フランスとヨーロッパの 古代巨石文化 |
Mégalithique Civilisation de France et Europe |
フランス(ブルターニュ以外) イタリア イベリア半島 北欧 アイルランド |
Stone Circle Anundshõgen (SWEDEN) |
石の持つ不変の絶対性や神秘性に崇敬の念を 抱くのは、古今東西遍く共通しているらしい。 英国ソールスベリー近郊のストーンヘンジを 初めて見た時の驚きを、言葉で表現するのは無 理というものだ。謎だらけの石のモニュメント だが、何等かの目的のために、古代の「人間の 手」によって造られたことは事実なのだ。重機 も測量機材も無い時代に、どのような方法で造 られたのかは解明されていない。 フランスを中心としたヨーロッパ各地にも巨 石文化は存在している。 壮大な規模のメンヒル列石が残るカルナック を含むブルターニュは別サイトで掲載し、ここ ではフランスのロワール、ポアトー地方にかけ ての一帯に点在するメンヒルとドルメンを歩い てみよう。 フランス以外のヨーロッパ各地の主要な遺跡 については、英国は別サイトで取り上げること とし、イベリア半島、イタリア、デンマーク・ 北欧についても順次取り上げていきたいと思っ ている。アイルランドについては、再探訪後に いずれは別サイトを開く予定である。 |
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サン・ネクテール/ドルメン St-Nectaire/Dolmen de Parc |
Puy-de-Dôme (FRANCE) |
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サン・タフリック/ドルメン St-Affrique/ Dolmen de Tièrgues |
Aveyron (FRANCE) |
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ブリュイユ・アン・ヴェキシン/ ドルメン Brueil-en-Vexin/ Allée Couverte Cave aux Fées |
Yvelines (FRANCE) |
パリの西、セーヌ下流の町マントの東北数キ ロの町である。遺構は町の西北直ぐの林の中に 残されている。 両側に各9基づつの板石が並び、通路手前に 門石突き当りに壁石を確認出来る。覆い付通路 というドルメン Allée Couverte で、従来は天 井石が載り、土に覆われていたと考えられる。 ブルターニュでは数多くの事例を見る事が出 来るが、パリ近郊では貴重な存在だろう。 紀元前20~25世紀頃の遺構と言われてい る。直線的な石の並び具合がむしろ不自然なの だが、きっちりと修復された結果なのだろう。 ここでも“妖精の洞窟”という陳腐な名がま かり通っている。 |
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サンチューラ/メンヒル Ceinturat/Menhir de Ceinturat |
Haute-Vienne (FRANCE) |
リモージュ周辺のロマネスクを巡った旅で、 サン・ジュニアン St-Junien の北10キロ地 点で遭遇したメンヒルである。 サンチューラの集落とはやや離れた森の中に 立っており、古代遺跡につきものの伝説めいた 物語が生まれそうな雰囲気に包まれている。 高さは5mちょっとだが、地中に埋まってい る長さを想定すれば、かなりの巨石になる筈で ある。 何のために巨石が立てられたのか、は永遠の 謎でしかない。フランスに限っても、かくも多 くの巨石が、新石器時代を中心に各地に立てら れている意味合いは一体何だったのだろうか。 神秘的な永遠性を備えた美しさを立っている 石の中に発見し、それは古代の人にとって神の 如き崇拝の対象となったのだろうか。角度を変 えた方向から眺めたある瞬間、戦慄的とも思え る程の鋭い美しさを感じたりすることがある。 或いは、巨石そのものを立てるという行為そ のものに、何らかの意義があったのだろうか。 毎回感じる疑問なのだが、これ以上の発想は 湧いてこない。そもそもが、古代人の価値観が 力では到底及びもつかないのである。 それにしても、立っている巨石は魅力的だっ た。 |
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シェ・ムトー/ドルメン Chez-Moutaud/ Dolmen de Chez-Moutaud |
Haute-Vienne (FRANCE) |
サン・ジュニアンの東南12キロにも巨石遺 跡があった。 町外れの森の中に在るドルメンで、四基の立 石の上に天井石(キャップストーン)という板 石を載せてある。 支石墓とも呼ばれるので、古代の墳墓と解す るのが一般的だが、何らかの崇高な対象、例え ば太陽神などといった見えざる存在が棲まう家 として築造されたのではないか、との持論を小 生は持っている。 覆い付通路式やもっと巨大なドルメンから受 ける印象は、単なる墳墓として造営されたとい う水準からは、完全に超越されたイメージしか 受けないからなのである。 |
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リヴェルノン/ドルメン Livernon/ Dolmen de Pierre Martine |
Lot (FRANCE) |
ロット川 Lot に沿ったカジャーク Cajarc に泊まった日、ロットの北側の丘陵地帯に散在 する古代遺跡を巡ってみた。大半は小規模なド ルメンが中心で、これはその内の一基である。 大きな平石を用いた天井石が特徴だが、支石 の一部が喪失したためにコンクリート柱で補強 されている。 重量感に満ちた天井石を、今にも崩れそうな 弱々しい板石で支える構図はあちこちで見られ る。このスリリングなイメージも、ドルメンそ のものの成り立ちの要素に入っているのだろう か。古代のセンスとして。 |
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ドラギニャン/ドルメン Draguignan/Dolmen de Pierre de la Fée |
Var (FRANCE) |
プロヴァンス旅行の成果である。場所はカン ヌの西50キロ、この大きな町の西北部、郊外 住宅地の一画に、忽然と現れたのだった。 古代の居住地の一部だったそうだが、案内板 には「妖精の石」としての伝説と、古代の墓室 だったという解説が記されていた。 巨大な天井石を大小三基の板石で支える構造 は、モニュメントとしても現代に通じるセンス だろう。もっとも、当初はもっと多くの壁石で 囲われていたとの説もあるらしい。確かに周辺 には、それらしい石の断片が散らばっていた。 |
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サン・フォール・シュル・ル・ネ/ ドルメン St-Fort-sur-le-Né/ Dolmen de Pierre Levée |
Charente (FRANCE) |
