しばしの沈黙
 「ポンポコリン」が大ヒットした翌年1991年は、アーティスト「織田哲郎」としての活動は表面には出てきませんでした。90年の11月にシングルで「SMILE for ME」という曲を発表して以来、しばしの沈黙が続きます。この年は作家としての活動がメインでしたね。ZARDがデビューした年でもあり、西城秀樹のアルバムを1枚プロデュースしてもいます。「ポンポコリン」の次に「ちびまる子ちゃん」のテーマに使われた「走れ正直者」も織田さんの作品ですから。引き続きB.B.Queensにも曲を提供していますし(それほどヒットしませんでしたが・・・)、B.B.Queensから生まれたMi-keというユニットにも曲を提供し、そのデビュー曲「想い出の九十九里浜」はけっこう売れました。この「九十九里浜」について、織田さんは「最近の俺のアレンジはだいたいそうなんだけど、全部自分で打ち込みやって、自分でギターをかさねて、オケ作ってる。この曲のオケは完全なGSごっこ。おもしろかった」というコメントを残しています(T's Press Vol.7)。実は、この年、森脇健児に「真夏のFantasy」という曲を書いてたりもします(笑)。彼、最近見ませんねえ・・・。

 忘れるところでした。この年のアーティスト活動、ひとつありました。往年のソウルの名曲をビーイング系のアーティストたちがカバーするという企画アルバム「ROYAL STRAIGHT SOUL U」(9月21日リリース)の4曲目で、ゾンビーズというグループの「TIME OF THE SEASON」を歌っています。ほとんど織田さん1人でオケも作ってますが、特筆すべきは、コーラスで佐藤picさんが参加しているということでしょう。かなりのセクシーボイスですぜ(笑)。佐藤picさんについては、織田さんのファンを15年くらいやってる人じゃないとわからないんじゃないかと思いますが、前の事務所「ハッスル・ミュージック」時代からスタッフとして織田さんを支えてきた偉大な人なのです。前のファンクラブ「ハスラーズクラブ」の中心人物でもありましたね。アルバム「VOICES」にもコーラス参加してたりもします。もっぱら「picりん」という愛称で通っていましたね。この「TIME OF THE SEASON」という曲、織田さんの声をたぷりと味わえる仕上がりになっています。いつか、この曲を弾き語りツアーで取り上げてもらいたいものです。
「いつまでも変わらぬ愛を」オリコン1位獲得!
 さて、1992年は織田さんにとって記念すべき年であります。まず、1月に近藤房之助氏とのデュエット曲「BOMBER GIRL」をリリース。大ヒットには至りませんでしたが、一応ロングヒット。10年経った今でもカラオケで歌われたりしてますよね。先日も私の同僚がこれを熱唱してました・・・マイクを奪いたい衝動と戦うのに苦労しました。「この曲はこう歌うんだっ!!」ってね(笑)。そして、その2ヵ月後の3月に「いつまでも変わらぬ愛を」をリリースするわけです。シングルのリリースの間隔が2ヶ月っていうのはかつてない事態ですね。最初で最後?

 この曲との出会いは、正月のテレビでした。正月を親元で過ごしていた私は、遅すぎる年賀状を書いていました。その時、茶の間のテレビから突然流れてきた織田さんの歌。ポカリスエットのCM(一色紗英が出演)だったのですが、そんなことよりも私の頭は「なんてすばらしいメロディなんだっ!!」という想いで満たされてしまいました。ほんの15秒か20秒のできごとでしたが、衝撃的でした。ファンクラブの事前情報でも、「BOMBER GIRL」の発売のことは年末からわかっていたのですが、この曲についてはまったく知らされていなかっただけに、オドロキもひとしおでした。それまでも織田さんの作るメロディには心酔していた私ですが、この時は心が震えるほどの感動を味わいました。そしてCDとして発売されるのを心待ちにしました。
 
 そしてこの曲は3月25日に発売され(もちろん私は発売日の1日前にゲット!)、じわじわとチャートを上り続け(オリコン初登場は15位でした)、13位→7位→6位→3位を経て、ついに登場6週目の5月11日付のチャートで第1位を獲得したのです。私はそのときのオリコンを記念に買って保存してあるのですが、この週の2位は光GENJIの「リラの咲くころバルセロナへ」(こんな曲ありましたっけ?)、3位(前の週の1位)がリンドバーグの「恋をしようよYeah! Yeah!」でした。ちなみにこの時「BOMBER GIRL」は30位。チューブの「夏だね」が初登場6位でした。
 
