此れや君は夜の細顎
 (これやきみはよのほそあぎと) (3)
 R-18性描写有り 閲覧注意



「首尾はどうだ」
 組頭
(くみがしら)と呼ばれた紺装束の男がこやに問う。
「着荷は明日、やっぱりこの港。高飛び先の予定はるそん。落ち目の百舌党に、それでも金やらモノやら融通きかせてたのは堺の鶴白屋です」
 問われた内容に、裸身のままでこやが告げた。
「――……で、こいつが百舌党の現頭領」
 自称ですけどと付け加え、時折びくんびくんと痙攣しながら床で力無く呻
(うめ)く男の顔に唾を吐く。

「何つーか散々されてたみたいだったが……おめえは大丈夫かよ」
 顔を隠していた面布をずらしてこやに再度問うた組頭の顔は、丈高く肉付きも十分すぎる体躯とは裏腹に、思いのほか若々しい。まだそんなに年齢を重ねていない上役に視線を投げて、その気遣いに、偽りのない明るさでこやが笑った。
「思ってたよりも上手でちょっと危なかったけど大丈夫です。あと二、三人は殺れます!」
「そんなこたァ聞いてねえ」
 呆れながらも、組頭がこやにバサリと何かを投げつける。
 こやが笑いながら受け取って広げたのは、組頭が身につけているものと大きさ以外は違
(たが)えた所の無い紺装束だ。――筒袖で袂(たもと)がほとんど無く、身幅も動きやすいようにすっきりと整えられた、厚手麻地の紺染めの着物。それを情事の余韻を残したままの身に手早くまとって、こやがすっくと立ち上がる。
「そちらのほうは?」
「上々だ、もうとっくの昔に全部終わってる。あとはお前だけだった」
 言いながら部屋を隔てていた障子をからりと開く。組頭がその太い顎をしゃくって示したのは、先程までここにいた百舌党の若者が向かったはずの部屋から、数人の紺装束が死体を幾つか運び出している場面だ。夜風に薄っすら、血の香りが漂っている。
「ありゃごめんなさい、ちょっと時間かけすぎちゃった」
 だが謙虚な言葉とは裏腹に、こやの頬と唇とが笑みの形に大きく歪む。
「……でもこいつ、生かしてあるんでまだ使えますから」
「おうよでかした」
 その言葉に組頭も凶暴な笑みを満面に浮かべ、素っ裸の無様な姿で奇妙な呼吸音と痙攣を繰り返しながら倒れ伏す百舌党頭領を見下ろして大きく嗤
(わら)う。
 巧妙に急所を外されてはいるが、その分余計に苦しいだろう。……だが、早々楽にはしてもらえないようだ。
「こいつが頭領で、高次たちが別の場所で今追ってる方も頭領。どっちかが騙
(かた)りか、それとも両方本物か、さぁてこいつはどういう事だろうな。……これはしっかり訊いてやらんといかんよなぁ」
 組頭が男の髪を鷲掴んでその上半身を持ち上げた。片手だけで体格の良い男を持ち上げてみせた膂力に、こやがやんやと囃
(はや)しを飛ばす。
「組頭さま、おとこまえ!」
「当たり前だろ」
 呻く男を引きずり、組頭が隣の部屋への襖を開ける。それを合図にしたかのように一人二人と廊下から紺装束の者が寄って来て、死にかけて呻く男を組頭から受け取ると、ぐるぐると手際よく縛り上げて部屋内の床の間の柱に固定した。
 組頭が声高に宣言する。
「忍軍一ヶ谷衆、とっておきのおもてなしだぜ。さあどれだけ我慢できるかね」
 ――今からここで、拷問が始まるのだ。

「組頭さまっ」
 去りゆこうとするその背中に、こやが声を投げかけた。
「とどめは」
 私に、と言いかけて、束の間迷って口をつぐむ。
「……何でもないです」
「それがいい」
 組頭がぴしゃりと後ろ手に襖を閉じた。
 少しだけ間を置いて、悲鳴のような絶叫のような何ともおぞましい呻きと、制止と救命とを乞う哀れな声が隣の部屋から漏れ始めて、こやは大きく息を吐いた。



