フランスとヨーロッパの
     古代巨石文化
 
 
Mégalithique Civilisation
   
de France et Europe
 

 フランス(ブルターニュ以外)

 イタリア
 
 イベリア半島 
 北欧
 
アイルランド
 
 
  
 
  
Stone Circle
 Anundshõgen (SWEDEN)     
 
 
 石の持つ不変の絶対性や神秘性に崇敬の念を
抱くのは、古今東西遍く共通しているらしい。
 英国ソールスベリー近郊のストーンヘンジを
初めて見た時の驚きを、言葉で表現するのは無
理というものだ。謎だらけの石のモニュメント
だが、何等かの目的のために、古代の「人間の
手」によって造られたことは事実なのだ。重機
も測量機材も無い時代に、どのような方法で造
られたのかは解明されていない。

 フランスを中心としたヨーロッパ各地にも巨
石文化は存在している。
 壮大な規模のメンヒル列石が残るカルナック
を含むブルターニュは別サイトで掲載し、ここ
ではフランスのロワール、ポアトー地方にかけ
ての一帯に点在するメンヒルとドルメンを歩い
てみよう。

 フランス以外のヨーロッパ各地の主要な遺跡
については、英国は別サイトで取り上げること
とし、イベリア半島、イタリア、デンマーク・
北欧についても順次取り上げていきたいと思っ
ている。アイルランドについては、再探訪後に
いずれは別サイトを開く予定である。
 
 
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  New       
    
 サン・ネクテールドルメン
  
St-Nectaire/Dolmen de Parc
 

     Puy-de-Dôme (FRANCE)
     
  
 
 
 
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  New       
    
 サン・タフリックドルメン
 
St-Affrique/
   Dolmen de Tièrgues

      Aveyron (FRANCE)
     
 
 
 
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  New       
    
 ブリュイユ・アン・ヴェキシン
          
ドルメン
  
Brueil-en-Vexin/
   Allée Couverte Cave aux Fées

        Yvelines (FRANCE)
     
 
 パリの西、セーヌ下流の町マントの東北数キ
ロの町である。遺構は町の西北直ぐの林の中に
残されている。
 両側に各9基づつの板石が並び、通路手前に
門石突き当りに壁石を確認出来る。覆い付通路
というドルメン
Allée Couverte で、従来は天
井石が載り、土に覆われていたと考えられる。
 ブルターニュでは数多くの事例を見る事が出
来るが、パリ近郊では貴重な存在だろう。
 紀元前20~25世紀頃の遺構と言われてい
る。直線的な石の並び具合がむしろ不自然なの
だが、きっちりと修復された結果なのだろう。
 ここでも“妖精の洞窟”という陳腐な名がま
かり通っている。  
 
 
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  New       
    
 サンチューラメンヒル
  
Ceinturat/Menhir
      de Ceinturat
    
     Haute-Vienne (FRANCE)
       
  
 
 リモージュ周辺のロマネスクを巡った旅で、
サン・ジュニアン
St-Junien の北10キロ地
点で遭遇したメンヒルである。
 サンチューラの集落とはやや離れた森の中に
立っており、古代遺跡につきものの伝説めいた
物語が生まれそうな雰囲気に包まれている。
 高さは5mちょっとだが、地中に埋まってい
る長さを想定すれば、かなりの巨石になる筈で
ある。

 何のために巨石が立てられたのか、は永遠の
謎でしかない。フランスに限っても、かくも多
くの巨石が、新石器時代を中心に各地に立てら
れている意味合いは一体何だったのだろうか。

 神秘的な永遠性を備えた美しさを立っている
石の中に発見し、それは古代の人にとって神の
如き崇拝の対象となったのだろうか。角度を変
えた方向から眺めたある瞬間、戦慄的とも思え
る程の鋭い美しさを感じたりすることがある。
 或いは、巨石そのものを立てるという行為そ
のものに、何らかの意義があったのだろうか。
 毎回感じる疑問なのだが、これ以上の発想は
湧いてこない。そもそもが、古代人の価値観が
力では到底及びもつかないのである。
 それにしても、立っている巨石は魅力的だっ
た。    
 
 
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  New       
    
 シェ・ムトードルメン
  
Chez-Moutaud/
   Dolmen de Chez-Moutaud

       Haute-Vienne (FRANCE)
                
 
 サン・ジュニアンの東南12キロにも巨石遺
跡があった。
 町外れの森の中に在るドルメンで、四基の立
石の上に天井石(キャップストーン)という板
石を載せてある。
 支石墓とも呼ばれるので、古代の墳墓と解す
るのが一般的だが、何らかの崇高な対象、例え
ば太陽神などといった見えざる存在が棲まう家
として築造されたのではないか、との持論を小
生は持っている。
 覆い付通路式やもっと巨大なドルメンから受
ける印象は、単なる墳墓として造営されたとい
う水準からは、完全に超越されたイメージしか
受けないからなのである。
 
 
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  New       
    
 リヴェルノンドルメン
  
Livernon/
   Dolmen de Pierre Martine

        Lot (FRANCE)
     
 
 ロット川 Lot に沿ったカジャーク Cajarc
に泊まった日、ロットの北側の丘陵地帯に散在
する古代遺跡を巡ってみた。大半は小規模なド
ルメンが中心で、これはその内の一基である。
 大きな平石を用いた天井石が特徴だが、支石
の一部が喪失したためにコンクリート柱で補強
されている。
 重量感に満ちた天井石を、今にも崩れそうな
弱々しい板石で支える構図はあちこちで見られ
る。このスリリングなイメージも、ドルメンそ
のものの成り立ちの要素に入っているのだろう
か。古代のセンスとして。
 
 
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  New       
    
 ドラギニャンドルメン
  
Draguignan/Dolmen
    de Pierre de la Fée

      Var (FRANCE)
     
 
 プロヴァンス旅行の成果である。場所はカン
ヌの西50キロ、この大きな町の西北部、郊外
住宅地の一画に、忽然と現れたのだった。
 古代の居住地の一部だったそうだが、案内板
には「妖精の石」としての伝説と、古代の墓室
だったという解説が記されていた。
 巨大な天井石を大小三基の板石で支える構造
は、モニュメントとしても現代に通じるセンス
だろう。もっとも、当初はもっと多くの壁石で
囲われていたとの説もあるらしい。確かに周辺
には、それらしい石の断片が散らばっていた。  
 
 
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  New       
    
 サン・フォール・シュル・ル・ネ
          
ドルメン
  
St-Fort-sur-le-Né/
   Dolmen de Pierre Levée

         Charente (FRANCE)
     