 この曲はほんとに車の中でよく歌ってましたね。カラオケでもよく歌いました。この曲が出るまでは、カラオケの歌本に「織田哲郎」という項目がなかったですからね。織田さんが他の人に提供した曲ならチューブとか清水宏次朗とかがあるし、まあ、「渚のオールスターズ」という手もあったのですが、やっぱり織田さん自身の歌を歌いたかったのです。近藤真彦の「Baby Rose」という裏技(笑)もありますが(あれは織田さんが3rdアルバムで歌っていた曲をマッチがカバーしたものですからね)。この曲で「織田哲郎」という人の歌声に初めて接したという人も多いようですが、「あの曲、中村雅俊が歌ってるんじゃないの?」という勘違いが非常に多かったですね。

 織田さんのコメントを。(T's Press Vol.8)

 「確かに本気で売るつもりでシングル出したの初めてだけど、こんなに売れるとは誰も思わなかったよね雅俊さん。この詞は俺にとっていろんな意味があるんだけど、ひとつは自分が復帰するにあたって、皆に音楽を届け続けるぞという決意の表明なんだよ」
10枚目のアルバム「ENDLESS DREAM」
 さて、その「いつまでも変わらぬ愛を」を収録した通算10枚目のアルバムが1992年の6月24日に発売されました。本人も「非常に完成度の高いアルバム」とコメントしている通り、バラエティに富んだきらびやかな作品です。音作りに関しては、9枚目のアルバムの制作方法をさらに織田さんの多重録音の割合を多くした形、というのでしょうか、ゲストミュージシャンはもちろん起用しているのですが、ほとんどの曲のオケは織田さん1人で作っているようです。ドラマー(ベテラン青山純)が参加している曲は2曲しかありません。「生音」主体で作っていた初期のサウンドを思うと隔世の感もありますが、打ち込みによる音楽制作というものが洗練されてきて、「流行にとびつく」ということではなく、時代の要請というのか必然とでもいうのかな、と思ったりもします。アルバムのラストに収録された「いつまでも変わらぬ愛を」のクレジットを見ると、この曲はサックス以外はすべて織田さんの演奏です。ギターは12弦ギターを使ってるんですね。

 あと、個人的におもしろいとおもったのが、「Wonderful Night」であの「ちわきまゆみ」嬢を起用しているところですかね。
「世界中の誰よりきっと」
 さて、この年の10月にリリースされたこの曲は、私にとっては青天の霹靂のような曲でした(笑)。ドラマは見てなくて、たぶんテレビの歌番組で初めて聴いたんだったと思います。WANDSというバンドもその時に初めて知りました。「いつまでも変わらぬ愛を」も初めてCMで耳にしたときは衝撃的でしたが、この曲もそれに近いインパクトがありましたね。中山美穂が歌っているというのがちょっと気に入らなかったけど(笑)、WANDSの上杉君の声も非常に気に入りまして、そして何よりこの曲のメロディに惚れこみました。即CDを買いに行きましたね。で、CDを聴いてみると、カップリングの「パート2」の上杉ソロボーカル・バージョンがまたすばらしい出来で、ため息がでるほどでした。織田さんが他人に提供した曲の中では、私の中でぶっちぎりの1位ですね。何百回聴いたかわからないです。カラオケでもこの曲を一番歌ってますね、たぶん。中山美穂バージョンだとキーが「D」であまりに高すぎるので、いつも「パート2」の方で歌ってます。こっちだと、キーは「B」くらいなのかな?楽譜を見たことないので自信ないです。ちなみにWANDSのアルバムに入っているアルバム・バージョンは「C」ですね(楽譜を持ってるので自信を持って言えます)。

 この曲でWANDSを知った私は、その後どんどんWANDSにのめりこみ、ファンクラブに入るまでになりました。それに関してはまた別の機会に書く予定です。
マネージャー武藤英弘初登場
 2003年6月の時点で織田さんのマネージャーを務めている武藤さんが初めてファンクラブの会報に登場したのがこの年のこと。T's Press Vol.9に「NEW FACE」として紹介されています(8月末から担当になったらしい)。昭和43年生まれってことは、私の4つ下ですね。お写真も初々しい顔立ちで、「スティング」なんて連想もできません(笑)。好きな言葉「もらう」「ひろう」「ただ」って・・・。通算5代目のマネージャーってことになるのでしょうか?一時期別の人(6代目?)が担当してましたが、いつのまにかまた武藤さんが出戻ってましたね(笑)。私にとっては一番親しみやすいマネージャーさんです。


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