ハットリズム7 〜 Sings with Wolves 〜 シング・ウィズ・ウルブス (4) 「あーあーあーあ――……ありえないねぇ……」 「お前ホントバカだろ! 何考えてんだよお前に育てられる子供の身にもなりやがれ!」 「子供が子供を育てるのか……」 深夜。 女は荷物と子供を置き、ランの気が変わる前にと嬉々として帰っていった。 残された面々はというと、これ以上は無いくらいの苦い顔をして店のテーブルに集っている。――真面目な無表情で子供を抱いたラン以外。 「僕、子供をこんなにじっくり見るの初めてだよ。……手とか足とかこんなに小さいのに、指も全部きちんと動いて爪までちゃんと生えてるんだ。しかも喋るし……凄いなこれ」 「俺は急に口数が増えたお前にビックリだこのヤロウ」 「それにほら、女のシヲより顔の皮がきれいだよ。フニャフニャしてて気持ちいい」 「うっさいねクソガキ! 死ね! それか寝ろ! 二度と起きるな!!」 「……俺は……そろそろ帰りたい……」 折角の非番が恐ろしいくらいに無駄になったイエンハオのため息で一旦場が収まり、店内に一瞬静寂が戻る。 無表情のランに体中をいじり回されながらも、きょとんと周囲の大人を見回すランガンの小さな笑顔だけが、この場に於ける唯一の清涼剤だ。 「――で、正直な所どーすんだいラン。アンタに子育てが出来るのかい?」 抱き方はぎこちないものの、子供をしっかりと腕に抱いて離そうとしないランに対し、眉間のシワを解しながらシヲが問う。 「するよ」 「軽ッ! 無理だよアンタには」 「……子供は生き物だぞラン。おもちゃじゃない」 シヲとイエンハオの大人コンビから見ればランはまだまだ子供すぎて、子育てと言ってもままごとの延長を楽しもうとしているようにしか思えない。 ランと歳のそう変わらないウーから見てもそれは同じで、しかし歳が近いだけに却って事態の大きさが生々しく実感できた。 「……お前絶対分かってねえだろ……」 独り言のように呟く。 自分達の手は未だ小さくて、自らが生きる為にもがくだけで精一杯で……そして何よりも。 「俺たちは、人殺しでメシ喰ってる人種なんだぞ……」 ヒトの皮を被っている獣に過ぎない自分達に。 人の子など、育てられる訳がない。 「ラン、真面目な話だ。子供はな、毎日三食きちんと食わせないといけないし、毎晩早い時間に寝かせないといけない。喰えば出すし、その年頃なら始末も親がしてやらないといけないし、総てに於いて躾もしていかないといけない。二日三日喰わなくても寝なくても平気な俺たちとは違うんだ。――放っておくだけで簡単に死ぬ生き物が、子供だぞ」 「分かってるよ」 正論を言うイエンハオの声に、ランが返す。 「強そうな大人が呆気なく死ぬ所を今までたくさん見てきたよ。こんな小さい子供だったら尚更だ。そんなの今更言われなくても充分知ってて分かってる」 頭の上で交わされる会話に、ランの膝の上に陣取ったランガンが、父親の顔を見上げて嬉しそうに笑う。 その笑顔につられて一瞬だけだがかすかに笑い、しかし淡々とランは続けた。 「この子だって僕だって、死ぬ時はきっと簡単に死ぬんだ。僕の方が絶対早く死ぬんだろうけど、だったらそれまでくらいは一緒にいたって別にいい気がするし」 リーファ。 そう、リーファだって、死んでしまったらしい。 あんなに細くて柔らかい身体だったのだ。事故で、それこそ車などにでも轢かれていたのなら、きっと一溜りも無かっただろう。 せめて苦しくなかったらいいのに。 ――イエンハオたちに説明をしながら同時に頭の片隅でそう考えて、そして膝の上の子供に視線を移す。 リーファはもういない。 遠く遠く離れたあの店に行っても、絶対に会えない。 優しい歌声はもう二度と聴けなくて、手紙が来る事も無い。 ……手紙。 そうか、リーファが死んでたから、ここのところ一切手紙が来なかったのか。 それまでは半月に一言でも必ず、気遣ってくれている内容の言葉が届けられていたのに。 思い至る事実と並べてリーファの死を考えても、ランにとっては真実味が薄すぎて、自分の膝上に座る子供の体温以上の実感はどうしても持てなかった。 