 
 アンギュモア地方のロマネスク教会を巡った
際、思いがけず遭遇した古代遺跡である。
 銘酒の故郷コニャック
Cognac の町から南へ
13キロの葡萄畑の真ん中、という何とも有難
い場所にこのドルメンは建っている。
 現在は3基の立石が天井石を支えているが、
もっと多くの石が壁を形成していたようだ。従
来は土で覆われた土の塚だった、と言われる。
 床を掘ったが、伝説に在る宝物や人骨等は一
切出なかったそうである。ドルメンから人骨が
発掘されるケースのほうが少ない、とも聞いた
ことがある。小生がドルメン墳墓説を否定する
根拠ともなっている。   
 
 
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  New       
    
 サン・テミリオンメンヒル
  
St-Emilion/
    Menhir de Pierrefitte

        Gironde (FRANCE)
     
  
 
 サン・テミリオンといっても、ここはボルド
ーに近いリブルヌ
Libourne の町の手前の、
ドルドーニュ川に沿った葡萄畑の中で、シャト
ーの入口近くに立つメンヒルである。

 昔から、ミシュランの20万分の一地図に記
載されていることを知っていたが、何故か訪ね
る機会が無かった。今回、たまたま直ぐ近くの
ホテルに泊まったので、ようやく念願が叶った
という次第。

 この場所はサン・テミリオンのワインシャト
ーの一つ
Château Moulin de Pierrefitte
入口で、門前の葡萄畑に囲まれた芝地である。

 このメンヒルは他の石と同様、正面から見る
と天狗の団扇みたいな平石状だが、写真の側面
からの眺めはスリリングな形状を示す。ちなみ
に、高さは約5m、幅は3m、厚さは1m50
である。 やはり、メンヒルを眺める角度は、
石の横幅の変化が見える斜め前がベストだろう
と思う。

 葡萄畑の出来る遥か以前、4,500年も前から
この石がこの地に立ち続けて来た事を思うと、
たった百年の寿命しかない人間の、小事にこだ
わって生きる虚しさが伝わって来るような気が
した。古代巨石遺跡が、人をして虚無的にさせ
る存在とは知らなかった。
 
 
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  New       
    
 ラリヴィエール・
  サン・サヴァン
メンヒル
   
Larrivières-St-Savin/
    Menhir de Guillay

       Landes (FRANCE)
     
  
 
 ピレネーに近いガスコーニュ Gascogne
方を旅した際に訪れたメンヒルである。
 中心都市
Mont-de-Marsan モン・ド・マ
ルサンから
Aire-sur-l'Adour エール・シュ
ル・ラドゥールへ向かう田舎道の路傍に立って
いる。

 とうもろこし畑を背景にして立つ姿は、ずん
ぐりしていてお世辞にも美しいとは思えない。
 おおよその寸法は、高さ4m、巾2m、厚さ
1mといったところで、やはり正面からの姿は
丸で達磨か布袋像のようだった。

 畑の中に倒れていたものを起こし、折れた部
分を修復したそうだが、問題はその際に何らか
の姿が彫刻されていた、という報告があるそう
なのである。
新石器時代の話なので、旧石器時代のアルタミ
ラ洞窟壁画などを思えば有り得ないことではな
い。しかし、眺めた限りでは、その痕跡は全く
発見出来なかった。

 そんな話題が先行したメンヒルで、どう見て
も石そのものの美しさは見られなかったが、最
良のアングルを探したのがこの写真である。
 見慣れてくると、案外チャーミングな存在感
が感じられてくるから不思議だ。美人だけが魅
力的なわけではない、人間の個性に似ているか
もしれない。
 
 
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  New       
    
 エスクードルメン
  
Escout/Dolmen de Peyrecor

    Pyrénées-Atlantiques (FRANCE)
     
 
 ここは Oloron-Ste-Marie オロロン・サン
ト・マリーの近郊の村で、エスクーの谷の向こ
うにピレネー山脈を望む景勝の地である。
 高台の牧草地に、写真のような崩れかけたド
ルメンの残骸が残されている。天井石は生きて
いるが、支柱石は段重ねにしたまま積まれた状
態である。
 これではドルメンの体を成していないが、支
柱石が数基立っていれば、前面に開ける絶景と
併せて素晴らしいドルメンであったことが想像
出来る。
 この場所は、見えざる大きな存在が天上から
降臨する場所として、明らかに相応しく感じら
れたのだった。
 
 
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  New       
    
 ミリ・シュル・ブラドンメンヒル
  
Milly-sur-Bradon/Menhir
     dit la Hotte du Diable

      Meuse (FRANCE)
     
 
 ロレーヌ地方 Lorraine、ムース県 Meuse
北部の中心都市であるヴェルダン
Verdun
北35キロにある町である。
 サッセー
Sassey にロマネスクを訪ねる途中
で立ち寄ったので、予備知識は全く無かった。
 メンヒルは、町外れの農地の一画に立ってい
て、足元は生い茂る雑草で全く見えない。
 直訳で“悪魔の負籠”という名前の割には地
味なメンヒルである。正面から見ると、迫力に
欠けた小太りの石に過ぎない。
 かろうじて、写真の角度からはメンヒルとし
ての魅力が感じ取れる。
 農地の中だったので近くまでは寄れなかった
が、3mくらいの高さだろう。
 
 
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  New       
    
 エギラーツ
   アイツコメンディのドルメン

  
Egilatz/Dolmen
        de Aitzkomendi

          Álava (SPAIN)
     
 
 スペイン、バスク地方の Vitoria ヴィトリ
アを中心とするアラヴァ県には、古代の巨石遺
蹟が数基保存されているが、このドルメンが最
も美しい形で残されている。
 高さ3~4mの支石が壁柱として室内空間を
構築し、天井石が載る状態は完璧である。
 惜しいかな、天井石が分断されているが、当
初の迫力は保たれている、と言える。
 やはり当初は土に覆われた土饅頭の古墳だっ
た、と考えるほうが自然だろうか。
 どうしても小生の脳裏からは、降臨した神秘
な存在が住む家として造築された、と思いたい
気持がずっと消えないままでいる。  
 
 
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  New       
    
 アリサバラガ
   ソルジネッツェのドルメン

  
Arrizabalaga/
    Dolmen de Sorginetxe

          Álava (SPAIN)
                
 
 前述のドルメンからは至近の村で、このドル
メンは村外れの耕地の中に遺跡として保存され
ている。
ヴィトリアからは東へ約30キロの地点に当た
る。2m強の高さの5基の立石に支えられた、
天井石の傾斜が何ともスリリングである。
 写真は、ドルメンの正面であり、“部屋”の
入口でもある。
 内部からは矢尻や人骨が発掘されたそうで、
小生としてはドルメンを再利用した後世の住人
の遺品であると解したい。
 いずれにせよ、現在見るドルメンのモニュメ
ンタルな魅力が損なわれることは無い。
 構造の不安定さ、もまた格別の魅力である。  
 
 
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  New       
    
 ペシーニャ
    カスカーヤのドルメン

   
Peciña/Dolmen de Cascaja

         Rioja (SPAIN)
     
