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地下鉄銀座線 上野~浅草間  

 日本で最初に造られた地下鉄 今でもバリバリの現役である。

 世界初の地下鉄ロンドン(1863開業)から遅れること64年,1927年(昭和2年)12月30日に銀座線上野・浅草間が開業した。開業時は,3分間隔で運転され料金は10銭均一料金で,物珍しさもあって乗客が上野広小路辺りまで列をつくるほどの盛況であったと言う。
 正月気分がまだ抜け切らない1月8日成人の日に訪れた。まず,上野車庫,上野駅から浅草へ,引き返して虎ノ門へ。ついでに日本橋で東西線に乗り換え葛西駅高架下に出来た「地下鉄博物館」にも足を伸ばしてきた。

 東京地下鉄3号線(銀座線)は全長14.3キロ,駅数19,東京の中心部の繁華街やビジネス街を縫う様に走る幹線地下鉄である。ちなみに銀座線は都営三田線・新宿線以外の全地下鉄路線と乗り換え可能である。
 
 最初に浅草~上野間で営業を開始した銀座線は,「東京地下鉄道㈱」によって当初は,浅草~新橋間を一挙に開通させることを目指したが,関東大震災後による不況のため資金調達が困難になり,当時は日本一の繁華街で高収益が見込める浅草から上野までの建設を先行させたという。

一方,渋谷~新橋間は目黒蒲田電鉄系の「東京高速鉄道」により建設・運営された。1939年(昭和14年)に渋谷~新橋間が全通した。

 その後,両者による浅草~新橋間,新橋~渋谷間の営業が独自に行われていたが,1941(昭和16年)に発足した帝都高速度交通営団に全事業が譲渡され浅草~渋谷間直通運転が開始され現在に到っている。

 工事の経緯を示すと以下の如くである(「大成建設土木史」1997より)

東京地下鉄道会社㈱
● 3号銀座線(浅草~新橋) 大正14年9月~昭和9年6月
区 間 着 工 開 通 請負者
第1期 浅草~上野 大正14年 9月 昭和 2年12月 大成
第2期 上野~万世橋 昭和 2年 7月     5年 1月 大林
第3期 万世橋~神田     4年 6月     6年11月 清水
第4期 神田~三越     6年 2月      7年 4月 大成
第5期 三越~日本橋     6年10月     7年12月 大成
第6期 日本橋~京橋     6年10月     7年12月
第7期 京橋~銀座     7年12月     9年 6月 大成
第8期 銀座~新橋     8年 2月     9年 6月 大成
東京高速鉄道㈱
● 3号銀座線(新橋~渋谷) 昭和10年10月~昭和14年1月
区 間 着 工 開 通 請負者
第1工区 新橋~虎ノ門 昭和10年10月 昭和14年 1月 大成
第2工区 虎ノ門~赤坂 昭和11年 5月    13年11月 鹿島
第3工区 赤坂~青山    11年 3月    13年11月
第4工区 青山~宮益坂    10年12月     13年12月 大成
第5工区期 宮益坂~渋谷    13年 3月    13年12月 鹿島

 全線開通は1939年(昭和14)1月15日 わたしの生まれるちょうど1年前である。ということは銀座線とわたしはほぼ同い年ということになる。

 浅草~上野間の施工は次の如く行われた。
 
 本工事に先立って,隅田川駒形に土砂運搬用桟橋と現場~桟橋間に土砂搬出用トンネルを築造し,本工事の掘削土砂は,このトンネル内をトロッコやリヤカーで桟橋まで搬出し,船で埋立地へ運搬処理された。
     我国地下鉄工事最初の杭打ち
大正14年9月27日着工(地下鉄起工第1号杭が打込まれる) 昔懐かしい都電(いや府電かな?)が右下に写っている。(「大成建設土木史」より)        

