「声」そして「メロディ」の魅力&そのサウンドの特徴
 
 私は何よりも織田さんの声の存在感と彼の作り出すメロディのすばらしさに惚れています。どんなにメロディがすばらしくても、声が気に入らなかったり、歌唱力がなかったりしたら、聴く気がしませんし、どんなに歌が上手くても、メロディが良くなければ、心には残りません。織田哲郎の場合、そのどちらも類まれなる才能を持っていると私は思っています。

 声の存在感という意味では、彼がバックボーカルで参加している曲を聴くと実感できます。本来「バックボーカル」というものはメインのボーカルを引き立てるためのもののはずなのですが、織田さんの場合は引き立てつつもしっかりとその存在感を主張している気がします。「杉本誘里」という女性ボーカリストのアルバム(リリースは1984年)のプロデュースを手がけて、作曲やアレンジも担当しているのですが、このアルバムにおける彼のバックボーカルは実にカッコよかったですね。このアルバムはCD化されていないようですが、ぜひ再発して欲しいと思います。清水宏次朗(最近はVシネマで活躍しているのかな?)も初期にプロデュースを担当していますが、彼の曲における織田さんのバックボーカルもかなりすばらしいものがあります。

 もちろん、自分の曲でのボーカルがすばらしいのは言うまでもありませんが、織田さんのボーカルは「深い」のです。ハードロックタイプの曲も難なくこなすかと思えば(バウワウという日本のヘビメタバンドのボーカル人見元基のボーカルスタイルは織田さんの影響を受けているのではないかと思います。そのことはギタリスト北島健二のソロアルバムでの織田さんのボーカルを聴いてもらえばわかるはず)、バラードにおける声のコントロールなんてもう絶品です。

 メロディの魅力については、かつて「ビーイング」サウンドが全盛を迎えた頃、ZARDやDEENやT-BOLANやWANDSにさまざまな曲を提供し、90年代のはじめに、日本の作曲家としては頂点をきわめたことでも証明されていると言っていいでしょう。本人の最大のヒット曲としては1992年に発売した「いつまでも変わらぬ愛を」がありますが、この曲についてはまた別の項目で論じることにします。

 織田哲郎の音楽を知る前の私は「オフコース」が大好きでした。字は違うけど「小田」さんですよね、ボーカルは。小田和正の作るメロディも好きだし、透明感のあるボーカルもすばらしいと思うのですが、オフコースのサウンドは、時代の流れをとらえ、新しい楽器を取り入れながら少しずつ変化していきました。主としてそれはシンセサイザーの進歩という部分に現れていたように思います。その変化が著しかったのが、メンバーが5人から4人になった時ですね。それまでのオフコースのシンセの音は「オーバーハイム」に代表されるような暖かい音色が特徴的だったのですが、この4人になってからのアルバム「The Best Year of My Life」ではYAMAHAのDX-7というという当時最新鋭のシンセサイザーを導入し、かなり冷たい感じのデジタルな音に変わってしまいました(織田哲郎に「Best Days of My Life」という曲があるのはまったくの偶然ですよね)。ドラムの音も、「シモンズ」というその頃いろんなアーティストが使い始めた電子ドラムを使ったり・・・。

 それに対して、織田哲郎は、かたくなに「生音」にこだわってレコーディングを続けました(4枚目のアルバムくらいまで・・・)。オフコースの例を出すまでもなく、時代はデジタルサウンドの無機質な音が主流になりつつあったわけで、小室哲哉が結成したTM NETWORKは時代の最先端を行く音楽として注目されてもいました。しかし、織田哲郎の初期の音楽におけるシンセサイザー(およびいわゆる「打ち込み」サウンド)の比重はかなり軽いものです。もちろんあの「ボストン」(アメリカの老舗バンド)のように「このレコードではいっさいシンセサイザーを使用していません」というようなクレジットをつけるほどの徹底ぶりはありませんが、曲の隠し味的な使い方をする程度です。シモンズも決して使うことはありませんでした。

