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正福寺地蔵堂(東村山市)

 都内唯一の国宝建造物

 1927年(昭和2)に東京府の史跡調査で「発見」された室町時代初期の禅宗様(唐様)木造建造物。
都心からわずか30分ほど電車に乗るだけで,鎌倉街道沿いの東村山市野口町の静かな住宅街の一角に佇む金剛山正福寺地蔵堂に到る。
 内部公開は年に3回だけ,8月8日(施餓鬼供養)・9月24日(法要)・11月3日(文化財ウィーク地蔵祭り)。
 

 【国宝(国宝保存法) 1929 年指定 ,国宝指定(文化財保護法)  1952年3月29日】
正福寺地蔵堂

 四隅が反り上がった屋根,裳こし,それを支える円柱が見事に調和する国宝とは思えないほどの簡素さである。ところが内部に入るとびっくり仰天。天井を埋める無数の肘木と斗,組みものが柱と柱の間に隙間なく並ぶ見事な空間が広がる。

 寺院においては本尊を祀る伽藍を本堂と呼ぶが,地蔵を本尊として祀る場合,特に地蔵堂と呼ばれることがある。ここ正福寺の地蔵堂は,室町時代初期の1407年に建てられた禅宗様(唐様)木造建築である。

 建物が国宝に指定されているのは,関東地方では,日光東照宮と輪王寺,鎌倉の円覚寺とここしかない。地蔵堂となると全国でもただ一つ。それほどのお寺が,武蔵野の野に人知れずうもれていたとは知らなかった。

 西武新宿線東村山駅から「あやめ祭り」の幟がはためく商店街を抜けて,15分ほど静かな住宅地の奥の山門に到ると,四隅が反り上がった屋根,優美な軒の曲線が目に飛び込んでくる。
 今日は一般公開日なので,地元の歴史散策グループらしき一団が,リーダーの説明を受けている。私もその一団に加わり微に入り細にわたる説明を聞くことにする。拝観料を取るでもなく土産物屋も見当たらない。普段は,静かにたたずむ小さなお堂なのであろう。

 正面は五間,中央の三つが出入り口。両側二間がたて湧き(湯湧き)欄間。四隅が反り上がった屋根の一段下には「もこし」と呼ばれる飾りの役割をする一層。
 内部に入って,天井を見上げる。無数の組みものが織りなす精緻な美しさにしばし呆然となる。
なるほど,これはまさしく,国宝だ!!
 
 禅宗様(唐様)とは鎌倉時代の初期に禅宗とともに伝えられた寺院建築の基本パターンの一つでその特徴として,建物の中心から放射線状に垂木が伸びる扇垂木や窓の上部が栗の頭のようになった火頭窓(火灯窓とも書く)等の装飾が多く用いられている。
 土間と礎石・礎盤の上に立つ上下端がすぼまった細い柱から成る堂内は一見質素な感じがする。が,天井を見上げると,屋根を支える無数な細かな部材が複雑に組み合わさってできた空間が広がり。,素晴らしい装飾となっている。
 材の組み合わせだけで釘は一本たりと使っていない見事な「免震構造」である。
 構造的機能と造形の美しさを生み出した室町期の匠の技に感動を覚える。

 この寺は,北条時宗が,この地で鷹狩りをしていた時,病に倒れ,地蔵菩薩のお告げにより全快したことから地蔵堂が造られたとされる。少し先に建立された鎌倉円覚寺の建築様式を踏襲して建てられたと云う。

 境内に,都内最大と言われる「貞和の板碑」がある。高さ285cm,中央部の幅55cm。銘に「貞和五年丑巳卯月八日 帰源逆修」とあり西暦1349年のもの。
        
 「屋根」と「もすそ」を支える扇垂木


 天井は裳階部分は垂木をそのまま見せ,内陣中央は”鏡天井”とする。礎盤上に柱を立て,柱間にも組物を置いて装飾としている                
           
 お 堂  内  部

 
釘を一本も使用しない,部材の組み合わせだけで力を伝達し,揺れを受け流す見事な免震構造。