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弾正橋だんじょうばし(旧弾正橋→八幡橋)

 日本最古の鉄橋

 大人の休日写真講座の現地教室で,江東区木場公園に行った帰り道に仲間7人と「深川不動」と「富岡八幡宮」に詣でた(神社とお寺 まさしく神仏混淆)。八幡様の近くに,日本最古の鉄製橋梁と云われている旧弾正橋が移設・保存されていることを思い出し寄って見ることにした。ハ満宮の裏手,高さ3.5m幅3mもあるという堂々たる横綱力士碑の前を抜けて行くと在った在ったなんともかわいらしい小さな赤い橋。これが弾正橋。
 ウィップル型単径間トラス橋,橋長:15.7m,幅員:2.0m。八幡堀緑道公園の遊歩道の一部として現役で利用されている。

 弾正橋の創架は,江戸時代初期寛永年間(1624−1643)と伝えられている。江戸城馬場先門から本所・深川方面に抜ける主要路として中央区宝町の楓川に架けられていた。現在の鍛冶橋通りが,首都高速道路(楓川を空にした掘割部分を走る)を渡る地点である。
 橋名の由来は,この橋に近い八丁堀に町奉行を勤めた島田弾正の屋敷があったことから弾正橋と呼ばれたと云う。明治期に入り,1878年(明治11)11月京橋区の楓川に工務省赤羽分局により木橋から鉄橋に架け替えられた。当時の全長:15.2m,幅員:3.0mで,文明開化のシンボル的存在の鉄製橋梁であったと云う。
 現在の弾正橋は1912年(大正2)関東大震災復興事業で現地点に新しく架設されたもので,少し下流(南側)に架けられていた明治時代の橋は「元弾正橋」と呼ばれるようになった。その後の復興計画により旧弾正橋は廃橋となったが,その由緒を惜しんで江東区富岡の現在地に移設された(1929年(昭和4))。当時橋下が八幡堀という河川(現在は埋め立てられている)であったので八幡橋と呼ばれるようになった。

 弾正橋は,アーチが鋳鉄製,引っ張り材は,錬鉄という鋳錬混合の独特な構造で鋳鉄橋から錬鉄橋への過渡期の鉄橋として近代橋梁史・技術史上非常に価値ある橋とて高く評価されている。
 1977年(昭和52)国指定重要文化財。
 1989年(平成元)10月国内で初めてアメリカ土木学会より栄誉賞を受けた。

京橋から移設された弾正橋(八幡橋)と八幡堀(案内板の写真より) アメリカ土木学会栄誉賞碑