ライブ活動休止
 8枚目のアルバムが出た年、織田哲郎は「しばらくライブ活動を休む」と宣言します。事務所の名前も「ハッスル・ミュージック」から「ティーズ・コーポレーション」に変わり、同時にファンクラブの名前も「ハスラーズ・クラブ」から「ティーズ・クラブ」に変わります。「ティー」はもちろん「哲郎」の「T」ですね。昔の織田さんがよく言ってたのですが、「自分にとって音楽を作るということはある種の”治療行為”だ」という発言があり、それが「Candle In The Rain」というアルバムを完成したことで、気持ちの上で一区切りついたということらしいです。自分の第一期はここまで、ということも言ってました。

 で、それまでの10年間の総決算(ソロになる前の活動も含めて)として、1989年8月6日にMZA有明というところで、4時間にわたるライブを行っています。今思うと、どうしてこのライブに行かなかったか、と後悔の念にかられます。北海道でやってくれなくたって、この時のライブはワン・アンド・オンリーの内容だったのに・・・。夏休み中のことですから、何とか都合をつけようと思えばできないこともなかったのではないかと思うんですがね。初めての担任を持って2年目の夏。気持ちに余裕がなかったのは間違いないですけどね。

 さて、問題の4時間ライブの曲目ですが、これがまた超豪華なラインナップでした。
(第1部)
 1 SHINE ON
 2 さよならぐらいは
 3 MAD CITY
 4 DREAMER
 5 土曜日の夜
 6 しんどい話
 7 SHINE THE LIGHT
 8 LUCIE MY LOVE
 9 最後のPARTY NIGHT
10 2001年
11 LAST LULLABY FOR YOU
12 R&R FANTASY
13 NEW MORNING
14 BABY ROSE
15 ビートに溺れて
16 ガラスの街で
17 STAY
18 週末に
19 LIFE
20 EVERYBODY'S DREAMIN'
21 LONELY BOYS LONELY GIRLS
(第2部)
22 WILDLIFE
23 DREAM ON
24 LET THE GOOD TIMES ROLL
25 SOMEDAY/SOMEWHERE
26 愛をさがして
27 SEASON
28 夏のかけら
29 夜の影
30 SHELTER OF  SOUL
31 YOU ARE NOT ALONE
32 TWO HEARTS
33 DOWN TOWN CLUB
34 CANDLE IN THE RAIN
35 MAD DOG
36 SOMEBODY TO LOVE

・・・よだれが出るような選曲です。特に8を聴きたかったです。それにしても二部構成のライブなんて・・・ジャニーズじゃないんだから(笑)。こういう曲目だと事前にわかっていたら、万難を排して見に行ったのに。一生の不覚です。この時のライブビデオを発売してくれたら、ビデオだろうがDVDだろうが、買いますよお!
タフバナナ
 ライブは休止しましたが、レコーディングは続け、この年の11月には企画バンド(?)「タフ・バナナ」のアルバムが発売されました。メンバーはG織田哲郎、B江川ほーじん(EX爆風スランプ)KEY小島良喜(EX.KUWATA BAND)DR.小田原豊(当時レベッカに在籍)。全10曲すべて英詞です(一部フランス語も)。作詞のほとんどは、あの舛添要一氏が手がけています。このアルバムは「織田哲郎」名義ではなく、レコード会社もそれまでのCBSソニーから移籍して、「プラッツ」という会社から出しています。肩の力を抜いて作った作品で、ファンキーかつドライブ感にあふれるアルバムに仕上がっています。自分のアルバムで(ソロではないとは言え)全曲ギターを弾いたのはこれが初めてですね。アルバムジャケットの絵も織田さん自身が描いています。プロデュースだけじゃなくてミックスまで自分でやってます。アルバムの最後の曲は「ホークウィンド」という昔のバンドのカバーなんですが、誰か原曲を知っている方はいますかねえ?
いつかすべての閉ざされた扉が開かれる日まで
 長いタイトルですよねえ(笑)。タフ・バナナの半年後に発売された9thアルバムです。これもプラッツという会社から出ています。この会社から出たアルバムはこれ1枚のみです。このアルバムについては、発売当時のファンクラブの会報(T's Press Vol.3)を参考にさせていただきます。
 アルバムの最大の特徴は「えらくタイトルが長いこと」・・・ではなくて(笑)、「歌詞から徹底的に英語を排除していること」です。そもそもタイトル自体に英語を使ってませんし(織田さんのアルバムでタイトルが英語でないのはこの作品だけです)、曲目もすべて日本語です。「海へ〜郷愁」「光と影の中で」「夕凪」「悲しみの向こう側」「八月の蒼い影」「陽ざしに包まれて」「夜想」「逃亡」「隠された墓標」「君のもとへ帰るよ」。歌詞カードを確認しても、確かに英語は出てきません。「ブルー」とか「グラス」とか「コーラ」とかほんの少しのカタカナは出てきますが。日本語で作る、ということに関してのご本人のコメントは・・・

