旅行記、サマルカンド


                              { 写真はすべて私のカメラで撮影したプライベート写真です } 河野 善福

  ノンを売りに来る女性  
 

天山山脈  遠景                               馬の背に荷物を載せて運ぶ農民
 



 【旅 行 記】

 平成14年9月2日、6時30分タシュケントを出発。我々のワゴン車と崔氏など案内人の車の2台でサマリカンド(Samarka
nd)、ロシア語ではSAMARQANDに向かった。空は青くよく晴れていた。サマリカンドはタシュケントから南西に400km、5
〜6時間はかかるところという。

 サマリカンドは1930年までウズベキスタンの首都でタジキ人が多く、市民の半分はペルシャ語を使うということだった。
 サマルカンドのパンはノンと言い、イーストを使わないでかまどで焼く平たいパンです。手でこねた生地を丸くして、中心を
木で作った道具で押さえて凹んだ模様をつける。直径は30cm、厚みは5cm位の円形で、その周りは盛り上がって、中心
が凹んだお皿のような形をしている。このあたりの主食でスープに付けたり、時にはプロフの下に敷いてお皿代りにも使う。
ナイフで切ることは無く、手で千切って食べている。2〜3週間は硬くならないといっていたがどうだろう?。硬くならないから、
昔砂漠を越えてシルクロードの旅をする人たちがこの町を出る時に主食として持っていったものというが、今では車が停ま
るたびにノン売りの女、子供が両手に持って車のそばに走ってくる。(日本まで持ち帰って食べたが、うまいものではなかっ
たし、少し硬くなっていた)

 国民の多くはイスラム教徒で、イスラム教は7世紀の初め中東に広まった宗教であるという。貧乏人に恵みを与え、人を
助け、皆が幸せになるようにと教へているらしい。 熱心なイスラム教徒はアゾン(1日に5回朝、昼、午後、夕方、夜にお祈
り)を行うし、1ヶ月間の断食(朝の日の出から太陽が沈む間何も食べない)を行うという教えがあり、教徒であれば誰もがお
金が貯まれば一度はメッカに行ってみたいと思うらしいが、ウズベキのイスラム教徒は日本人の多くが仏教徒だと言いな
がら、お経も上げられないように、今はお祈りも、断食も出来る時にする程度と言う人が多いらしい。 もちろん子供や病人
は断食しないそうだ。

 サマルカンドは8世紀にはアラブ軍に、13世紀にはモンゴル軍に攻められ荒れ果てた地であったが、約600年前に英雄
ティムールが復興させた地域である。 25歳で太守に任ぜられアフガニスタン、イラン、パキスタンを征服し大ティモール帝
国を築いた。富と繁栄をほしいままにし、現存するほとんどの歴史的建造物は彼が残したものである。

                    路上のリンゴ売り                           路上の蜂蜜売り
    



 スダリオ県の検問を8時15分に通過。アムガリア県との境には大きい川がある。 8時35分カザフスタンに入った。 9時
10分ジザフ県に入る。 ここらは綿花畑が多い。 独立する前ソ連は7歳から70歳の人を明るい間働かせて、全部ソ連に持
ち帰り、ウズベキ人には使わせなかったと言う。綿花の生産も強制的に割り当てて栽培させた当時の名残なのだと言って
いた。 絹の生産地らしく桑畑が続き、タバコの栽培畑も多く観られた。 

 サマルカンドの近くでは蜂蜜売りが30ヶ所位道路に店を出して商いをしていた。 道路に面した普通の民家の玄関前で、
飲料水を売っている光景も何度も見た。大きい傘を広げて日除けとし、テーブルの上にはジュースが10本くらい並んでいる
だけで、店番の人が見えないところも多く、たいした収入にもなりそうに無かったのでふしぎだった。 ウズベキ人は夏でも
緑茶をよく飲むとのことだった、コーヒーは高級嗜好品とのことで高いのであまり飲まれていなかった。

 このあたりの小学生の女の子は、花柄のワンピースに白いエプロンをつけて、頭にはバンチクと言う大型の白いリボンを
真上に載せていて可愛かった。 男の子は黒のズボンに白のワイシャツ着用姿の子が多く、ネクタイはつけていないが、黒
いベストを着ている子もいて明るかった。服装は大人も子供もみんな清潔感があり綺麗だった。 中国の田舎のように古着
の人は見かけなかった。 婦人の色あでやかなドレス姿といい、子供の服装といい、ひょっとすると独立記念のお祝いや、
子供の新学期と言うこの日だけの晴れ着だったのかもしれない。

                  男の子の服装は上着を着けない白ワイシャツの子が多かった 


 ウズベキスタンでは娘が生まれるとポプラを植えて、嫁に行く時切って家を建ててやる風習があると言っていた。 農地に
はポプラが多かった。 女性の結婚は16〜22歳位で、両親は早く結婚することを勧めるそうな。 25歳を過ぎると出遅れと
いわれるらしい。 昔は子供は10人位いたが、最近は子供達に良い暮らしをさせるために、子供は3人を育てている人が
多くなったと言う。ウズベキスタンは今人材の育成と外資の導入に一番力を入れている。

 現地の人の話では男子の割礼と同じく、女子も子供の時割礼をすると言っていた。性感を強め男を喜ばすことが出来る
からだと言ったがよくわからない。 この国の女性はセックスと恋愛や結婚は別と考える人が多く、一夫多妻やフリーセック
スを受け入れられると言っていたが、女性に聞いたわけではなく本当かどうかは解からない。

                天山山脈で羊を追う人                          天山山脈の岩肌
    

 県境通過のたびに必ず検問があった。 タジキスタンに近く麻薬が入るので検問は強化されているのだと言う。 これか
ら行くQURSHI県はアフガニスタンとの国境に近い所、 11時05分県境を通過した。 ここらはリンゴやアンズの畠が続き米
の田も多い。このあたりの家畜はロバが多く、大人が乗ると足が届きそうな小さいロバにまたがった村人が、移動手段とし
て日常利用している。ロバの背に振り分け荷物を乗せて、大人が乗って、一人で山越えをしている人を見たときは驚いた。

 秋の雨期は1日に2〜3回少しづつ降って2ヶ月近くも降り続くのだそうな。 所々に村があり、後は畑か荒野という道を通
過してきたが、タシュケントの町を出てから4時間ほども走ったほとんどの畑の中に、人の姿が見えないし、人家も見えない。
 村からはかなり離れているこの畑にどのようにして来るのかが気になった。 先ほどから山越へにかかっている。 木はま
ったくなく岩と土だけの山が続いている。 峠の標高は1,150mと表示があった。 だらだらと登った山を急傾斜で下ると、下
に広がる平野に街が見えた。 Omonqotan県を通り、カスカダリオ県に12時05分入った。
 12時25分事務所に到着。キタブにいると教えられた。



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