アンギュモア地方のロマネスク教会を巡った 際、思いがけず遭遇した古代遺跡である。 銘酒の故郷コニャック Cognac の町から南へ 13キロの葡萄畑の真ん中、という何とも有難 い場所にこのドルメンは建っている。 現在は3基の立石が天井石を支えているが、 もっと多くの石が壁を形成していたようだ。従 来は土で覆われた土の塚だった、と言われる。 床を掘ったが、伝説に在る宝物や人骨等は一 切出なかったそうである。ドルメンから人骨が 発掘されるケースのほうが少ない、とも聞いた ことがある。小生がドルメン墳墓説を否定する 根拠ともなっている。 |
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サン・テミリオン/メンヒル St-Emilion/ Menhir de Pierrefitte |
Gironde (FRANCE) |
サン・テミリオンといっても、ここはボルド ーに近いリブルヌ Libourne の町の手前の、 ドルドーニュ川に沿った葡萄畑の中で、シャト ーの入口近くに立つメンヒルである。 昔から、ミシュランの20万分の一地図に記 載されていることを知っていたが、何故か訪ね る機会が無かった。今回、たまたま直ぐ近くの ホテルに泊まったので、ようやく念願が叶った という次第。 この場所はサン・テミリオンのワインシャト ーの一つ Château Moulin de Pierrefitte の 入口で、門前の葡萄畑に囲まれた芝地である。 このメンヒルは他の石と同様、正面から見る と天狗の団扇みたいな平石状だが、写真の側面 からの眺めはスリリングな形状を示す。ちなみ に、高さは約5m、幅は3m、厚さは1m50 である。 やはり、メンヒルを眺める角度は、 石の横幅の変化が見える斜め前がベストだろう と思う。 葡萄畑の出来る遥か以前、4,500年も前から この石がこの地に立ち続けて来た事を思うと、 たった百年の寿命しかない人間の、小事にこだ わって生きる虚しさが伝わって来るような気が した。古代巨石遺跡が、人をして虚無的にさせ る存在とは知らなかった。 |
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ラリヴィエール・ サン・サヴァン/メンヒル Larrivières-St-Savin/ Menhir de Guillay |
Landes (FRANCE) |
ピレネーに近いガスコーニュ Gascogne 地 方を旅した際に訪れたメンヒルである。 中心都市 Mont-de-Marsan モン・ド・マ ルサンから Aire-sur-l'Adour エール・シュ ル・ラドゥールへ向かう田舎道の路傍に立って いる。 とうもろこし畑を背景にして立つ姿は、ずん ぐりしていてお世辞にも美しいとは思えない。 おおよその寸法は、高さ4m、巾2m、厚さ 1mといったところで、やはり正面からの姿は 丸で達磨か布袋像のようだった。 畑の中に倒れていたものを起こし、折れた部 分を修復したそうだが、問題はその際に何らか の姿が彫刻されていた、という報告があるそう なのである。 新石器時代の話なので、旧石器時代のアルタミ ラ洞窟壁画などを思えば有り得ないことではな い。しかし、眺めた限りでは、その痕跡は全く 発見出来なかった。 そんな話題が先行したメンヒルで、どう見て も石そのものの美しさは見られなかったが、最 良のアングルを探したのがこの写真である。 見慣れてくると、案外チャーミングな存在感 が感じられてくるから不思議だ。美人だけが魅 力的なわけではない、人間の個性に似ているか もしれない。 |
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エスクー/ドルメン Escout/Dolmen de Peyrecor |
Pyrénées-Atlantiques (FRANCE) |
ここは Oloron-Ste-Marie オロロン・サン ト・マリーの近郊の村で、エスクーの谷の向こ うにピレネー山脈を望む景勝の地である。 高台の牧草地に、写真のような崩れかけたド ルメンの残骸が残されている。天井石は生きて いるが、支柱石は段重ねにしたまま積まれた状 態である。 これではドルメンの体を成していないが、支 柱石が数基立っていれば、前面に開ける絶景と 併せて素晴らしいドルメンであったことが想像 出来る。 この場所は、見えざる大きな存在が天上から 降臨する場所として、明らかに相応しく感じら れたのだった。 |
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ミリ・シュル・ブラドン/メンヒル Milly-sur-Bradon/Menhir dit la Hotte du Diable |
Meuse (FRANCE) |
ロレーヌ地方 Lorraine、ムース県 Meuse 北部の中心都市であるヴェルダン Verdun の 北35キロにある町である。 サッセー Sassey にロマネスクを訪ねる途中 で立ち寄ったので、予備知識は全く無かった。 メンヒルは、町外れの農地の一画に立ってい て、足元は生い茂る雑草で全く見えない。 直訳で“悪魔の負籠”という名前の割には地 味なメンヒルである。正面から見ると、迫力に 欠けた小太りの石に過ぎない。 かろうじて、写真の角度からはメンヒルとし ての魅力が感じ取れる。 農地の中だったので近くまでは寄れなかった が、3mくらいの高さだろう。 |
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エギラーツ/ アイツコメンディのドルメン Egilatz/Dolmen de Aitzkomendi |
Álava (SPAIN) |
スペイン、バスク地方の Vitoria ヴィトリ アを中心とするアラヴァ県には、古代の巨石遺 蹟が数基保存されているが、このドルメンが最 も美しい形で残されている。 高さ3~4mの支石が壁柱として室内空間を 構築し、天井石が載る状態は完璧である。 惜しいかな、天井石が分断されているが、当 初の迫力は保たれている、と言える。 やはり当初は土に覆われた土饅頭の古墳だっ た、と考えるほうが自然だろうか。 どうしても小生の脳裏からは、降臨した神秘 な存在が住む家として造築された、と思いたい 気持がずっと消えないままでいる。 |
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アリサバラガ/ ソルジネッツェのドルメン Arrizabalaga/ Dolmen de Sorginetxe |
Álava (SPAIN) |
前述のドルメンからは至近の村で、このドル メンは村外れの耕地の中に遺跡として保存され ている。 ヴィトリアからは東へ約30キロの地点に当た る。2m強の高さの5基の立石に支えられた、 天井石の傾斜が何ともスリリングである。 写真は、ドルメンの正面であり、“部屋”の 入口でもある。 内部からは矢尻や人骨が発掘されたそうで、 小生としてはドルメンを再利用した後世の住人 の遺品であると解したい。 いずれにせよ、現在見るドルメンのモニュメ ンタルな魅力が損なわれることは無い。 構造の不安定さ、もまた格別の魅力である。 |
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ペシーニャ/ カスカーヤのドルメン Peciña/Dolmen de Cascaja |
Rioja (SPAIN) |
