府中 安部川

 府中 安部川
 府中は「国府」、「駿府」ともよばれた十九番目の宿で、日本橋より四十四里半(約178キロ)・徒歩四十四時間にある。
府中は徳川家康が築いた城下町。今川義元の人質だった家康が育った地でもあり、駿府城の城下町として発展し、駿河・遠江、第一の賑わいを誇った。
 徳川家康が晩年を過ごしたのも駿府城で、江戸初期には実質的な政治の中心は府中にあった。有名な「武家諸法度」や「禁中並公家諸法度」はここで起草され江戸に通達されるという形で発布された。
 現在の静岡はお茶が名産として知られているが、当時の府中は籠細工や桑細工のほうが有名だった。府中宿の西のはずれに安倍川があり、その河畔の黄な粉餅が名物だった。
一説によると、慶長(1596〜)の頃、徳川家康が笹山金山を巡検の折り、一人の男が餅を献上した。家康が餅の名を尋ねると、安倍川と金山の金粉にちなんで「安倍川の金な粉餅」と答え、家康はその機知をほめて安倍川餅と名付けたことが始まりとされる。
以来、安倍川河畔には店が並び「東海道中膝栗毛」などにもその様子が描かれている。当時珍重された駿河の白砂糖を使用してからは、一段と評判になった。
 広重も府中の市街地は描かずに、宿の西を流れる安倍川で川越人足の手を借りて旅人が川越する様子を描いている。この絵は、めずらしく西から東へ向かって、川中から府中方向を見たものである。背景中央に見える山はかって今川氏や武田氏の賎機城があった賎機山(しずはたやま)で、後に家康がその近くに駿府城を築いた。川越の際の料金の違いによる蓮台渡しや人足の背に乗って渡るなどを描いているが、右下の男の着物に「丸に竹」の紋をつけ、この画集の出版元である竹内保永堂の宣伝も抜かりなく行っている。
 安倍川はその支流藁科川とともに、昔から鮎釣りの川として静岡市の人々に親しまれており、狩野川とともに友釣の名手が多かったところである。
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