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TOKYO BUNKYOU HONGOU

 

求 道 会 館(きゅうどうかいかん) 見 学 記

 
 わたしが所属しているコーラスグループが今秋予定しているコンサート会場としてどうかと(結局別の会場になったが),さる2月に下見で一度訪れている。簡素ではあるが和洋折衷の美しい建物に感動して,また訪れようと思っていたのがようやく実現した。
 求道会館は,浄土真宗大谷派の僧侶近角常観(ちかずみじょうかん)が,自らの信仰体験を語る場として大正4年に建てた文京区本郷にある”仏教の教会”である。
 設計者は,明治建築界の第二世代に属するヨーロッパから帰国したばかりの新進気鋭の武田五一(京都帝大建築学科の創設者)で,計8年もかけた力作である(施工戸田組)。武田の活動は関西が中心であったので東京には彼の作品が少ないそうだが,国会議事堂の設計にも関与したという。東京での作品は「武田五一と東京」に詳しい。

 当時の建物は大正12年の関東大震災にあい,内部の崩壊著しく昭和28年ついに50年間の閉鎖に追い込まれた。その間,崩壊が更に進み,荒れるにまかせた状態で近隣の子供達から”お化け屋敷”と呼ばれるほどであったという。(コーラス仲間のYさんは,お化け屋敷探検と称して立ち木経由で2階の破れ窓から侵入して遊んだそうだ)
 25年ほど前,常観の教え子達がなんとか建て直そうと動いたが,見積もりを取ったらなんと3億円もかかるということで頓挫してしまった。平成6年紆余曲折の上,東京都有形文化財(建造物)に指定され,公的資金によって平成8年から7年がかりで修復された(平成14年6月竣工,ちなみに工事費は5億円, 施工戸田建設)。

  (求道会館の概要)
所在地 東京都文京区本郷6丁目20−5
建築年 大正4年11月
設計者 武田五一
建築の概要
構造形式 レンガ造木造小屋組石綿板葺き2階建
建築面積 307.471u
延床面積 508.033u
外部仕上 外壁:磁器タイル貼り一部テラゾー塗り
    一部レンガ素地,一部モルタル塗り
外床:タイル貼り
屋根:石綿板葺き
建具:木製
内部仕上 内壁:プラスター塗り
腰壁:羽目板貼りクレオソート拭取り
小屋:木造骨組みクレオソート拭取り
内床:縁甲板貼りクレオソート拭取り
    但し2階ギャラリー・小会堂は畳敷き

 
 
 
 

求道会館正面(ポストカードより)

求道会館正面

 ファザードは,キリスト教会のたたずまい。
 レンガ造りに当時としては最先端の鉄筋コンクリート円柱を入れ,柔らかな曲面を演出している。
   

1階正面の六角堂

2階

 中に入ると,正面に,阿弥陀如来を安置した六角堂。阿弥陀さんは通常は極楽浄土に御座って,金銀でかざられているのだが,ここは白木造りのシンプルな造りとなっている。
 信者の席は木製の椅子で,キリスト教会のそれと全く同じ。(2階は畳敷き)
 2階の手摺は鉄製のフラットバーを用いて卍をかたどっている。信者席はもともとはゴザ敷きだったが現在は3ステップの木製床。
   

天井

木製部材の緊結状態

 2インチ×6インチの角材からなるトラス構造(ツーバイフォーならぬツーバオシックス工法である)。力学的に強度を必要とする箇所には部材の本数を増して対応している。一瞬,鉄骨構造かと見間違うくらい見事な力学的美しさを見せている。屋根材は石綿スレート。
角材と角材の間に鉄板を介在させてボルトで緊結している。
   

シャンデリア

シャンデリアの飾り装飾

 四本のコードで吊るされた4灯からなる質素なシャンデリア。
 4本の支持棒はセンター側が太くしてあり,中間に刻みを入れ,中心軸には”ギボシ”を付けて,合理的な形式の中にも精一杯の装飾を施している。施主のできるだけお金を賭けないという要求にかなりの工夫をしていることが分かる。
   

ステンドグラス

ステンドグラス

 2階玄関側窓のステンドグラス
 釈迦がその樹下で誕生したと言う菩提樹をかたどった模様,小鳥も表現されていると言う。武田五一は,ヨーロッパ留学の際にイタリアアッシジで聖フランチェスカ像を見て来たに違いない。
   

阿弥陀様の後光

本郷館

 六角堂の背後には阿弥陀様の後光が,僅か2タイプの天平唐草模様漆喰型を組み合わせて造られている,金色ではなく黄色で。後光の内側はかすかなピンク色,外側はクリーム色の漆喰壁。
 求道会館のすぐ近くに,これまた文化財に指定してもよいような現役の木造3階建ての学生下宿あり。おもわず自転車を停めてパチリ!戦前からの建物だろうか,少なくとも60年以上経っている。凄いね〜。
   