ヴィトリアの南35キロに位置し、バスクか らリオハへと州境を越えた辺りの葡萄畑の中に 在る。 ペシーニャでは、チャーミングなロマネスク の教会も見所である。 入口は狭いが奥へと壁に挟まれた通路が延び ており、部屋らしき空間が二つ続いている。 Allée Couverte (覆い付通路ドルメン) まで の規模は無いが、土を取り除けば、一部が見え る豪快な天井石を擁したやや細長いドルメンが 出現することだろう。 内部から人の頭蓋骨も発掘されているので、 古代の墳墓とするのが妥当なのだが、墓自体の 意味合いが現代とは異なった別次元の価値観を 有していたと思えてならない。 |
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コルセール・プレ・コンシーズ/ コルセールのメンヒル Corcelles-près-Concise/ Menhirs de Corcelles |
Vaud (SWISS) |
ヌシャテル湖北岸の町で、周辺には開放的な 葡萄畑が広がっている。 畑の中の草地に、写真のような四基のメンヒ ルが意味ありげに立っている。一番高いもので 2.5m程である。 平行に並んでいるので、何らかの方向性を示 すのか、門を象徴しているのか、などといった 推量が浮かんでくる。 門ならば誰を迎えるのだろうか。ストーン・ サークルの一部だったかとも考えたが、二石同 士が完全に平行しているので有り得ない筈だ。 写真左端の一基のみ、喪失した石の代替石だ そうだが、別段大きな違和感は感じられない。 |
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ポール・モール/メンヒル Port-Mort/Menhir Gravier de Gargantua |
Eure (FRANCE) |
パリから車でセーヌ (Seine) 沿いの町レ・ ザンドリー (Les-Andelys) へ向かう途中、街 道沿いの草地にデンと立ったこのメンヒルが目 に入った。 ヴェルノン (Vernon) の先、レ・ザンドリ ーの手前10キロの地方道 (D313) に面して いる。 少し先の空地に車を止め、歩いて見に行くこ とにする。高さは3m弱というところだろう。 材質は石灰岩だと思う。 立石としては決して良い形とは言えないのだ が、石の先端が頭のように細く飛び出ているこ とから、おそらくは擬人化された伝承が残って いるものと想像した。 後日調べてみると、結構著名なメンヒルであ り、案の定“ガルガンチュア”という大食漢に まつわる伝説が残されているようである。 いずれにせよ、紀元前の青銅器時代に立てら れた立石とは何の関連もない話である。石の形 状や立地条件に沿った想像から生まれた夢の物 語、といったところだろう。 もっと根源的に、古代人たちが何故かくも多 数の石を、メンヒルという形で立てたのだろう か、という課題に立ち戻りたい。 立てた石に高さを求めたのか、立てた姿に意 義があったのか、或いは立てるという行為が大 切だったのか、夢はこっちに広げたいのである。 |
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サント・スザンヌ/ エルヴのドルメン Ste-Suzanne/Dolmen de Erves |
Maynne (FRANCE) |
ル・マン (Le Mans) とラヴァル (Laval) の 中間に位置する城下町で、町の北側5キロの 牧場内にこの遺跡が保存されている。 現在は二枚の天蓋石を数石の立石で支える格 好になっているが、本来はもう少し規模が大き かったと想像出来る。 ドルメンとしては比較的小型だが、全体のバ ランスがとても美しく感じられた。 写真を撮影した方向が、内部への入口だった のだろう。 すぐ横に牧草に覆われた円墳状の Cairn ケ ルンが残っており、一帯は古代の祭祀の場であ ったと思われる。 |
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メトレイ/妖精の洞窟のドルメン Mettray/Dolmen de la Grotte des Fées |
Indre-et-Loire (FRANCE) |
ロワール河畔の町トゥール Tours に滞在し ていた或る日、何気なく見ていた国土地理院発 行の地図で、このドルメンの存在を知った。そ の不思議な名前に惹かれて、すぐに出かけたこ とは言うまでもない。 トゥールの北数キロにある郊外の村外れで、 その森は畑の中に置かれた村の鎮守、といった 風情だった。 傾斜して立てられた壁石に比べ、天井の石は 豪壮な大石である。祭室というより、全体が天 井の低い羨道のようで、妖精の洞窟とは言い得 て妙な命名だなあ、と感心した。妖精が舞い遊 ぶに相応しい雰囲気が漂っており、古代より何 等かの神霊的存在を予感させるような場所だっ たに違いない。 特に、霧に包まれたロワール河流域の雰囲気 は、正にその様な世界に近いと思う。 |
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ラ・ピエール・クーヴェルト/ ドルメン La Pierre Couverte/ Dolmen (Allée couverte) |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
ロワール河下流の町アンジェ Angers の北 東に広がる、小高い丘陵の雑木林の中にこのド ルメンが在る。ここから至近の村ポンティーニ ェ Pontigné に在る聖ドニ教会へ、彩色され たロマネスク柱頭彫刻を見に来た時の寄り道で あった。 四方に石を立てて壁とし、上に屋根を載せた ドルメンである。石は扁平に見えるが、近くで 見れば厚さは50センチ以上あり、簡単に動か せるような代物ではない。 大方のドルメンが入口と奥の部屋を備えてお り、奥の空間は荘厳された形式となっているの で、墓室もしくは宗教的な祭祀の中心であった と考えるのが最も妥当だと思える。 同じドルメンでもこの様式は「屋根付回廊」 と呼ばれている。 それにしても膨大な労力を動員するために、 どのような権力あるいは中心的存在が有ったの か、というテーマに興味は尽きない。 |
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スセル/ピエール・セゼー のドルメン Soucelles/Dolmen de la Pierre-Césée |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
ロワール河畔の町アンジェ (Angers) の北 東約20キロに在る寒村で、サルト(Sarthe) 川の北側に位置している。 このドルメンは、町から東へ3キロばかり離 れたサルト川に近い畑地の中に残されている。 先ず目に入るのが、天蓋石の圧倒的な迫力を 示した姿だろう。この写真では良く判らないの だが、幅は3m、奥行の長さは9m弱もある一 枚岩なのである。 数基の支石によって壮大な天蓋石が支えられ ているのだが、ここでもその意義を分析してみ たい。つまり、この形式のドルメンを構築する ことの目的が、天蓋石の重量感にあったのか、 またそれを支えることにあったのか、或いは構 造が作り出す内部の空間にあったのか、また石 を組み立てる行為そのものにあったのか、考え られる可能性はそんなところだろう。 毎度申し上げるが、小生の考えは、構築され た内部空間とそれを構成する屋根石や支石の荘 厳さにあったのではないか、と思っている。 青銅器時代では体系化された宗教などある筈 もなく、勿論中心となる“神”の存在など在り 得ない。しかし、アミニズム神的な見えざる大 きな力の存在は信じられていたのだろう。そう した神的なものの降臨の場所として、祭祀の中 心として構築されたのではないだろうか。 |
