7回目 | 8月1日(土) 曇りのち晴れ |
狩野川・中流部 釣果:5 |
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8回目 |
8月14日(金)〜9月1日(火) 九州鮎釣り&キャンプ |
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第1日 | 8月14日 〜15日 |
横浜より九州佐賀県へ移動 玉島神社参拝、玉島川・川見 |
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第2日 | 8月16日(日) | 玉島川(佐賀県唐津市浜玉町) 釣果:18 |
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第3日 | 8月17日(月) | 矢部川(福岡県八女郡黒木町) 釣果:1 |
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第4日 | 8月18日(火) | 緑川(熊本県上益城郡甲佐町) 釣果:6 |
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第5日 | 8月19日(水) | 球磨川(熊本県人吉市) ボーズ |
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第6日 | 8月20日(木) | 川辺川(熊本県球磨郡相良村) 釣果:12 |
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第7日 | 8月21日(金) | 川内川(鹿児島県さつま町、川内市) 川見のみでパス |
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第8日 | 8月22日(土) | 米ノ津川(鹿児島県出水市) 川見と武家屋敷見学 |
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第9日 | 8月23日(日) | 天降川(鹿児島県霧島市隼人町嘉例川) 釣果:5 |
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第10日 | 8月24日(月) | 綾北川(宮崎県東諸県郡綾町) 釣果:1 |
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第11日 | 8月25日(火) | 一ツ瀬川(宮崎県児湯郡西米良村) 釣果:5 |
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第12日 | 8月26日(水) | 五ヶ瀬川、日之影町へ移動 | ||
第13日 | 8月27日(木) | 日之影川 釣果:5 |
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第14日 | 8月28日(金) | 大分県へ移動 | ||
第15日 | 8月29日(土) | 三隈川(大分県日田市) 釣果:3 |
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第16、17日 | 8月30、31日 | ぶらり観光 |
7回目 8月1日(土) 狩野川・中流部
狩野川・宮田橋下流
天気:曇りのち晴れ
水温:18〜22℃ 水色:澄み
釣果 5
Max. 19cm
Min. 14cm
宮田橋を望む
宮田橋下の深いトロが開けてチャラ瀬となり、小さな中州で流れが二つに分かれ、下の山の神渕に滝のように流れ落ちる。