「――……で、あんたはいつまでそこに居るわけ?」
 吐き出した息に被せた声。
 途端、がたりと天井から再度の音がして、打ち付けてあるはずの天井板が一枚静かに空けられた。そこからうら若い青年がのっそりと顔を出し、音も無くこやの隣へと降り立ってみせる。
「……うるせえな」
 この青年も総身を紺色の装束に包んでいたが、その声は随分とくぐもっている。ずびっと鼻をすすりあげた音を聞き、こやは愛らしい顔を歪めて叫んだ。
「うわっあんた泣いてんの?! うーわ、みっともない」
「うるっせえ!」
「しかも血だらけじゃない。えっそれ怪我して痛くて泣いてんの? それともぼくちゃん怖かった? うわーやだこいつかっこ悪い」
「うううううるっっせえ! そんなわけねえだろこれは全部返り血だ!!」
 青年が叫ぶが、その台詞にこやの顔は更に歪んだ。
「……忍が返り血浴びるって、何それ。そんなの下
(げ)の下の愚じゃないの」
 その視線は冷ややかだ。
「だからあんたは甘いって言われてんの、分かってる? ……ねえ、彦左
(ひこざ)
 青年――彦左は、返す言葉も無い。

 一ヶ谷の人間にとって、紺の色は誉の青だ。
 総身を紺染めで包むこの忍装束は忍軍一ヶ谷衆の揃いの誂
(あつら)えであり、一ヶ谷の忍として認められた者しか身にまとう事を許されない。里の子供たちは皆この色を許される事を目指して日々励み、許された者はそれを誇りとする。
 彦左も紺装束をまとう事を一応許されはしているが、幼馴染であるこやは更にそれの上を行く。
 こやは女の身、更には下忍でありながら、一ヶ谷の里内最年少で紺装束を許されていた。

「そうは言うけど、お前」
 こやの冷ややかな目を直視できず、視線を逸らしながら彦左が言う。
「……俺が天井裏にいるって知ってて、あんな」
「あんなって何? 仕事なんだから仕方がないでしょ」
 こやの声音は呆れを含んで刺々しい。
「大体ねえ、御頭さまがお方さまをお迎えしてからこっち、里のねえちゃん達みーんなやる気失くしちゃってくのいち働きする人すっごい数減っちゃったんだから。みんな失意のままその辺のにいちゃん達んところにテキトーに嫁に行っちゃって、こういう色仕掛けをやれる人が少なくなっちゃったんだから。人手が足んないのよ、仕方がないっての」
 でもだからこそあたしが役に立てるんだけど、とこやは大きく胸を張る。
「おばちゃんはあたしの事すごく褒めてくれてるよ。おじちゃんも我が家の誇りだって、その若さで御頭さま方の御役に立ってるなんて、お前は何て養親
(おや)孝行もんなんだって言ってくれてるし。彦左だけだよガタガタ言うのは」
「うちの親父とおふくろは放っとけよ! 戦中派はその辺の感覚違うんだから!」
 血で血を洗う激戦の日々を一ヶ谷の忍衆として生きて過ごしてきた彦左の両親は、こやの身体を張った忍働きをこの上なく認めて褒めて喜んでいる。だが、彦左としてはそうはいかないらしい。
 子供の頃から想いを寄せている幼馴染が、知らない男に良いように嬲られているところを――更には御役目とは言えそれを受け入れているところを――暗い天井裏から独り黙って眺めている事がどんなに辛かったか。
 こやの身に、命に係わる何かが起きた時は急ぎ百舌を討つ手筈で潜んではいたものの、男の責めに喘ぎ悶えるこやの媚態が目に入るたび、その嬌声が耳に届くたび、自分の舌を噛み切ってしまいたい衝動を耐える事に彦左は必死だった。
 猛った男が欲望のままこやに無理矢理挿入した時だけは、流石に身体が勝手に動いてしまったが――
「いいじゃん別に、一番最初は彦左にやらせてあげたでしょ? あんたが土下座して頼んできたから」
「……お前はなんでそんなに図太いんだよ……!」
 当初はこやの警護など計画には無かったが、組頭に直訴までして警護に付いた。
 割ける人手が足りないせいで、別室で無体を働く百舌党たちを無我夢中で掃討してのち、こやの為にと彦左は早々駆けつけてきたと言うのに。
 割り切り過ぎてもはや男らしくさえあるこやの言葉に、耐えきれなくて彦左は泣いた。
「お前に俺の気持ちなんざ絶対分かんねえぇぇえ」
「別に分かりたくもないかな」
「くっそおおおお」
 床に拳を叩きつけて男泣きする彦左の姿に、こやが笑う。
 その笑みは、媚びも装いも何も無い、年相応で愛らしい本当の微笑みだ。