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ソミュール(バニュー)/ グラン・ドルメン Saumur(Bagneux)/ La Grand Dolmen |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
ロワール沿いの町ソミュールの南部集落で、 現在は閑静な住宅街になっている。 この一画だけが古代の不思議な雰囲気を漂わ せており、遺跡を管理する隣家に頼めば、門の 鍵を開けて貰える。 奥行が23mもある壮大な Allée couverte ドルメンで、レンヌの La Roche aux Fées に 匹敵するフランス屈指の規模のドルメンなので ある。 壁石が直立した箱型に近いので、戦慄的な迫 力には欠けるのだが、この地方で産出する砂岩 を組み上げた重量感は傑出している。内部の部 屋は重厚で、いかにも“特別の存在”が住み着 きそうな重々しさである。 |
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ディストレ/ ヴァシュリのドルメン Distré/Dolmen la Vacherie |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
前述のバニューから南へ4キロ行った集落で あり、ドルメンは町の南側を流れる小川沿いの 林の中にひっそりと残されている。 ほぼ方形に近い天蓋石には、中心部がやや膨 れ気味だが、割と薄目の石が使用されている。 それでもかなりの重量と大きさであり、現代 においても支石の上に載せるだけでも至難の工 事になるだろうと思うと、一体どのような方法 で構築したのであろうか。支石を立て、土を被 せて天蓋石を引き摺り上げた、とする説が最有 力ではある。 状況証拠だけで、推量は出来ても確証の無い 裁判のようなものであるところが、我々素人が 判定に食い込む余地に恵まれた楽しさがある。 |
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ジュンヌ/マドレーヌのドルメン Gennes/Dolmen de la Magdeleine |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
ソミュールからジュンヌ周辺のロワール河岸 段丘には、多くの古代巨石文明の遺構が点在し ている。 中でもこのドルメンは、規模においても迫力 においても、断然群を抜く存在と言える。 近年は農場の倉庫として使用されていたそう だが、かなり修復された痕跡が顕著だ。しかし 古代の遺構としてのオーラを、いまだに放ち続 けていることだけは確かである。 近年の発掘で多くの人骨が周辺から発見され たそうで、ドルメン=墳墓説が主流となってい るのだが、小生はその説には些か懐疑的だ。特 にこの種の Allée couverte の回廊(連続す る部屋)の長さが、とても墳墓とは思えないか らなのだ。 |
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ジュンヌ/フォレのドルメン Genne/Dolmen de la Forêt |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
前述のドルメンの西北3キロの畑地の中に、 やや壊れかかった姿で残っている。 やや薄目の屋根石は2枚で、細かい石の露出 した砂岩が用いられている。 写真の開口部の様子からも規模は小さいが、 屋根付回廊式ドルメン (Allée couverte) だっ たと思われる。 ドルメン自体は、石組の迫力や神秘的な美し さなどには欠けるものの、牧歌的な風景に解け 込んだ不思議な静寂感が感じられたのだった。 ここでの天蓋石には、その厚さよりも広さが 求められたのだろうか。石の質や格は二義であ って、空間を構築することが第一義であったの か、と感じさせられたのだった。 |
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ラ・ブールネー/ コルボーのドルメン La Bournée/ Dolmen de Corbeau |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
ジェンヌの南南西に Forêt de Milly ミリー の森という美しい景色の続く場所がある。森の 南端、集落の北の外れに、写真のようなドルメ ンの遺構が残されている。 明らかに屋根付回廊ドルメンの名残だろう。 現在の天蓋石は二枚だが、回廊は写真の手前ま で延びていたのだろうと思われる。屋根石とし ては、広く厚めの豪快な石である。 平石を壁のように立てた、この地方に共通す る支石に特徴がある。 写真の向こう側に開口部があるので、手前が 祭室に当たる部分だったはずである。 |
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ラ・バジュリエール/ドルメン La Bajoulière/ Dolmen (Allée couverte) |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
ロワール河流域でも、特にジェンヌ周辺には ドルメンやメンヒルが密集している。古代にお いては、祭祀のために何らかの地理的条件が備 わっていたものなのか、或いは後世において未 開発な地域だったからこそ遺跡が残ったのだろ うか。 アンジェの町からロワ-ル河を南岸沿いに、 ソミュール Saumur 方面を目指して走ると、 壊れそうになったままの、小さく Dolmen と 書かれた看板がかろうじて見つかった。こんな ものを見て歩く人は滅多にいないのだろうか。 雑木林を抜けた丘の上の、パっと開けた草原 に、この奇妙なドルメンが在った。 まるで鰻の寝床みたいに細長く見えるが、や はり入口から羨道が祭室へと続いている。床の 部分は掘り下げられているので、天井は高く内 部は案外と広かった。 明るい雰囲気が、古代の石のモニュメントと いうイメージを忘れさせ、あたかも野外美術館 に置かれた前衛彫刻のようなイメージを想わせ た。 |
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ボーリュー・シュル・レヨン/ モン・ブノーのドルメン Beaulieu-sur-Layon/ Dolmen de Mont-Benault |
Maine-et-Loire (FRANCE) |
アンジェの南約20キロにある村で、この地 方のワインの集散地となっている。ここから東 へ続く地方道 (D55) 沿いの、葡萄畑に囲まれ た草地にこのドルメンが立っている。秋に訪れ たので、葡萄の葉の紅葉が見事だった。 ドルメンの基礎とも言うべきスタイルで、分 厚い屋根石を三か所の支点で支える構造になっ ている。 写真手前が開口部で、支石以外の石も用いて 「コ」の字型に空間を形成している。 なぜ、こんな単純な構造に魅力を感じるのだ ろうか、という謎は、なぜ古代人は飽くことな く、この様にして石を組んだのだろうか、とい う疑問に通じている、という気がしてきた。 |