 
 ヴィトリアの南35キロに位置し、バスクか
らリオハへと州境を越えた辺りの葡萄畑の中に
在る。
 ペシーニャでは、チャーミングなロマネスク
の教会も見所である。
 入口は狭いが奥へと壁に挟まれた通路が延び
ており、部屋らしき空間が二つ続いている。

  Allée Couverte
(覆い付通路ドルメン) まで
の規模は無いが、土を取り除けば、一部が見え
る豪快な天井石を擁したやや細長いドルメンが
出現することだろう。
 内部から人の頭蓋骨も発掘されているので、
古代の墳墓とするのが妥当なのだが、墓自体の
意味合いが現代とは異なった別次元の価値観を
有していたと思えてならない。  
 
 
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  New       
    
 コルセール・プレ・コンシーズ
    コルセールのメンヒル

   
Corcelles-près-Concise/
      Menhirs de Corcelles

        Vaud (SWISS)
     
 
 ヌシャテル湖北岸の町で、周辺には開放的な
葡萄畑が広がっている。
 畑の中の草地に、写真のような四基のメンヒ
ルが意味ありげに立っている。一番高いもので
2.5m程である。
 平行に並んでいるので、何らかの方向性を示
すのか、門を象徴しているのか、などといった
推量が浮かんでくる。
 門ならば誰を迎えるのだろうか。ストーン・
サークルの一部だったかとも考えたが、二石同
士が完全に平行しているので有り得ない筈だ。
 写真左端の一基のみ、喪失した石の代替石だ
そうだが、別段大きな違和感は感じられない。
 
 
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 ポール・モールメンヒル
  
Port-Mort/Menhir Gravier
         de Gargantua

        Eure (FRANCE)
     
  
 
 パリから車でセーヌ (Seine) 沿いの町レ・
ザンドリー
(Les-Andelys) へ向かう途中、街
道沿いの草地にデンと立ったこのメンヒルが目
に入った。
 ヴェルノン
(Vernon) の先、レ・ザンドリ
ーの手前10キロの地方道
(D313) に面して
いる。
 少し先の空地に車を止め、歩いて見に行くこ
とにする。高さは3m弱というところだろう。
材質は石灰岩だと思う。

 立石としては決して良い形とは言えないのだ
が、石の先端が頭のように細く飛び出ているこ
とから、おそらくは擬人化された伝承が残って
いるものと想像した。
 後日調べてみると、結構著名なメンヒルであ
り、案の定“ガルガンチュア”という大食漢に
まつわる伝説が残されているようである。
 いずれにせよ、紀元前の青銅器時代に立てら
れた立石とは何の関連もない話である。石の形
状や立地条件に沿った想像から生まれた夢の物
語、といったところだろう。

 もっと根源的に、古代人たちが何故かくも多
数の石を、メンヒルという形で立てたのだろう
か、という課題に立ち戻りたい。
 立てた石に高さを求めたのか、立てた姿に意
義があったのか、或いは立てるという行為が大
切だったのか、夢はこっちに広げたいのである。
 
 
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  サント・スザンヌ
     エルヴのドルメン

   
Ste-Suzanne/Dolmen de Erves

        Maynne (FRANCE)
     
 
 ル・マン (Le Mans) とラヴァル (Laval)
中間に位置する城下町で、町の北側5キロの
牧場内にこの遺跡が保存されている。
 現在は二枚の天蓋石を数石の立石で支える格
好になっているが、本来はもう少し規模が大き
かったと想像出来る。
 ドルメンとしては比較的小型だが、全体のバ
ランスがとても美しく感じられた。
 写真を撮影した方向が、内部への入口だった
のだろう。
 すぐ横に牧草に覆われた円墳状の
Cairn
ルンが残っており、一帯は古代の祭祀の場であ
ったと思われる。
 
 
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 メトレイ妖精の洞窟のドルメン
   
Mettray/Dolmen
      de la Grotte des Fées

      Indre-et-Loire (FRANCE)
     
 
 
 ロワール河畔の町トゥール Tours に滞在し
ていた或る日、何気なく見ていた国土地理院発
行の地図で、このドルメンの存在を知った。そ
の不思議な名前に惹かれて、すぐに出かけたこ
とは言うまでもない。
 トゥールの北数キロにある郊外の村外れで、
その森は畑の中に置かれた村の鎮守、といった
風情だった。
 傾斜して立てられた壁石に比べ、天井の石は
豪壮な大石である。祭室というより、全体が天
井の低い羨道のようで、妖精の洞窟とは言い得
て妙な命名だなあ、と感心した。妖精が舞い遊
ぶに相応しい雰囲気が漂っており、古代より何
等かの神霊的存在を予感させるような場所だっ
たに違いない。
 特に、霧に包まれたロワール河流域の雰囲気
は、正にその様な世界に近いと思う。
 
 

      
    
 ラ・ピエール・クーヴェルト
          ドルメン

   
La Pierre Couverte/
    Dolmen (Allée couverte)

    Maine-et-Loire (FRANCE)
     
 
 
 ロワール河下流の町アンジェ Angers の北
東に広がる、小高い丘陵の雑木林の中にこのド
ルメンが在る。ここから至近の村ポンティーニ
Pontigné に在る聖ドニ教会へ、彩色され
たロマネスク柱頭彫刻を見に来た時の寄り道で
あった。
 四方に石を立てて壁とし、上に屋根を載せた
ドルメンである。石は扁平に見えるが、近くで
見れば厚さは50
センチ以上あり、簡単に動か
せるような代物ではない。
 大方のドルメンが入口と奥の部屋を備えてお
り、奥の空間は荘厳された形式となっているの
で、墓室もしくは宗教的な祭祀の中心であった
と考えるのが最も妥当だと思える。
 同じドルメンでもこの様式は「屋根付回廊」
と呼ばれている。
 それにしても膨大な労力を動員するために、
どのような権力あるいは中心的存在が有ったの
か、というテーマに興味は尽きない。   
 
 
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 スセルピエール・セゼー
    のドルメン

  
Soucelles/Dolmen
    de la Pierre-Césée

    Maine-et-Loire (FRANCE)
                
  
 
 ロワール河畔の町アンジェ (Angers) の北
東約20キロに在る寒村で、サルト
(Sarthe)
川の北側に位置している。
 このドルメンは、町から東へ3キロばかり離
れたサルト川に近い畑地の中に残されている。

 先ず目に入るのが、天蓋石の圧倒的な迫力を
示した姿だろう。この写真では良く判らないの
だが、幅は3m、奥行の長さは9m弱もある一
枚岩なのである。
 数基の支石によって壮大な天蓋石が支えられ
ているのだが、ここでもその意義を分析してみ
たい。つまり、この形式のドルメンを構築する
ことの目的が、天蓋石の重量感にあったのか、
またそれを支えることにあったのか、或いは構
造が作り出す内部の空間にあったのか、また石
を組み立てる行為そのものにあったのか、考え
られる可能性はそんなところだろう。
 毎度申し上げるが、小生の考えは、構築され
た内部空間とそれを構成する屋根石や支石の荘
厳さにあったのではないか、と思っている。
 青銅器時代では体系化された宗教などある筈
もなく、勿論中心となる“神”の存在など在り
得ない。しかし、アミニズム神的な見えざる大
きな力の存在は信じられていたのだろう。そう
した神的なものの降臨の場所として、祭祀の中
心として構築されたのではないだろうか。
 
