韓国の石仏と石塔 |
慶州 南山三陵谷 (慶尚北道) |
韓国には夥しい数の石塔が残されている。 三層石塔と五層石塔がその大半だが、古くは 百済・新羅・高句麗の三国時代、そして統一新 羅の時代へと及んでいる。 いずれも均整の取れた独自の造形美に溢れて いて美しい。 石仏は日本に先駆ける存在としてまことに貴 重であり、美意識という意味では、中国よりも 遥かに共通したものが感じられる。 |
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龍賢里磨崖三尊石仏 |
(忠清南道/瑞山市雲山面) |
ソウルの南西約100キロに位置する瑞山の 町は、黄海に突き出た泰安の半島に有る町だ。 百済の都であった扶餘からは、中国に向かうル ート上に当るわけで、北魏から隋唐に至る大陸 からの影響を敏感に吸収出来る場所であった。 龍賢里の三尊石仏は7世紀のもので、険しい 断崖の中腹に彫られており、現在は立派なお堂 の本尊となっている。中央は釈迦如来立像、左 は観音菩薩立像、右は弥勒菩薩半跏思惟像で、 高さ4米は有る見上げるような大きさである。 最初の印象は本尊が法隆寺金堂の薬師如来、 脇侍の観音は夢殿の救世観音に、そして弥勒は 上野に来た一連の金銅半跏像と、きっとどこか で繋がった遠い親戚だろう、という事だった。 杏仁形の眼や口元に湛えた微笑は、中国北魏 や法隆寺の諸仏にも共通する。影響を受けたの か与えたのか或いは直接的には繋がらないにし ても、共通の大きな輪の中に有って、ルーツは ほぼ同じである事は確かだろう。 旅の初めに出会った百済仏の名作に、韓国石 造美術の並々ならぬ奥深さを思い知らされた。 |
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長蝦里三層石塔 |
(忠清南道/扶餘郡場岩面) |
近江の石塔寺三重石塔が、扶餘長蝦里の三層 石塔にとてもよく似ている、という話を川勝政 太郎先生の本で読んで以来、ぜひ自分の眼で見 たいと念じていたがようやく叶った。 扶餘の町から車で二十分、長蝦里という農村 の小高い丘にこの石塔はきりりとした姿で立っ ていた。 軸部が一石でない、屋根が板状の石を重ねて 出来ているなど、細部の相違はわずかに有る。 しかし、上の層へと軸部の大きさが低減する比 率がかなり近いし、総体的なシルエットはほぼ 同じと言ってもよいほど似ている。 百済式と呼んで良いだろうと思うが、現存す る石塔は稀少で、この形式の石塔は他には扶餘 の定林寺址の五層石塔しか見ることが出来なか った。 新羅式の塔は、統一新羅以降も含め、かなり の数が現存していたが、やはり滅亡した国の悲 哀とでも言うべきか。その意味では、日本の石 塔寺三重石塔は、貴重な百済式石塔の遺構とい うことになる。 新羅式のどっしりとした塔と比べると、心な しか華奢で、今にも崩れてしまいそうな情緒が 感じられてとても良い。 |
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定林寺址石仏 |
(忠清南道/扶餘郡扶餘邑) |
扶餘の定林寺は百済を代表する大寺であった が、百済の滅亡と同時に灰燼に帰した。昔の写 真では雨曝しになっていたと思われるこの石仏 は、現在は再建された立派なお堂の御本尊のよ うな顔をしておられる。 見るも無残と言えそうなほどの摩耗で、顔形 から衣装も印相も判然としない。両手が胸元に 在ることから、合掌か智拳印が想定できそうだ が、これだけでは何とも判らない。 おまけに、頭の石輪は地元住人によって近年 載せられたらしいし、頭部そのものも全く別物 という。高麗時代の石仏とのことで、百済とは 直接関係の無い11世紀のものだが、そうする と制作当初のものは胴体部分だけということに なる。 日本の重要文化財に匹敵する宝物108号に 指定されているらしいが、これだけ破損してい れば日本では考えられないことだろう。 それでもなお、この石仏に捨て難い魅力を感 じるのは、一体何故だろう。きっと、この仏の 向こう側に存在する、果てし無い時間の経過と いう歴史そのものが語りかけてくる、言葉では ない、見えざる波の様なメッセージを感じるか らである。 |
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定林寺址五層石塔 |
(忠清南道/扶餘郡扶餘邑) |
前述の石仏と全く同じ、定林寺の遺跡の真ん 中にポツンと建っている。扶餘の町の東側、広 大な敷地が土塀に囲まれて保存されている。建 っているのは石仏の祭られたお堂と、この五層 の石塔一基のみである。 この石塔は寺の造立と同じ7世紀で、百済と 共に滅んだ寺の運命を共有していたのだろう。 韓国最古の石塔として国宝9号に指定され、貴 重な百済式の遺構として荘重な佇まいを見せて いる。 補修部分がかなり見られるが、統一的なシル エットには破綻は無い。目を細めて石塔全体を 見ると、屋根の大きさや間隔の比率が、斑鳩法 隆寺の木造五重塔にかなり類似しているように 思えてならなかった。 前述の扶餘郊外にある、長蝦里の三層石塔が 近江石塔寺の石造三重塔に瓜二つ、という事実 を併せ考えれば、百済と日本との間には、明ら かに動脈の如き熱い血が流れていた、という事 が自ずと見えて来るではないか。 白馬江の悲劇を想い、その陰鬱さに沈みそう になっていた私達の気分を、河畔名物の鰻料理 が救ってくれた。 |
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塔里五層石塔 |
(慶尚北道/義城郡金城面) |
