チューブに提供した「シーズン・イン・ザ・サン」のヒット
 さて、大学4年の時(1986年)私は母校で教育実習なんてものをやったわけですが、ちょうどその頃チューブが「シーズン・イン・ザ・サン」でブレイクし始めたところでした。今でもこの曲を聴くと、教育実習のことを思い出しでしまいます。あの曲のイントロに美しい男性コーラスが入っておりますが、あの声は間違いなく織田さんの多重録音だと思っています。
 チューブがセカンドアルバムまではthe TUBEで、サードアルバム「シーズン・イン・ザ・サン」からtheを外したっていうのは、みなさんご存知でしょうか?セカンドが出たくらいにたまたま見た北海道のローカル番組にゲストで来たときに「theをはずせば売れる!」とかインチキくさい占いをしてもらっていたのを、私は覚えているのですが、もしかしてあの占いを真に受けた?(笑)それはさておき、チューブのボーカル前田くんは(昔はやせてたけど、今はだいぶ太ったねえ)デビュー前から織田哲郎のファンで、伝説の「WHY」や「9thイメージ」のレコードも持っていたらしい。そういうわけで、知っている人はあまりいないでしょうが、チューブのファーストアルバムからその時代の織田さんの曲をいくつかカバーして歌っています。デビュー曲の「ベストセラー・サマー」は作曲こそ鈴木キサブロー(「想い出がいっぱい」を書いた人)ですが、コーラスには織田さんが参加しているのですよ。前田君の歌い方は、セカンドアルバムくらいまでは、かなり織田さんの影響を受けていますね。かなり細かいところまでコピーしていました。
 
 そして「シーズン・イン・ザ・サン」以降は織田哲郎が全面的にサウンドプロデュースも手がけるようになっていくわけですが、とにかく、この曲のヒットはチューブにはもちろんのことですが、織田さん自身にとっても大きな出来事だったと思います。それまでにも、三原順子とかビートたけし(「パントマイムで林檎をむいて」なんて曲知っていますか?)アン・ルイスといった人たちに曲を提供していましたが、どれもヒットしていません。(他にもたくさん作曲していますが、アーティスト自体がもっとマイナーです・・・)作曲家として(編曲もしてますけど)織田哲郎が注目を浴びた初めての曲と言えるでしょう。この時点での最大のヒット曲ですし。私もこの曲が大好きでした。織田さん本人のボーカルで聴きたい!と心から思いましたね。
 その私の願いがかなったのが、TBSで放送したその年の「日本作曲大賞」という番組。この「シーズン・イン・ザ・サン」が大賞候補にノミネートされて(結局大賞は他の曲になったはずですが)、チューブと一緒に出演したのです。前田がAメロを歌い、織田さんがBメロを歌ったのですが、「やっぱり織田さんが歌う方がいいなあ」としみじみ思いました。当時我が家にはビデオデッキがなかったので、ラジカセで音声のみ録音して、テープを何度も繰り返して聴いたものです。(この2年後に「渚のオールスターズ」という企画ユニットで出した「BE MY VENUS」というシングルのカップリングで、織田さんソロで「シーズン・イン・ザ・サン」を歌ってくれた時は狂喜乱舞しましたね)
 チューブとの仕事は何年か続きます。翌年の夏には「サマー・ドリーム」、さらにその翌年は「ビーチ・タイム」と3年連続で織田さん作曲のシングルをリリースしています。実はこの3枚のシングル、いかにも夏向けですが、発売はいずれも4月なんですよ。(アルバムリリースは5月とか6月ですが)そういえば、関係ない話ですが、「ビーチ・タイム」のカラオケで松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌えるって知っていますか?(笑)
 

 「シーズン・イン・ザ・サン」のシングルを発売した同じ日、織田さんの4枚目のアルバムLIFEが発売になりました。3枚目のリリースからわずか8ヵ月後のリリースです。このアルバムの曲はけっこう最近になってもライブで歌われていますね。最近と言ってもここ7〜8年だったりするわけですが。2曲目の「Dance Dance」には浜田省吾がコーラスで参加しています。以前から織田さんは楽器をちょこちょこレコードでも弾いていましたが、あくまでも隠し味的な使い方でした。このアルバムからは、曲によっては織田さんのギターを前面に出すようになりました。特に顕著なのがB面1曲目(CDでは5曲目ですね)の「Power Game」。イントロからして、それまでメインでギターを弾いていた北島健二とは音質というかタッチというか音の肌触りが明らかに違っています。わざとなのかもしれないけど、かなり荒削りな感じのギターが曲全体にわたって聞こえてきます。


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