 
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 ソミュール(バニュー)
       
グラン・ドルメン
   
Saumur(Bagneux)/
      La Grand Dolmen  

    Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 ロワール沿いの町ソミュールの南部集落で、
現在は閑静な住宅街になっている。
 この一画だけが古代の不思議な雰囲気を漂わ
せており、遺跡を管理する隣家に頼めば、門の
鍵を開けて貰える。
 奥行が23mもある壮大な
Allée couverte
ドルメンで、レンヌの
La Roche aux Fées
匹敵するフランス屈指の規模のドルメンなので
ある。
 壁石が直立した箱型に近いので、戦慄的な迫
力には欠けるのだが、この地方で産出する砂岩
を組み上げた重量感は傑出している。内部の部
屋は重厚で、いかにも“特別の存在”が住み着
きそうな重々しさである。
 
 
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 ディストレ
    ヴァシュリのドルメン

  
Distré/Dolmen la Vacherie

     Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 前述のバニューから南へ4キロ行った集落で
あり、ドルメンは町の南側を流れる小川沿いの
林の中にひっそりと残されている。
 ほぼ方形に近い天蓋石には、中心部がやや膨
れ気味だが、割と薄目の石が使用されている。
 それでもかなりの重量と大きさであり、現代
においても支石の上に載せるだけでも至難の工
事になるだろうと思うと、一体どのような方法
で構築したのであろうか。支石を立て、土を被
せて天蓋石を引き摺り上げた、とする説が最有
力ではある。
 状況証拠だけで、推量は出来ても確証の無い
裁判のようなものであるところが、我々素人が
判定に食い込む余地に恵まれた楽しさがある。
 
 
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 ジュンヌマドレーヌのドルメン
   
Gennes/Dolmen
      de la Magdeleine

     Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 ソミュールからジュンヌ周辺のロワール河岸
段丘には、多くの古代巨石文明の遺構が点在し
ている。
 中でもこのドルメンは、規模においても迫力
においても、断然群を抜く存在と言える。
 近年は農場の倉庫として使用されていたそう
だが、かなり修復された痕跡が顕著だ。しかし
古代の遺構としてのオーラを、いまだに放ち続
けていることだけは確かである。
 近年の発掘で多くの人骨が周辺から発見され
たそうで、ドルメン=墳墓説が主流となってい
るのだが、小生はその説には些か懐疑的だ。特
にこの種の
Allée couverte の回廊(連続す
る部屋)の長さが、とても墳墓とは思えないか
らなのだ。     
 
 
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 ジュンヌフォレのドルメン
   
Genne/Dolmen de la Forêt

     Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 
 前述のドルメンの西北3キロの畑地の中に、
やや壊れかかった姿で残っている。
 やや薄目の屋根石は2枚で、細かい石の露出
した砂岩が用いられている。
 写真の開口部の様子からも規模は小さいが、
屋根付回廊式ドルメン
(Allée couverte) だっ
たと思われる。
 ドルメン自体は、石組の迫力や神秘的な美し
さなどには欠けるものの、牧歌的な風景に解け
込んだ不思議な静寂感が感じられたのだった。
 ここでの天蓋石には、その厚さよりも広さが
求められたのだろうか。石の質や格は二義であ
って、空間を構築することが第一義であったの
か、と感じさせられたのだった。
 
 
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 ラ・ブールネー
    コルボーのドルメン

   
La Bournée/
     Dolmen de Corbeau

     Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 
 ジェンヌの南南西に Forêt de Milly ミリー
の森
という美しい景色の続く場所がある。森の
南端、集落の北の外れに、写真のようなドルメ
ンの遺構が残されている。
 明らかに屋根付回廊ドルメンの名残だろう。
現在の天蓋石は二枚だが、回廊は写真の手前ま
で延びていたのだろうと思われる。屋根石とし
ては、広く厚めの豪快な石である。
 平石を壁のように立てた、この地方に共通す
る支石に特徴がある。
 写真の向こう側に開口部があるので、手前が
祭室に当たる部分だったはずである。
 
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 ラ・バジュリエールドルメン
   La Bajoulière/
    Dolmen (Allée couverte)

    Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 
 ロワール河流域でも、特にジェンヌ周辺には
ドルメンやメンヒルが密集している。古代にお
いては、祭祀のために何らかの地理的条件が備
わっていたものなのか、或いは後世において未
開発な地域だったからこそ遺跡が残ったのだろ
うか。
 アンジェの町からロワ-ル河を南岸沿いに、
ソミュール
Saumur 方面を目指して走ると、
壊れそうになったままの、小さく
Dolmen
書かれた看板がかろうじて見つかった。こんな
ものを見て歩く人は滅多にいないのだろうか。
 雑木林を抜けた丘の上の、パっと開けた草原
に、この奇妙なドルメンが在った。

 まるで鰻の寝床みたいに細長く見えるが、や
はり入口から羨道が祭室へと続いている。床の
部分は掘り下げられているので、天井は高く内
部は案外と広かった。
 明るい雰囲気が、古代の石のモニュメントと
いうイメージを忘れさせ、あたかも野外美術館
に置かれた前衛彫刻のようなイメージを想わせ
た。      
 
 
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 ボーリュー・シュル・レヨン
    モン・ブノーのドルメン

  
Beaulieu-sur-Layon/
   Dolmen de Mont-Benault

     Maine-et-Loire (FRANCE)
                
 
 
 アンジェの南約20キロにある村で、この地
方のワインの集散地となっている。ここから東
へ続く地方道
(D55) 沿いの、葡萄畑に囲まれ
た草地にこのドルメンが立っている。秋に訪れ
たので、葡萄の葉の紅葉が見事だった。
 ドルメンの基礎とも言うべきスタイルで、分
厚い屋根石を三か所の支点で支える構造になっ
ている。
 写真手前が開口部で、支石以外の石も用いて
「コ」の字型に空間を形成している。
 なぜ、こんな単純な構造に魅力を感じるのだ
ろうか、という謎は、なぜ古代人は飽くことな
く、この様にして石を組んだのだろうか、とい
う疑問に通じている、という気がしてきた。
 
 
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 ガルド・エペードルメン
   Garde-Epée/Dolmen

      Charente (FRANCE)
     
