オランダ花博とスイスの旅


   オランダの花博旅行
平成四年(1992年)九月、和蘭(オランダ)で開催された「花の万博」に行ってきまし た。会社が社会保険の委託契約をしていた山口社会保険労務士事務所の主催で、関係先の皆 さんが旅行するという案内があり、会社からは私一人が参加させていただいた旅行です。
日程は12日から19日までの8日間で、オランダ・スイス・英国を廻ってきました。
最初に成田から13時間の飛行で、オランダの首都アムステルダムに着きました。

オランダ・アムステルダム駅前                    オランダ・町の中の水路
     

 オランダは国土が海より低いところが多く、アムステルダムは水の都といったところで す。
有名な風車は、水を土手の外にくみ出すために、風を利用して風車として廻していたので す。小屋の中では、石臼を廻して粉にしていて、臼を搗く動力に使っていましたが、今ある ものは殆どが観光用でした。
 駅前に「飾り窓の女」で有名な売春宿が軒を連ねた町があるというので、皆で見に行きま した。ショーウインドウのように大きいガラス窓があり、その中には一窓に一つの小部屋が ありました。ビキニ姿の水着だけのような格好の女性や、薄物をまとった女性が、一部屋に 一人づつ、退屈そうに座って居ました。
 このような窓がいくつも道路に沿ってあるのですが、そこら辺の道端に居る男は、体中に 刺青をした目つきの悪い男たちや黒人が多く、何をしているでもないし、覚せい剤の売人風 の男も立って居て、危ない街のようだったので皆で急いで帰りました。

  
アムステルダム 聖ニコラス教会            風車の前で             風車小屋   

 翌日は花の博覧会を見に行きました。オランダは花の生産額が世界一だそうで、花は国民 の日常生活に溶け込んでいました。町中のいたるところに花屋さんがあって、知人の家を訪 ねる時も日本人ならお菓子を持っていくのでしょうが、この国の人は花束を持っていくのが 一般的だそうです。
  
  花博の会場                   花博の会場                    花博の会場

 郊外にはマンションが多いのですが、駐車場は何処にも無くて、昼も夜間も部屋の前の路 上駐車が当たり前でした。駐車違反という制度が無いのだそうです。
 このマンションが、日本であれば道路に面して通路があり、低い塀や柵があって部屋の中 が見えにくくしてありますが、オランダでは道路側には何も無く、部屋全体が見えるような 大きなガラス窓があるだけです。
 部屋には足元をさえぎる壁が無く室内が足元から全部見えていて、どの部屋にも、レース のカーテンがかけられているのですが、日本と違うのは、どの部屋にもガラス窓と内側のカ ーテンの間に花の鉢が並んでいることでした。花は外の人に見せるために、カーテンの外側 に並べているのです。
 水の流れが無くダムが造れないので水力発電がなく、火力発電なので電気代が高いのだと 聞きました(風力発電はまだ開発されてない頃)が、商店でも裸電球が二〜三個ぶら下がっ ているくらいで、蛍光灯は使っていなくて、薄暗い中で裸電球で生活しているので、窓は大 きく作ってあり、部屋の中が外から見えるのは気にしていないようでした。昼間電気をつけ ている部屋は一軒もありませんでした。
 夜にはどの部屋にも灯りが点くのですが、道路側の部屋はみんなで生活する居間になって いるようで、人の動きがカーテン越しにシルエットで全部見えていました。
 伝統的な木靴や民芸品を造っている土産物店に行った後、バン・ゴッホの絵画記念館に行 き、その近くのアンネが屋根裏に隠れて生活し「アンネの日記」を書いたという家に部屋を 見に行きました。

   
アンネの隠れ家の前で              民芸品の木靴                    花博の記念品

 オランダで驚いたことは、「ヘアースプレー」が何処にも無かったことです。当時の私の 髪は硬く収まりが悪かったのに、「ヘアースプレー」を持っていくのを忘れたので、現地で 買いたかったのですが、使用方法まで説明しても日本語のわかるバスガイドさんも知らない というし、薬局や化粧品売り場にも品物がなくて、美容院に行ったら、指で押して噴霧する 小型の使いかけのものがあったので、それを売っていただきました。
 その五年後くらい経って日本でも、地球の大気のオゾン層が壊れるとかで、フロンガスの 使用中止が問題になったのですが、オランダではフロンガスを使うヘアースプレーを誰も知 らなかったということは、かなり前から使用禁止になっていたのだと思います。
  国民は穏やかでのんびりしていました。一方通行の道でバスが止まって動かないので、 どうしたのかと思って先を見ると、ゴミの収集車が止まっており、男たちが道端に出された ゴミ袋を回収車に乗せていました。少し進んでは止まって、かなりの時間が掛かっていたの ですが、どの車も黙って後ろに繋がって、作業の終わるのを待っていました。日本ではちょ っと考えられない光景でした。

  スイスの登山旅行
 スイスは町が明るいのに驚きました。室内の電灯は日本の生活と同じくらいなのですが、 オランダの街に居たのでそれをものすごく明るく感じました。
 スイスは第二次大戦時にも中立国を通して、何処とも戦争はしないと宣言している国です が、国民は二十歳になれば全員軍隊に入隊しなければならないし、外国から攻めてこられた ときのために、全国民が国防訓練をする日があって、市民も軍事訓練を盛んに行っている国 でした。
 氷山のユングフラウ・ヨッホ登山は、ルツェルンの町からインターラーケンに行き、約一 時間バスに乗って、ラウツアブルーネン駅に行きました。
 ラウツアブルーネン駅から登山電車に三十分ほど乗って、クライネ・シャイデック駅(標 高2061m)に行きます。この区間は目線と同じ高さに見える山々の連なりが美しいとこ ろでした。
 クライネ・シャイデック駅からユングフラウ・ヨッホ鉄道に乗り換えて、急勾配のトンネ ルの中を電車が進みます。4158mのユングフラウ・ヨッホが、目の前に見える終着駅 (3454m)に着くまでの約五十分間の乗車中はトンネルの中なので何も見えません。終点 の駅に着いて駅の外に出ると見えるものすべてが真っ白の雪原の世界でした。
 日本がまだ観光産業と言う言葉を知らない江戸時代に、雪山に行きたいという人のため に、人力だけでこのトンネルを掘り進み、トロッコ電車で氷山の中に人を運んで収入を得る という、観光という事業をやった人はすごいと思いました。

  
後方がユングフラウ・ヨッホ       クライネ・シャイデック駅        ユングフラウ・ヨッホ前の氷原

 山を下り、ルツェルンの町に向かう農村地帯は、緑の牧草地が多く美しい風景です。家の 窓の外やベランダには殆ど例外なく、赤い花の針植えが吊り下げられており、スイス国旗が 翻っていました。
ロイス川に架かる屋根のある木造の橋、カペル橋は1333年に架設されたものだそうで す。(私が行った数年後にこの橋は焼失して架け替えられました)

 
麓の住宅は窓の下に花の鉢を              木造で屋根のあるカペル橋


  
ルチェルン湖から流れ出るロイス川のほとりの街

  ロンドンの観光
 駆け足で廻ったロンドンは、歴史と伝統の町と言うことを再認識させられました。

  
バッキンガム宮殿前                   ビッグ・ベンを遠くに
 
 歴代の王や妃・詩人・作家・文化人の墓があるウエストミンスター寺院、英国最大のセン トポール寺院、歴史上の人物が投獄され処刑されたロンドン塔、英国王室の住居バッキンガ ム宮殿、有名な時計台ビッグ・ベン(国会議事堂の下院)などを見て廻りました。

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