旅行記、タシュケント

                         { 写真はすべて私のカメラで撮影したプライベート写真です }      河野善福
  
( 私が食べて撮影した料理です )

【旅 行 記】

 12時20分工場を出てタシュケント市内の日本食堂へ行った。市庁舎の直ぐ前の米国と韓国の合弁ホテルの1階に
"美都里"というレストランがある。この店は寿司や刺身も有るが韓国料理のほうが多いと思われるような日本式レスト
ランであった。
 かって中東が石油に沸いた時、韓国の労働者の半分が中東に来た。(ちょっとオーバーかなと思いながら聴いた) 
その頃からのつながりで、ウズベキスタンと韓国は人的に強い協力関係ができているという。 当時崔氏はクエートに来て、
韓国人労働者がキムチを欲しがるところに目をつけ、これを輸入し大金を得たとのことだった。ウズベキスタンは11年前
ソ連から独立したが、今も民主化されたとは言え社会主義体制が根強く残っている国で、この国で仕事をするためには
人間関係のつながりが一番大事であると言っていた。

 崔氏は16年前から中国天津で唐辛子の生産を始めているが青島ではまだ2年目。 ウズベキスタンでは5年前に作付
けを開始して、本格的な収穫は3年前からできるようになったらしい。現地での生産管理はLee氏に任せているとのことで
あった。
 ウズベキスタンの国内で名の知られた日本の商社は、丸紅、三菱商事、トーメンなどが有名であったが、国内の事業は
石油ブーム以来、人的つながりを強めた韓国人が国との合弁会社を作り、その大半を支配していると聴いた。

 ウズベキは民主化されているのだが、まだ社会主義国がどこもそうであるように、何をするにも許可をとる必要があるし、
申請から認可までには時間がかかる。 その点では友達が公的機関にいると手伝ってくれるので許可が降りるのが早い
と言っていた。 しかし、ワイロは日常のことであるとも言っていた。
 日中の気温は38度位だと感じたが、湿度が少なく日影にいればさわやかであった。
 2時10分にレストランを出て、事務所に向かったが、明日が11年前ソ連から独立した記念日なので、テロの警戒をしてい
るそうで、大統領官邸の周りは道路が封鎖されており、市内でも検問所が多くなって、軍服を着た兵士がやたら目に付いた。
我々は大きく迂回して2時半Lee氏の事務所に着いた。

 唐辛子は同じ種でも植え付けた産地により大きさも辛味も異なるという。それは土壌と気候によるものと思われる。 中国
で韓国向けに作られている唐辛子は、主に益都で長さが13〜15cm。カプサイシン0.1%位のものである。中国から持ってき
た同じ種を蒔いているのにウズベキスタンでは益都が15〜18cmに成長して、カプサイシンが0.03%位の甘口になっている。
 これを韓国で使うには中国の益都(0.1%)や望都(0.2%)と混ぜて加工するのだと崔氏は言っていた。 選別作業を終え
た唐辛子をここの工場では水分が8〜10%になるまで自然乾燥すると言っていた。 商品は自然乾燥後に中国の青島(自
社工場)に送り空気洗浄(工場を大改造して空気洗浄機を新たに入れた)をする。 製品化するには1ヶ月かかり、商品とし
て出せるのは11月から、価格は10月まで提示できないと言っていた。
 他の農産品として玉葱(オニオン)はたくさん採れるが、要求される品質にならないといい、ニンニク(ガーリック)も見本は
出せるが、同じ品質のものが届くかどうか自信がない、と言った。
 この町は標高480mだそうで、明後日は天山山脈(最高4,300mで夏も雪が残る)を超えてサマルカンドに行くと言った。
 事務所を3時45分発、町の中の道路を牛が歩き、荷馬車が農機具や家族を乗せて通っている。
 4時15分宿舎に帰り6時からゴルフ場のクラブハウスで夕食を食べた。
 
            道路封鎖中の大統領官邸近く
  


 夕食時にゴルフ場の徐会長さんが、招待しているという女性が一人で食事をしていて、我々に彼女を紹介してくださった。
彼女は日本の里谷たえさんが、ゴーグルで冬のオリンピックに優勝した時、フリースタイルで金メダルを取った。ロシアのス
キー選手、リナさんで部屋から金メダルを持ってきて我々に見せてくれたり、私にサインをしてくれた。
           下記はリナさんがその場でロシア語と英語で書いたサイン
1993年オリンピックチャンピオン。              1994年ワールドチャンピオン
   

  

 【旅 行 記】
               
  9月1日、朝6時、直ぐ隣のゴルフクラブに集合、我々3人の組みにゴルフクラブの会長さんが加わって下さってゴルフス
タート。 我々の組にははじめてクラブを持つ人と、10年ぶりにゴルフと言う人がおり、もう一組もクラブの社長さんとKim氏
が加わったが日本組みは初心者同様のゴルフ(私は迷惑かけない程度のゴルフ)。 朝まだ寒いくらいの時間にスタートし、
暑くなる前に18ホール廻ったが、日本組み以外はシングルハンデの人たちばかりだったので、大変なご迷惑をおかけして、
無事ラウンド終了した。 ただし毎日プレーしても無料でいいと言われたゴルフなのだが、この日のみで4人がギブアップと
言うので残念ながら一日だけのゴルフ体験となった。プレーヤー一人にキャデーが一人付いて、手引きのカートで付いて来
てくれる。 若い彼女たちは明るく陽気でみんな英語が話せる。
            キャデーさん達と                        左から二人目ゴルフクラブの会長さん
   
 
 タシケント市内にベカバットという町があり、そこに戦後ロシアの捕虜となった日本人が造った劇場や学校がある。日本人
がソ連に抑留されたと言う話の中では、殆どがモスクワあたりの雪の中で森林の伐採作業をさせられたという話になるが、
ここウズベキでは劇場や学校を作っていまだに国民から感謝されている。 一昨年日本人の旧軍人や遺族会の人達が来
て桜の木を3000本植えたそうで、今年はその桜がきれいに咲いたと言っていた。
 高い土塀に囲まれた中に墓地があり、その一隅にきれいに整備された日本人墓地がある。この地に強制的に連れてこ
られて、この地で無くなった人たちの墓だと聴いた。
 午後1時宿舎を出発。 工場へ2時50分着、さらに農場へ向かい4時15分着。 崔氏はこの農場の10%の権利をもらい、
貿易商のLee氏、その部下のKim Han Ey氏に実務を一任している様子だった。 5時15分メキシコの種による大型唐からし
の畑に着いた。 今年の生産量は1500トン。韓国にはパウダーにして出すと言っていた。 日本にホールで出せないかと
訊ねたら希望はパウダーであるが、崔氏の加工品を特別に出すことを考へているという答えだった。 昨年4〜5000ドル/
トンの価格が、今年は5〜6000ドルになると思うと答えていた。

   旅行記、サマルカンド にリンク

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