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ガルド・エペー/ドルメン Garde-Epée/Dolmen |
Charente (FRANCE) |
このドルメンはポアティエの南、シャラント 県の首都アングレームの町の西に在る。ブラン デーで有名なコニャック (Cognac) の町から 近い。 シャラント河流域の平坦な耕地の真ん中に、 孤高な雰囲気でポツンと立つドルメンの姿は異 様だが魅力的だった。かつてこの場所がどのよ うな聖域であったのかを想像するには、葡萄畑 に囲まれたこの風景は余りにも牧歌的すぎる。 羨道は無く、ストーンサークルのような円形 状に並べられた立石の上に、厚く大きな平石が 載せられている。高さは2m程で小さく見える が、傍に寄って見ればやはりかなりの巨石群な のであった。 石にいったい何を感じて、古代の人達はこの ような建造物を造り続けたのであろうか。 写真は82年の正月に、この地方のロマネス クを探訪した際のものである。 |
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アヴリエ/ フレブシェールのドルメン Avrillé/ Dolmen de la Frébouchère |
Vendée (FRANCE) |
ポアティエ Poitiers の西北、 Nantes ナン トの南に位置するヴァンデー地方を旅した事が ある。ロマネスクのサイトにその報告を掲載し てがあるが、知られざる歴史と文化の宝庫なの である。 アヴリエは県庁所在地ラ・ロシュ・シュル・ ヨン(La Roche-sur-Yon) の南、大西洋岸に近 い所にある田舎町である。 周辺は古代石造遺構の密集地であり、ドルメ ンやメンヒルをあちこちで見る事が出来る。 このドルメンはその中では最も著名なもので あり、堂々とした美しい姿を今日でも見る事が 出来る。 ここでも羨道のような通路や、部屋のような 間仕切りが少しだけ見える。 天井の石は一枚岩の豪壮なもので、どうやっ て運搬し、どうやって載せたのかを考えると、 永久に眠れなくなりそうである。 |
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アヴリエ/サヴァトールの ドルメン群 Avrillé/Dolmens de Savatole |
Vendée (FRANCE) |
前述のドルメンから比較的近い雑木林に、三 つのドルメンが群立する場所がある。 森の中、小道に面した所、そしてこの畑の中 の三箇所である。 いずれも規模は小さいが、個性的なものばか りである。中でも写真の、少し崩壊したこの畑 のドルメンが気に入ってしまった。 崩れた石は命を失っているが、残った石組の 風情がとても良い。 崩落し風化し、朽ち果てていく運命を予感さ せるからである。 穏やかで静寂な時間の流れが感じられて幸せ だったが、現実的な欲望は時間を無視する。 私達は海岸の港町ル・サーブルへと、名物の 牡蠣料理を食べるために踵を返したのだった。 |
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コーリア/スタンターリの列石 Cauria/Alignements de Stantari |
Corse (FRANCE) |
コルシカ島南部、美しい山上都市として知ら れるサルテーヌ (Sartene) の町の西南一帯に は、ドルメンやメンヒルを主体とした古代の巨 石遺跡が密集している。 コーリア古代遺跡はその中心で、二つの列石 とドルメンを訪ねた。 遺跡の入口にある駐車場に車を停め、広大な 草原を歩いて回ることになる。 訪れる人は、他には全く見当たらない。 最初に着いたのがこの列石で、先端が丸くな った細長い石の並んだメンヒル群である。こう した列石が二列並んでいるのだが、ブルターニ ュ等で見るメンヒルとは大きく印象が異なる。 それは、石が加工され人面が彫刻されている からで、これがコルシカならではの最大の特徴 なのである。 中央の二基には、わずかだが人面彫刻の痕跡 が見える。 青銅器時代の遺跡とされ、BC2000年前後の ものだという。 |
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コーリア/レヌギュの列石 Cauria/Alignements de Rennegiu |
Corse (FRANCE) |
前述のメンヒル群からさらに草原を横切り、 遠くに見えていた岩山の麓辺りまで歩くと、鬱 蒼と繁った林の中にこの列石がひっそりと立っ ているのが見えた。 ここのメンヒル群は、大小様々な立石から成 り、明確な列は無く、石の数もかなり多い。 木の影になる石が多く、写真にはかえって好 天が仇となる。 ここでは、古代の人達が何を求めてかくも巨 大な石の数々を立てたのだろうか、という原点 とも言える疑問に立ち返っていた。 カルナックの様に意図的に並べられた立石群 とは違い、ここでは何らかの記念碑的な石とし て立てられたのではないか、と解説書に書かれ ていたからである。 人面彫刻などから、墓碑的な目的が想定され たのだろうか。 |
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コーリア/ フォンタナッキアのドルメン Cauria/Dolmen de Fontanaccia |
Corse (FRANCE) |
広大なコーリアの遺跡の中でここは最奥に位 置しており、背の低い潅木の林の中の小道を少 し歩かねばならない。ドルメンは小さな丘上の 開けた場所に、かなりしっかりと残っている。 部屋のように立石の壁で囲まれたコの字形の 空間に、偏平な巨石が屋根のように乗せられて いる。 “埋葬用の部屋”という解説が、こうしたド ルメンには成されることが多いが、ここでも看 板にはそう記されていた。 遺跡全体の年代は、新石器時代から青銅器時 代への過渡期であった金石併用時代とされ、紀 元前2800~1700年頃とのことである。 飛鳥の石舞台のように、頑強な石組で壁面を 構築されたものは、当初は地中に埋まっていた 墓室と考えられなくもないが、こうしたドルメ ンはやはり墓室とは考え難い。 少なくとも祭祀のためのモニュメントだった のだろうと言うべきだ、というのが私の言い続 けてきたことだ。 |
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パラギュ/列石 Palaggiu/ Alignements de Palaggiu |
Corse (FRANCE) |
石の表情が鋭角的な自然石によるブルターニ ュやダートムアのメンヒルに比べると、コルシ カの加工された立石によるメンヒルの印象は、 丸棒の様で迫力には乏しいが、並ぶことによっ てむしろ不思議な魔力を感じさせてくれる。 同じ石を立てる行為でも、目的意識に何らか の違いがあったことだけは確かだろう。まして や、コルシカでは人面を彫刻しているのだ。 墓碑のような、或いは何らかのメモリアルな 記念碑としての意味が込められているのかもし れない。 ここはコーリア遺跡からは数キロ離れた場所 で、壮大な列石群があったのだが、その大半が 倒壊している。 倒石全ての復元が出来れば、人を圧するよう な量感が生まれ、この遺跡がかなりの規模であ ったことが判るだろう。 |
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フィリトーサ/人面メンヒル群 Filitosa/Statues-Menhirs |