 
 このドルメンはポアティエの南、シャラント
県の首都アングレームの町の西に在る。ブラン
デーで有名なコニャック
(Cognac) の町から
近い。
 シャラント河流域の平坦な耕地の真ん中に、
孤高な雰囲気でポツンと立つドルメンの姿は異
様だが魅力的だった。かつてこの場所がどのよ
うな聖域であったのかを想像するには、葡萄畑
に囲まれたこの風景は余りにも牧歌的すぎる。
 羨道は無く、ストーンサークルのような円形
状に並べられた立石の上に、厚く大きな平石が
載せられている。高さは2m程で小さく見える
が、傍に寄って見ればやはりかなりの巨石群な
のであった。

 石にいったい何を感じて、古代の人達はこの
ような建造物を造り続けたのであろうか。
 写真は82年の正月に、この地方のロマネス
クを探訪した際のものである。
 
 
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 アヴリエ
    フレブシェールのドルメン

   Avrillé/
    Dolmen de la Frébouchère

       Vendée (FRANCE)
     
 
 ポアティエ Poitiers の西北、 Nantes ナン
トの南に位置するヴァンデー地方を旅した事が
ある。ロマネスクのサイトにその報告を掲載し
てがあるが、知られざる歴史と文化の宝庫なの
である。
 アヴリエは県庁所在地ラ・ロシュ・シュル・
ヨン
(La Roche-sur-Yon) の南、大西洋岸に近
い所にある田舎町である。
 周辺は古代石造遺構の密集地であり、ドルメ
ンやメンヒルをあちこちで見る事が出来る。
 このドルメンはその中では最も著名なもので
あり、堂々とした美しい姿を今日でも見る事が
出来る。
 ここでも羨道のような通路や、部屋のような
間仕切りが少しだけ見える。
 天井の石は一枚岩の豪壮なもので、どうやっ
て運搬し、どうやって載せたのかを考えると、
永久に眠れなくなりそうである。
 
 
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 アヴリエサヴァトールの
         ドルメン群

   Avrillé/Dolmens
         de Savatole

      Vendée (FRANCE)
                
 
 前述のドルメンから比較的近い雑木林に、三
つのドルメンが群立する場所がある。
 森の中、小道に面した所、そしてこの畑の中
の三箇所である。
 いずれも規模は小さいが、個性的なものばか
りである。中でも写真の、少し崩壊したこの畑
のドルメンが気に入ってしまった。

 崩れた石は命を失っているが、残った石組の
風情がとても良い。
 崩落し風化し、朽ち果てていく運命を予感さ
せるからである。

 穏やかで静寂な時間の流れが感じられて幸せ
だったが、現実的な欲望は時間を無視する。
 私達は海岸の港町ル・サーブルへと、名物の
牡蠣料理を食べるために踵を返したのだった。
 
 
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 コーリアスタンターリの列石
   Cauria/Alignements
          de Stantari

        Corse (FRANCE)
     
 
 
 コルシカ島南部、美しい山上都市として知ら
れるサルテーヌ
(Sartene) の町の西南一帯に
は、ドルメンやメンヒルを主体とした古代の巨
石遺跡が密集している。
 コーリア古代遺跡はその中心で、二つの列石
とドルメンを訪ねた。
 遺跡の入口にある駐車場に車を停め、広大な
草原を歩いて回ることになる。
 訪れる人は、他には全く見当たらない。

 最初に着いたのがこの列石で、先端が丸くな
った細長い石の並んだメンヒル群である。こう
した列石が二列並んでいるのだが、ブルターニ
ュ等で見るメンヒルとは大きく印象が異なる。
 それは、石が加工され人面が彫刻されている
からで、これがコルシカならではの最大の特徴
なのである。
 中央の二基には、わずかだが人面彫刻の痕跡
が見える。
 青銅器時代の遺跡とされ、BC2000年前後の
ものだという。
 
 
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 コーリアレヌギュの列石
   Cauria/Alignements
          de Rennegiu

        Corse (FRANCE)
                
 
 前述のメンヒル群からさらに草原を横切り、
遠くに見えていた岩山の麓辺りまで歩くと、鬱
蒼と繁った林の中にこの列石がひっそりと立っ
ているのが見えた。
 ここのメンヒル群は、大小様々な立石から成
り、明確な列は無く、石の数もかなり多い。
 木の影になる石が多く、写真にはかえって好
天が仇となる。
   
 ここでは、古代の人達が何を求めてかくも巨
大な石の数々を立てたのだろうか、という原点
とも言える疑問に立ち返っていた。
 カルナックの様に意図的に並べられた立石群
とは違い、ここでは何らかの記念碑的な石とし
て立てられたのではないか、と解説書に書かれ
ていたからである。
 人面彫刻などから、墓碑的な目的が想定され
たのだろうか。
 
 
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 コーリア
   フォンタナッキアのドルメン

  Cauria/Dolmen
        de Fontanaccia

        Corse (FRANCE)
                
 
 
 広大なコーリアの遺跡の中でここは最奥に位
置しており、背の低い潅木の林の中の小道を少
し歩かねばならない。ドルメンは小さな丘上の
開けた場所に、かなりしっかりと残っている。
 部屋のように立石の壁で囲まれたコの字形の
空間に、偏平な巨石が屋根のように乗せられて
いる。
 “埋葬用の部屋”という解説が、こうしたド
ルメンには成されることが多いが、ここでも看
板にはそう記されていた。
 遺跡全体の年代は、新石器時代から青銅器時
代への過渡期であった金石併用時代とされ、紀
元前2800~1700年頃とのことである。
 飛鳥の石舞台のように、頑強な石組で壁面を
構築されたものは、当初は地中に埋まっていた
墓室と考えられなくもないが、こうしたドルメ
ンはやはり墓室とは考え難い。
 少なくとも祭祀のためのモニュメントだった
のだろうと言うべきだ、というのが私の言い続
けてきたことだ。
 
 
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 パラギュ列石
   Palaggiu/
    Alignements de Palaggiu

        Corse (FRANCE)
                
 
 
 石の表情が鋭角的な自然石によるブルターニ
ュやダートムアのメンヒルに比べると、コルシ
カの加工された立石によるメンヒルの印象は、
丸棒の様で迫力には乏しいが、並ぶことによっ
てむしろ不思議な魔力を感じさせてくれる。
 同じ石を立てる行為でも、目的意識に何らか
の違いがあったことだけは確かだろう。まして
や、コルシカでは人面を彫刻しているのだ。
 墓碑のような、或いは何らかのメモリアルな
記念碑としての意味が込められているのかもし
れない。
   
 ここはコーリア遺跡からは数キロ離れた場所
で、壮大な列石群があったのだが、その大半が
倒壊している。
 倒石全ての復元が出来れば、人を圧するよう
な量感が生まれ、この遺跡がかなりの規模であ
ったことが判るだろう。
 
 
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 フィリトーサ人面メンヒル群
   Filitosa/Statues-Menhirs

        Corse (FRANCE)
                
  
 
