ファンクラブの会費を払い忘れた1997年(笑)
 私ともあろうものが、97年はどうかしていたのでしょうか、毎年払っている年会費を払っていませんでした。毎年更新が1月の末なんですよね。いつもだったら冬休み中に振り込んでいるんですけど、この年は何かほかの事に気をとられていたのでしょうか?ちょうど2年生の担任をしている時でいろいろ問題を抱えてそれどころではなかったという時期ではありましたね、確かに。それでもふとした瞬間に「なかなか会報来ないなあ〜」と思うことはあったのですが、まさか自分が会費を振り込んでいないとは夢にも思ってませんでした。以前にも会報がしばらく届かないってことはあったのでそれほど深刻に考えていなかったということもあります。今回この「私的ヒストリー」を書くのに、これまでの会報を整理してみたら見事にVol26から29までの1年分がすっぽり抜けているのですよ。私にとっての空白の1年、ということになりますね。まあ、この年は相川七瀬のセカンドアルバムをプロデュースした以外は自分のCDも出していないし(唯一、「ギター・モンスター」というオムニバスアルバムで、「D−10」というインスト曲を発表していますが)、それ以外はZARDに3曲ほど提供しているだけ、と活動が地味だったので逆に会報が来ていなくてもあまり気付かなかったわけですね。
シングル「青空」
 4年ぶりのシングルですね。発売は1998年の4月1日。実は上記の事情があったためにこの曲のリリースについては、発売前にキャッチすることができませんでした。会員番号が0ナンバーの私としてはまったくの不覚でした。「LOVELOVEあいしてる」に出演しているのを見て「何!!新曲が出ていたのか!!」と非常にショックを受けたのを今でも覚えています。翌日帯広のCDショップまで車を走らせたのは言うまでもありません。発売前に新曲リリースを知らずにいたのはこの時だけかもしれません(ファンクラブに入ってからは)。この曲のリリースに合わせていろんな歌番組に出演してましたね。キンキの「LoveLove」を皮切りに「HeyHeyHey」にも出ましたし(その日のメインはLUNA SEAでした)、NHKのポップジャムにも出ました。Mステには出てないような・・・?この頃のバックでトランスフォーマーの本郷さんがギターを弾いていたように思うのですが・・・(当時はまだトラフォとしてデビューはしてないですが)

 このシングル、発売は98年ですが、過去の会報を見る限りでは96年のツアーの時点でメロディは出来上がっていたのではないかという節があります。ツアーの日程を発表したVol.22の情報で「New Single 5月に発売!?」
という記事があります(「か」の文字が微妙に小さくなっているのが笑えます。しかも疑問符つきだし)。曲の感じは「フォークで懐かしい感じ」って言ってますので、まず間違いないですね(笑)。しかもインタビューで「あとは詞だけって感じかな。C/WはLast Lullaby For Youを考えてるんだよね。新しくアレンジし直してね」と答えてますのでもう決定でしょうか。実際に「青空」のカップリングはその曲になってますしね。それにしても1曲の詞を書くのに2年かかってるんですね。相川にエネルギーを注ぎすぎて自分の分が残ってなかったのかな?

 この曲いい曲ですよね。大好きな曲のひとつです。今年(2003年)のツアーでもこの曲でみんな立ち上がりましたし。学級通信のタイトルにも使わせていただきました。
DON'T LOOK BACK
 「青空」リリースのほぼ1ヵ月後に新バンド「DON'T LOOK BACK」(以下DLBと略します)のデビューシングル「DON'T LOOK BACK」が発売されました。「タフ・バナナ」の時は1回限りの企画バンドっていう感じでしたが、このバンドに関しては「10年続けるぞ!」という意気込みで結成されたんじゃなかったかな?NHKのBSに古村さんと二人で出演した時にそんなようなことを言っていたような気がします。ただ、後述する「事件」のためにその2年後には「活動停止」せざるを得なくなるのですが・・・。

 新バンドのメンバーはドラムス小田原豊・ベース美久月千春・サックス古村敏比古・ギター&ボーカル織田哲郎、という4人編成でした。ツアーサポートでキーボードを川島バナナが担当してましたね。古村さんとは古い付き合いですね。一時期は離れていたのですが、アコースティックツアーを一緒に回って以来また復活したみたいですね。このDLBはデビューシングルを出した年の9月にミニアルバム(7曲入り)をリリースしています。この年の春の段階では(会報のVol.30参照)「ソロとしてはシングルを今年中に3枚ぐらい」なんて織田さんは言ってましたが、どだい無理な話でした(笑)。「青空」だって完成までに2年以上かかっているのですから・・・。会報31号(7月頃)では「ソロに関しては年内にあと1枚くらいシングル出して・・・」とトーンダウンしております(笑)。そして、98年暮れの会報(33号)では「(シングルは)意外とねえ・・・出なかったね(笑)」と語っておられますが、長年のファンとしては「予想通り」(笑)と申しましょうか。

