも運搬できるという竪坑エレベーターで30人まとめて標高差200mを一気に下り欅平下部駅(標高599m)へ。 別に積載容量4.5t定員6名の人員用エレベーターがあるという。

 黒部ダムからここまでのおよそ18㎞が「黒部ルート」と称されている見学区間である。
ここから工事用トロッコ電車に乗り換え一旦スイッチバックしておよそ500ⅿで、黒部峡谷鉄道欅平駅へ(14:10)。
 目の前に黒部川第三発電所新黒部川第三発電所が見える。

 
 ここで見学会は無事終了・解散。
案内してくれた関電関係者の方々、丁寧かつ熱心な説明と安全への配慮有難うございました。 お世話さまでした。

 14:37発の黒部峡谷鉄道トロッコ電車で宇奈月へ。
黒部宇奈月温泉”駅から3月開業したばかりの北陸新幹線「はくたか」に乗車すれば今日中に帰京できるのだが、せっかくだからと、妻が昨年泊まってお気に入りとなった「延楽」と云う宿で温泉に浸って美味しい料理と旨い地酒でゆっくりして行くことにした。

 大町から黒部ダムを経由して立山へ抜ける(あるいはその逆)立山黒部アルペンルートと呼ばれる一般観光ルートと違って普通は通ることが出来ない黒部ルート、先人の叡智と汗と油と多くの命の代償でもある地下発電所・ダム・それを取り巻く作業用トンネルを駆け足乍ら見学出来たこと、更にこれまためったに見られない裏剣・黒部川秘境部下の廊下を垣間見るなど、念願叶った有意義ありかつ楽しい旅でした。
 
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