通常右岸側の分流はチャラチャラの流れだがこの日は水嵩が30cmほど高かった。
日が射すようになってからはこのチャラ瀬に6,7人が竿を出していた。
山の神渕方向を望む
水嵩が高く流れの巾は通常の倍ほどあった。この瀬の下が山の神渕。
ここも日が射すようになってからは釣り人でいっぱいになった。
対岸に見えるのは、ポマトランドの建物。
TKさんから狩野川釣行の誘いのメールが来た。誘われると、ほとんどの場合、はい行きますと返事してしまう。SOさんも同行するとメールが来た。2人とも前回宮田橋下流で良い思いをしたらしい。柳の下の○○○○は今日もいてくれるかだ。
夜が明けてからTKさんがSOさんと来てくれた。釣り道具を積み込み、後部座席に乗り込んだ。
7月14日に梅雨明けが発表されたが、その後晴天は2、3日しかなくあとは曇りや雨の日ばかりでとても梅雨明けという感じはしない。今朝も曇り空だ。
箱根を越えてから狩野川方面を眺めると靄か雲かが一面にかかっていた。どちらかというと靄のようだ。靄の場合は、風やお日様で飛ばされると良い天気になることが多い。
去年の前半まで時折ボーズがあったSOさんだが、昨年の秋以降は友釣に自信を持ち始めている。最近はほとんどツ抜けだ。
仲間は年々上達しているのだが、自分は年々下手になっていっているような気がする。
去年から始めたメタルラインでの引き釣りの練習は止めにしようかと思うこともあるが、小沢兄弟のビデオのように釣ってみたいなーと思うほうが強くて、独学だが、もう少しの間練習してみようと思う。
狩野川に着いたのは7時半頃だった。大仁大橋のあたりでは釣り人はまばらだったが、大仁橋の松下、シヨッコでは大勢出ているた。
宮田橋下の瀬がTKさんSOさん希望の場所。宮田橋右岸橋下の鈴木オトリの駐車場に車を止めた。
2人は釣り支度をしてオトリを舟にいれると、2枚目の写真の場所へ直行だ。前回ここで良い釣りを楽しんだそうだ。中州には先行者が2人いた。
SOさんは2枚目の写真のところで始めた。TKさんは右の分流の下手へ行った。自分は写真を撮ったりした後1枚目の写真のあたりでオトリを出してみた。
はじめしばらくは音沙汰なし。しばらくしてから17、8cmのがきた。オトリが野アユに変わると動きが良い。すぐ次が来るかとおもったが、どこにアユがいるのか皆目分からない。あちこち引いているときに木の小枝が流れてきて水中糸に絡まってしまった。老眼の眼では細い糸がどう絡まったのか良く分からない。曇り空だから細い糸が良く見えない。糸をあっちに回したり、こちらに返したりいろいろやってようやく小枝を外した。
あーやれやれだ。オトリを波立ちの筋にそって泳がせたら、グンと良い当たりがきた。竿を立て糸を張り、さー抜くぞ、と思った途端に高切れ。切れた所は先ほど小枝が絡まった場所だった。
意気消沈。SOさんのいる辺りへ行って休憩。その後気を取り直して、午前中2匹で終了。
午後に下手のほうで空いた場所でやってみたがさっぱりダメ。人がやって移った場所はもう追い気のあるのは釣られた後という状態だったのかもしれないし、オトリの引き方が全く合っていなかったのかもしれない。泳がせでやったほうが良かったのかもしれない。
同行の二人はツ抜けしていた。こちらは今日も撃沈。釣れたアユはみな成魚放流物だった。
釣果はどうあれ、今年はメタルでの引き釣りをマスターするつもりでのんびりやってみようと思っている。
九州 鮎釣り&キャンプの旅(2009年8月14日〜9月1日)
第1日 8月14日〜15日(土) 九州・佐賀県唐津市浜玉町へ移動、玉島神社参拝&玉島川川見
14日(金)夜7時半自宅を出発。KYさん宅に寄り、KYさんSHさんの釣道具とキャンプ寝具などを積み込みをした。
