1993年は作曲家としてミリオンセラーを連発!
 1993年はスゴイ年でした。勢いがありましたね。4月の会報で「3枚アルバム作るぞ!今年中に!!すげ〜。俺は絶対に信用しねえな。ま一応目標は高くかかげて、と」というメッセージを残しています(T's Press Vol.10)。しかし、その次の会報(Vol.11)では、「誰が今年中に3枚なんて言うたんじゃ!」と手のひらを返すコメント(笑)。まあ、ほとんどのファンは信じてなかったと思いますが(笑)。

 まあ、そのアルバムについては後述するとして、この年の織田さんの作曲家としての活躍はめざましいものでした。発売こそ1992年でしたが、「世界中の誰よりきっと」をはじめとして、「負けないで」(ZARD)「揺れる想い」(ZARD)「このまま君だけを奪い去りたい」(DEEN)「愛を語るより口づけをかわそう」(WANDS)といったミリオンヒットを連発し、93年のオリコンチャートの作曲家ランキングでダントツの1位でした。総得点が1,240,499点で、2位の桑田佳祐の395,635点とはケタが違いますね。ちなみに作詞家の1位は上杉昇で、編曲家の1位は葉山たけしです。ビーイングが飛ぶ鳥を落とす勢いだった時期ですね。

 上杉昇への織田さんからのコメント・・・「あいつはいい詞書くよね、ホントに。なにか、俺とは相性いいんだよね、あいつはヒット曲を作るセンスがあるよね。ヒットする詞を書くっていう意味ではアイツは今ピカ一だね」

 ZARDに関して・・・「ZARDとはこれまた相性いいんだよね。なにかしらないけど、俺ZARDにはいい曲書くしさ。坂井もいい詞をのせるんだよね、すごく」

 「このまま君だけを奪い去りたい」に関して・・・「これも一番、俺らしいメロディの曲なんだけど、俺が高校の時に作ってた曲とほとんど変わらないよね。だから、やっぱり『俺の曲』っていう感じがする曲だよね」

 この年の他の提供曲としては、大黒摩季「チョット」T-BOLAN「すれ違いの純情」ZYYG「君が欲しくてたまらない」MANISH「声にならないほど愛しい」ウインク「咲き誇れ愛しさよ」DEEN「翼を広げて」「Memories」などがあります。珍しいところでは、テレサ・テンに「あなたと共に生きてゆく」という曲も書いています(作詞は坂井泉水)。
「FMfan」ロング・インタビューより
 1993年の第10号の「FMfan」に織田さんのインタビュー記事が載りました。「ジャパン・ビッグ・インタビュー チャートをにぎわすヒットメーカー」というタイトルで。全4ページ。未読の方のために、主だったところを抜粋してみましょう。

 ○小さいころから音楽には興味があった子だったんですか?
 「小さいころから、あまり現実に対応していない子供でしたね。音楽を聴くこととか、絵やマンガを描くことで、自分のイメージを具現化することばかりをしていた気がします」
 
 ○例えば音楽だとしたら、洋楽を聴いて、詞の内容はわからないけど、そのメロディから受けるもので、自分なりのイメージを思い描いたり?
 「それはも少し大きくなってからでした。もっと前、小学校の低学年のころは、テレビの主題歌を録音して、それをタテ笛で吹いたりしていました。ほかにも小学生のころは、ブラスバンド部でトランペットをやったり、ピアノを習っていたりもしました。でもピアノはバイエルがおもしろくなくて、”もう二度とやらないから、ピアノを売ってくれ!”って親に言って、あとで後悔しましたけどね(笑)。結局、中学生になてからまた自己流で始めるんですけど」

 ○小さいころに記憶にある音楽をあげるとしたら、どんなものになりますか?
 「もともと母親がクラシック好きで、良く家では流れていました。あとはダークダックスとかが記憶に残っていますね。たぶん幼稚園のころだと思いますけど。音楽にはリズム、ハーモニー、メロディという三大要素がありますよね。僕はハーモニー、特にクラシック系の和音のつながりが好きなんです。それは小さいころに聴いていた音楽からきているものだと思う。あえて言うとしたら、それが僕の音楽的なルーツかな」

 ○そのころに流行していた歌謡曲ではなかったわけですね?
 「歌謡曲というのは、メロディ型の音楽ですよね。どっちかというと、僕はそういうのはあまり好きじゃなかったんです。それよりもストリングス系やコーラス系の音楽の方が好きでした。それは本当に古い話で。自分で初めて好きだな、と思って聴きまくっていたのが、モンキーズの”デイドリーム・ビリーバー”。小学校3年か4年のころ」

 ○当時、TVでモンキーズの番組をやっていたでしょう?
 「よく見ていました。それを録音して、1日中聴いていましたね。それで小学校の上級生になってからビートルズ、サイモン&ガーファンクルのレコードを買い始めていくんです。”レット・イット・ビー”とか”サウンド・オブ・サイレンス”のシングルをね」

