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経ケ岬灯台

 日本初の水銀槽式回転機械,映画「新喜びも悲しみも幾年月」の舞台

 福知山でレンタカーを借りて,天橋立,伊根町を経て,間人(たいざ)でカニ料理をたらふく戴こうという妻との丹後半島一周の旅の途中に寄った。
 天橋立から舟屋で有名な伊根町を経て国道178号線を北上,経が岬レストハウスを右折しておよそ1kmで,駐車場に着く。
 そこから灯台までは,まず急な階段道を7,8分かけて登ると,山頂展望台への分岐点となり,更に緩やかとなった山道を行くと青い海と白亜の灯台が見えてくる。
駐車場から400mと案内にあるが,もっと長いと感じた,いずれにしても15分もかければ灯台に着く。 
 海岸から屹立する崖の上に立つので,灯高は,:12.4mと低い。海面から灯頂まで:148m,光達距離:22海里(約40km),塗色・構造:白色,円形石造。

 近畿地方最北の地に位置するという灯台で,明治政府による富国強兵に伴う海運助成政策の一環として明治31年(1989)12月25日設置・初点灯された。「日本灯台50選」にも入り,歴史的文化財的価値が高いAランク保存灯台である。平成20年度 「経済産業省近代化産業遺産」に指定されている。

 灯台及び付属施設は,140m下の海岸で切り出された角閃石安山岩で造られ,約2年余りの歳月をかけ苦難の末に完成したという。近畿地方では唯一の第一等フレネル式レンズを使用し,1893年フランス技師,プール・デーュ氏が重いレンズをスムーズに回転させるために発明した水銀槽式回転機械と呼ばれる当時,画期的な発明として,世界中から注目されパリ万国博覧会に 展示されたものを,そのまま購入して,経ヶ岬灯台に設置したそうだ。
 構内には,灯台のほかにレーダー搭載船に信号を送るレーマービーコンが設置され付近を航行する船舶の安全を助けている,また,船舶気象通報観測所も設置され経ケ岬の気象状況を観測し,越前岬灯台に併置された放送所を経て放送され海難防止に努めている。
現在,これらの諸施設は完全自動化され,明治31年12月25日に建設,初点灯以来今日まで日本海を行き交う船舶の安全を守り続けている。

 昭和61年(1986)映画「新・喜びも悲しみも幾年月」(監督:木下啓介,主題歌:加藤登紀子,主演:加等剛・大原麗子)にも登場し,一躍全国の注目を集めた。
 

 光源はメタルハライドランプを使用し,レンズは全国で6灯しかないという最高級の第一等レンズが使われている。
 眼下に日本海,中新世後期の経ケ岬角閃石安山岩の海食崖が発達する。遠くに冠島が見える。明治のロマンを残す白亜の灯台とともに丹後半島を代表する景勝地で京都百景にも選ばれている。

 ここ経ヶ崎の名は昔,岬に悪竜が住みつき暴れまわり,大荒れに荒れつづけ,舟人や漁師を困らせた。
人々は困り果て,大陸の文殊菩薩にお願いして,文殊菩薩は経をもって悪竜と長い間戦い,やがて文殊菩薩の教化で悪竜は善竜になった。そして,二度と再び、悪竜に戻らないように,一万巻のお経を納めたので,経ヶ岬と呼ばれるようになったといわれている。一方,柱状節理が発達する海食崖が経典を建てたように見えることから経が岬の名前がついたとか,この岬が船の難所であったので,通過する船の人々が安全を祈って経を唱えたからなどの諸説がある。

 灯台見学をした後,山頂展望台に向かう。
ところが,その道筋に熊の糞らしきものがあちこちに点在,一瞬ひるんだが,妻が「歌を唄いながら行けば大丈夫」というので,この後来ることもない場所だろうと登ることにした。頂上展望台は,廃屋状態で,ここも熊の糞だらけ,これで,「京都百景」とは泣けてくる!! 以前は,駐車場から山道への入り口に『クマに注意』との看板(写真あり)があったとか,「付近は猿,猪,熊など動物がいます」などの情報がネットに引っかかって来るのだが,いったいどうなっているんだろうか? ハイヒールを履いた女性もどんどん入って行くというのに京丹後市や旧丹後町では何の対策もしないのか,それとも,すでに熊さんを退治してしまっているんだろうか?それならそれで少しは,散策路の整備をしたらどうなんだ!!

 それはそれとして,山頂展望台での見晴らしは素晴らしかった。
かまや海岸と丹後松島,犬ヶ岬,冠島など紺碧の海と空,山々・・・・270°すべてが見通せる。