経路は、東名高速→新名神高速→山陽道→中国道→九州道→福岡都市高速→唐津市浜玉町、である。
夜の東名、名神の交通量は昨年夏よりは多い感じがした。土・日はお盆の帰省ラッシュとの情報が出ていたが、大部分が夜間走行だったせいか、渋滞には遭わなかった。
山陽道で空が白んできた。道路端の温度計は広島県で21℃、山口県では更に低く20℃を表示していた。
例年は鮎釣り&キャンプの旅は7月の梅雨明け頃に出発していたのだが、今年は事情でお盆過ぎに出発という日程になった。例年の梅雨明け時期から8月にかけて九州、四国は大雨のニュースが連日テレビで放映されていて、日程を遅くしておいて良かったねと車中で話合った。
関門橋・壇ノ浦PAで休憩と朝食をとったが、写真のような天気で半袖・半ズボンでは震えそうになるほど寒かった。
福岡を過ぎて佐賀県に入る頃には空は晴れて一安心。
まずは今日のキャンプ予定地の三本松キャンプ場(唐津市浜玉町)へ向かった。
キャンプ場の写真を撮ったつもりが、なぜかその前の海水浴場しか写っていない。
申し訳ないが、三本松キャンプ場の様子はYahooブログ「シンプルでもいい!楽しくでかけよう」をご覧下さい。
ここは、浜玉町の海辺のワンブロックが旧来の松林のままになっていて、その松林の空いている場所に自由にテントを張ることができるキャンプ場です。炊事用の水道とトイレとがあります。また四本柱・屋根付きの相撲土俵もあった。
夏休みの後半ということもあり、子供連れで海水浴&キャンプという人たちが数組テントを張っていた。一方我々のように旅行の途中でキャンプをいう人達も何組かいた。
今夜のキャンプ所も確認できたし、天気もピーカンの感じになってきたので、明日の鮎釣予定の玉島川の様子を見に行くことにした。
川見の前に、神功皇后所縁の玉島神社に参拝し、旅の安全を祈願した。
正式には「玉嶌神社」、鳥居に掛かる扁額は「神功皇后宮」とある。 唐津藩主土井候が寄進したという城型の石垣の上に社殿がある。 手前にR323が通っており、その先に玉島川が流れている。この少し上に支流がある。 |
九州鮎釣り河川巡りの旅の安全を祈願。 この裏手にも社がある。 |
神功皇后がこの垂綸石(すいりんせき)の上に立ち戦占いをした。高さは約1mほどである。 垂綸石はもともと川中にあったが、長く神社境内に置かれていた。 今年、道路拡幅工事完成にともない、玉島神社の少し上手の支流畔に神功皇后ゆかりの「万葉垂綸石公園」が作られ垂綸石もここに移された。 |
玉島神社の向かいにR323を挟んで玉島川が流れている。
ここ玉島神社は晴れだが、上流側は曇り。 正面が玉島川本流。ここで右から支流が合流している。 |
左写真の少し下手に出来たての真新しい堰堤があった。 水は泥濁が入っていた。 |
左岸側に魚道が設けられていたが、はたしてこれまでと同様に稚鮎が遡上できるのか?いささか不安を感じる。 |
前日までの雨のためか川は茶色に濁っていた。が、釣が出来ないほどの濁りではない。
上の写真の支流に架かる橋を渡り、少し上手に行くと入漁証を扱う中村酒店がある。立ち寄って、友釣の状況を聞いてみた。
「このところ、ずっと雨ばかりで濁りが入って釣れない。20日頃まで照れば釣れるようになるだろう。」という話だった。
少々気落ちしたが、1kmほど上流が友釣(専用区?)場所というのを教えてもらい、上流へ向かった。
1kmほど走った所に、玉島川漁協の建物があった。
シャッターの脇に「玉島川 鮎鮭孵化場」の看板が掛っていた。
なんと、玉島川は鮭遡上の南限なのだそうだ。
神功皇后所縁の川、即ち文字「鮎」所縁の川ということで鮎釣りをしようと選んだ川だったのだが、それが鮭遡上の南限であったとは幸運と言わざるを得ない。
漁協の前には4,5台が駐車できそうである。建物の裏手にまわる道があり、裏手から川へ降りる階段があった。