 ○「僕には趣味という概念がないんですよ。好きになると、1日中それをやっちゃうから。そうすると必然的にそれを職業に知るしかないわけですよね。イギリスから帰ってきて、僕は高知の高校の寮に入ったんですよ。ギターは欲しいんだけど、親にエレキ・ギターを買ってくれ、と言っても買ってくれないし、寮だからバイトはできないしね。たまに友だちのいとこが持っているのを借りては弾いていた。明日ギターが弾けるという土曜日は、もうそれだけで眠れないんですよ(笑)。あと何時間で弾けると思うとね。物事って、けっこう手に入れたいけど手に入らない時期が、なんでも楽しいんですよね。僕も毎週土曜日が楽しみでしかたなかった。それからしばらくして、自分のフォーク・ギターを手にいれたんですけど」

 ○最初はどんな曲のコピーをしていたんですか?
 「コピーをするよりは、ギターを持ったとたんに曲を作ってました。ただこのオリジナルというのが僕らしいと思うんですけど、ギターの練習曲をいろいろ作っていたんですよ。今聴くと、これまでに僕の作っているポップスの基本的な展開が全部入っている、みたいな練習曲なんです。コード展開やベース・ラインなど、ポップスのパターン集のような曲でしたね。クラシックでいえば、バッハの一連の練習曲という感じかな」

 「僕のアルバムを聴いてもらえばわかると思うけど、シングル・チャートのポップスが好きだというのと、プログレというかマニアックな音楽が好きだという両面が、ずっと僕の中にあるんですよね。どっちかに徹することが、僕にはできない。いろんな時に受けたいろんな感動が、僕の中にはそのまま残っているんです。それが僕の財産だと思うんですね。だから自分にとってのルーツは限定できない。その時々に聴いていた、どれもが僕の音楽のルーツには違いないから」

 「プロになってからもそうだけど、僕にとって音楽をやっているということは、仕事であると同時に、いちばん楽しい遊びでもあるわけです。だからやってられるというのかな。ただの仕事だと思ったら、一生懸命やってられないじゃないですか(笑)。僕がほかの人に曲を書くという作業も、人から見るとすごく仕事っぽいかもしれないけど、僕にしてみればあんなに楽しい遊びはない。だからものすごく熱心なわけですよ」

 ○B・BクイーンズやMi-keのも、そういう遊び感覚の中から生まれたもの?
 「あれは、まさに遊びの感覚ですね。遊びという言い方をすると、仕事より価値が落ちるものだというふうに思われちゃいそうだけど、僕にしてみるとそれは逆でね。僕の中では、すべてのアートは、本来遊びの発想から生まれていると思っているんですよ。絵を描きたいから画家になる、音楽をやりたいからミュージシャンになる、やりたいからやるというのが基本だと思っているから。やりたいからやっている、だからこそ責任が持てるんだと思うんです

 ○『いつかすべての閉ざされた扉が開く日まで』というアルバムを発表してから2年ちかく、織田さん自身ソロ活動はあまりされていませんでしたよね。もちろん、「ポンポコリン」をはじめとする、ほかのアーティストへの楽曲提供は目立っていましたが。
 「ほとんどなにもしないで休んでいたんです。毎日ドライブしたりしてね(笑)。その間に「ポンポコリン」や「想い出の九十九里浜」、ほかに2、3曲しか書いていなかったけど、別に焦りはなかった。僕にとって音楽活動は自分の治療という意味があったけれど、特に休みに入る前に『SEASON』から『いつかすべての閉ざされた扉が開く日まで』の3枚のアルバムを作れたことで、自分のための治療に向けて作ることからやっと解放された、という思いがあったからだと思うんです。それはまるで、これでもう病院に通わなくていいよ、って言われたみたいな気分というのかな。音楽というのは、それをやることでエンタテイナーとして人を喜ばせたいとか、いろんな要素があると思うけど、僕の場合はあくまで曲を作ることの中で、自分が救われていく。自分が楽になるために曲を作っている、という面が強かったから」

 ○エンタテイメントのためというよりも、自己救済のための作品作りということ?
 「だから、あまり売れるということに対して執着はなかったんです。ただそうはいっても、自分が歌っているものがヒットしないのも、なにか悔しいなという気持ちも出てきたのも事実。自分の治療のための作品作りは一応終わったし、だったら、売れるための作業を一度やってみようという気になって

 ○それが「いつまでも変わらぬ愛を」の大ヒットであり、アルバム『ENDLESS DREAM』へとつながっていくわけですね。
 「あれがヒットしたことで、ますます気が楽になった部分はありますね。そういう意味では、自分の救済処置としての作品作りも必要なくなって、これからはどこまで自分の楽しみを突き詰められるか、それだけですね」

 (インタビューは伊藤博伸という人)
何故かロンドンツアー
 そしてこの1993年には、なぜかファンクラブ主催で「織田哲郎と共に行くロンドン観光ツアー」なるものが企画されました。発端は「ファンクラブでも今年は何かおもしろい事しようよ、例えば俺がロンドン時代に住んでいた所を訪ねるとかさ」という織田さん自身の軽い一言だとか。とりあえず、4月の会報に第一報がが出まして、その時点では「募集人員約40名、募集締め切り6月中旬」ということでしたが、8月の会報では「最小催行人数30名まであと6名足りない」という状況が明らかに。最終的な日程としては9月23日から28日までの6日間。旅行代金は¥329,000。私としてはかなり行きたかったのですが、1泊2日くらいならまだしも、水曜日から出発しての6日間はちょっと仕事の都合をつけられず、やむなく断念しました。