「――あたし、役に立つの。御頭さまや一ヶ谷の里のために働くの」
 両親を殺した百舌党。その仇をとって、泣くしかなかった無力で幼いこやの恨みを見事に晴らしてくれたのは、一ヶ谷衆の現頭目だ。
「そしてあいつらよりも強くなる。強くなって、あいつらが弱い人たちにした事と同じ事をし返してやる。全員を殺すの。……絶対に根絶やしにしてやるんだから」
 穏やかな笑みを浮かべて夢を語るこやの姿に、彦左が既に泣き腫らして真っ赤な瞳を上げた。
「こや、それは」
「あたし頑張るからね」
 薄暗がりでも弾けるように輝いたその笑みは、ほんのかすかな歪
(いびつ)さがある。
 こやはそれに気が付いているのかどうか。――己の歪みに気付いていない振りをしているだけか。
 余人を屠
(ほふ)り、殺し、策略を巡らせることを最上とする忍として見るならば、それは歪みなどではなく正しいことなのだろう。だが、物心ついた幼い頃からこやの傍らにずっとにいた彦左だけは、こやが生来の気質から大きくかけ離れて違うものへと変容してしまった事実を強く感じる。
 忍とは謀略策略を張り巡らせ、人を殺め、その血で手を染めて糧を得る稼業だ。綺麗事からなぞ程遠い。しかしそれでも、こやの瞳の奥底にあるものはひどく昏い。
 こやの深い部分には、百舌の襲撃を受けたあの日の晩から、どうしても消せないどす黒い焔がある。仇である道顕
(どうけん)を討って両親の無念こそは晴らせたが、こやの目に焼き付いて決して消える事の無いその焔は、年相応の少女らしい愛らしい笑顔の裏で、いつまで経っても燻っている。
 本人に消す意思がない以上、それはこれからもずっとそのままだろう。
「こや・……」
 だが、その『歪み』は強さでもある。こやを強者足らしめる、柱でもある。
 その歪みを諌める言葉も、全てを支えきるだけの強さも持たない彦左は、束の間視線をさ迷わせて、結局最後は口をつぐんだ。


「さ、行こう彦左。あたしお腹すいちゃったよ」
 まとった紺装束を翻し、かすかな血の香が漂う夜風の庭へと、こやが一歩を踏み出した。
 廊下の向こう、店の片隅のひと部屋から、店主である老夫婦がこわごわと此方を伺っているのが目についた。そこに女郎たちの姿は既に無い。――この店に居た数少ない女郎は皆、誰が夜伽に選ばれても良いようにと一ヶ谷衆で用意した、仕込みの忍だからである。
 祖父母と孫を装えと組頭から指示を受けた時、この老夫婦は、こんなうら若い娘に危ない事はさせられないと大層心配をしてくれていた。それがどうだ、今やこちらを見やる目付きは、化物を見る目と大差ない。
 一ヶ谷衆から報酬の大金を積まれはしたが、百舌を嵌める血生臭い罠に使われて心底迷惑しているのだろう。早く出て行ってくれと祈るような視線を向けるばかりだ。
 そちらに少しばかり視線を流して、こやはひとつ息を吐いた。

 前を向けば、そこには御役目を終えた紺装束の者たちが集まっている。
 数はごくごく少なかったが男女取り混ぜ。その全員が手練れの忍であり、こやの目指す憧れであり、そして仲間だ。
「おまたせしましたぁ」
 意図して明るい声を出し、その一団にこやも加わる。その後ろから、彦左も無言でそれに従う。

 漂う夜風は血生臭いが、それはこやが望んで選んだ場所なのだ。
 好き勝手された身体はあちこち痛む。しかし、その痛みも勝利の余韻と思えば心地良い。
「忍軍一ヶ谷衆、二番隊こや! ただいま戻りましたっ」


 宵闇に牙をきらめかせ、可憐な獣は軽やかに笑む。




――『此れや君は夜の細顎』 終






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