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自由学園明日館

 フランク・ロイド・ライトが設計した大正ロマンの薫り溢れる校舎!

  十二月半ば過ぎにしては,歩くと汗が出るほどの暖かい日和の中,高校クラスメイト仲間と池袋界隈を散歩した時,真っ先に訪れた。
池袋駅メトロポリタン口から,通称”びっくりガード”から延びる道を横断すると,5分ほどで駅前の喧騒から逃れた静かな住宅地となる。この辺りは,10年近くボランティアで通ったオフィスがあるところで,細い路地裏まで良く知っている,迷わずに自由学園明日館の前に到着。
 右手に,ベージュ色の壁,緑の縁取りの窓,横に長く広がった独特の形式の明日館の姿が目に入ってくる。左手には,講堂と現役事務所棟がある。  
明日館外観

 軒高を低く抑えて水平線を強調した立面,幾何学的な装飾は,「プレーリーハウス(草原様式)」と呼ばれる一連のライト作品の意匠を象徴している。また,日本に残るライト作品の特徴である大谷石が多用され,基本構造が現在の2×4工法の先駆けと云われるなど他の日本建築には見られないライトの作風を良く示している。

 ◇自由学園明日館
竣工 1921年
設計 フランク・ロイド・ライト+遠藤新
所在 東京都豊島区西池袋2-31-3

 ◇自由学園明日館講堂
竣工 1927年
設計 遠藤新

 自由学園は,婦人之友社の創業者である羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された学校であり,明日館(みょうにちかん)は,近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトとその弟子の遠藤新の設計により建てられた自由学園最初の校舎である。
 羽仁夫妻には3人の娘(うちひとりは夭折)がいたが,子供が受けた知識詰め込みの小学校教育に失望した夫妻は娘の女学校進学をひかえ自分たちの理想の学校を創ることを決意する。

 校舎の建設を友人の建築家・遠藤新に相談したところ,遠藤は当時帝国ホテルの設計者として来日していたライトを紹介し,1921年1月にライトのもとを訪れた夫妻から,その教育理念を聞いたライトは,大いに共感し即座に設計を快諾,その年の4月15日には現在の中央棟西側の小さな教室が開校された。その後1922年に中央棟,西教室棟が完成し,25年には東教室棟が27年には講堂が完成し,今日ある建物が揃った。 【国指定重要文化財(1997 指定)】

明日館は,プレーリースタイル(草原様式)という様式で建てられている。プレーリースタイルとは,建物の高さを抑え水平線を強調することでアメリカ北部のプレーリーと呼ばれる草原地帯との調和を目指した建築様式で,ライトはその様式確立の最大の立役者として知られている。ライトがアメリカで設計したプレーリースタイルの建築は,アートグラスと呼ばれる色ガラスを用いた窓や美しいレンガなどが用いられ特に内装は華やかであるが,明日館にはそのような華やかな素材は見られず,大谷石と木材を多用した質素な造りになっている。ライトが羽仁夫妻の考えを深く理解したがゆえにこうしたのかと思われる。
         食堂

 外光を巧みに取り込み,幾何学的な装飾を用いて変化に富ませた内部空間はライト建築の特徴を良く表しているという。ライト自身がデザインしたという照明は,当時からのもの。食堂のさんぽうには,当初はバルコニーであったが,生徒の増加によって対象12ー3年遠藤新の手によって改築された。

      ホール

 女学校当時,毎朝の礼拝が行われた部屋。南面には,この建物のデザインを象徴づける幾何学模様のまどを配している。
 修理前の窓は,上下2分割されていたが竣工当時の形に復元したという。

 西側の壁面には,自由学園創立10周年を記念し旧約聖書「出エジプト記」の一節を生徒が描いた壁画がある。長い間漆喰の下に埋もれていたものが,修理工事の際に現在の生徒の手で蘇った。
          講堂

 
生徒の増加でホールが手狭となり,遠藤新が設計した。
 自由学園講堂(東久留米市・1934),久保講堂(栃木県真岡市・1937)とともに遠藤新の講堂3部作と云われ,基本的構造がよく似ている。

 窓枠が木なので,外の音が静まり返った講堂内に心地よく響く。ここで,コーラスコンサートを開いたら素敵だろうなと思うほどである。。

 明日館は,平成11年(1999)以降,国および都の補助事業により保存・修理工事を行い,別棟の新築を含めて平成13年(2001)9月に完了し,「動態保存」されている。(動態保存とは,重要文化財建造物として保存しながらも,建物を有効に快適に使用するという趣意)。現在もセミナー,コンサート,懇親会の会場として使われ,結婚式の会場としても人気だという。

 最後に冬陽が差し込むホールで,コーヒ(紅茶)とケーキ(クッキー)を戴くという贅沢なひと時を過ごす。