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大阪船場オフィスビル群

 江戸時代以降「天下の台所」と呼ばれて大阪の経済活動の中心として栄えた船場には明治・大正・昭和にかけての名建築がまとまって残されている。

 日本橋の国立文楽劇場で観劇したあと,地下鉄堺筋線で堺筋本町に向かう。
日曜日で閑散とした船場・道修町オフィス街を歩き回りいくつかの名建築を見てきた。休日の為いずれも内部に入ることが出来ず,外観しかカメラに収めることが出来なかったのが残念であった。

 船場には明治から大正・昭和にかけての名建築が随所にある。中央を南北に走る堺筋は,明治45年(1912)頃に拡張され市電が開通すると一躍大阪のメインストリートとなり,次々に大規模な建築が建てられたという。そのうちにいくつかは今も残っている。しかし一方で,近代的な高層ビルの建設も進んでおり,これらの旧い建築物がひとつまたひとつと姿を消しつつあるのが現状でもある。2001年発行の書物で紹介されていたビルのいくつかは既に探し当てることが出来なかった。
 秋の夕陽は釣瓶落とし,まだまだ沢山のレトロ建築が点在していたが,八木通商ビルの概観を,デジカメのISO感度を目いっぱい上げてなんとか撮影して地下鉄御堂筋線淀橋駅へ向かう。
            綿業会館

 大阪の綿業界が世界を制覇していた時代を象徴する,繊維紡績関係者の倶楽部。昭和6年竣工。堂々としたネオルネッサンスの外観。

      綿業会館エントランスホール

 内部空間も細部に至るまで優れた意匠が凝らされていて,戦前における大阪の建築物の頂点ともいわれている。昭和7年のリットン調査団をはじめ,各国の要人が訪れたり,戦中は海軍が,戦後は米進駐軍が使用した。

        船場ビルディング

 オフィスと住宅を併せ持つ当時としてはユニークな建物。大正14年竣工。
             船場ビル内部
 
 内部中央は,パティオ風の中庭があり,最上階まで吹き抜けとして,周囲に廊下をめぐらした部屋が並んでいる。馬車が道路から直接出入りできるようになっていた。
 

 
   武田薬品工業椛D場ビル


 1928年竣工。
 道修町は江戸期から薬種商が集まる町で,もともと武田薬品工業も200年以上前にこの町で薬種の仲買からスタートしたそうだ。 外壁の装飾は軒下コーニス部分や1階部分に限られるが,落ち着いてどっしりした風格が漂う。



       コニシ株式会社
      (旧小西儀助商店)

 明治36年竣工。平野町1丁目交差点角に長大な黒壁の威容を見せる。関西の町家で多く用いられてきた「表屋造り」と呼ばれる形式(道路に面して店舗部を設け,居住と別棟とする)を踏襲しながら土蔵造り風のどっしりとした外観を持つなど大阪の町家の特色をあわせもっている。
        八木通商ビル


 
大正6年竣工,昭和4年改築。東京駅や中之島公会堂を設計した辰野金吾の設計で,旧大阪農工銀行として生まれた。当初は煉瓦造りだったが,昭和4年国枝博が改装し,現在の外壁はその時のものだという。
テラコッタのアラベスク模様に縁取られた窓や扉が特徴的。八木通商のHPに内部の写真がちょっぴり載せられている。