 プロプリアーノ Propriano の北西にあるこ
の遺跡は、紀元前2000年頃の集落跡である。
オピダン
(Oppidum) と呼ばれ、要塞や宗教的
記念物などが残されている。
 遺跡全体は野外博物館となっていて、遊歩道
などが整備されると同時に、メンヒルなどの遺
構はかなり意図的にレイアウトされている。

 遺跡のあちこちにメンヒルが見られるが、遺
跡最奥のオリーブの樹の茂る小山を囲むように
して立っている五基のメンヒルが印象的だ。
 写真の三基の他に左側にもう二基立っている
が、いずれも先端部に人面らしき彫刻の跡が見
られ、中央部には剣のようなものが彫られてい
るので、戦士たちの像であるのかもしれない。

 やや時代が下がる可能性もあるだろうが、こ
の時代に偶像的な像容が描かれたということは
驚きで、かなりの文明や知性を持った民族であ
ったことが想像できる。
 地中海を往来する別の海洋民族に滅ぼされた
と解説書には書いてある。博物館の資料では、
羊を飼って暮らしていたらしいのだが、住んで
いた岩窟のような集落と、知的な行為とのギャ
ップが気になったままでいる。
 
 
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 メレンドゥーニョ
    プラカのドルメン

   Melendugno/
     Dolmen di Placa

       Puglia (ITALIA)
     
 
 イタリアのドルメンといっても余りピンと来
ない方が多いかもしれない。
 だが、バリからレッチェにかけてのアドリア
海沿岸地帯は、古代ドルメンの密集地帯なので
ある。
 最も有名なコラート
(Corato) のドルメンを
見損なったのが残念だが、レッチェの東南、半
島の踵の先に在る三つのドルメンを見ることが
出来た。

 ここはレッチェから10キロ程東南に位置す
る集落で、家並みの途絶えた辺りにこの小さな
ドルメンが在った。
 屋根石を支える石がぐるりと円形に立てられ
ているので、入り口や通路らしき構造は見られ
ない。
 内部は部屋や墓というよりは、密室状態の空
間なのである。見えざる聖なるものの降臨する
場、として構築されたもの、という常々申し述
べている私の理解の仕方を皆様はどう受け取ら
れるのか、気になるところである。
 近くにグルグランテ
Gurgulante のドルメ
ンが在った。
 
 
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 ミネルヴィーノ・ディ・レッチェ
     スクーシのドルメン

    Minervino di Lecce/

       Dolmen di Scusi

        Puglia (ITALIA)
                
 
 レッチェの町でのバロックの嵐に疲れ果てた
私達は、口直しの意味も有って“オットラント
・グループ”と呼ばれる古代遺跡群の探訪をす
ることにしたのだった。
 先述のメレンドゥーニョも含め、この一帯に
は16箇所ものドルメンやメンヒルがあるのだ
そうだ。
 ここはオットラント
(Otranto) の町の南西
キロの場所に在って、オリーブの林に囲まれ
た古来からの神聖なスポットであったようだ。

 4m近い長さの天井石
大きさに比べると、
それを支える立石が余りにも小さく、不規則な
積み方が不安定な緊張感を生んでいる。
 ここでも、従来は墓として土中に埋まってい
たのではないかという説が有力なのだが、それ
にしては壁となる支石が何とも貧弱であり、や
はり何らかのモニュメントとして構築されたの
だろうと私は改めて思った。  
 
 
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  モーレス
    コヴェッカーダのドルメン

   Mores/Dolmen Sa Coveccada

        Sardegna (ITALIA)
     
 
 
 サッサリ (Sássari) の東南にあるこの町の周辺
には、ヌラーゲ文明の石積み遺跡など、数多くの
古代遺跡が密集している。
 ドルメン好きの私はここだけは見ておきたいと
思い、ロマネスク教会巡拝の合間にこの場所を探
した。
 ようやくたどり着いた場所は、広大な民営農場
の牧草地の真ん中だった。
 親切な農場の親爺に頼んで、ドルメン見学の許
可を貰うことが出来た。
 3m近い巨石が組まれており、その堂々たるド
ルメンの姿に心打たれたのだった。
 二列に並べられた壁石(支石)の上に平石が置
かれ、手前の窓のある壁石の反対側は開口部とな
っている。
 紀元前2000~3000年と巾はあるのだが、青銅器
時代の遺構だろう。
 圧倒的な石の神秘性と存在感、これに触れられ
ることが巨石遺構を歩く大きな糧となる。
 親爺が母屋でコーヒーを入れ、草原を歩いて帰
る私達を待っていてくれたのだった。 
 
 
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  リベイラアヘイトスのドルメン
   
Ribeira/Dolmen de Axeitos

        Galicia (SPAIN)
     
 
 
 念願の聖地サンチャゴ Santiago de Compostela
へ詣でた後、聖ヤコブの遺跡パドロン Padron から
半島の先端コルベド岬
Cabo Corrubedo までドライ
ブをした。
 岬の少し手前のリベイラの町の北5キロ地点に、こ
のドルメンが在ることは使用していた詳細な地図上で
発見していたのだった。
 三点で巨大な屋根石を支えているという、最も単純
な構造であるにもかかわらず、屋根石の圧倒的な重量
感とそれに比して何とも薄っぺらな板石がそれを支え
る心もと無さが、ドルメン好きにはたまらない魅力だ
った。
 ここでも、ドルメンは決して墳墓ではなく、何らか
の意図で構築されたモニュメントなんだという確信を
得たのだった。
 
 
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  バルバセナコータダのドルメン
   Barbacena/Anta
     da Coutada de Barbacena

        Portalegre (PORTUGAL)
     
 
 
 その日はエヴォラ Evora からエルヴァス Elvas
を観て歩き、夕刻になって宿泊予約をしてあったク
ラート
Crato のポーサダを目指して車を走らせて
いた。
 バルバセナの町を通過した辺りでこのドルメンを
示す標識を発見し、急遽山の中へと入って行ったの
だった。
 日の沈んだ夕暮れだったので、写真はシルエット
だけになってしまった。しかし、このスリリングな
ドルメンの魅力は御想像いただけるものと思う。
 手前が開口部で、壁石として四基の立石が組まれ
ている。しかし、天井石を支えているのは手前の二
石だけであることが、この危うい緊張感を生んでい
るのだった。
 偶然に立ち寄ったここだけではなく、この地域に
は魅力的なドルメンやメンヒルが他に多数あるとの
事なので、そのための旅行を企画しなければならな
いだろう。
 
 
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  アヌンドショーゲン
     
ストーンサークル群

   Anundshögen/
     Stonecircles (Stone Ships)

      Västmanlandes Län (SWEDEN)
     
 
 