Corse (FRANCE) |
プロプリアーノ Propriano の北西にあるこ の遺跡は、紀元前2000年頃の集落跡である。 オピダン(Oppidum) と呼ばれ、要塞や宗教的 記念物などが残されている。 遺跡全体は野外博物館となっていて、遊歩道 などが整備されると同時に、メンヒルなどの遺 構はかなり意図的にレイアウトされている。 遺跡のあちこちにメンヒルが見られるが、遺 跡最奥のオリーブの樹の茂る小山を囲むように して立っている五基のメンヒルが印象的だ。 写真の三基の他に左側にもう二基立っている が、いずれも先端部に人面らしき彫刻の跡が見 られ、中央部には剣のようなものが彫られてい るので、戦士たちの像であるのかもしれない。 やや時代が下がる可能性もあるだろうが、こ の時代に偶像的な像容が描かれたということは 驚きで、かなりの文明や知性を持った民族であ ったことが想像できる。 地中海を往来する別の海洋民族に滅ぼされた と解説書には書いてある。博物館の資料では、 羊を飼って暮らしていたらしいのだが、住んで いた岩窟のような集落と、知的な行為とのギャ ップが気になったままでいる。 |
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メレンドゥーニョ/ プラカのドルメン Melendugno/ Dolmen di Placa |
Puglia (ITALIA) |
イタリアのドルメンといっても余りピンと来 ない方が多いかもしれない。 だが、バリからレッチェにかけてのアドリア 海沿岸地帯は、古代ドルメンの密集地帯なので ある。 最も有名なコラート (Corato) のドルメンを 見損なったのが残念だが、レッチェの東南、半 島の踵の先に在る三つのドルメンを見ることが 出来た。 ここはレッチェから10キロ程東南に位置す る集落で、家並みの途絶えた辺りにこの小さな ドルメンが在った。 屋根石を支える石がぐるりと円形に立てられ ているので、入り口や通路らしき構造は見られ ない。 内部は部屋や墓というよりは、密室状態の空 間なのである。見えざる聖なるものの降臨する 場、として構築されたもの、という常々申し述 べている私の理解の仕方を皆様はどう受け取ら れるのか、気になるところである。 近くにグルグランテ Gurgulante のドルメ ンが在った。 |
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ミネルヴィーノ・ディ・レッチェ/ スクーシのドルメン Minervino di Lecce/ Dolmen di Scusi |
Puglia (ITALIA) |
レッチェの町でのバロックの嵐に疲れ果てた 私達は、口直しの意味も有って“オットラント ・グループ”と呼ばれる古代遺跡群の探訪をす ることにしたのだった。 先述のメレンドゥーニョも含め、この一帯に は16箇所ものドルメンやメンヒルがあるのだ そうだ。 ここはオットラント (Otranto) の町の南西 8キロの場所に在って、オリーブの林に囲まれ た古来からの神聖なスポットであったようだ。 4m近い長さの天井石の大きさに比べると、 それを支える立石が余りにも小さく、不規則な 積み方が不安定な緊張感を生んでいる。 ここでも、従来は墓として土中に埋まってい たのではないかという説が有力なのだが、それ にしては壁となる支石が何とも貧弱であり、や はり何らかのモニュメントとして構築されたの だろうと私は改めて思った。 |
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モーレス/ コヴェッカーダのドルメン Mores/Dolmen Sa Coveccada |
Sardegna (ITALIA) |
サッサリ (Sássari) の東南にあるこの町の周辺 には、ヌラーゲ文明の石積み遺跡など、数多くの 古代遺跡が密集している。 ドルメン好きの私はここだけは見ておきたいと 思い、ロマネスク教会巡拝の合間にこの場所を探 した。 ようやくたどり着いた場所は、広大な民営農場 の牧草地の真ん中だった。 親切な農場の親爺に頼んで、ドルメン見学の許 可を貰うことが出来た。 3m近い巨石が組まれており、その堂々たるド ルメンの姿に心打たれたのだった。 二列に並べられた壁石(支石)の上に平石が置 かれ、手前の窓のある壁石の反対側は開口部とな っている。 紀元前2000~3000年と巾はあるのだが、青銅器 時代の遺構だろう。 圧倒的な石の神秘性と存在感、これに触れられ ることが巨石遺構を歩く大きな糧となる。 親爺が母屋でコーヒーを入れ、草原を歩いて帰 る私達を待っていてくれたのだった。 |
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リベイラ/アヘイトスのドルメン Ribeira/Dolmen de Axeitos |
Galicia (SPAIN) |
念願の聖地サンチャゴ Santiago de Compostela へ詣でた後、聖ヤコブの遺跡パドロン Padron から 半島の先端コルベド岬 Cabo Corrubedo までドライ ブをした。 岬の少し手前のリベイラの町の北5キロ地点に、こ のドルメンが在ることは使用していた詳細な地図上で 発見していたのだった。 三点で巨大な屋根石を支えているという、最も単純 な構造であるにもかかわらず、屋根石の圧倒的な重量 感とそれに比して何とも薄っぺらな板石がそれを支え る心もと無さが、ドルメン好きにはたまらない魅力だ った。 ここでも、ドルメンは決して墳墓ではなく、何らか の意図で構築されたモニュメントなんだという確信を 得たのだった。 |
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バルバセナ/コータダのドルメン Barbacena/Anta da Coutada de Barbacena |
Portalegre (PORTUGAL) |
その日はエヴォラ Evora からエルヴァス Elvas を観て歩き、夕刻になって宿泊予約をしてあったク ラート Crato のポーサダを目指して車を走らせて いた。 バルバセナの町を通過した辺りでこのドルメンを 示す標識を発見し、急遽山の中へと入って行ったの だった。 日の沈んだ夕暮れだったので、写真はシルエット だけになってしまった。しかし、このスリリングな ドルメンの魅力は御想像いただけるものと思う。 手前が開口部で、壁石として四基の立石が組まれ ている。しかし、天井石を支えているのは手前の二 石だけであることが、この危うい緊張感を生んでい るのだった。 偶然に立ち寄ったここだけではなく、この地域に は魅力的なドルメンやメンヒルが他に多数あるとの 事なので、そのための旅行を企画しなければならな いだろう。 |
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アヌンドショーゲン/ ストーンサークル群 Anundshögen/ Stonecircles (Stone Ships) |
Västmanlandes Län (SWEDEN) |