漁協裏から眺める川相は悪くはない。濁りのせいで石の色艶は分からない。水が多少赤く濁っていても気にしないことにしよう。
九州鮎釣り&キャンプの旅・第一夜は三本松キャンプ場でのキャンプだ。キャンプでの夕食はカレーにサラダ。
食事の前に明日からの鮎釣りが天気に恵まれ、九州の大鮎が釣れることを願ってビールで乾杯。
目の前の渚の潮騒も心地よく、横になったとたんに爆睡。
第2日 8月16日(日) 玉島川・中流部 (佐賀県唐津市浜玉町)
玉島川・漁協裏
天気:曇りのち晴れ
水温:21〜23℃ 水色:薄にごり〜澄み
釣果:18
Max.23cm Min.15cm(20cm以下は1匹のみ)
漁協裏の河原にて上流を望む
全国鮎釣り&キャンプの旅・最終回は九州佐賀県の玉島川より始めた。
漁協の上下は大きな岩が多くその間を石、黄色味がかったサラサラの砂粒が埋めている。 昨日は泥濁りの感じであったが、ほとんど澄んだ状態で、川の良さが感じられた。
九州でダムの無い川は二つで、玉島川はその一つだと地元友釣師から伺った。
玉島川漁協裏より下流を望む
下手はトロになっている。
地元の釣り人が一人竿を出していた。
漁協建物の上下1kmくらいが友釣専用区になっているらしい。
昨日も今日も漁協建物は無人だった。
昨日までの泥濁りはほとんど消えていた。
今日は日曜日、釣り人が川に出てくるのは何時頃なのか分からないので、携帯の目覚ましを5時にセットしておいた。目覚ましの音で眼を覚ましたが、あたりはまだ暗闇だ。関東では夜が明ける時間なのだが、ここ九州では夜明けが遅いのにしばらくして気がついた。
キャンプ場の前が海水浴場になっている。その海水浴場の砂浜に沿った道路はステンレスパイプのゲートで朝6時まで閉鎖されているのが分かった。6時前に出かけたいキャンパーはキャンプ場と海水浴場の間の駐車場に駐車すると、6時にゲートが開くまで出発できないことになるので要注意だ。
5時半頃になり、ようやく空が白んできた。目覚めのコーヒーを沸かし、まず一服の後スープとパンの朝食を摂る。
夜がすっかり明けてから、テントはそのままにして、九州最初の川、玉島川へと向かった。途中のコンビニで昼食と氷を買った。
川を確認しに昨日見た漁協の建物の所へ行くと、1台駐車していた。裏手に回り、川を眺めると上手に一人見えた。とにかく一人でも竿を出しているということはアユが釣れるという証拠だ。
ということで、下流の囮鮎を扱っている川魚料理店の飴源を訪ねた。玉島神社のすぐ先の支流に架かる橋を渡ると「飴源」の看板があり、そこから少し先に左写真の店がある。(写真は上流側から撮ったので、矢印の方向に行き、橋を渡り少し行くと左に玉島神社がある。)
道路左側の看板の建物1階にはモクズガニ、コイ、アユなどが一杯いる生簀がいくつもあり、道路右側に看板の見える建物は川魚料理の店である。
福岡ナンバーの車がオトリを買いに来ていた。我々もオトリを求めようとすると、入漁証を見せてもらわなければ売れませんというので、写真の道路右側の数軒先にある中村酒店で入漁証を買い
、それを提示してオトリアユを購入した。
飴源で様子を聞くと、雨が続いたので昨日までは釣をする人がいなかったようで、あと何日か照り込めば掛かるようになるだろう、というような話であった。これは昨日酒屋で聞いたのと同じ情報だ。
ここの日釣券は住所氏名を書くようになっている。以前訪れた山陰や四国の川でも住所氏名を記入する所が多かったことを思い出した。
オトリを買って上流の漁協建物前へ向かった。先ほどオトリを買っていた福岡ナンバーの車がすでに駐車していた。この辺りが友釣の良い場所のようだ。
福岡ナンバーの車の人との話では、九州でダムが全く無いのは玉島川ともう一つだそうだ。それで、ここの川によく来るのだという。