大邱から安東へ向かう途中の町義城に塔里と いう村が有り、そこの公園に国宝の五層石塔が 保存されていた。訪れたのは春四月、日本と同 じ桜が満開の爽やかな日だった。 一瞬、安東周辺に見られる煉瓦を積んだ塔か と思ったが、実際は軸部に凹凸が彫刻されてい るために、そのように見えたのだった。屋根の 張り出しが少ないので、ややずんぐり形だが、 慶州などにも多い新羅式だろう。 やや離れた場所から全体を眺めると、そのシ ルエットは日本の木造五重塔にかなり似ている と思った。もっとも、法隆寺の五重塔のモデル は、扶餘の定林寺址の五層石塔の方が近いかも しれない。 いずれにせよ、日本の五重塔のルーツは中国 ではなく、百済または新羅の石塔に有ったよう だ。実際に見た中国の塔は限られるが、美しい 形に対する感覚という点で、韓国のほうがより 日本に近いように感じられた。 この旅は、韓国に残る石造美術の格別の質の 高さ、繊細な美しさなどを改めて認識する旅と なった。 |
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清涼寺石仏 |
(慶尚南道/陝川郡伽耶面) |
八万大蔵経で有名な海印寺とは、谷を隔てた 反対側の梅花山麓にこの寺は在る。急峻な坂道 を車で登り、行き止まりからさらにかなり歩か ないとたどり着かない秘境である。 しかし、そこは正しく名の通り清涼な雰囲気 に満ちた荘厳な寺域で、極彩色の伽藍の建ち並 ぶ境内からは今登って来た麓の集落が眼下に見 えた。 境内の中央に、秀麗な三層石塔と石造燈篭が 置かれていたが、いずれも新羅時代を代表する ような傑作である。 写真の石仏は、大雄殿に祀られた石造釈迦如 来坐像で、このお寺の御本尊であった。 お顔の部分がやや摩耗しているが、全体に端 正で均整のとれた美しいお像である。光背の模 様や螺髪の彫りの技術は、衣の襞の流麗な繊細 さと共に一級品である。立派なお堂の中の気取 った仏様は余り好きにはなれないが、ここは石 仏という暖かさで救われる。京都あたりに多く 見られる、平安から鎌倉期にかけての石仏の原 型を見る想いがした。 |
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松林寺五層甎塔 |
(慶尚北道/漆谷郡東明面) |
大邱から第二石窟庵に向かう途中で、この鄙 びた里の松林寺に立ち寄った。丁度桜が満開で 日本との風土の共通点を感じたのだが、この石 塔だけは見慣れないものだった。 甎塔(せんとう)といって、通常の石塔とは 違い小さな煉瓦を何枚も積み重ねて造ったもの で、慶尚北道には広く分布しているらしい。今 回の旅でも、安東の新世洞七層甎塔や造塔里の 五層甎塔などを見ることが出来た。慶州の芬皇 寺に在る三層石塔は、この様式最古のもので、 元来は九層甎塔だった。 屋根の張り出しが小さいので、ややずんぐり とした印象を受ける。こんな形状の層塔を見た のは初めてなのだが、小さい板状の煉瓦を使用 しているために、屋根は横へ長くは出せないの だろうと思う。 しばらく眺めているうちに、この韓国特有の 形に愛着が感じられるようになり、石塔に対す る既成の美意識とは別の造形美を感じるまでに 変化したのである。素材が生み出した素朴な美 とでも言っておこうか。しっとりと咲いた桜と 不思議に融合していた。 |
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南山三陵谷磨崖石仏 |
(慶尚北道/慶州市) |
慶州の町に隣接する南山(ナムサン)に、三 陵から一日がかりで登った。南山は石造美術の 宝庫で、数え切れない数の石仏や石塔が全山に 点在しているのだ。 上仙庵という山寺が絶好の休息地点で、それ から尾根に出る少し手前の崖に、写真の釈迦如 来像が彫られていた。像の前面は断崖で、麓の 里まで展望出来る。昔の日本の農村のような、 どこかほのぼのとした風景だ。 日本の磨崖仏にも通ずるような、丹精で品格 の有る風貌に見入ってしまったが、衣服の部分 から下が岩に同化していることにやや違和感を 覚えた。韓国には岩の上に仏頭だけを彫ったも のが多いが、岩と仏を一体化して崇拝する、石 仏の原点を見たような気がした。南山という岩 山全体が信仰の対象となっている、と言うこと も出来るだろう。 制作年代は不明だが、慶州石窟庵の釈迦如来 坐像がお手本となったとすれば、9世紀より後 となる。単体と磨崖の差はあるが、横顔のイメ ージはかなり似ている。 また、深い松林の中に累々たる岩山が連なる 南山の光景が、狛坂磨崖仏の有る近江金勝山に 類似していると感じたのは、私の思い入れが強 過ぎたからだったのだろうか。 |
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南山茸長寺址三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
これほどまでに劇的な場所に建つ石塔が、ほ かに有るだろうか。慶州南山連峰の南部、断崖 絶壁の岩盤の上である。かつて茸長寺の有った 場所だが、今は磨崖仏と写真の石塔が残るのみ である。 三陵谷から南山へと登った私と妻は、尾根伝 いに南へ歩き、茸長寺谷を少し下ってこの塔へ とたどり着いた。谷から吹く風はまことに爽快 で、きっと山の神々が歓迎してくれているのだ ろう、などと自己中心の感傷に浸っていた。 この三層石塔は一連の新羅式としては小ぶり で、装飾彫刻も無いごく地味な塔なのだが、南 山の神秘的な景観に深く溶け込んだ優しい姿を 見せてくれた。 9世紀統一新羅時代のものだが、1200年 もの間風雨に耐えながら、この場所に立ち続け ていたのかと思うと、知らぬ間に感情移入して しまっている自分に気が付いたのだった。 それにしても南山の霊山としての壮大さと、 そこに散りばめられた数え切れぬ程の仏蹟の数 々には、単なる通りすがりの旅人をして、心か ら感動せしむる見えざる大きな力が、明らかに 存在している。 |