 ある本でこのサークルの写真を見て以来、夢はス
トックホルムに飛んでいた。ちょっとした機会で北
欧の旅が実現した時、何よりもここを訪ねることが
第一の目的となっていたのである。
 ストックホルムからは西へ100キロの田園地帯
に、この船形をしたサークルが三つ並んでいた。
(このページの巻頭参照)
 ヴァイキングのボートの形に似せたこのようなサ
ークルは、スウェーデン各地に数多く残っている。
実際はヴァイキングが活躍するずっと以前の、旧ス
カンディナヴィア族が形成した青銅器時代後期 (B
C1500~500) のものと思われる。
 明らかに墓地として使用された痕跡や、副葬品と
考えられる木製の船が埋められているケースもある
らしい。
 その中でもここは最大級のサークルで、長さは5
3mもあり、正面の石の高さは3mにも及ぶ。
 英国のストーンサークルが大好きだが、森と湖に
囲まれたこのサークルにはまた格別の雰囲気が感じ
られた。
 遺跡内には列石やルーン石碑やマウンドもあり、
古代に想いを馳せるには最良の環境となっている。
 
 
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  エコルナヴァレンドルメン
   Ekornavallen/Dolmen

    Västra Götalands Län (SWEDEN)
     
 
 
 ヴァテルン (Vättern) とヴァネルン (Vänern)
という二つの大きな湖に挟まれた湿地帯で、遺跡は
山よりの草原地帯に広がっている。
 スカラ
(Skara) の教会へ行く途中で立ち寄った
遺跡で、ストーンサークルやメンヒルやケルンなど
が密集する壮大な遺跡である。
 中でも特に気になったのがこのドルメンで、石が
かなり崩落しているものの、フランスで多く見られ
る“覆われた通路
(Allée Couverte)”の形式であ
ることに興味があった。
 つまり、両側に板状の支石を並べて通路状の空間
を造り、その上を屋根石で覆ったもの、である。残
念ながら、ここでは屋根石がほんの一部しか残って
いなかった。
 もう一つ面白いのは、写真手前に直角にもう一本
の通路が延びていることで、アイルランドで似たよ
うな事例を見たが、あまり他に類例を知らない。
 
 
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  アムンドトルプ
    ストーンサークル群

   Amundtorp/Stonecircles

    Västra Götalands Län (SWEDEN)
                
 
 
 前述の遺跡からスカラへと向かう途中の村の背後
の山麓に、ストーンサークルが四つ繋がっていると
いう珍しい遺跡があった。
 写真は村に近い二つのサークルで、中央にあるサ
ークルが最も美しい円形になっていた。
 さらに奥に船形のサークルがあり、少し離れた林
の中にもう一つのやや荒廃したサークルが残されて
いた。
 英国で見られるサークルの様に美しかったので、
気分は最高だったが、よく考えると、北海を隔てて
英国とスカンディナヴィアは隣国なのである。
 スウェーデンのサークルの場合、墓地としての色
彩がやや濃いので、何の為に石を立てたのかを考え
る時、古代人の行った祭祀に対するイメージが、葬
儀といったような死者を弔う空間、というようなや
や夢の無い段階で止まってしまいそうである。
 古代の人々の、絶対的なものへの、もっと深遠で
崇高な畏敬や、純粋な崇拝の姿が背景にあったのだ
ろう、と想いたいからなのである。   
 
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  ガナルヴェストーンシップ
   Gannarve/Stoneship

        Gotland (SWEDEN)
     
 
 
 バルト海に浮かぶゴットランド島は、海路の要衝
として古くから開けた島だった。
 古いハンザ都市だったヴィスビー
(Visby) に滞
在し、多くの中世教会やフォーロ島
(Fårö) などを
巡った。
 その際に島中に点在する「ヴァイキングの墓」と
いうものの存在に気がついたので、その内の何箇所
かを歩いてみた。

 ここは島中央部の西海岸で、船形サークル遺跡は
道路沿いに唐突に現れた。案内板にも「ヴァイキン
グの墓」と記されている。
 ヴァイキングが歴史に登場するのは9世紀初頭か
らであり、これがその墓だとすれば、当然その時に
建造されたサークルということになってしまうだろ
う。このサークルの時代は不明である。
 島ではボーゲ
(Boge) の船形サークルが最古で、
古代青銅器時代のものなのだが、今回は訪ねること
が出来なかった。   
 
 
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  グニスヴァードストーンシップ
   Gnisvard/Stoneship

       Gotland (SWEDEN)
     
 
 
 前述のガナルヴェからは数キロ北に離れており、
鬱蒼と繁った森の中にあるこの遺跡の雰囲気はとて
も神秘的だった。
 石の大きさや船形の規模はほぼ同じで、船の先端
付近に象徴的な大石を使用しているところも似てい
る。
 アヌンドショーゲンのサークルと比べると、船形
が実際のヴァイキングの船にやや近いシルエットに
なっており、この写実性は時代がかなり新しいこと
を物語っているのかもしれない、という印象は拭え
ない。

 英国などのストーンサークルとはどうやら次元の
違う存在ではあるのだが、石を並べ立てた人々が抱
いた石に対する絶対性や神秘性への想いは同じだっ
たのだろう、と思う。
 何とも不思議でユニークなストーンサークルが在
ったものだ。
 
 
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  パンチェスタウンメンヒル
   
Punchestown/Standing Stone

        Kildare ( IRELAND)
     
 
 
 キルデア Kildare の東24キロに広がる牧草地
の中に、この著名なメンヒルが立っている。
 残念ながら、柵を乗り越えて中へ入ることは不可
能だった。トレッキングのための梯子階段を柵の上
に設置してくれている英国の牧場のおおらかさが懐
かしく感じられた。
 アイルランド旅行の主眼がロマネスク寺院とハイ
クロスにあったので、限られた時間(まだ現役だっ
た)では古代巨石遺跡探訪には限界があった。
 ロマネスクの修道院廃墟が残る
Kilteel キルテ
ィールからグレンダロッホ
Glendalough へ向か
う途中でちょっと立ち寄ったのだが、6mもの高さ
を誇る立石の迫力は、遠くから眺めただけでも十分
感じられた。
 初期青銅器時代 (BC1500 頃) に立てられたもの
である。  
 
 
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  ロッホ・グルストーン・サークル
   
Lough Gur/Stone Circles

        Limerick ( IRELAND)
     
 
 
 リムリック LimerickKilmallock キルマロ
ックのほぼ中間に、ロッホ・グルという湖がある。
 湖畔には青銅器時代の遺跡が在り、資料館なども
建てられていた。
 湖畔の西側、やや小高くなった丘の上に、三つの
サークルが保存されている。写真のサークルは、そ
の内の一つで
Grange Circle と呼ばれている。
 アイルランドでは、最大のストーン・サークルで
ある。
 サークルの直径は45mもある大きなもので、石
と石が密着しているのが特徴である。目印となるよ
うな大きな石の位置が、夏至の日の出と関係がある
とのことである。サークルの意味は不明だが、神的
なものの降臨や祭祀にとって、そうした天体との関
係は不可避だったのかもしれない。
 
