我が国初の木造灯台,本州最南端の地
わたしの古希の祝いに三重県紀北町にある割烹旅館の旨い魚料理を妻が御馳走してくれることになり,ついでに未だ行ったことのない那智大滝や瀞峡なども訪れようと京都から紀勢線で和歌山回り串本駅で下車。
ここでレンタカー借りてあちこち回って伊勢松阪まで旅した。
先ず寄ったのが潮岬灯台である。串本市街地からものの20分もかからずに本州最南端の地に立つ白亜の灯台に到着する。本日は風が強く,「帽子を飛ばされないよう注意してくださいよ!」という係の女性の声を背に灯台円筒内の急な螺旋階段を一気に登り台上に出ると,本当に水平線が丸く見えて,地球が丸いのだと実感できるパノマラにしばし感激。
海蝕崖の上に立つ白亜の灯台。灯高:22.51m,平均海面から灯火まで:49m,光達距離:19海里(約35km),塗色・構造:白色,塔型石造。
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この灯台は幕末の慶応2年(1866)5月,アメリカ・イギリス・フランス・オランダの4か国と結んだ江戸条約によって建設された8個所の洋式灯台(観音埼,野島埼,樫野埼,神子元島,剱埼,伊王島,佐多岬,潮岬)の一つで,「日本の灯台50選」にも選ばれる歴史的文化財的価値が高いAランク保存灯台である。
当初の灯台は明治3年(1870))6月10日に完成した八角形の木造で,仮点灯で業務を開始したという。本来は建物の完成と共に本点灯する予定だったが,イギリスから灯台機械を運搬してきていた船が,東シナ海で沈没し、その代わりにアメリカから蒸気機関車のヘッドランプを輸入しそれを仮に使ったという。
本点灯は、仮点灯から3年以上遅れた,明治6年(1873))9月15日。
ここは,古くから海上交通の要衝となっており,また沖合は流れが速く,風も強いため航海の難所としても知られていたため重要な灯台であり,明治11年(1869)4月,現在の石造灯台に改築された。
明治6年の初点灯以来,140年もの間、海上交通の要所として沖行く船を照らし続けている。
平成20年度経済産業省 近代化産業遺産に指定されている。
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初代の木造灯台(資料館の写真より) |
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眼下に太平洋の大海原が広がる |
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