 掘削工法は,現在施工されている開削工法とほとんど同じカット&カバー工法であり,路面電車の軌道受けを同時施工する覆工まで含まれていた。土留めは親杭横矢板,大型木材による支保工で行ない,Ⅰ型鋼で覆工桁を架設した後,桁間を木材で路面覆工して,道路交通を確保しながら路面下で工事が進められた。
 土質は良好で,湧水量も予想より少なかったが,田原町付近で地盤が大きく崩壊したためφ250mmガス管が折れガスに引火する事故や豪雨により両側土留めが崩壊し道路が陥没,全ての交通を遮断するなどの事故が絶えなかったなど,沿道住民からの苦情が非常に多かったといわれている。
 いまでは,起きたら大騒ぎとなるような事故が日常茶飯事とはチト言い過ぎかもしれないが,それほど多くの難関を克服し,二年三ヶ月余りで無事竣工したと言う。
 以上が,日本の地下鉄建設初期の工法の概要である。駅部のみが開削工法,駅間はシールド工法が一般的になっている現在からは想像できない,担当技術者の苦労が偲ばれる。

上  野  検  車  区  &  車  庫
       
   銀座線唯一の踏み切り


 奥に昭和通りと高速道路が見える。日本では珍しい軌道遮断式(つまり電車の方に遮断機が降りる)。
                       踏み切り南側
 
地下トンネルが見える。50パーミル(百分率で云うと5.5%)の急勾配で本線に接続している。
     
       踏み切り北側


 検車区と地上車庫となっている。
昭和43年(1968年)にこの地下にも車庫が作られ2階建て構造となっている。地上とレールの配置がほぼ同じらしい(大成建設施工)

       
     開業当時の上野停車場


 昭和2年竣工時の写真。(「大成建設土木史」より)

     現在の上野駅


 銀座線の躯体構造は鉄骨が枠になっている鉄かまち(鉄骨かまち・框・鉄構框・鉄骨ラーメン)である。鉄骨鉄筋併用のコンクリート箱型で,中央を太い鉄骨支柱で支えている。
左の写真と比べても天井版やホームなど化粧部分以外の躯体構造は当初のままであることが分かる。                    
     
       鉄骨の柱


 鉄骨は銀座線の特色。堅牢感が漂うリベットは見事である。鉄骨は錆びなければ寿命は大変長い。

       
      浅草駅終点側の留置線


 化粧版も何もなく,竣工当時の有様がそのまま見られる。
         
      現在の上野駅

 天井が低いことだけがチト気にかかるが清潔感漂う上野駅プラットホーム。手前が浅草方面。       
       
     東京地下鉄初代車両
(1000形1001号車)(地下鉄博物館展示)
 この電車の特徴はサードレールから電気を取り入れることや不燃性を計るため鋼鉄製の車体であること。また追突防止のため打子式(うちこしき)ATSと呼ばれる機械式自動列車停止装置,自動開閉ドアの採用など斬新な設計が採用されている。
                            1号電車の内部
   (地下鉄博物館展示)
 床下に機器及び擬装の一部を除き全面的に開業医当時の姿に復元されている。跳ね上げ式のつりかわが懐かしい。
  
       上野駅改札口
      (地下鉄博物館展示)
 運賃は10銭均一,10銭白銅貨を改札受け口に入れると通り抜けられるターンスタイルの自動改札機が採用されていた。

 

 4年前に訪れた時に乗ったヨーロッパ大陸最初の地下鉄だというハンガリーブダペストの地下鉄1号線(開業1897年)は,銀座線の原型だと思っている。トンネルの躯体構造がそっくりだし,土かぶり厚さもせいぜい2,3m,だし浅草駅なんかそっくりの感じがした,それに銀座線を計画した東京地下鉄道㈱の早川徳治は,ヨーロッパ視察を何回もしている,きっとブタペスト地下鉄も見ているに違いない。

 トンネルサイズの関係で他路線の電車よりちょっとばかり車幅が狭い(-20cm)が,四角い車体なので室内ではそれほど圧迫感は感じない,連結部にはドアが付いているので室内は比較的静かな山椒は小粒でもピリリと辛い,愛すべき地下鉄である。
 これからも主要首都交通網の一つとして活躍して欲しいものだ。

 参考ウェブサイト
 銀座線のいろいろ
 地下鉄博物館