15. 初めて
きみはぼくのたいせつなひと 大人編 ( 2 )
「何なんだお前は……」 吐息混じりにようやく言葉を吐き出し、膝に堂々と乗せられた頭を肘で小突く。だが菊の膝に気持ち良さそうに顔を埋める飛薙は、どうにもテコでも動きそうにない。目を閉じたまま子供のようにイヤだイヤだと首を振り、尚更強くしがみつく。 「……重い。邪魔。早くどけ」 「……ケチ……」 「ケチ言うなコラ」 だが、厳しい物言いとは裏腹に、それでも菊の表情は穏やかだ。 それは最近では「御頭」としか菊を呼ばなくなった飛薙が、昔のように名前を呼んで甘えてくるからに他ならない。横座りに崩した膝に頭を乗せなおしてやり、少し微笑んで飛薙の頭を撫でる。――昔のように。 「菊……が…」 「ん?」 飛薙の顔はまだ赤い。辛うじて聞き取れはするものの、未だぼやけた口調である所を察するに、酔いは全く抜けていないのだろう。何事か口の中でブツブツ言っているのを聞き取るため、菊は飛薙の口元へ耳を近づけた。 「がー……」 「聞いてる。何だ?」 促す。やや間が空いて、酒臭い息を吐きながらも飛薙がつぶやいた。 「……可愛かった……」 そして着物着物と、菊の膝に抱きついたまま呂律の回らない口調で繰り返す。 「………………似合ってたか?」 「スゲー……」 半分以下しか意識は無いのだろう。言葉は断片的で微妙に繋がっていなかったが、そこは長い付き合いである。菊にとってはそれで充分だった。 「ん、そうか」 ほんのりと頬を染め、照れ隠しにくしゃくしゃと飛薙の頭をかき混ぜる。 「いい子だ」 宴たけなわの喧騒が、遠く離れたこの部屋にも夜風に乗ってかすかに伝わってくる。きっと皆のいる座敷ではまだ賑やかに宴が続いているのだろう。 婿の座と菊自身とに生臭い興味を示す従兄弟連中が鬱陶しくて早々と引き上げて来たのだったが、今日は思わぬ収穫があった。 「ふふ」 知らず、笑みが漏れる。 菊の知らぬ何事かがあって態度が変わったのかもしれないと危惧もしていたのだが、それは単なる思い過ごしだったようだ。 明日、飛薙が目覚めたらこの事をからかってやろう。そして、膝枕くらいいつでもしてやると言ってやろう。立場のみが変わってしまっただけで、今更そんな事を気にするような仲ではないのだから。 「菊ー……」 飛薙が名を呼んだ。幼い頃、毎日毎日幾度も呼んだように、どこか甘い口調で。 「大丈夫だ、どこにも行かない。ここに居てやるから、小太郎は寝てていいぞ」 捨てた訳では無いが、そう呼ばれる事がめっきり減ったために自分の名前であっても懐かしい気すらする。その懐かしさに引かれ、懐かしい名を菊も囁く。 いつの間にか見上げるほどに伸びた背丈も、こうして相手が寝ている状態では関係ない。子供にするように頭を撫で、子供の頃の名前で相手を呼んで、菊は微笑む。 飛薙が――もはや小太郎と呼んでも差し支えない体たらくが、吐息混じりに数度名を呟き、甘えるように身を寄せた。 「……菊……」 「うん?」 むくりと身を起こし膝から離れ、まるで子供に返ったかのような動作で、小太郎は菊の肩口に額をこすりつける。 ……見覚えのあるそれは、幼い頃の甘え方そのままだ。 馴染みのある行為であったが故にあまり深く考えず、菊はされるがままになっている。 「……いい匂いがする」 「? ――ああこれか、良く分かったな」 小太郎のその言葉に、菊は懐から錦織の小さな袋を出してみせた。 「土産物だが私も気に入っている」 それは高次が任務の折に他国の城下で買い求めてきた香袋で、察するところ、年の離れた自分の女房に買ってきたついでの土産のようだったが、高価な良いものであったため大事に取ってあったのを、今日の為におろしたものだった。 「いい匂い……」 「そうだろう。……なんだお前、結構細かい所まで気が付くじゃないか」 乙女心の分からない朴念仁だとずっと思っていたのだか、ほのかな香りに気づくとはなかなかそうでもないようだ。いい子いい子と上機嫌でかいぐり撫でて、肩に置かれていた頭を片手で抱き寄せてやる。 だがそれと同時、深く一呼吸した小太郎の腕に力がこもる。 「……菊の匂いだ……」 ――今までにないような熱っぽさで呟いて。 そのまま菊に、口付けた。 「………!」 深く吸われ、息を奪われ、菊の目の前が一瞬真っ白になる。 想定していなかった事に対し身体が反応しない。口を塞いでくる強く柔らかい感触に目を見開いて、菊はただ硬直するばかりだ。 「んぅ……っ」 濡れた舌と酔っ払い特有の酒臭い呼気とが、菊の口内を蹂躙する。 振り払おうにもいつの間にか身体ごと抱えられていて身動きはままならず、徐々にのしかかってくる重みに邪魔されて足すら動かない。 二度三度と顔を振って逃げるうちに酒臭い唇は離れたが、それでもまたすぐに舌が菊の輪郭をなぞり、そして口内に侵入してくる。 近づきすぎた顔からは小太郎の表情は分からない。だが、確実に酔っ払った勢いのみで行動しているだろう事は判断ついた。 「バカ……! お前、何をしてるか、分かっ……て………んっ」 何とか逃げようともがく菊を布団の上に組み敷き、幾度も唇を重ね合わせる。 好き勝手に散々蹂躙した朱唇から抜いた舌を首筋に這わせ、耳元で息を吐き、小太郎は的確に菊の動きを封じていく。 酔っ払い特有の重い動作で。 それでもどこか迷いのない手際で。 そして小太郎は熱に浮かされたように時折呟く。 菊が好きだ、と。 ――その言葉だけで菊はもう、抵抗すら出来なくなる。 (こいつ……) 帯が解かれていく音を理性の片隅で聞きつつ、半ば朦朧としてきた意識の中、それでも菊は胸の中で絶叫する。 (……どこでこんなこと覚えてきた……!!) ――それは、襲っている本人にしか分からない。 |