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| フランスとヨーロッパの古代巨石文化 Mégalithique Civilisation de France et Europe |
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| 石の持つ不変の絶対性や神秘性に崇敬の念 を抱くのは、古今東西遍く共通しているらし い。 英国ソールスベリー近郊のストーンヘンジ を初めて見た時の驚きを、言葉で表現するの は無理というものだ。謎だらけの石のモニュ メントだが、何等かの目的のために、古代の 「人間の手」によって造られたことは事実な のだ。重機も測量機材も無い時代に、どのよ うな方法で造られたのかは解明されていない。 フランスを中心としたヨーロッパ各地にも 巨石文化は存在している。 壮大な規模のメンヒル列石が残るカルナッ クを含むブルターニュは別サイトで掲載し、 ここではフランスのロワール、ポアトー地方 にかけての一帯に点在するメンヒルとドルメ ンを歩いてみよう。 フランス以外のヨーロッパ各地の主要な遺 跡については、英国、アイルランドは別サイ トで取り上げることとし、イベリア半島、イ タリア、デンマーク・北欧についても順次取 り上げていきたいと思う。 右写真:Stone Circle Anundshõgen (SWEDEN) |
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| ラ・ピエール・クーヴェルト/ドルメン La Pierre Couverte/Dolmen |
| Maine-et-Loire (FRANCE) |
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ロワール河下流の町アンジェ (Angers) の北 東に広がる、小高い丘陵の雑木林の中にこのド ルメンが在る。ここから至近の村ポンティーニ ェ (Pontigné) に在る聖ドニ教会へ、彩色され たロマネスク柱頭彫刻を見に来た時の寄り道で あった。 四方に石を立てて壁とし、上に屋根を載せた ドルメンである。石は扁平に見えるが、近くで 見れば厚さは50cm以上あり、簡単に動かせ るような代物ではない。 大方のドルメンが入口と奥の部屋を備えてお り、奥の空間は荘厳された形式となっているの で、墓室もしくは宗教的な祭祀の中心であった と考えるのが最も妥当だと思える。 それにしても、どのような権力あるいは中心 的存在が有ったのか、というテーマに興味は尽 きない。 |
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| メトレイ/妖精の洞窟のドルメン Mettray/Dolmen de la Grotte des Fées |
Indre-et-Loire (FRANCE) |
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ロワール河畔の町トゥール (Tours) に滞 在していた或る日、何気なく見ていた国土地 理院発行の地図で、このドルメンの存在を知 った。その不思議な名前に惹かれて、すぐに 出かけたことは言うまでもない。 トゥールの町の北方数キロにある郊外の村 外れで、その森は畑の中の村の鎮守といった 風情だった。 傾斜して立てられた壁石に比べ、天井の石 は豪壮な大石である。祭室というよりも、全 体が天井の低い羨道のようで、妖精の洞窟と は言い得て妙な命名だなあ、と感心した。 妖精が舞い遊ぶに相応しい雰囲気が漂って おり、古代より何等かの神霊的存在を予感さ せるような場所だったに違いない。 特に、霧に包まれたロワール河流域の雰囲 気は、正にそのような世界に近いと思う。 |
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| ラ・バジュリエール/ドルメン La Bajoulière/Dolmen |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
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同じロワール河流域に在るドルメンで も、これは先出の二つとは河を挟んで反 対側の岸に位置している。 アンジェの町からロワ−ル河を南岸沿 いに、ソミュール (Saumur) 方面を目指 して走ると、壊れそうになったままの、 小さく Dolmen と書かれた看板がかろう じて見つかった。こんなものを見て歩く 人は滅多にいないのだろうか。 雑木林を抜けた丘の上の開けた草原に、 この奇妙なドルメンが在った。 まるで鰻の寝床みたいに細長く見える が、やはり入口から羨道が祭室へと続い ている。床の部分は掘り下げられている ので、天井は高く内部は案外広い。 明るい雰囲気が、古代の石のモニュメ ントというイメージを忘れさせ、あたか も野外美術館に置かれた前衛彫刻のよう なイメージを想わせた。 |
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| ガルド・エペー/ドルメン Garde-Epée/Dolmen |
