持ってみなければ
存在すら信じがたいもの。
たとえば、”絶対音感”がそうだろう。
絶対音感は、音を全て階名で聞けるという特殊能力である。
川の流れが「♪ドミソラ、ドミソソ#……」
と聞こえたり、
救急車のサイレンが「♪シ〜ラ、シ〜ラ……」
と聞こえる、というあれである。
この絶対音感は、たぶん5感とは別の感覚だろう。
ということで、
ヒトの感覚は5つ(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)
ということに納得しかねている。
たしかに、
大多数の人が生まれながらに持っている感覚は5つかもしれない。
だが、一部の人だけの感覚をカウントすれば、
本当は6感、7感、いや10感――
ひょっとしたら100感かもしれないと思っている。
たとえば、こういうタイプの人々がいる↓(以下タイプA)。
「〇」のようなすばらしい長所をもつ反面、「●」のような場面で悩まされがちだという。
〇凄まじいまでの計算力や記憶力、ときにデッサン力・歌唱力などを持つ。
〇ユニークな造語を次々と創りながら話す。
〇人を決して差別しない。平等にふるまい、超平和主義。
●抽象的なことが、すこぶる苦手。
たとえば、「寒くなったらコートを着ましょう」という内容に混乱する。
「何℃以下を寒いというのか?」を明確にしないとイメージしにくい。
●場の空気を読むのがすこぶる苦手。
●かなり不器用。
このタイプAの人々は、
未だ全く未知の感覚(SENSE)を得てしまった、あるいは失ってしまったように思える。
だから、非タイプAの人には感じられない世界が見えてしまったり、
人間離れした特技をもっていたり――
そして、非タイプAの人が”常識”で片付けてしまっていることでつまずき、
不条理に感じられるのかもしれない。
さきほどの、絶対音感を持つ人と持たない人でも、
世界の見え方が全く違う。
だから、逆立場の人の気持ちを
理解できなくて当然だろう。
絶対音感のほかにも、
無数のマイナーなSENSEが存在すれば、
どうしても他人の考えができなかったり、
反対に、自分の考えが通じなかったりすることもあるはずである。
コミュニケーションは、
他の人が持つ、未知のSENSEへの冒険なのかも知れない。
※タイプAの正式な呼び名はあります。
が、ここではかなりテキトウな話をしてるので(笑)、その名称を挙げるのを避けました。
2005.5.6.Tur
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