 それでは、織田哲郎の楽曲になくてはならない楽器は何か?それはピアノとサックスです。彼のライブのアンコールで必ず演奏された曲「Somebody To Love」の中心となるフレーズを弾いているのはイントロではピアノ、そして曲全体にわたってサックスなのです。もちろん、ギターもその音に合わせてユニゾンで同じフレーズをなぞっていますが、中心となって聞こえてくるのはサックスです。あまりサックスの種類はよくわからないのですが、バービーボーイズのコンタが使っていたような音の高いやつじゃなくて、もっと骨太の音がするやつです。デビュー当時から、織田哲郎のバンドでサックスを吹いていたのは古村敏比古という人です。7枚目のアルバム以降、しばらくの間は勝田一樹(現在はDimensionというバンドで活躍中)というサックス・プレイヤーと仕事をしていましたが(レコーディングでもライブでも)、98年に結成したバンド「Don't Look Back」では再び古村氏との活動が再開し、最近の弾き語りアコースティックライブツアーでも必ず古村氏とともに全国を回っております。まあ、古村さんはサックスだけじゃなくてフルートとかもできたりするんですが。ともあれ、彼の楽曲の非常に重要な部分をサックスという楽器が担っているのは間違いありません。ピアノに関してはご本人もかなりの腕前と私は思っているのですが、初期のライブでは大谷哲範(ニックネームは「コゾウ」)という人がキーボード担当でした。アルバムで言うと8枚目のアルバムまで参加していますね。関係ない話ですが、私が学生時代からずっと愛読している作家「神林長平」氏に関するSFのイベントか何かの曲作りにこの大谷氏が関わっているのを知ったときは何か不思議な気持ちがしたのを覚えています。生音に対するこだわりは前述の通りですが、ピアノの使い方がうまいと思います。サックスでテーマとなるフレーズを奏でながら、ピアノでオブリガードを効果的に入れる、というのが彼の王道のパターンかなと思います。自分の曲だけではなく、彼が編曲を担当するとそういうアレンジになることが多いですね。サックスが入ってなくてもピアノの使い方には共通点があります。

 彼の音楽を語る上でもうひとつ欠かせないのが、「ギタリスト」の存在です。私は勝手に第1期・第2期・第3期と分類しています。第1期ギタリストは「北島健二」。織田哲郎とは高校時代からの友人であり、ソロで活動する前の「WHY」というユニットや「9thイメージ」というバンドからずっと活動をともにしていました。北島健二としてのソロアルバムもリリースしており、織田さんがボーカルで参加したりもしています。古くは「原田真二&クライシス」のメンバーとしても活動しており、スタジオミュージシャンとしての評価も高い人です。尾崎豊のアルバムにも確か参加してたなあ・・・。アン・ルイスの恋人としても一時期話題になったこともありましたね。(「六本木心中」のカッコイイギターは実は彼が弾いています)ソロでのアルバムとしては4枚目までは全面的に参加しています。5枚目のミニアルバムでは一部参加となり、その時期に彼はFENCE OF DEFENSEという新しいバンドを結成しています。このバンドには北島健二とともに初期織田哲郎バンドを支えたドラマーの山田亘(TMネットワークのライブでも活躍してましたね)も参加しています。私はこのFODも大好きで実はファンクラブにもしばらく入っておりました。このバンドについては、また別の機会に詳しく語ることになるでしょう。

 第2期ギタリストは「葉山たけし」です。彼が織田哲郎と関わるようになったのは、北島健二が織田バンドを脱退してからです。長年織田さんの片腕的存在だった北島がいなくなり、その穴を埋められるのだろうか?とファンとしては(失礼ながら)不安にもなったのですが、見事に葉山氏は成長していきましたね。5枚目のアルバムをリリースした後のライブからはギタリストとドラマーに加えてベーシストも交代し、バンド名もあらたに「ワイルドライフ」(これは5枚目のアルバムタイトルでもあります)と変えました。レコーディングとしては6枚目のアルバムから全面的に参加しています。彼の知名度が高まったのは織田バンドのメンバーとしてではなく、「ビーイング」全盛期のアレンジャーとして、でした。ZARDの「負けないで」とかFIELD OF VIEWの「突然」とかWANDSの「世界中の誰よりきっと」とかDEENの「このまま君だけを奪い去りたい」など、ヒット曲を連発しました。まあ、ここに挙げた曲はすべて織田哲郎が作曲したものばかりなんですが。大黒摩季のアレンジもほとんど手がけています。葉山氏の場合はギターだけでなくシンセサイザーも使いこなせる(打ち込みも)ので、アレンジャーには向いているんでしょうね。織田哲郎のアルバムには6枚目から10枚目まで参加しているのですが、9枚目のアルバムでは、曲によってはギターではなく、シンセや打ち込みのみで参加しているものもあります(もちろんギターを弾いている曲も半分くらいはあるのですが)。