 バンド名をそのままデビュー曲のタイトルにした「DON'T LOOK BACK」は大好きな曲なんですが、アルバムを聴いてみて、私としては「やっぱりソロの曲が聴きたいなあ」と強く感じました。今、聴くと「爆走野郎」とか「Motor Man」とかすごくカッコイイと思えるんですけどね。

 99年には4月「必要なのは君。」6月「Baby Don't Cry」9月「モンキー魂」11月「Party Goes On」と、なんと1年に4枚もシングルをリリースしています。これはここ数年の中では驚くべきペースです。

 99年の7月には織田さんがフラッと北海道に遊びに来てるんですよね。その辺のことは会報の35号に詳しく書いてありますが。最初は稚内に行って、空港でレンタカー借りて知床まで行き羅臼のそばの中標津空港から東京に帰ったらしい。織田さんは稚内がいたくお気に召したみたいで、「あそこがオレのふるさと」とまで言っています(笑)。「あそこらへんにね、きちんと滞在する基地をつくりたいなあ」とまで・・・。

 98年のDLBツアーを見逃した私は99年の2回目のツアーを見ました。(この時点で私は新得から現在の滝川に引っ越しております) ソロじゃないので曲目は省略。9月27日札幌のペニーレーン24というライブハウスでした。
T's Party 2000
 私としてはT's Party2度目の参加です。2000年3月18日、二子玉川アレーナホールという会場でした。質問コーナーではなんと当時Field Of Viewのボーカルだった浅岡雄也さんが後ろの方から(立ち見だったかな?)現れて何か質問してました。薄暗い会場の中でラフな服装の浅岡さんは名ドラマー村上ポンタ秀一さんのような感じに見えました(笑)。その後のアコースティックライブで急遽この浅岡さんを加えて「突然」を歌ってくれたのが嬉しかったですね。ステージ転換時にぶっつけでリハをやってたみたいです。マネージャーがつないでいる間に「突然」ががうっすら聞こえてたので(楽屋裏から)、「ああ、やってくれるんだな」とは思ってましたが。歌った後で「このことは(浅岡さんがここで歌ったこと)くれぐれも秘密にしておきましょう」というお達しがあったのですが、3年も経っているので(バンドも解散したし)もう時効でしょう。

 「突然」の後は予定された曲目を歌ってくれました。「いかした奴」「Looking for love」「週末に」「BOMBER GIRL」「Stay/置き去りにされた愛の中で」「時の流れに」「いつまでも変わらぬ愛を」「いつの日か、きっと」以上8曲。そして最後は「握手会」。ただ握手するだけじゃなくて、織田さんに面と向かってひと言ふた言言葉を交わせるというのがとってもうれしかったですね。

 この時の織田さんとの会話を再現してみましょう。
 私:「北海道から来ました!長年のファンでして、会員番号も00から始まってます」
 織田さん:「え?名前は?」
 私:「○○です」(←○○には私の苗字が入ります)
 織田さん:「ああ、○○くん!あ〜、はいはいはい。」
 私:「高校教師やってます」
 織田さん:「あ〜、大学生の時に知って、”オレがライブやらない間に教師になってしまいました”の!
 (←第8章参照)
 私:「そうです!そうです!覚えていてくださったんですね!」
 織田さん:「いやあもう、こちらこそ長いことほんとにどうもありがとうね!」

 レアな苗字で良かった!と、この時ばかりは思いましたね(笑)。まあ、苗字のせいだけではないのかもしれませんが。学生時代に何度も送ったファンレターが無駄ではなかったかとも。とてもハッピーな気分で帰った私です。「織田さんが自分のことを覚えててくれたんだ!」と・・・。

 この日のアンケートから10人分ほどが会報の37号に載っているのですが、実は私が書いたののも一番最後に載っていました。”はるばる北海道からやってきました。「キズナ」とっても良かったです。(←ライブでこそ聴けなかったものの、デモテープを聴くことができたのです)アルバムも本当に楽しみです(オダ本も)。「週末に」が生で聴けて良かったです。やっぱり織田さんは私の「神様」だと改めて感じました」と書いています。これを見て思い出しましたが、この日のトークの中で「織田さんの本が出る」という話が出てたんですよね。あれから3年、何の音沙汰もないのはどうしてなのでしょう・・・?
シングル「キズナ」
 2000年の5月にリリース。2年ぶりの新曲。この曲も大好きです。Aメロの部分がちょっとギルバート・オサリバンっぽい感じですよね。実はこの曲も学級通信のタイトルに使わせてもらいました。

 この曲のプロモーションでいくつかのテレビに出ました。「ミュージックフェア」とか「ポップジャム」とか。「ポップジャム」では酒井法子さんと「碧いうさぎ」で共演したんですよね。


第18章へ