国と首都の概要

                   { 写真はすべて私のカメラで影したプライベート写真です }    河野善福

 【国の概要】

 ウズベキスタンは1991年8月31日独立するまで、ソビエト連邦共和国の一部でウズベキスタンの国土は447,400平方キロ、
(日本の1、3倍)人口は2,450万人、ウズベキ人が60%、ロシア人が30%、残りはタジキ人、タタール人、カザフ人である。
アフガニスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンと隣接している。北部はアラル海に面し、シルダリヤ川とアムダリ
ヤ川に挟まれている。  
 ロシア的な西欧文化と伝統のイスラム文化が融合し、異色的な文化と芸術が引き継がれている。今も多様な少数民族が
共存し独特の伝統を継承している。イスラム教徒が多数でありながら、ソ連の統治が永かった影響で国民はお酒も飲むし、
豚肉も食べる。特にワインは特産のブドウを原料に沢山売られているし、ロシア人の好むウオッカも出回っています。地形は
大半が砂漠ですが、草木もない山地と広大な農地がある。純粋で勤勉な国民性と豊な資源、美しい自然環境と純朴な農
民、純真な少女達、豊富な野菜果物と牧畜どれもが深い印象を与えてくれる国です。

 国旗の色は上から青白緑、月と星が書いてある。国旗の青は空のような綺麗な心。白は純粋な気持ち。緑は国土を表し
ている。国内に県が13あり、県境にはすべて検問がある。ウズベキスタンには1864年ロシアが入ってきて(ソ連となったの
は1917年から)それから140年間ロシアの統治が続いた。したがってロシア語は皆話せる。1991年ソ連から独立。9月1日
が独立記念日。新学期も9月1日から始まる。

 カリモフ大統領は中央集権のもとに、共産党をこの11年間段階的に改革し、人民民主党への移行をすすめているが、ま
だ社会主義体制から脱皮出来ていない。国営企業の民営化、株式会社化を行っているが、会社も病院もまだ大半が国営
である。 最近は、ロシアからの脱却をはかり、国の経済を高める努力をし、積極的に西欧諸国との関係を強化している。
合弁会社を造り外資導入にも努力しているが、合弁事業の相手はほとんどが韓国人で、この国では韓国人が中国の華僑
のように協力し合って活躍している。 民主化を進めている国とはいえ、社会主義体制の永かった国ではどうしても人的な
繋がりが必要で、韓国人はこの国の政府要人に深いつながりを持っている。
 1ヶ月前に法律を改正し所得税は35%であったのを、1ヶ月前から25%とし、消費税は高級品購入にのみ20%掛けてい
ると言っていた。一人あたりのGNPはUS1,000$くらい、インフレ率は年20%以上と聞いた。

 緯度が日本の北海道から関東地方とほぼ同じところにあり、日本からは西に約7,000Kmの所にある。国土は乾燥して半
砂漠化している。春は涼しく、夏は暑いが空気がカラッとしている、今年の最高は8月に49度という日があったらしいが、日
陰にいれば夏でも厳しさは無いと言っていた。秋は雨季が2ヶ月位あり、冬は雪が降るが気候は温和で厳しい冬ではない。
日本人は冬に亜熱帯に行くより、中央アジアで過ごすほうが身体的には適しているはずだのに、なぜハワイやグアムに行く
のだろうと言っていた。

 東から南にかけて天山山脈(最高峰は4,300m)があり、夏でも雪解け水があるのでシルクロードのオアシスとして牧畜、農
業、野菜、果物、香辛料が豊富。毛、絹、綿、織物、加工食品など産物も多い。

 数千年の歴史のあるサマルカンドは遺跡の多い商業都市でかっては首都であったが、1930年首都はタシュケントに移さ
れた。国民の楽しむスポーツはサッカーが一番で柔道、空手、テコンドーも盛んであると聞いたが柔道・空手はどうか?。 
土産物としてはガラス、陶器の人形や茶器。木彫、金属の工芸品。骨董品。手製カーペット。シルク製品。手工芸の壁掛け
やテーブルクロス。フエルト製の帽子などが有名で、ロシア製のキャビア。ワインやコニャック。蜂蜜。干しブドウ、クルミ、ア
ンズ等の乾燥品が安い。
   