酒屋、囮屋の話から、あまり期待はせずに形が見れたら良しというところで竿を出すことにした。
支度をして河原に出て、九州鮎釣り開始の記念撮影したのが上の写真だ。
河原の草の間に見えるのが大粒でサラサラの砂で大岩も同じ色をしている。石も同じような色のものが多かったように記憶する。初めは曇り空で、漁協裏の河原から水中を見たが、アユがいるのかどうか分からなかった。
が、河原で用意している間に上手の瀬で1本抜きあげるが見えた。何匹かは釣れそうだ。
下手に一人、上手に二人竿を出しているのが見えた。我々を含めてこの辺りで釣り人は6名。夕方までこの数は変わらなかった。
KYさんは下手のトロへ行ってみるといい、SHさんは写真の場所でやってみるという。自分は上手へ行ってみることにした。
最初の写真の川が見えなくなる辺りに大石の沈んだ瀬が続きそこに一人、その上手に中州があって右岸側が主流になって瀬になっている所に一人竿を出していた。中州の所の人は中通しのリール竿を使っていた。茨城県の久慈川でもリール竿が使われているが、ここでは久慈川での使い方とは違って、岸辺から張り出している木の枝の下にオトリを入れてやるためにリール竿使っているように見えた。
自分は中州の最上端あたりで竿を出してみることにした。九州のアユは大きいと聞いていたので、25cm位までは対応できる仕掛けで、竿は早瀬抜き程度のものを使った。オトリを出した時は9時近くになっていた。
曇っている間は、アユの姿を確認することは出来なかった。というのは、アユが砂や岩と同じ淡い白っぽい黄色の体色になっていて水中ではどこにいるのか分からなかったのだ。石の色も普通の川とは様子が違う。地元の人は瀬を狙っていたので、自分も流れの中の大きい石の回りを探ることにした。しばらくは何の反応も無く、アユも見えないので心配になったが、あちこちやっていると最初のアユが掛かった。20cmをこえるサイズで体色は砂と同じ淡い色だった。見た目は弱弱しく見えるが引きは一人前だった。
空が曇っている間はまるで分からなかったのだが、天気が回復して直射光が射すようになってからは、アユの影が砂や岩に映ってその存在が確認できるようになったのだった。日が射してきてから静かにしていると、周りには沢山のアユがいるのが分かった。しかし、なかなか掛けられないのだ。午前中は何とか7,8匹掛けた。
漁協建物裏に昼食に戻った。KYさんが戻ってきて下のトロはダメだという。上手ではアユが沢山見えるというと、午後は上手でやってみると言ってSHさんと上手へ行った。
午後は、下手はダメというので上手の空いているところで竿を出した。午後も飽きない程度に掛かった。釣れたアユは20〜23cmくらいの淡い色だがきれいなアユだった。
釣れたアユを宅急便で送るために早上がり。発泡ボックスに氷詰めにし唐津の宅急便営業所でSHさん宅へ発送した。
帰りにスーパーで漬物、サラダ、ビールなどを買い、三本松キャンプ場へ戻った。
今日は日曜日のせいか、今朝まであったテントのほとんどが無くなっていて、残っていたのは3,4張りだった。
夕飯の準備が出来てから、九州鮎釣り旅行の良い出だしにビールで乾杯。海からの夕風が心地よい。九州は夜明けが遅く、日が暮れるのも遅い。ようやく夕暮れ時が訪れたのは7時頃だ。
辺りが夕闇に包まれると、テントに入り即就寝。
第3日 8月17日(月) 矢部川・中流部 (福岡県八女郡黒木町)
矢部川・黒木警察署裏
天気:曇り一時晴れ
水温:22〜23℃ 水色:澄み
釣果:1 .23cm
黒木町警察署裏の橋を望む
雨で水嵩が上がっているせいもあるようだが、橋の上下は深いトロ。
水が引けば泳がせで良形が狙える雰囲気の場所である。
昼近くだが我々以外に釣り人の姿は見えなかった。
釣具屋で聞いた「釣れはじめた」の情報は、こことは違う場所だったのか?
