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丹波篠山ロゴ

丹波古陶館
丹波篠山(ささやま)というところ

丹波といえば黒豆と、焼物ファンなら丹波焼を思い浮かべるところだが、実は小豆(丹波大納言)もおいしく、ボタン鍋という猪鍋も有名らしい。
山奥でそう簡単には行けないのではと覚悟していたところ、大阪から急行で1時間でついた。(兵庫県なので神戸あたりからアクセスするのかと思いきや大阪からが便利だった!)
しかし、篠山の町はJR篠山口駅からは離れたところにあり、さらに路線バスに15分ぐらい乗らなくてはならない。
篠山城跡より
丹波篠山全景
義経のひよどり越え

篠山城は徳川家康が大阪から中国地方へ向かう要衝ということで作らせた城らしい。長年の城主は青山氏で、あの東京青山の青山氏である。 そのまた昔のことでいうと、源義経がひよどり越えの逆落としで山側から奇襲をかけた話は有名だが、この際京都から山奥の篠山を抜けて南下したらしい。

見事ですがすがしい大書院

篠山城はもともと天守閣を造ることが許されなかったらしい。その分の予算をつぎ込んだためか、大書院は事のほか見事である。戦時中の火災で焼失して今の建物は近年の再建によるものだが、新しいのも気持ちがいい。せっかくだから展示館ではなくて、戸を開放できるような普段使いの建物にしたら?
篠山城大書院1 篠山城大書院1
篠山の青山通り

篠山の町はわかりやすい。城址の北側がまずバスが入ってくる青山通り。観光地らしさの漂う商店街だ。
黒豆などを売っている乾物屋につい寄りたくなる。きれいな造りの料亭もあるが、古びたたたずまいのうどん屋角源で鍋焼きを食べたら、こころまで温まって歩き回る元気が湧いてきた。
篠山城大書院2 篠山城大書院2

丹波篠山地図

馬出から鴨出

篠山城址を見てから反時計周りに城の周りを1週した。青山歴史村の建物をはじめ、西側のお徒士町には武家屋敷が点在するエリアだ。城址外側のお堀がなかなか面白い。四角いつくりもユニークだが馬出という城門の形式にも驚いた。要するに城から騎馬隊が出陣したときに外から見えにくくしたもの。今は単なる小山と小さなお堀があるだけ。人影はなく、馬の代わりに鴨が2羽草むらから出てきて仲良く散歩していた。
篠山城跡より 篠山城南馬出
青山歴史村 青山歴史村
お徒士町武家屋敷群

ここの武家屋敷の特徴は茅葺屋根で、入母屋造りという珍しい意匠になっていることだ。しかし、展示館になっていない普通の家では茅葺きを維持するのがたいへんらしく、同じ形のトタン?屋根に置き換わっているところが多かった。
安間家史料館おもて
安間家屋敷1
安間家屋敷中庭より

安間家史料館も要は武家屋敷を一般公開したもの。決して部屋数も多くなくてこじんまりしているが、奥に竹林や蔵があってそれなりに落ち着いた空間を形作っている。
屋根の上に設けられた木材を交差させた構造は古くから神社などにみられる置千木(おきちぎ)と類似したものだ。京都の美山町の茅葺き集落とも共通するものだが、雪除けなどの実質的な役割もあるのだろうか。本数は5本ないし7本と奇数が多い?神社の堅魚木(かつおぎ)に相当するものか?
             安間家屋敷2
古丹波1
古丹波1
   
   
古丹波
      
丹波は六古窯(ろっこよう)といわれる日本古来の焼物の産地の1つであるが、この土味(つちあじ)を区別するのはなかなか難しい。信楽(しがらき)や伊賀は石はぜや釉薬(ゆうやく)のかかり具合で比較的わかるかもしれない。丹波の土味は派手さはないが深みがあって、釉薬の織り成す色合いがすばらしい。
上の壺は安間家所蔵のもので、ガラスケースの中に陳列されていた(撮影条件不良)。右の2つは三の丸美術館のもの。何といっても丹波古陶館のものは日本一の古丹波コレクションと言えるのでは?古丹波を見るならココという感じだ。
古丹波2
古丹波2
      
古丹波3
      古丹波3

古美術まるなかで

城址南東にある古美術まるなかに入った。 「すいません!」と声をかけるとおばちゃんが奥から出てきた。一人で切り盛りしているらしい。古丹波のいいのがあればと思って探したが、それほどのものはなかった。

ひとしきり見て回っていると、おばちゃんがお茶を入れてくれた。世間話をしながら、最近民家から仕入れてきたという明治のころの壺を見せてくれた。はじめは興味がなかったのだけれど、お茶を飲みながらよくよく見てみるとなかなか形が良くていい土味をしている。宅急便で送るときに中に近所でとれた山芋とかおいしい小豆を入れてくれるというので、なんだが嬉しくなって送ってもらうことにした。黒豆で作った黄粉茶がおいしいとかいろんなことを教えてくれた。

名刺をもらったら中尾という名前で、遠い親戚と同じ姓名だった。親戚の中尾は平家の落人で赤穂に逃れた末裔と聞いていたが、考えてみれば赤穂もここからそう遠くない。ひょっとしらこのへんも?などと考えながらまるなかを後にして黄粉茶を買いに行くことにした。
河原町妻入り商家群
河原町妻入り商家

旅の最後は城址から見て東南奥に位置する河原町妻入り商家群。「妻入り」とは切妻屋根の作る三角壁の下から入ること。切妻(2面屋根)だから寄棟(4面屋根)でも入母屋(上が切妻で下が寄棟)でもなく、妻入りだから平入り(屋根の横長の下から入る)でもない。とはいうものの軒はちゃんと造ってあるのだ。
ここの一角にある上述の丹波古陶館を出たときはもはや日没前だった。

現代丹波の焼物、後記

さて今回の丹波篠山日帰り探訪での心残りは、現代丹波焼のふるさと立杭(たちくい)に立ち寄れなかったこと。他の六古窯(備前、信楽、常滑、瀬戸、越前)とおなじく丹波焼の歴史は平安末期にまでさかのぼり、江戸時代より前の穴窯時代には緑や鳶色(とびいろ)の自然釉の甕(かめ)、壺(つぼ)、すり鉢が作られていた。その後、登り窯が導入されて釉薬も使われるようになり、小堀遠州らの指導もあって茶器や生活用品などがつくられるようになったのだそうだ(共同組合パンフレットより)。立杭地域の四斗谷川に沿った街道には63もの窯元が並んでいる。陶の郷(すえのさと)の伝産会館では古丹波や現代品が鑑賞できる。
これまでは備前の方がなじみがあって愛着が持てたのに、げんきんなものですっかり丹波が気に入ってしまった(好き嫌いなんていうものはそんなものか?)。 またいつか丹波を訪れなければと思うとうれしくなった。
丹波立杭焼のふるさと 丹波立杭焼の古里



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