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このドルメンはポアティエの南、シ ャラント県の首都アングレームの町の 西に在る。ブランデーで有名なコニャ ック (Cognac) の町から近い。 シャラント河流域の平坦な耕地の真 ん中に、孤高な雰囲気でポツンと立つ ドルメンの姿は異様だった。かつてこ の場所がどのような聖域であったのか を想像するには、葡萄畑に囲まれたこ の風景は余りにも牧歌的すぎるのだ。 羨道は無く、ストーンサークルのよ うな円形状に並べられた立石の上に、 厚く大きな平石が載せられている。高 さは2m程で小さく見えるが、傍に寄 って見ればやはりかなりの巨石群なの であった。 石にいったい何を感じて、古代の人 達はこのような建造物を造り続けたの であろうか。 写真は82年の正月に、この地方の ロマネスクを探訪した際のものである。 |
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| アヴリエ/フレブシェールのドルメン Avrillé/Dolmen de la Frébouchère |
Vendée (FRANCE) |
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ポアティエ市 (Poitiers) の西北、ナン ト市(Nantes)の南に位置するヴァンデー 地方を旅したことがある。ロマネスクの サイトにその報告があるが、知られざる 歴史と文化の宝庫なのである。 アヴリエは県庁所在地ラ・ロシュ・シ ュル・ヨン (La Roche-sur-Yon) の南、 大西洋岸に近い所にある田舎町である。 周辺は古代石造文化遺構の密集地で、 ドルメンやメンヒルをあちこちで見るこ とが出来る。 このドルメンはその中では最も著名な もので、堂々とした美しい姿を今日でも 見る事が出来る。 ここでも羨道のような通路や、部屋の ような間仕切りが少しだけ見える。天井 の石は一枚岩の豪壮なもので、どうやっ て運搬し、どうやって載せたのかを考え ると、永久に眠れなくなりそうである。 |
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| アヴリエ/サヴァトールのドルメン群 Avrillé/Dolmens de Savatole |
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前述のドルメンから比較的近い雑木 林に、三つのドルメンが群立する場所 がある。 森の中、小道に面した所、そしてこ の畑の中、の三箇所である。 いずれも規模は小さいが、個性的な ものばかりである。中でも写真の、少 し崩壊したこの畑のドルメンが気に入 ってしまった。 崩れた石は命を失っているが、残っ た石組の風情がとても良い。 崩落し風化し、朽ち果てていく運命 を予感させるからである。 穏やかで静寂な時間の流れが感じら れて幸せだったが、現実的な欲望は時 間を無視する。 私達は海岸の港町ル・サーブルへと、 名物の牡蠣料理を食べるために踵を返 したのだった。 |
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| コーリア/スタンターリの列石 Cauria/Alignements de Stantari |
Corse (FRANCE) |
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コルシカ島南部、美しい山上都市と して知られるサルテーヌ (Sartene) の 町の西南一帯には、ドルメンやメンヒ ルを主体とした古代の巨石遺跡が密集 している。 コーリア古代遺跡はその中心で、二 つの列石とドルメンを訪ねた。 遺跡の入口にある駐車場に車を停め、 広大な草原を歩いて回ることになる。 訪れる人は、他には全く見当たらない。 最初に着いたのがこの列石で、先端 が丸くなった細長い石の並んだメンヒ ル群である。こうした列石が二列並ん でいるのだが、ブルターニュなどで見 るメンヒルとは大きく印象が異なる。 それは、石が加工され人面が彫刻さ れているからで、これがコルシカなら ではの最大の特徴なのである。 中央の二基には、わずかだが人面彫 刻の痕跡が見える。 青銅器時代の遺跡とされ、BC2000 年前後のものだという。 |
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| コーリア/レヌギュの列石 Cauria/Alignements de Rennegiu |
Corse (FRANCE) |
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前述のメンヒル群からさらに草原を 横切り、遠くに見えていた岩山の麓辺 りまで歩くと、鬱蒼と繁った林の中に この列石がひっそりと立っているのが 見えた。 ここのメンヒル群は大小様々な立石 から成り、明確な列は無く、石の数も かなり多いようだ。 木の影になる石が多く、写真には好 天が仇となる。 ここでは、古代の人達が何を求めて かくも巨大な石の数々を立てたのだろ うか、という原点とも言える疑問に立 ち返っていた。 カルナックの様に意図的に並べられ た立石群とは違い、ここでは何らかの 記念碑的な石として立てられたのでは ないか、と解説書に書かれていたから である。 人面彫刻などから、墓碑的な目的が 想定されたのだろうか。 |