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南山七仏庵磨崖仏 |
(慶尚北道/慶州市) |
石造美術の宝庫である、南山の探訪は容易で はない。それは、石仏や石塔が渓谷に沿って点 在しているので、谷毎に麓から登り直さねばな らないからである。この状況は国東半島によく 似ている。 写真の七仏庵へは、三陵谷を登った翌日、あ いにくの雨の中を妻と二人で登った。この日は 他の登山者には全く会わず、深い渓谷の中でい ささか心細い思いをした。しかし、この三尊磨 崖仏と四面石仏の美しいお姿に接した時には、 背筋がぞくぞくするほど感動した。誠に短絡な 話で恐縮だが、正に地獄に仏を体感した気分だ った。 釈迦三尊と思われるが、その像容は技術を語 る次元とは全く別のおおらかさと包容力を擁し ており、脇侍菩薩も含め、石窟庵石仏にも共通 した格別の美しさが感じられた。 濡れた断崖が危険なので、更に上の神仙庵磨 崖仏は無念だが断念した。 |
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拝里三尊石仏 |
(慶尚北道/慶州市) |
南山の石仏とはいえ山麓の里に在るので、慶 州観光では鮑石亭址の後に立ち寄る場所となっ ている。かつては露座の石仏だったが、近年屋 根で覆われ礼拝の場所も整備された。 私達がここを訪れた時に一人熱心に祈る婦人 がおられたので、写真を撮るのを暫く控えてい た。信仰心が希薄で何とも脳天気な日本人と比 べると、熱い信仰心を持った方の多いお国柄で もある。 釈迦如来像が中心の三尊石仏といっても、他 の二体は普賢菩薩や文殊菩薩などの脇侍ではな い。元来関係の無かった三体の石仏を、発見時 にまとめたという説も有る位なのである。 写真は左側に建つ像で何の像かは不明だが、 ふくよかで柔和なお顔立ちには親しみが感じら れる。顔と腰を微妙に曲げており、見事な光背 や装飾が独特の雰囲気を創出している。7世紀 から8世紀にかけての、三国新羅時代の制作と 思われる。 この大らかな仏容は、明らかに日本の石仏へ と伝承されていると思う。この石仏を見ながら 日本の石仏の源流は決して中国大陸ではなく、 朝鮮半島にあると確信したのだった。 |
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感恩寺址三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市陽北面) |
慶州石窟庵の石仏はガラス越しで反射のため 良く見えず、更に撮影禁止ときたので欲求不満 が高まっていた。そんな折に出合ったこの二基 の石塔は、私達の溜飲を下げるのに十分なほど の情緒を持った遺構だった。 石窟庵から、文武大王の海中御陵で知られる 臺本へと向かう途中の畑の向こうに、堂々と建 っているのが見えたのだった。 三国統一を成した新羅の文武大王が創建した この寺は、現在は完全に廃墟となってしまい、 残っている建造物はこの東西両三層石塔のみと なっている。 先ほど松林寺で述べた石塔に対する従来から の既成の美意識に、これほどぴったり該当する 石塔もまた珍しいだろう。屋根の反り具合や、 上へ向かうほど小さくなる屋根と塔身の大きさ の低減率などが、日本人の見慣れた法起寺や当 麻寺や明通寺などの木造三重塔のシルエットに ぴったりなのである。 塔の周囲に礎石が見られることから、おそら く感恩寺の伽藍を形成していた塔と思われ、慶 州国寺の三層石塔と多宝塔のような存在だった のだろうと想像した。 仏国寺と感恩寺の石塔ではどちらが好みかを 問われれば、私は躊躇無くこちらを取る。 |
韓国各地の石仏と石塔 写真紀行 |
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旧法泉寺玄妙石塔 |
(ソウル市/国立中央博物館) |
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旧南溪寺七層石塔 |
(ソウル市/国立中央博物館) |
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旧円覚寺十三層石塔 |
(ソウル市/タプコル公園) |
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無量寺五層石塔 |
(忠清南道/扶餘郡外山面) |
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大鳥寺三層石塔 |
(忠清南道/扶餘郡馬岩面) |
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大鳥寺弥勒石仏 |
(忠清南道/扶餘郡馬岩面) |
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法水寺址三層石塔 |
(慶尚北道/星州郡修倫面) |
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清涼寺三層石塔 |
(慶尚南道/陜川郡伽耶面) |
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海印寺三層石塔 |
(慶尚南道/陜川郡伽耶面) |
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願堂庵十一層石塔 |
(慶尚南道/陜川郡伽耶面) |