「――あ、シャオがそろそろなんか寝そう」 膝の上の子供が大きく一つあくびをしたのを見、ランがつぶやく。 「……何、シャオって」 シヲの声にもう覇気は無い。視線を向けようともしない。 「この子の事。リーファはいっつも小狼(シャオ)って呼んでたって、さっきの人が」 「そうかよ畜生、お前みたいに自分勝手に生きられたら毎日どんなに楽しいだろうなオイ」 ウーの声も毒づいた内容に反して疲れきって弱々しい。 「子供は早い時間に寝かせないといけないんだっけ。……じゃあ寝かせてこようかな」 睨みつけてくるウーには構わず、ランが子供を抱いて立ち上がった。 「――なあ、ラン」 その背中にイエンハオが問いかける。 「相手は娼婦だ。父親がお前だという確約は無いぞ。……それでもその子を育てるのか?」 闘うしか能のない者が集められる『狼』や『虎』とは違い、五天の頭脳とさえ称される『猿』は、肉体面や思考力、その他の総てにおいて高度な能力を要求される。 その『猿』であるイエンハオの落ち着いた声に、余分な私情は混ざっていない。ただ事実だけを述べ、ランを鋭く射抜いて奥まで見つめる。 だが、それについてのランの答えは簡潔だった。 「僕がパパだってリーファはこの子に言ったんだ。……だからきっと、そうなんだよ」 眠さで少々ぐずり出した小さなランガン――シャオを不器用にあやしつつ、ランは席から離れていった。とりあえずはシャオを寝かしつけるために、店の二階にある自室へと向かったのだろう。 「…………」 期せずしてシヲとウーから同時に長いため息。 イエンハオは腕を組んだままで無言。 手にした杖で床をガツンとひとつ打ち鳴らし、シヲがしみじみと口を開いた。 「ランがさ、昔さ、金の使い方が判んないとか言うからさ……だったら女の子にでも使ったらって言っちゃったのは確かにあたしだよ。でも十四・五のガキが娼館で女買いするだなんてフツー思わないじゃないか。あたしは彼女でも作れって意味で言ったんだよ。ああああもーそん時のツケが今になってきちゃったよ……!」 「よくもまあそんなガキを遊ばせたな、その店は」 「あいつの老師が、そこの支配人をあらゆる過去ネタで脅して門を開かせたって、聞いた」 「……あの人ならやるね、ランのためならそれくらいは軽く」 今度は三人が一斉にため息をつく。 「今はいいかもしんないよ。でも、飽きた時が怖い。夜が明けたら子供が死んでましたなんて事になったら、ホントにシャレになんないよ」 「どうすんだシヲ……俺は子供の死体なんて片付けたくないぞ……!」 狐であるウーは他の牙たちの後方支援を主にこなす。様々な始末や後片付けも職務の内だが、流石に子供を片付けた事はまだ一度も無い。 何のためらいも無く、旧知の人間の腹にナイフを叩き込む男だ。さっきまで殊勝な事を言っていたその口で、泣き声がうるさくて眠れなかったから黙らせたよなどと平然と述べそうだから怖い。 ウーはかすかに青ざめる。 「まあ、その時はバラして海に」 「黙れサル」 具体的な解決策を口にしかけたイエンハオの頭に杖を叩き込み、シヲが再度大きくため息をついた。 「……とにかくウー、アンタ今日はランの部屋の隣で寝な。そんで夜中に何かあったら、ためらわないでランから子供を奪っといで。その時にウーひとりじゃランには適わないから、イエンハオ、アンタも泊まっていきな。もしもの際はウーに加勢してやってよ。こいつ怪我人だし」 「俺は帰る」 「ここまで来たら付き合えつってんだよ!! 店の二階で人死にが出たら店の名前に傷がつくだろ!」 「……やっぱりそういう理由か……」 傷だけではなく胃も一緒に痛み始めた腹部を押さえ、ウーが俯く。 ランが消えていった二階からは、今のところ子供の泣き声も物音も何もない。 だが却ってその静けさが怖い。 「あの子がここに住みたいって言った時に、何が何でも反対しておくべきだったよ……。クソ、なんでOKなんて出しちゃったんだ当時のあたし……!」 「よそに借金だらけだったからだろ……」 「全員自業自得だな」 色々と眠れない夜に、なりそうだった。 ――次話に続く
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