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| コーリア/フォンタナッキアのドルメン Cauria/Dolmen de Fontanaccia |
Corse (FRANCE) |
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広大なコーリアの遺跡群の中では最 奥に位置しており、背の低い潅木の林 の中の小道をしばらく歩かねばならな い。ドルメンは小さな丘上の開けた場 所に、かなりしっかりと残されている。 部屋のように立石の壁で囲まれたコ の字形の空間に、偏平な巨石が屋根の ように乗せられている。 “埋葬用の部屋”という解説が、こ うしたドルメンには成されることが多 いが、ここでも看板にはそう記されて いた。 遺跡全体の年代は、新石器時代から 青銅器時代への過渡期であった金石併 用時代とされ、紀元前2800〜1700年頃 とのことである。 飛鳥の石舞台のように、頑強な石組 で壁面を構築されたものは、当初は地 中に埋まっていた墓室と考えられなく もないが、こうしたドルメンはやはり 墓室とは考え難い。 少なくとも祭祀のためのモニュメン トだったのだろうと言うべきだ、とい のが私の言い続けてきたことだ。 |
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| パラギュ/列石 Palaggiu/Alignements de Palaggiu |
| Corse (FRANCE) |
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石の表情が鋭角的な自然石による ブルターニュやダートムアのメンヒ ルに比べると、コルシカの加工され た立石によるメンヒルの印象は、す りこぎのようで迫力には乏しいが、 並ぶことによってむしろ不思議な魔 力を感じさせてくれる。 同じ石を立てる行為でも、目的意 識に何らかの違いがあったことだけ は確かだろう。ましてや、コルシカ では人面を彫刻しているのである。 墓碑のような、あるいは何らかの メモリアルな記念碑としての意味が 込められているのかもしれない。 ここはコーリア遺跡からは数キロ 離れた場所で、壮大な列石群があっ たのだが、その大半が倒壊している。 倒石全ての復元が出来れば、人を 圧するような量感が生まれ、この遺 跡がかなりの規模であったことが判 るだろう。 |
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| フィリトーサ/人面メンヒル群 Filitosa/Statues-Menhirs |
| Corse (FRANCE) |
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プロプリアーノ (Propriano) の北西にあるこの 遺跡は、紀元前2000年頃の集落の跡である。オピ ダン (Oppidum) と呼ばれ、要塞や宗教的記念物 などが残されている。 遺跡全体は野外博物館となっていて、遊歩道な どが整備されると同時に、メンヒルなどの遺構は かなり意図的にレイアウトされているようだ。 遺跡のあちこちにメンヒルが見られるのだが、 遺跡最奥のオリーブの樹の茂る小山を囲むように して立っている五基のメンヒルが印象的だった。 写真の三基の他に、左側にもう二基立っている。 いずれも先端部に人面らしき彫刻の跡が見られ、 中央部には剣のようなものが彫られているので、 戦士たちの像であるのかもしれない。 やや時代が下がる可能性もあるだろうが、この 時代に偶像的な像容が描かれたということは驚き で、かなりの文明や知性を持った民族であったこ とが想像できる。 地中海を往来する別の海洋民族に滅ぼされた、 と解説書には書いてある。博物館の資料では、羊 を飼って暮らしていたらしいのだが、住んでいた 岩窟のような集落と、知的な行為とのギャップが 気になったままでいる。 |
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| メレンドゥーニョ/プラカのドルメン Melendugno/Dolmen di Placa |
| Puglia (ITALIA) |
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イタリアのドルメンといってもあま りピンと来ない方が多いかもしれない。 だが、バリからレッチェにかけての アドリア海沿岸地帯は、古代ドルメン の密集地帯なのである。 最も有名なコラート (Corato) のド ルメンを見損なったのが残念だが、レ ッチェの東南、半島の踵の先に在る三 つのドルメンを見ることが出来た。 ここはレッチェから10Km程東南 に位置する集落で、家並みの途絶えた あたりにこの小さなドルメンが在った。 屋根石を支える石がぐるりと円形に 立てられているので、入り口や通路ら しき構造は見られない。 内部は部屋や墓というよりは、密室 状態の空間なのである。見えざる聖な るものの降臨する場、として構築され たもの、という常々申し述べている私 の理解の仕方を皆様はどう受け取られ るのだろうか、気になるところである。 近くにはグルグランテ (Gurgulante) のドルメンが在った。 |
