「なぜ好きなのか?」
と聞かれて、
筋の通った答えを即座に返せたら――
”なぜ”に誤りがあるか、
あるいは、
本当は好きではないような気がする。
これは個人的に感じたことであるが、
”好きな理由”ほど説明が困難なものも珍しい。
(逆に、”嫌い”については、
案外すっきり説明できることが多いみたいです)。
”嫌い”と違って、
”好き”は、ものすごく不可思議な心理かもしれない。
たとえば、絵が好きな人。
あと1日しか生きられないとしたら、ひたすら
絵を描き続けるだろう。
そして、筆を握ったままのスタイルで最期を迎えることを
切望するに違いない。
また、動物が好きな人なら、
たとえ動物に殺されることになっても、
まったく悔いはない――どころか、なおも
動物の味方でありつづけようとするだろう。
なぜ、そこまで想うのか
など、たとえ広辞苑の5倍のボキャブラリを与えられても、
説明できまい。
とりあえずわかるのが、
「○○の役に立てよう」
「○○のために」
という”理屈”とは、すこぶる無縁だということだ。
ところで数学者として名高いユークリッドが、
心底、数学を”好き”な人だったらしい。
ある弟子が、
「幾何学は、どのようなことに役に立つのですか?」
と、たずねたところ、
「何かの役に立てようとか、そんな不純な動機で数学を学んでいるのか?」
と言って、激怒したとか。。。
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