ある本でこのサークルの写真を見て以来、夢はス トックホルムに飛んでいた。ちょっとした機会で北 欧の旅が実現した時、何よりもここを訪ねることが 第一の目的となっていたのである。 ストックホルムからは西へ100キロの田園地帯 に、この船形をしたサークルが三つ並んでいた。 (このページの巻頭参照) ヴァイキングのボートの形に似せたこのようなサ ークルは、スウェーデン各地に数多く残っている。 実際はヴァイキングが活躍するずっと以前の、旧ス カンディナヴィア族が形成した青銅器時代後期 (B C1500~500) のものと思われる。 明らかに墓地として使用された痕跡や、副葬品と 考えられる木製の船が埋められているケースもある らしい。 その中でもここは最大級のサークルで、長さは5 3mもあり、正面の石の高さは3mにも及ぶ。 英国のストーンサークルが大好きだが、森と湖に 囲まれたこのサークルにはまた格別の雰囲気が感じ られた。 遺跡内には列石やルーン石碑やマウンドもあり、 古代に想いを馳せるには最良の環境となっている。 |
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エコルナヴァレン/ドルメン Ekornavallen/Dolmen |
Västra Götalands Län (SWEDEN) |
ヴァテルン (Vättern) とヴァネルン (Vänern) という二つの大きな湖に挟まれた湿地帯で、遺跡は 山よりの草原地帯に広がっている。 スカラ (Skara) の教会へ行く途中で立ち寄った 遺跡で、ストーンサークルやメンヒルやケルンなど が密集する壮大な遺跡である。 中でも特に気になったのがこのドルメンで、石が かなり崩落しているものの、フランスで多く見られ る“覆われた通路 (Allée Couverte)”の形式であ ることに興味があった。 つまり、両側に板状の支石を並べて通路状の空間 を造り、その上を屋根石で覆ったもの、である。残 念ながら、ここでは屋根石がほんの一部しか残って いなかった。 もう一つ面白いのは、写真手前に直角にもう一本 の通路が延びていることで、アイルランドで似たよ うな事例を見たが、あまり他に類例を知らない。 |
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アムンドトルプ/ ストーンサークル群 Amundtorp/Stonecircles |
Västra Götalands Län (SWEDEN) |
前述の遺跡からスカラへと向かう途中の村の背後 の山麓に、ストーンサークルが四つ繋がっていると いう珍しい遺跡があった。 写真は村に近い二つのサークルで、中央にあるサ ークルが最も美しい円形になっていた。 さらに奥に船形のサークルがあり、少し離れた林 の中にもう一つのやや荒廃したサークルが残されて いた。 英国で見られるサークルの様に美しかったので、 気分は最高だったが、よく考えると、北海を隔てて 英国とスカンディナヴィアは隣国なのである。 スウェーデンのサークルの場合、墓地としての色 彩がやや濃いので、何の為に石を立てたのかを考え る時、古代人の行った祭祀に対するイメージが、葬 儀といったような死者を弔う空間、というようなや や夢の無い段階で止まってしまいそうである。 古代の人々の、絶対的なものへの、もっと深遠で 崇高な畏敬や、純粋な崇拝の姿が背景にあったのだ ろう、と想いたいからなのである。 |
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ガナルヴェ/ストーンシップ Gannarve/Stoneship |
Gotland (SWEDEN) |
バルト海に浮かぶゴットランド島は、海路の要衝 として古くから開けた島だった。 古いハンザ都市だったヴィスビー(Visby) に滞 在し、多くの中世教会やフォーロ島 (Fårö) などを 巡った。 その際に島中に点在する「ヴァイキングの墓」と いうものの存在に気がついたので、その内の何箇所 かを歩いてみた。 ここは島中央部の西海岸で、船形サークル遺跡は 道路沿いに唐突に現れた。案内板にも「ヴァイキン グの墓」と記されている。 ヴァイキングが歴史に登場するのは9世紀初頭か らであり、これがその墓だとすれば、当然その時に 建造されたサークルということになってしまうだろ う。このサークルの時代は不明である。 島ではボーゲ (Boge) の船形サークルが最古で、 古代青銅器時代のものなのだが、今回は訪ねること が出来なかった。 |
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グニスヴァード/ストーンシップ Gnisvard/Stoneship |
Gotland (SWEDEN) |
前述のガナルヴェからは数キロ北に離れており、 鬱蒼と繁った森の中にあるこの遺跡の雰囲気はとて も神秘的だった。 石の大きさや船形の規模はほぼ同じで、船の先端 付近に象徴的な大石を使用しているところも似てい る。 アヌンドショーゲンのサークルと比べると、船形 が実際のヴァイキングの船にやや近いシルエットに なっており、この写実性は時代がかなり新しいこと を物語っているのかもしれない、という印象は拭え ない。 英国などのストーンサークルとはどうやら次元の 違う存在ではあるのだが、石を並べ立てた人々が抱 いた石に対する絶対性や神秘性への想いは同じだっ たのだろう、と思う。 何とも不思議でユニークなストーンサークルが在 ったものだ。 |
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パンチェスタウン/メンヒル Punchestown/Standing Stone |
Kildare ( IRELAND) |
キルデア Kildare の東24キロに広がる牧草地 の中に、この著名なメンヒルが立っている。 残念ながら、柵を乗り越えて中へ入ることは不可 能だった。トレッキングのための梯子階段を柵の上 に設置してくれている英国の牧場のおおらかさが懐 かしく感じられた。 アイルランド旅行の主眼がロマネスク寺院とハイ クロスにあったので、限られた時間(まだ現役だっ た)では古代巨石遺跡探訪には限界があった。 ロマネスクの修道院廃墟が残る Kilteel キルテ ィールからグレンダロッホ Glendalough へ向か う途中でちょっと立ち寄ったのだが、6mもの高さ を誇る立石の迫力は、遠くから眺めただけでも十分 感じられた。 初期青銅器時代 (BC1500 頃) に立てられたもの である。 |
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ロッホ・グル/ストーン・サークル Lough Gur/Stone Circles |
Limerick ( IRELAND) |
リムリック Limerick と Kilmallock キルマロ ックのほぼ中間に、ロッホ・グルという湖がある。 湖畔には青銅器時代の遺跡が在り、資料館なども 建てられていた。 湖畔の西側、やや小高くなった丘の上に、三つの サークルが保存されている。写真のサークルは、そ の内の一つで Grange Circle と呼ばれている。 アイルランドでは、最大のストーン・サークルで ある。 サークルの直径は45mもある大きなもので、石 と石が密着しているのが特徴である。目印となるよ うな大きな石の位置が、夏至の日の出と関係がある とのことである。サークルの意味は不明だが、神的 なものの降臨や祭祀にとって、そうした天体との関 係は不可避だったのかもしれない。 |
