診断から10年でほとんど失明


  2005年6月22日の三條新聞より マッサージ師関川美咲枝さん

 すずらんメンバーの関川美咲枝さんが、燕東小学校3年生に体験を話し、それが三条新聞に載りました。 三条新聞の許可を得て、本文をそのままホームページにアップしました。
本文ここから。
 燕市の燕東小学校(赤塚一校長・児童二百七十六人)は十七日地午前九時半から鍼、きゅう、あんまマッサージ師で視覚に障害のある燕市の関川美咲枝さん(四十七)を学校に招き、三年生五十二人は障害者福祉について勉強した。 3年生はいろいろな人が社会で共存していることを知り、相手を思いやる気持ちを育てようと、総合学習で障害者福祉や高齢者福祉について学習している。
講師に招いた関川さんは三十歳で網膜色素変性症と診断され、それから少しずつ視力低下し、十年ほどでほとんど見えなくなった。 現在は「明暗がわかる程度」の弱視とあって、燕市社会福祉協議会の派遣ヘルパーに付き添ってもらって来校した。
関川さんはまず、栃木県にある中途失明者の訓練施設で生活訓練と職業訓練を受けたことなどを説明し、児童たちの質問に答えながら授業を進めた。 質問は「目が見えなくて一番困ることは何ですか?」「料理や洗濯はどうしてますか?」 「字はどうやって書きますか?」「盲導犬は使ったことがありますか?」などが挙がった。
料理について関川さんは「油の処理に手間がかかるので揚げ物はしません」と話、一方で 「目の悪い人が全員やらないわけではない。音で(油の)温度を判断する人もいます」と教えた。 盲導犬を利用したことはないというが、訓練施設にいたころの様子を思い出しながら、「盲導犬は命令しないと動きませんが、危険な場所に行こうとすると、止まったりして教えてくれます」と説明した。
最後に関川さんは「自分自身を信じられなくなるのが一番寂しいこと。皆さんも、この先『どうせ私なんか・・』と思うときがあるかもしれない。 でも、何かをすれば絶対に道はひらけます。いろんなことを経験して、これからを過ごしていってください」とエールを送り、授業を終えた。

これで、関川さんの新聞記事のページを終わります。

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