 そして第3期ギタリストは「織田哲郎」本人です。何か変な言い方かもしれませんが。北島健二氏と活動していた頃の織田さんにはあまりギタリストとしてのイメージはなくギターもキーボードもドラムもこなす「マルチプレイヤー」という印象が強かったのですが、彼にとってのひとつの到達点とも言うべき10枚目のアルバム「ENDLESS DREAM」においては、サックス以外の楽器をほとんど自分だけで演奏する打ち込みサウンドを全面的に展開しました。一部ゲストミュージシャンも参加していますし、葉山氏もちょこっと参加してますが(それもシンセや打ち込みで、だったりする)、ギターに関してはほとんど1人で弾いてますね。そして、このアルバムを聴いたときの私の印象は「あれ?織田さんってこんなにギター上手かったっけ?」というものでした。近藤房之助とのデュエットソングとしてスマッシュヒットした「Bomber Girl」におけるワイルドなギターもすべて織田さんが弾いているのです。相川七瀬の作品においてもほとんどのギターを弾いています。最近のツアーは弾き語りのスタイルが多いのですが、そこでの彼のギターはやっぱり上手くて惚れ惚れします。ピアノも上手いですけどね。
5枚目のアルバム「WILDLIFE」
 さて、5枚目のアルバムからはバックのメンバーにも変動があったわけですが、織田さんにとっての唯一のミニアルバムとなっています。収録曲は5曲のみ。発売は私が大学を卒業する直前の1987年2月26日。世の中ではそろそろ「CD」というものが市場に出回り始めた時期でした(レンタルレコード屋の一部の棚に「CDコーナー」ができる程度)。私にとっては、レコードで買った最後のアルバムになります。後になってからCDでも買いなおしましたが。このアルバムは、ジャケットの面でも大きな変化がありました。4枚目までは織田さん本人しか写っていないのですが、このアルバムの表ジャケットには盟友古村敏比古の顔も写っています。上の記事でも少し触れていますが、ギターとドラムとベースが交代して、以前からのバンドメンバーがサックスの古村氏とキーボードの大谷氏(ていうかコゾウ)のみになったので、この2人をフィーチャーした形になっているんですよね。裏ジャケットには大谷さんもちゃんと写っています。大谷さんは現在消息不明らしいのですが・・・。
 
 ミニアルバムとはいえ、けっこう密度の濃いアルバムでして、歴代のアルバムの中でも私の中では上位にランクされるくらいに好きな作品です。これまでのアルバムに比べるとキーボードの比重が増えています。というか、1曲目の「Dream On」ではこれまでにない「打ち込み」っぽい音作りになっているのです。アルバムのクレジットを改めて見てみると、どこにもcomputer programmingという記述はないのですが、「Dream On」のイントロや曲全体にわたってシーケンサーを使ったようなシンセのフレーズが目立ってるんですよね。もしかしたらシンセベースも使っているかも。ちょっと意外な感じはありました。新鮮な感じでもありました。あと、今まで気付いてませんでしたが、このアルバムにはBBクィーンズの坪倉唯子がコーラスで参加してたんですね。

 レコードしてはA面とB面があるわけでして、このアルバムの場合、A面が「動」のイメージ、B面が「静」のイメージ、といようようにくっきりと色分けされています。アルバムの最後を飾る「Last」という曲は織田さん本人のピアノによる弾き語りっぽい感じのアレンジです。ドラムとベースは入ってますけども。この曲におけるピアノの使い方は典型的な織田サウンドの基本形になっています。この曲ってライブではやったことないんじゃないのかなあ・・・?今年の弾き語りツアーでやってくれたら嬉しいんだけど。


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