 「根本的には、今回はかっこいいっていうタイプの価値観は、まあいらないやっていうのがあって・・・(中略)音楽として綺麗と思える事とか、あとは自分じゃかっこいいか悪いかわからないけれど、まあ、こういう人ですよ僕は、っていう感じ」

 ただでさえ、いつも歌詞で苦労する織田さんのこと、このアルバムでの苦労はいかばかりかと・・・。「へどが出るかと思った」というコメントも残しているほどです(笑)。他の人にも何曲か書いてもらったりもしたそうですが、「結局、全部ちょっと違うな」ということで、自分で全部書くことにしたとか。

 音作りの面でのコメントは・・・

 「基本的にはね、俺と葉山の二人で作ってるんだよね。あいつがずっとコンピューターの前に座って、俺がシンセで原形をずっと作ってた。で、生タイコは全部村上ポンタ秀一さん、ベースは青木君とボビーワトソン。シンセは全部俺で、2曲だけで小島良喜さんにやってもらってる。それでギターは基本的に俺がやって、何曲かちょこちょこ葉山がやって、それとカツオ(勝田一樹)が1曲だけサックスをやってる」

 「葉山」はもちろん葉山たけし氏のことですね。インストの曲を3曲含むこのアルバムの中で私が好きなのは「八月の蒼い影」ですね。ご本人の弁では「このアルバムの中では一番気楽な曲」らしい。 
「おどるポンポコリン」の大ヒット
 さて、上記のアルバムが発売されたのと同じ月にリリースされたのがB.B.Queensの「おどるポンポコリン」です。作詞こそ「ちびまる子ちゃん」のさくらももこさんですが、作曲と編曲は間違いなく織田さんです。作った本人が一番あの大ヒットに驚いたんじゃないかっていう気がしますが、この年(1990年・・・バブルがはじけた年でもある)の「レコード大賞」をサザンの「真夏の果実」と競い合って、見事勝ち取ったのですよね(その日のサザンの年越しライブのMCで桑田さんがけっこう悔しがっていましたっけ)。まあ、売り上げ枚数ではサザンの3倍くらいいってましたし。1990年だけの売り上げだと133万枚ですが、その後の売り上げ(「レコ大」効果ってのもありますし)をプラスすると、トータルでは190万枚ほど売れたようです。
 私はこの年の12月24日号の「オリコン」を持っているのですが、それによると、1990年の「日本レコードセールス大賞」のアルバム部門の大賞はサザンオールスターズですが、シングル部門はB.B.Queensが、作詞賞はさくらももこ、作曲賞は織田哲郎(次点は小室哲哉)、そして編曲賞も織田哲郎と、まさに「ポンポコリン」イヤーだったと言っても過言ではない状況でした。ちなみに新人部門では「ジッタリン・ジン」が大賞を獲得しています(「たま」がゴールデン賞)。イカ天ブームでもあったんですね、この年は。私も毎週土曜の深夜を楽しみにしていました。「コラージュ」ってバンドが好きだったのですが、きっと誰も覚えてないんだろうなあ・・・。

 この大ヒットに関するご本人のコメント(T's Press Vol.4より)

 「ヒット曲の要因は1つだけじゃないから、まんがのパワーとさくらももこさんの詞と、俺の曲とアレンジとB.B.Queensの歌がいいはまり方したんだよね。いいはまり方をした要因のひとつとしては、何でもあり!っていうのがあったから、みんなが本当に楽しくやれたことじゃないかな。俺も好き放題だったから、すごくらくに楽しんでやれた」

 私はこの曲のシングルは発売してしばらくたってから中古CDで100円でゲットしました(笑)。B.B.Queensのセカンドシングルの「ギンギラパラダイス」も織田さんの曲なんですが、私はこちらも「ポンポコリン」に負けないくらいいい曲だと思います。実はこっちも100円で買ったのですが(笑)。


第10章へ