出会い
 1983年、大学1年生の時のことです。当時私は隔週発行の「週刊FM」という雑誌を購読していましたが、たまたま何かの気まぐれで「FM STATION」を買ったことがありました。その最新ニュース記事の中で「織田哲郎 ソロデビュー」というモノクロの記事が目にとまりました。小さな記事だったのですが、妙に心に残り、実際の音を聴いてみたい、と強く思いました。
 
 あちこちのレンタルレコード屋を探しても、どこにも置いていなくて、ラジオでオンエアされることもなく、数ヶ月が過ぎました。さすがに金のない学生時代のことですから、一度も聴いたことのない人のレコードを買う勇気はありませんでした。

 9月頃に、FMの深夜番組で織田哲郎の特集があり、待ってましたとばかりにエアチェックしました。そして驚いたことに、番組の最後にかかった曲を私は知っていたのです!どういうことかといいますと、当時私が所属していた音楽サークルで先輩のバンド(LED BOOTS)がよく演奏していた曲だったのです。私は先輩たちのオリジナルだと思い込んでいたのですが、実は織田哲郎のコピーだった、というわけです。それがファーストアルバムの1曲目「SHINE THE LIGHT」という曲でした。

 LED BOOTSが演奏している時点で「いい曲だなあ」と思っていたので、そのラジオを聴いて早速LED BOOTSのギタリストだった進藤先輩に「先輩、あの曲織田哲郎のだったんですね」と話してみると、「ファーストアルバム持ってるんだ」ということだったので、貸してもらって(もちろんCDではなく、LPです)テープにダビングしました。それがVOICESです。全10曲。聞き始めの頃は「なかなかいいじゃん」程度の感じでしたが、何度も聴きこむうちに、いつしか「病みつき」になっていました。そして、セカンド・アルバムの発売を心待ちにするようになったのです。
HPの名前の由来
 ということで、ここまで読んできた方にはおわかりでしょうが、このHPの「VOICES」というタイトルは、織田哲郎のファーストアルバムからとっています。思い出深きアルバムであり、記念すべき出会いのアルバムでもありますので。HPを作ろうと思ったときに、何をタイトルにしようか、それほど、悩まずにこの名前に決めました。今までにも、教科通信の名前に使わせてもらったりはしていたのですが。私の発信するいろいろな「声」である、という意味も込めています。
FM STATIONの記事を発見!
 上の文章を書いた後、押入れを捜索して、昔の日記帳を紐解いてみたら、出てきましたよ、あの時の記事が。ちゃんと切り抜いてあったですよね。スキャナーとか持ってませんので、そのまま文章をここに再現してみます。

 「破格の新人。織田哲郎のデビュー・アルバムが登場!」
 レコーディング技術の進歩はいまや、歌手の”実力”を完全にカバーして余りあるレベルまで来ている。音程がはずれればハーモナイザーで修正。声量がなければエキサイターでパワーを出し、リバーブで語尾を処理する・・・。少なくともレコードでは誰もが一定レベルで聴かせられる。かくて、声で勝負できない歌手が増殖していく・・・・・・。
 こんな状況の中、その名も「VOICE」というアルバムでソロ・デビューする織田哲郎の存在は頼もしい。中学時代の2年間、ロンドンで学生生活をおくった彼は、そこで本場の環境を体験する。帰国後、いまやトップクラスのセッション・ギタリストである北島健二と出会い、79年に”WHY”を結成。翌年にはリーダー・バンド”9thイメージ”をつくりあげた。最近では、マライア、マリーン、秋本奈緒美、亜蘭知子、館ひろしなどのアルバムにサポーティング・ボーカルとしても参加している。昭和33年生まれというから当年とって25歳の彼だが、キャリアは十分だ。「VOICE」には北島健二を初めとして、伊藤広規、青山純、難波弘之、岡沢章など、20名近い有名ミュージシャンが参加しているが、織田のボーカルが入った瞬間からバックは従の関係にコントロールされてしまう。それほど歌に説得力があるのだ。また、彼自身、ボーカルのほかにギター、ドラム、キーボードをこなせることも、大きな強みだ。今回のアルバムは、全曲が自作であることにプラスして、アレンジ、プロデュースまで担当しているのも、マルチ・プレイヤーであってこそ可能なワザだろう。ルックスもまずまず、である。破格の新人アーチストがひとり誕生した。


 上の記事にちょっと注釈を加えると・・・。アルバムタイトルが「VOICE」になっていますが、英語で表記した場合は「VOICES」が正しいのです。ただし、日本語(カタカナ)での表記は「ヴォイス」だったんですね。記事を書いた人がちょこっと勘違いしたみたいです。「歌に説得力がある」「マルチ・プレイヤー」というくだりに心惹かれましたね。この記事に出会わなかったら、織田哲郎の音楽に触れるのはもっと後になっていたのかもしれません。


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