         街頭のメロン、スイカ売り                                      市場の香辛料

  
   街頭のメロン・スイカ売り                          街頭のメロン・スイカ売りと一般マンション

 
一般市街の道路                    タシュケント市街の賑わい

  
市街の落ち着きと女性の服装                        市街地を走るトロリーバス




 【首都タシュケント】

 昔中国の特産品であった絹を、北京からヨーロッパや北アフリカまで運んだ東西の交通路をシルクロードと呼んだ。当時
はキャラバンと呼ばれるラクダを率いた隊商が、何ヶ月もかけて通った道の大半は砂漠で、タシュケントはウズベキスタン
の中でも、サマルカンドと並びシルクロードのオアシス都市として発展した中間地点都市です。天山山脈から流れる川の水
がオアシスをつくり旅人を休めた街です。

 タシュケント(Tashkent)とは石の町という意味だそうです。タシュケントには人口約300万人がいる。タシュケントやアルマト
ウには第二次世界大戦後、シベリアに抑留された日本兵の墓地が整備されてある。敗戦後満州にいた日本兵の内、この
地で道路や鉄道の建設、森林伐採に従事させられ死んでいった人たちの墓である。市内の日本兵墓地は市街地にあり、
現地の人の墓の一角に79人の墓地が整然と整備されてある。
 市の中心部にあるアリシエール・ナヴォィ・バレイ劇場は日本兵が作ったものだと殆どの市民が知っている。劇場の横に
は日本語の記念碑が造られているし、最近遺族会の人によって郊外に桜の苗木が数千本植えられ、春には見事に桜が
咲くと聞きました。

 サマルカンドを中心に、ティムール帝国を築いたティムールを称え、タシュケント市の中心部にティムール広場(公園)が造
られ、彼の馬に乗った像が置かれています。

 通称ブロードウエーと呼ばれている、サイルガーフ通りはタシュケント市民が一番集まる場所(歓楽街)です。屋外レストラ
ンが並び、ジュース類を売っている店や骨董品売り、似顔絵描き、本や絵を売っている店があります。店の出ていない区間
はフリーマーケットのようになっています。

 ウズベキスタンでは外国車に90%の税金が掛けられるというが、ガソリンが安いからか車は多い。なぜなのか、町では自
転車やバイクはほとんど見られない。 道は広いが、コンクリート道路ではなくアスファルトの道路で、路面が波打っており、
車道と歩道の段差は無い。道路の中心だけ舗装されて、両端の舗装されていない部分が歩道である。町で見かける車は
かなり古い車が殆どである。 韓国との合弁で国産の自動車を3車種生産始めたところで、TICOと言う軽乗用車が3,500ド
ルといっていた。
 街は商業都市で市内には地下鉄が3路線あり、30年くらい使ったと思われるバスやトロリーバスが動いている。路面電車
も一部にある。タクシーも都市部には多いが市民の足はほとんどバスである。地下鉄、バス共に1回90symなので1ドルで
12回乗れる計算になる。道路が渋滞するほど車は多いが、20〜30年前のものも当たり前に動いている国である。。ボデー
の塗装はペンキの手塗りで、腐って欠けた所もある車が平気で走っているし、市民は信号のない道路を平然と横切る。ちょ
っと車が切れると道の真中まで行って停まり、反対側の車の流れを観て渡る。しかし、交通事故はほとんどないと言う。
郊外の道路には手を上げて車を止めようとする人たちがいっぱい居た。無料のヒッチハイクではなく何処までいくらと交渉を
して載せてもらうのが、この国では普通らしい。

 今のタシュケントの夜明けは6時、朝は気温18度位か半袖シャツでやや冷える位でさわやか。昼間は40度位、太陽にあ
たると痛いと感じるが、日陰に入ると空気が乾燥しているので暑さは感じない。夜はスカットするほど気持ち良い。 市内に
は欧米型の大型ホテルが沢山あった部屋代は60〜150ドルと言っていた。タシュケントのような都市でも一般の民家は水洗
トイレでは無かった、郊外に出るときはティッシュの持参が必要で、帽子、サングラス、の持参もあったほうが良い。
敷物と民族帽子                              モスクの土産売り少女
   
        ※北朝鮮に拉致された五人を迎えに行った、中山恭子内閣官房参与は迎えに行く直前
      の9月10日までウズベキスタンの大使でした。

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