はっとさせられたシーン。
「そんなことするならやめてしまえ!」
スポーツ(テニスだったかな)の練習中、
監督が凄い剣幕で怒っている……
という場面をTVで見た。
走っても球を取れないと判断し、
途中で取りに行くのを諦めたからだった。
似たケースでは野球で。
間違いなくアウトだと思い、
途中で走るのをやめた選手が、
監督に激しく怒られる場面のある小説(タイトル思い出せない……)
を読んだことがある。
不可能を悟る技術・・・
知らず知らず、習得してしまっている気がする。
これは習得してしまうと、
いつか
うまくいっている可能性まで
踏み潰してしまう、恐ろしいもののような気がする。
たしかに、
早い段階で不可能なことがわかり、
引き上げることをすれば損害が少ない。
精神的にも物理的にも
傷が浅くてすむだろう。
全力を尽くし、ハマってハマって血眼になって――
それでダメだったら、それだけショックが大きい。
だから、傷つかないための
防衛策としてこの技術を
習得しようとしてしまうのかもしれない。
これが癖になれば
『困難から逃げること』を
『不可能と判断したからやめた』
と思い込むようになり、
全力で何かに深く関わることをやめてしまうだろう。
さらに、
「1000日がんばってもダメだったら諦めよう」
という類もきわめて危険かもしれない。
こういうときは、たいてい1001日目に何かが起こるものだ。
もしくは、自分ではダメだと判断してても、
目に見えない何らかの変化が、
着々と進んでることだってありうる。
諦めが肝心というシチュエーションも
まれには、なくはないかもしれない。
でも、あともう少しというところで
手が届かない時、
「今全力を尽くして、もしダメだったら……
ちょっと手を抜けば、ショックは小さい」
「いつまでもこだわると、他が犠牲になる。
期間を決めて、ダメならきっぱり諦めよう」
という、悪魔のささやき(笑)が聞こえている。
ダメに決まっているのにハマり、
阿鼻叫喚することは、
『本気になれる』ための大事な訓練かもしれない。
そしてこれは、
要領よく諦めることの100倍はかっこいい!
コワイ監督って、
すばらしいことを言うものだと思う。
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