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| ミネルヴィーノ・ディ・レッチェ/スクーシのドルメン Minervino di Lecce/Dolmen di Scusi |
| Puglia (ITALIA) |
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レッチェの町のバロックの嵐に疲れ 果てた私達は、口直しの意味も有って “オットラント・グループ”と呼ばれ る古代遺跡群の探訪をすることにした のだった。 先述のメレンドゥーニョも含め、こ の一帯には16箇所ものドルメンやメ ンヒルがあるのだそうだ。 ここはオットラント (Otranto) の 町の南西8Kmの場所に在って、オリ ーブの林に囲まれた古来からの神聖な スポットであったようだ。 4m近い長さの天井石 (Cap Stone) の大きさに比べると、それを支える立 石が余りにも小さく、不規則な積み方 が不安定な緊張感を生んでいる。 ここでも、従来は墓として土中に埋 まっていたのではないかという説が有 力なのだが、それにしては壁となる支 石が何とも貧弱であり、やはり何らか のモニュメントとして構築されたのだ ろうと私は思う。 |
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| モーレス/コヴェッカーダのドルメン Mores/Dolmen Sa Coveccada |
| Sardegna (ITALIA) |
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サッサリ (Sássari) の東南にあるこ の町の周辺には、ヌラーゲ文明の石積 み遺跡など、数多くの古代遺跡が密集 している。 ドルメン好きの私はここだけは見て おきたいと思い、ロマネスク教会巡拝 の合間にこの場所を探した。 ようやくたどり着いた場所は、広大 な民営農場の牧草地のど真ん中だった。 親切な農場の親爺に頼んで、ドルメン 見学の許可を貰うことが出来た。 3m近い高さの巨石が組まれており、 その堂々たるドルメンの姿に心打たれ たのだった。 二列に並べられた壁石(支石)の上 に平石が置かれ、手前の窓のある壁石 の反対側は開口部となっている。 紀元前2000〜3000年と巾はあるが、 青銅器時代の遺構だろう。 圧倒的な石の神秘性と存在感、これ に触れられることが巨石遺構を歩く大 きな糧となる。 親爺が母屋でコーヒーを入れ、草原 を歩いて帰る私達を待っていてくれた。 |
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| バルバセナ/コータダのドルメン Barbacena/Anta da Coutada de Barbacena |
| Portalegre (PORTUGAL) |
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その日はエヴォラ (Evora) からエ ルヴァス (Elvas) を観て歩き、夕刻 になって宿泊予約をしてあったクラ ート (Crato) のポーサダを目指して 車を走らせていた。 バルバセナの町を通過した辺りで、 このドルメンを示す標識を発見し、 急遽山の中へと入って行ったのだっ た。 日の沈んだ夕暮れだったので、写 真はシルエットだけになってしまっ た。しかし、このスリリングなドル メンの魅力は御想像いただけるもの と思う。 手前が開口部で、壁石として四基 の立石が組まれている。しかし、天 井石を支えているのは手前の二石だ けであることが、この危うい緊張感 を生んでいるのだった。 偶然立ち寄ったここだけではなく、 この地域には魅力的なドルメンやサ ークルが他に多数あるので、そのた めの旅行を企画しなければならない だろう。 |
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| アヌンドショーゲン/ストーンサークル群 Anundshögen/Stonecircles (Stone Ships) |
| Västmanlands Län (SWEDEN) |
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ある本でこのサークルの写真を見て 以来、夢はストックホルムに飛んでい た。北欧の旅が実現した時、何よりも ここを訪ねることが第一の目的となっ ていたのである。 ストックホルムから西へ100キロ の田園地帯に、この船形をしたサーク ルが三つ並んでいた。(このページの 巻頭参照) ヴァイキングのボートの形に似せた このようなサークルは、スウェーデン 各地に数多く残っている。実際はヴァ イキングが活躍するずっと以前の、旧 スカンディナヴィア族が形成した青銅 器時代後期(BC1500〜500)のものと 思われる。 明らかに墓地として使用された痕跡 や、副葬品と考えられる木製の船が埋 められているケースもあるらしい。 その中でもここは最大級のサークル で、長さは53mもあり、正面の石の 高さは3mにも及んでいる。 英国のストーンサークルが好きだが、 森と湖に囲まれたこのサークルにはま た格別の雰囲気が感じられた。 遺跡内には列石やルーン石碑やマウ ンドもあり、古代に想いを馳せるには 最良の環境となっている。 |