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キャラン(バレン高原)/ドルメン Carran (The Burren)/ Dolmen (Burial Chamber) |
Limerick ( IRELAND) |
ゴルウェイ (Galway) とは湾を挟んだ向かい側の 半島には、有名なモハの断崖 (Cliffs of Moher) や このバレン高原が在る。広大な石灰岩の台地で、無 数のドルメンが点在している。 ここはバレン高原の東端で、石灰岩はほとんど露 出しておらず、一面は畑地と牧草に覆われていた。 穏やかな緑に囲まれた丘の上に、写真のドルメン が立っていた。見晴らしの良い場所で、チャーミン グなドルメンながら、まるで大地を睥睨しているか のように見えた。天蓋石の厚みから感じられる重量 感が、小さいながらも重厚な貫禄につながっていた のかもしれなかった。 天蓋石(屋根)を支える石は三石か四石に見える が、割れたように見える石があるので数えるのが難 しかった。しかし、現状では鳥居型の形状をしてお り、石の喪失や修復は否定できないが、愛すべきド ルメンであることに違いは無い。 |
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バレン高原/ プールナブローンのドルメン The Burren/ Dolmen Poulnabrone |
Limerick ( IRELAND) |
見渡す限り石灰岩の台地が続く荒々しい光景の中 に、慄然と立っている“巨人のテーブル”というド ルメンが見えた。 フランスではブルトン語に由来してドルメンと呼 ぶが、英国やアイルランドでは Burial Chamber と称している。直訳すれば“埋葬の部屋”となるの だが、葬られた遺骨などが発見されるケースは滅多 に無いそうである。 しかし、ここでは埋葬の痕跡が発見されているの で全面否定は難しいが、後代に墓室として利用した とも考えられる。 ともあれ、このドルメンの立ち姿が、何とスリリ ングであることだろうか。 ここでは、屋根石や壁の立石全てに偏平な石が用 いられていることが、むしろ華奢で危うげな不安定 感と戦慄的な佇まいを創出しているのだろう。ドル メンの魅力的な一面でもある。 |
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バレン高原/ グレニンシーンのドルメン The Burren/ Dolmen Gleninsheen |
Limerick ( IRELAND) |
前述のプールナブローンから北へ数キロ行った小 高い場所に、よく似た形状のドルメンが保存されて いる。 屋根石の幅が短いために全くの箱型である事が、 どっしりとした安定感はあるものの、若干だが立ち 姿の魅力を損ねているように思えた。 アイルランドでは、この種のドルメンを Wedge Tomb と呼ぶのだが、素直に訳せば楔(くさび) 形の墓となる。 Portal Tomb (門のある墓)という呼び名もあ って、明確な差は判らないが、英国系では全て墓で あることに変わりは無さそうだ。 屋根石の先端の尖った形が楔に似ているからであ ろうか。勉強不足をお詫びするしかないが、早急に 調べるつもりである。 魅力的なドルメンであることには違いは無い。 |
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キャロウモア/ドルメン Carrowmore/Dolmen (Passage Grave) |
Sligo ( IRELAND) |
北部の古都スライゴー (Sligo) の南西5キロに在 る、牧草地に広がる壮大な古代石器時代の遺跡であ る。周辺も含め60箇所ものサークルやドルメンが 点在するという、先史時代の遺構群である。 遺構の中で最古のものはBC3200(5000 年以上 前) のものとされており、学術的にも注目される事 例に溢れているそうだ。 ここでは Passage Grave と称されているが、 通路ある墓の意味で、普通のドルメンとの違いは判 らない。 写真は数あるドルメンの一つで、屋根石の形状が 滅多に見られない分厚いものだった。正直余り美的 ではないが、ずんぐりとした愛嬌が感じられたのだ った。こんなドルメンが、遺跡中にゴロゴロしてい るのである。 |
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キャロウモア/ストーン・サークル Carrowmore/ Stone Circle & Dolmen |
Sligo ( IRELAND) |
サークルの中心にドルメンを配したユニークな形 式だが、本来は円墳のような土に覆われていたドル メンで、周囲のサークルは土留めの石だったと考え られる。 このドルメンの屋根石もずんぐり系で、この地方 には偏平な石材が無かったのか、或いはこの地の様 式だったのかもしれない。 王妃メーヴ (Queen Maeve) の伝説を秘めた墓 が後方の丘に在るというのだが、1世紀の人らしく この遺跡とは時代がまるで違う。 しかし、この地にあると、そうしたファンタステ ィックな伝承までが、古代遺跡を包み込み、格別の 思い入れを醸造させられてしまう魔力を備えている ようだ。妖精の存在を信じてみるのも悪くはない。 |
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クリーヴィキール/前庭付墳墓 Creevykeel/Court Cairn |
Sligo ( IRELAND) |
スライゴーから国道 (N15) を北上すると、この 壮大な後期石器時代 (BC2500) の遺跡にたどり着 く。一面が石に覆われた、何たる壮大な遺跡である ことか。 周囲は細かい石積みで覆われているので、ケルン と言うに相応しいのだろうが、次掲のニューグレン ジのような石と土で円墳状に覆われていた姿を想像 するのはやや困難だ。 写真は、手前にもう一つ部屋が在り、石門の向こ うは入口となる前庭 (Court) なのである。つまり 奥の部屋から入口方向を眺めた、という事になる。 石積みの外郭は長方形であり、ケルン全体はどのよ うにして石に覆われていたのであろうか。 小生は、この規模の部屋に屋根石を覆うことは不 可能と考えるのだが、謎めいたケルンである。 |
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ニューグレンジ/通路付墳墓 Newgrange/Passage Grave |
Meath ( IRELAND) |
5000 年以上も前に、謎の古代民族が構築した墳 墓とされている。 入口から円墳の中心に向かって細い通路が設けら れており、壁や天井には巧みに石材を組み合わせて 空間を創出している。 冬至の陽光が墓室の最奥まで届くように設計され ているそうで、当時太陽信仰があったかどうかはと も角、信仰心や天文知識を持った優れた民族であっ たことは確かだろう。 ヴァイキングの盗掘とも考えられているが、墓と しての骨や副葬品などの痕跡は残っていないそうで ある。 入口周辺に置かれた巨石に施された謎の渦巻模様 は、後世ケルト人の感性に大きな影響を与えたとさ れる。 掲載したのはほんの一部、アイルランドにはまだ まだ山ほど在る遺跡群。またいつかじっくりと探訪 したいと熱望している。 |
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