 
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  キャラン(バレン高原)ドルメン
   
Carran (The Burren)/
     Dolmen (Burial Chamber)

         Limerick ( IRELAND)
     
 
 
 ゴルウェイ (Galway) とは湾を挟んだ向かい側の
半島には、有名なモハの断崖
(Cliffs of Moher)
このバレン高原が在る。広大な石灰岩の台地で、無
数のドルメンが点在している。
 ここはバレン高原の東端で、石灰岩はほとんど露
出しておらず、一面は畑地と牧草に覆われていた。
 穏やかな緑に囲まれた丘の上に、写真のドルメン
が立っていた。見晴らしの良い場所で、チャーミン
グなドルメンながら、まるで大地を睥睨しているか
のように見えた。天蓋石の厚みから感じられる重量
感が、小さいながらも重厚な貫禄につながっていた
のかもしれなかった。
 天蓋石(屋根)を支える石は三石か四石に見える
が、割れたように見える石があるので数えるのが難
しかった。しかし、現状では鳥居型の形状をしてお
り、石の喪失や修復は否定できないが、愛すべきド
ルメンであることに違いは無い。 
 
 
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  バレン高原
    プールナブローンのドルメン

   
The Burren/
      Dolmen Poulnabrone

        Limerick ( IRELAND)
     
 
 
 見渡す限り石灰岩の台地が続く荒々しい光景の中
に、慄然と立っている“巨人のテーブル”というド
ルメンが見えた。
 フランスではブルトン語に由来してドルメンと呼
ぶが、英国やアイルランドでは
Burial Chamber
と称している。直訳すれば“埋葬の部屋”となるの
だが、葬られた遺骨などが発見されるケースは滅多
に無いそうである。
 しかし、ここでは埋葬の痕跡が発見されているの
で全面否定は難しいが、後代に墓室として利用した
とも考えられる。
 ともあれ、このドルメンの立ち姿が、何とスリリ
ングであることだろうか。
 ここでは、屋根石や壁の立石全てに偏平な石が用
いられていることが、むしろ華奢で危うげな不安定
感と戦慄的な佇まいを創出しているのだろう。ドル
メンの魅力的な一面でもある。
 
 
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  バレン高原
  
  グレニンシーンのドルメン
   
The Burren/
       Dolmen Gleninsheen

         Limerick ( IRELAND)
     
 
 
 前述のプールナブローンから北へ数キロ行った小
高い場所に、よく似た形状のドルメンが保存されて
いる。
 屋根石の幅が短いために全くの箱型である事が、
どっしりとした安定感はあるものの、若干だが立ち
姿の魅力を損ねているように思えた。
 アイルランドでは、この種のドルメンを
Wedge
Tomb
と呼ぶのだが、素直に訳せば楔(くさび)
形の墓となる。

 Portal Tomb
(門のある墓)という呼び名もあ
って、明確な差は判らないが、英国系では全て墓で
あることに変わりは無さそうだ。
 屋根石の先端の尖った形が楔に似ているからであ
ろうか。勉強不足をお詫びするしかないが、早急に
調べるつもりである。
 魅力的なドルメンであることには違いは無い。
 
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  キャロウモアドルメン
   
Carrowmore/Dolmen
        (Passage Grave)

         Sligo ( IRELAND)
     
 
 
 北部の古都スライゴー (Sligo) の南西5キロに在
る、牧草地に広がる壮大な古代石器時代の遺跡であ
る。周辺も含め60箇所ものサークルやドルメンが
点在するという、先史時代の遺構群である。
 遺構の中で最古のものはBC3200
5000 年以上
) のものとされており、学術的にも注目される事
例に溢れているそうだ。
 ここでは
Passage Grave と称されているが、
通路ある墓の意味で、普通のドルメンとの違いは判
らない。
 写真は数あるドルメンの一つで、屋根石の形状が
滅多に見られない分厚いものだった。正直余り美的
ではないが、ずんぐりとした愛嬌が感じられたのだ
った。こんなドルメンが、遺跡中にゴロゴロしてい
るのである。   
 
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  キャロウモアストーン・サークル
   
Carrowmore/
       Stone Circle & Dolmen

         Sligo ( IRELAND)
     
 
 
 サークルの中心にドルメンを配したユニークな形
式だが、本来は円墳のような土に覆われていたドル
メンで、周囲のサークルは土留めの石だったと考え
られる。
 このドルメンの屋根石もずんぐり系で、この地方
には偏平な石材が無かったのか、或いはこの地の様
式だったのかもしれない。
 王妃メーヴ
(Queen Maeve) の伝説を秘めた墓
が後方の丘に在るというのだが、1世紀の人らしく
この遺跡とは時代がまるで違う。
 しかし、この地にあると、そうしたファンタステ
ィックな伝承までが、古代遺跡を包み込み、格別の
思い入れを醸造させられてしまう魔力を備えている
ようだ。妖精の存在を信じてみるのも悪くはない。
 
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  クリーヴィキール前庭付墳墓
   
Creevykeel/Court Cairn

         Sligo ( IRELAND)
     
 
 
 スライゴーから国道 (N15) を北上すると、この
壮大な後期石器時代
(BC2500) の遺跡にたどり着
く。一面が石に覆われた、何たる壮大な遺跡である
ことか。
 周囲は細かい石積みで覆われているので、ケルン
と言うに相応しいのだろうが、次掲のニューグレン
ジのような石と土で円墳状に覆われていた姿を想像
するのはやや困難だ。
 写真は、手前にもう一つ部屋が在り、石門の向こ
うは入口となる前庭
(Court) なのである。つまり
奥の部屋から入口方向を眺めた、という事になる。
石積みの外郭は長方形であり、ケルン全体はどのよ
うにして石に覆われていたのであろうか。
 小生は、この規模の部屋に屋根石を覆うことは不
可能と考えるのだが、謎めいたケルンである。
 
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  ニューグレンジ通路付墳墓
   
Newgrange/Passage Grave  

        Meath ( IRELAND)
     
 
 
 5000 年以上も前に、謎の古代民族が構築した墳
墓とされている。
 入口から円墳の中心に向かって細い通路が設けら
れており、壁や天井には巧みに石材を組み合わせて
空間を創出している。
 冬至の陽光が墓室の最奥まで届くように設計され
ているそうで、当時太陽信仰があったかどうかはと
も角、信仰心や天文知識を持った優れた民族であっ
たことは確かだろう。
 ヴァイキングの盗掘とも考えられているが、墓と
しての骨や副葬品などの痕跡は残っていないそうで
ある。
 入口周辺に置かれた巨石に施された謎の渦巻模様
は、後世ケルト人の感性に大きな影響を与えたとさ
れる。

 掲載したのはほんの一部、アイルランドにはまだ
まだ山ほど在る遺跡群。またいつかじっくりと探訪
したいと熱望している。
 
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