ハットリズム。



 ぼくの名前はハットリだ。
 戸城小学校4年1組、服部 翔太。これがぼくのフルネーム。
 クラスの友達にはさんざんニンジャニンジャ言われてからかわれてて、いま目の前にご先祖さまが現れたらきっとガンを飛ばしたくなるくらいには自分の名字が嫌い。
 なんでぼくは服部なんていう名前なんだろう。
 テストやプリントの名前欄に『服部』と書くたびに、ぼくは思わずため息が出そうになる。

 だってぼくは日本全国にいっぱいいっぱいいるであろう「服部さん」の中のひとりに過ぎないのに、クラスの中村とか東はいつも、

 手裏剣投げてみせろよ!とか、
 風呂敷で飛ぼうぜ!とか、
 お前のテーマソング考えたぞ! やーまをこーえー(以下略)とか、
 逃げるでござる! シュタタタタタタタ(←その場で忍者走り)とか!

「うっせえバカ村! ぼくのこと次に忍者って言ったら蹴るって言ったろ! 蹴るぞ!」
「バカって言う方がバカなんですゥ〜。て言うかなんだよハットリくんのくせにえらそうにすんなよな。危なくなったら風呂敷で逃げるくせに」
「逃げねーよ! て言うか風呂敷で飛べるわけないだろ!」
「不可能を可能にするのが忍者だろ。だからオマエは半人前なんだよハットリくーん」

 ―――……だから、ぼくは自分の名字が嫌いなんだ。



 事の起こりはささいな事だった。
 ぼくのうちは、父さんと母さんと母さんの父さん(つまりじいちゃん)と妹の5人家族だ。
 ある晴れた日曜日の昼下がり、宿題のプリントを教室の机の中に忘れてきた中村が、子分(幼馴染)の東を連れて学校に取りに行く途中、偶然ぼくんちの前を通りがかったらしい。
 とても天気のいい日だった。ぼくの母さんは、よそのご家庭と同じようにベランダに洗濯物をいっぱい干していた。中村は、別に何気なく、ああ服部ん家だなという位の認識で自転車をこいでいたらしい。
 ……だけど、そのときベランダに干してあったモノが悪かったのだ。

 ぼくの靴下、妹の体操着、母さんのパジャマ、父さんのジャージ。
 そして。

 日曜日の日差しにサンゼンとひるがえる、じいちゃんのフンドシ。


 バカ村は、忘れ物のプリントなんて忘れきった興奮した面持ちで、ぼくんちのインターホンを連打した。
 そして言った。
「おまえんち、前からあやしいと思ってたんだ! おまえらやっぱり忍者だったんだな!」
 服部+フンドシ=忍者。
 バカ村の、寝言は寝て言えを地でいくアホな論理に基づいた発言に、とっさに言葉が出てこなかったぼくが否定するよりも早く、たまたま玄関脇の庭でペットのタロウ(犬・雑種・5歳3ヶ月)のシャンプーをしていたじいちゃんが面白がって返事をしてしまったのも悪かった。

「――ほう小僧、よくぞ気がついたな。我が家は由緒正しき忍者の家系よ」

 そんなワケがない。
 だってじいちゃんついこないだ大河ドラマ見ながら「ウチも何か自慢できるような家系図とかあったらカッコいいのにな。なあ翔太」とか何とか言ってたのに! まあウチは絶対百姓の末裔だけどなって言ってたのに!!
 なまじうちのじいちゃんは眼光鋭い悪人面だったから、脳味噌のトロトロな中村はすっかりじいちゃんのホラを信じ込んでしまった。
 信じ込んで、あろう事か「じゃあ忍法を見せてくれ」とかなんとか鼻息荒く言い出した。
 そんなの出来るワケがない。
 しかし、なに言ってんだよワケ分かんないよもうさっさとプリント取りに行けよ早く帰れよと呆れたぼくが背を向けた瞬間、またもやじいちゃんがやらかした。

「フムヌ!」

 年寄りのくせに、くるりと見事にバク転しちゃったのだ。
 これには中村どころかぼくまでもが度肝を抜かれてしまった。でも、よく考えたらうちのじいちゃんは昔から運動が得意で、近所のエリコさん(22)にいいところを見せるためにジャニーズの真似とか密かに練習してたから、バク転くらいなら別に出来ても不思議じゃないのだ。
 だが、興奮して口をパクパクさせている中村にその事を説明しようと、ぼくがじいちゃんから目を離した瞬間、懲りずにじいちゃんは三度やらかした。

「ハトが出ますよ―――!!」

 懐から、ハトを出したのだ。
 うちのじいちゃんは怖そうな顔とは正反対にミョーにエンターティナーで、人を楽しませるのが大好きだ。カンタンな手品の小ネタなら、いつだっていくつか身に仕込んでいる。て言うかこの場合のハトだって指で生きてるみたいに操作する作り物だ。うちの家族なら誰でも知っているじいちゃんお得意のネタだ。
 ――でも、相手が脳味噌トロトロのバカ村だったから。
「すげー! おまえのじいちゃんスッゲーよ! 忍者だよ! マジで忍者見ちゃったよオレ――!!」
 すっかりじいちゃんに心酔した中村は、なぜか孫のぼくにまで忍者として生きる事を強要した。
 ぼくは、サッカーや野球は得意だけどバク転は練習中だし、じいちゃんみたいに手品なんか出来ないしあんまり興味無いし、そもそも忍者ってなんだよって感じだし、中村のアホな強要を断固拒否した。
 中村は、自称忍者が身内にいるぼくをひがんだのか、それとも再三の勧めにも応じずに頑なに忍者を拒否するぼくに腹を立てたのか、学校でもよく突っかかってくるようになった。
 アホにつきあう趣味はないので最初の内は放っておいたのだが、中村の勧誘はそのうちだんだんエスカレートして、ぼくからしてみたらどう考えても嫌がらせとしか思えない域にまで達してしまった。
 そうなると俄然反発したくなるのが人の常。何が何でも断固拒否だ。


 そして、今に至っている。
 ちなみに中村の後ろで東がいつも「ごめん服部くん〜」と口パクしている事に中村は気付いていない。


「おいハットリ、小っさい木を毎日飛び越えてジャンプの練習するヤツあるだろ。オレんちはマンションだから夏美んちの庭に木ィ植えたんだ、オマエも参加しろ」
「やんねーよそんなの! 東もそんなの庭に植えるなよ!」
「だってこれくらいなら別に害はないなあって思ったんだもん。いつもごめんね服部くん〜」
「ぼくにしてみたらムチャクチャ有害だよ! 止めてくれよ!」
「うああああもいっかい忍者に会いて――! おいハットリっ、おまえんちのじいちゃんに会わせてくれ――!!」
「うっせえバカ村! 今度うちにきたら本当に蹴るからな!」
「もー浩ちゃんはホントーにバカねえ」


 うるさいながらも平凡な日々。


 ニンジャニンジャうるさい中村の叫びが天に通じたのか、ぼくんちの隣に本物の忍者が引っ越してきて、その平凡な日々がさり気なくビミョーになるのは、この3日後。


―― 次章へ続く ――


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