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| エコルナヴァレン/ドルメン Ekornavallen/Dolmen |
| Västra Götalands Län (SWEDEN) |
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ヴァテルン (Vättern) とヴァネル ン (Vänern) という二つの大きな湖 に挟まれた湿地帯で、遺跡は山より の草原地帯に広がっている。 スカラ (Skara) の教会へ行く途中 で立ち寄った遺跡で、ストーンサー クルやメンヒルやケルンなどが密集 する壮大な遺跡である。 中でも特に気になったのがこのド ルメンで、石がかなり崩落している ものの、フランスで見られる“覆わ れた通路 (Allée Couverte)”の形 式であることに興味があった。 つまり、両側に板状の支石を並べ て通路状の空間を造り、その上を屋 根石で覆ったもの、である。残念な がら、ここでは屋根石がほんの一部 しか残っていなかった。 もう一つ面白いのは、写真手前に 直角にもう一本の通路が延びている ことで、あまり類例を知らない。 |
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| アムンドトルプ/ストーンサークル群 Amundtorp/Stonecircles |
| Västra Götalands Län (SWEDEN) |
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前述の遺跡からスカラへと向かう途 中の村の背後の山麓に、ストーンサー クルが四つ繋がっているという珍しい 遺跡があった。 写真は村に近い二つのサークルで、 中央にあるサークルが最も美しい円形 になっていた。 さらに奥に船形のサークルがあり、 少し離れた林の中にもう一つのやや荒 廃したサークルが見られた。 英国で見られるサークルのように美 しかったので、気分は最高だったが、 よく考えると、北海を隔てて英国とス カンディナヴィアは隣国なのである。 スウェーデンのサークルの場合、墓 地としての色彩がやや濃いので、何の ために石を立てたのかを考える時、古 代人の行った祭祀に対するイメージが、 葬儀といったような死者を弔う空間、 というようなやや夢の無い段階で止ま ってしまいそうである。 古代の人々の、絶対的なものへの、 もっと深遠で崇高な畏敬や、純粋な崇 拝の姿が背景にあったのだろう、と想 いたいからなのである。 |
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| ガナルヴェ/ストーンシップ Gannarve/Stoneship |
| Gotland (SWEDEN) |
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バルト海に浮かぶゴットランド島 は、海路の要衝として古くから開け た島だった。 古いハンザ都市だったヴィスビー (Visby) に滞在し、多くの中世教会や フォーロ島 (Fårö) などを巡った。 その際に、島中に点在する「ヴァ イキングの墓」というものの存在に 気がついたので、その内の何箇所か を歩いてみた。 ここは島中央部の西海岸で、船形 サークル遺跡は道路沿いに唐突に現 れた。案内板にも「ヴァイキングの 墓」と記されている。 ヴァイキングが歴史に登場するの は9世紀初頭からであり、これがそ の墓だとすれば、当然その時代に建 造されたサークルということになっ てしまうだろう。 このサークルの時代は不明である。 島ではボーゲ (Boge) の船形サー クルが最古で、青銅器時代のものな のだが、今回は訪ねることが出来な かった。 |
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| グニスヴァード/ストーンシップ Gnisvard/Stoneship |
| Gotland (SWEDEN) |
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前述のガナルヴェからは数キロ北 に離れており、鬱蒼と繁った森の中 にあるこの遺跡の雰囲気はとても神 秘的だった。 石の大きさや船形の規模はほぼ同 じで、船の先端付近に象徴的な大石 を使用しているところも似ている。 アヌンドショーゲンのサークルと 比べると、船形が実際のヴァイキン グの船にやや近いシルエットになっ ており、この写実性は時代がかなり 新しいことを物語っているのかもし れない、という印象は拭えない。 英国などのストーンサークルとは どうやら次元の違う存在ではあるの だが、石を並べ立てた人々が抱いた 石に対する絶対性や神秘性への想い は同じだったのだろう、と思う。 何とも不思議でユニークなストー ンサークルが在ったものだ。 |
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