 T's Press Vol.12のレポートによれば、最終的にこのツアーに参加したのは31名。写真を見ましたが、なんと全員が女性でした!行かなくて正解だったのかも(笑)。だって自分以外がすべて女性だったら気まずいじゃないですか。1人だけ仲間はずれで。でも、考えようによっては織田さんと同性の唯一のファン(そのツアーでの、ですが)ということでお近づきになれる絶好のチャンスだったのか?会員番号付きの名簿を見た限りでは、私と同じ「0」で始まる番号の方がひとりだけいたみたいです。私の番号が00188で、その人は00190でした。かなり近い番号ですね。「Night Waves」発売当時に入会したと見ましたよ。
大黒摩季とのデュエット「憂鬱は眠らない」
 この年の11月26日に発売されています。憂鬱は「じょうねつ」と読みます。この曲は私かなり好きです。パンチが効いてて、勢いもあって、キャッチーで。どうしてもっと売れなかったのかなあ・・・?デュエットとか言いながら大黒さんがソロで歌う部分はありませんよね(彼女がシャウトしてるところはありますが・・・)。私、この曲を前任校の「予餞会」のカラオケ大会で女子生徒とデュエットしたことがあります。生徒の方からの要望がありまして(私が織田哲郎ファンなのはけっこう当時の生徒には知れ渡ってましたので)、それに二つ返事で承知した、という経緯があります。またその生徒が歌の上手い子で、ちゃんとハモってくれるんですよね、大黒さんと同じように。とっても気持ちよく歌わせていただきました。
「SONGS」「T」アルバム2枚同時リリース!
 そして、本当にやってしまいました、アルバム2枚同時リリース!1993年の12月23日のことです。「3枚」はありえないとして(笑)、まさか本当に2枚同時に出してくれるとは・・・。嬉しい誤算ってやつでしょうか。まあ、この先2度とないでしょうな(笑)。何しろこの時以来10年間、織田哲郎のアルバムは1枚も出ていないのですから・・・。シングルは何枚かリリースしているし、DON'T LOOK BACKというバンド名義でのアルバムは1枚出していますが。そういえば、「ベストアルバム」を作っている、という情報が一時期流れていましたが、あれは結局どうなったのだろう?けっこう期待してたんだけどな。昔の曲を新録音したものとか聴けそうだなって。

 さて、まずは「T」から。このアルバムは外国のミュージシャンの参加が目立ちますね。3曲であのサイモン・フィリップスがドラムを叩いているってのは貴重かも。あとはコーラスで意外な人選をしてますね。2曲目の「風紋」ではなんと元ザバダック(って言っても知らない人が多いのかな・・・?)の上野洋子さんを起用。このレコーディングの時点ではもうザバダックを脱退してたのかな。私、一時期ザバダックというグループにはまりまして、CDもけっこう持ってますし、実はライブも見に行ったことあるんですよ。上野洋子さんの透明感あふれるボーカルが好きでね。だから、織田さんのアルバムで上野さんのコーラスが聴けるっていうのは私にとってすごくゴージャスなことでした。もう一人の意外な人選は6曲目の「ある夏の一日」での鈴木恵子さん。この人はTHIS TIMEという男女2人のユニットのボーカルなんです。確か北海道出身だったはず。織田さんとの接点があったというのがとても意外に思えました。私、THIS TIMEのシングル持ってますよ。曲の清涼感をいっそう増すさわやかなコーラスです。あと、「Christmas Song」では現マネージャーの武藤さんがジングルベルを・・・。もしかして、今年出るかもしれないニューアルバムではスティング武藤氏の華麗なパーカッションが聴けるかも(笑)。

 何しろこの「T」はこの10年間ずっと織田さんの「最新アルバム」であり続けているわけで、ここ数年のアコースティックライブでは「では最新アルバムから・・・」という枕詞が自虐的なギャグになっております。

 もう1枚の「SONGS」は織田さんが「俺が歌って良くなりそうな曲」という観点で選んだ11曲が収録されています。そのあたりの心境についてはT’s Press Vol.13のインタビューで「意外と選んでて、俺が歌える曲ってなかったの。例えば、『ポンポコリン』や『九十九里浜』を俺が歌ってどうするんだっていう話になるじゃない(笑)。『負けないで』もさやっぱなんか変だよなって思うわけさ」と語っています。WANDS, DEEN, TWINZER, WINK, ZARD, TUBE, T-BOLAN, 渚のオールスターズ、大黒摩季に提供した楽曲なんですが、意外とWINKの「咲き誇れ愛しさよ」の完成度が高いと私は思います。そしてこの曲にも上野洋子さんがコーラスで参加しています。セルフカバーアルバムとしては全体に地味めなアレンジになっています。


第12章へ