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月光寺址三層石塔 |
(慶尚南道/陜川郡冶爐面) |
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桐華寺毘蘆庵三層石塔 |
(慶尚北道/大邱広域市東区) |
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箕城洞三層石塔 |
(慶尚北道/漆谷郡東明面) |
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孤雲寺三層石塔 |
(慶尚北道/義城郡丹村面) |
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造塔里五層甎塔 |
(慶尚北道/安東市一直面) |
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新世洞七層甎塔 |
(慶尚北道/安東市) |
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新月洞三層石塔 |
(慶尚北道/永川市琴湖面) |
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浄恵寺址十三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市安康邑) |
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羅原寺五層石塔 |
(慶尚北道/慶州市見谷面) |
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石窟庵三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市陽北面) |
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獐項里寺址五層石塔 |
(慶尚北道/慶州市陽北面) |
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孝峴里三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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芬皇寺旧九層甎塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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味呑寺址三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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仏国寺三層釈迦塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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仏国寺多宝塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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仏国寺三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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南山洞三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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旧高仙寺三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市慶州国立博物館) |
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九黄里三層石塔 |
(慶尚北道/慶州市) |
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南山三陵谷如来石仏 |
(慶尚北道/慶州市) |
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南山三陵谷聖観音磨崖仏 |
(慶尚北道/慶州市) |
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南山薬水谷如来磨崖仏 |
(慶尚北道/慶州市) |
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掘仏寺址石仏群 |
(慶尚北道/慶州市) |
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通度寺三層石塔 |
(慶尚南道/梁山市下北面) |
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梵魚寺三層石塔 |
(慶尚南道/釜山広域市金井区) |
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