   
 求道会館はヨーロッパの教会建築と同じくバジリカ様式で建てられており,音響効果に優れている(更に壁がレンガで,天井と床が木材で出来ているので程よい共鳴効果が発揮されるのであろう)。そのため,ピアノ演奏会や合唱,琵琶や新内の演奏会などによく利用されていると言う。
 東京大学正門前の通り(本郷通り)を挟んだ路地裏に,こんな素敵な文化財があるなんて知らなかった。毎月1回一般公開をしているのでそぞろ歩きのついでに寄ってみては如何。
 
  求道会館公式ホームページ
  武田五一特別展(仮称) 10/22〜12/4 文京ふるさと歴史館で開催される。

 見学の際,いただいたレジメから建物の性格,特徴,武田五一の略歴などを以下に転載する。

【建物の性格】
 
求道会館は宗教法人求道会の本堂である。
 宗教法人求道会は近角常観の信仰を受け継ぐ後継者によって昭和28年に設立された単位法人である。
 近角常観は明治3年滋賀に生まれた浄土真宗大谷派の僧侶で,親鸞聖人の生の声を伝える歎異抄をその信仰の原点に据え,悩み煩悩する人間が絶対他力によって救済されることを自らの入信体験を基に繰り返し説き,仏教界のみならず幅広く同時代の知識人に大きな影響を与えた。
 近角は若き日の欧州留学の体験を踏まえ,青年学生と起居を共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場として求道学舎を本郷のこの地に開き,明治35年から昭和16年に没するまでその経営に心血を注いだ。また広く公衆に向けて信仰を説く場として求道会館を大正4年に建立,その壇上から有縁のものへ語りかけると共に,広く社会に対して仏教のあるべき姿を訴えた。その主張は政教分離の立場から国家による宗教管理とともに教団の政治参画にも強く反対し,宗教界の自立性の喪失に警鐘を鳴らし近代仏教の確率に大きく貢献した。
 没後は後継者の手によってその信仰実践の場である求道学舎と礼拝の場である本堂としての求道会館が守られている。

【建築の特色】
 本建築はヨーロッパの教会建築の空間構成を基本的に踏襲しながら,要所に伝統的な日本の寺社建築のモチーフを用い,これらがあい融合して独自の宗教空間を作り出している。
 小屋組は木材を使いながらも鉄骨の接合部を模しプレートとボルトで接合した形式によっており,これはドイツ式にアメリカ近世式を加味した当時の最新式の構造であり日本に於ける初めての試みであったと言われている。
 内部正面には純日本式のヒノキの白木造り・銅板葺き屋根の六角堂が配置されその内部に本尊が納められ,その上部をアーチ状に石膏の天平彫刻が施されている。1階は木製の長椅子で,2階のギャラリーでは畳敷に座って会衆が参列する形式となっている。2階にある小会堂も畳敷でそこには純日本式の床の間にかつて聖徳太子像が祀られており,洋式のマントルピースやシャンデリアが不思議に調和した独特のスペースとなっている。
 この類を見ない建築空間は,仏教界の刷新を志し欧州の宗教事情をつぶさに経験してきた若き日の常観と,新進気鋭の建築家として全く同時期にヨーロッパ近代建築の新潮流を学びその日本への定着を試みてきた武田五一とがそれぞれのほぼ10年にわたる活躍期を経て出会い,この建築として結実した所以のものと見ることが出来る。
 近角はこの建築のさらに10年後,老朽化した木造の求道学舎の建て替えも同じく武田に依頼し,近代建築による欧州形式の寄宿舎を作り,この求道会館に調和した宗教空間を作り出している。

【設計者の略歴と本作品の位置】
 本建築の設計者である武田五一は明治5年生まれの建築家で,ヨーロッパの新しい芸術運動であるアーツアンドクラフトやゼゼッション運動の日本への紹介者として,また京都大学建築学科の創設者として有名である。武田はいわゆるプロフェッサーアーキテクトであり,建築家としての実践活動のほか,教育活動や文化財修復,その他様々な委員の委嘱を受けた方面で活躍した。世代としては明治期の建築界に近代建築の新風を吹き込む一方で,日本建築の良さを大切にした世代の一人である。
 武田の作品は京都大学に奉職する時期を境に前期と後期に区分できる。前期にはわが国初のゼセッション建築と云われる福島行信邸,名和昆虫研究所記念昆虫館,京都府記念図書館,山口県庁舎等がある。後期には東方文化学院京都研究所,同志社女学校栄光館,京都銀行集会所などがある。
 求道会館は前期の終わりごろの代表作の一つで,若い頃から関心の深かった日本建築の伝統を自作に意図的に盛り込むようになった時期の作品である。様々な要職にあり多忙ゆえか後期には作風に一貫したものが薄れて行く傾向に有るとも云われ,求道会館は武田が最も円熟し,自在に筆を振るっていた時期の,田らしさがよく出ている作品と言われている。
 
 
 

25 JUNE 2005

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