下手の瀬を望む
水嵩が高くなっているせいか正面の石&葦の所が中州のようになっていた。水が引けば左の分流はなくなると思われた。
中州の向こう右岸側が本流で、一抱えほど以上もある大石がびっしりと詰まったすばらしい急瀬、荒瀬が二、三百メートルの間流れ下っていた。ここの瀬の写真を撮りそこねた。
あと何日か照り込めば大物が出る予感がした。
昨日5時に起きたらまだ暗かったので、今朝は5時半に起床。空が白み始める頃だった。
今日は福岡県の矢部川の予定なので、6時過ぎにはテントを畳んで積み込み福岡県八女市に向け出発。
途中のコンビニで朝食、昼食、氷を買う。
朝食を摂る為に唐津市の先の厳木町(きゅうらぎ)の道の駅の立ち寄った。早朝だから休憩室以外はまだ開いていない。気の早い地元の数人の年寄りが野菜などの商品を持って扉のところで開くのを待っていた。
道の駅の横に写真に写っている佐用姫の領布(ひれ)を振る像が立っていた。
宣化天皇二年(537)任那、百済救援に向かう途中の大伴狭手彦と佐用姫との恋物語伝説がこの地に今も生きている。
佐用姫像は道路を走っていた時は道の方を向いていたはずが、道の駅に駐車して見ると像の向きが90度変わっている。しばらくじっと見ていると、ゆっくりと像が北〜東に90度回転しているのが分かった。しばらく見ていないと分からないほどのゆっくりとした回転だった。
休憩室で朝食の後八女市へと向かった。
インターネットで入漁証とオトリアユを扱ってると出ていた立石釣具店へと向かった。
タウンページなどに載っている店などの場合は、カーナビに電話番号を入れるだけでその店までのガイドをしてくれるので不案内の始めての土地に出かける時にはとても便利だ。
釣具店に着き、矢部川の様子を聞いた。雨が止み、ようやく釣れだしたところのようだ。
中年釣師が一人オトリを買いにきており、三人で入るなら支流の星野川よりも本流の赤い橋の下流が良いだろうと教えてくれた。店のお上さんが黒木町の警察署の裏が釣れはじめたという情報が入っていますよとも教えてくれた。
当初は支流の星野川で竿を出そうと考えていたのだが、勧めに従って本流でやってみることにして、川を見に行った。
教えられた場所から川沿いの道に入り川を眺めたが、水嵩がまだ高く我等老人には危険に思えた。支流に行こうか上流の黒木町に行こうかと迷ったが、警察署裏を見てみようということになり、黒木町へ向かった。
この警察署裏もカーナビがないと簡単には行けない場所に思えた。
警察署裏手の橋を左岸側に渡った下手に広い駐車場があったので、そこに車を止めて道端から川を覗いた。
深いトロの大石に良形のアユが付いているのが見えた。この辺りにアユがいるのは確実だ。うろうろと川を見て歩いたので時間も経っているのでオトリが心配になってきた。とりあえず元気を回復させるためにオトリを川に浸けた。
ついでに、少し早いが川辺で昼食にした。
まわりに釣り人は一人も見当たらないが、あれこれ迷っても仕方がないので、ここで釣ることにした。
KYさんとSHさんは上の写真を撮ったあたりでやってみるという。自分は中州の向うの瀬が気になり、大きな石を避けたり上り下りしたりして急瀬・荒瀬の中ほどまで行ってみた。葦の生えた中州になっているところも大石だらけで葦を掻き分けて行くだけで疲れてしまった。
水辺はすぐ腿から腰くらいの深さでその先はもっと深く大石がびっしりと詰まっている。水辺の石の上から眺めていたが、ここでアユが掛かればの話だが、豪快な友釣が楽しめそうな瀬の様相だった。いかんんせん、非力な自分にはこの状況で水に立ち込んでの釣は無理だ。
安定して立てそうな大石の上から竿を出した。瀬は大石がびっしり詰まっているせいで、見かけよりも楽にオトリが流れに入って行ってくれた。しばらくは音沙汰なし。
しばらく竿の届く範囲をオトリを移していたが、下竿にして大石の横に入れたとき強い当りがきた。自分が下がれば良いのだが、大石と葦の間を動くことができずに、なんとか引き抜こうとしたが味切れでオトリだけが飛んできた。残念。
瀬の中ほどを何ヶ所か足場の良い石の上から竿を出したが、取り込めたのは23cmほどのが1匹だけ。
しかし、野アユの活性が上がったときには、この瀬は瀬釣の好きな人にはたまらないだろうなーと思った。水が引いて条件のよい日にまた来てみたい場所だ。
今晩は、退職後、昨年末に横浜から故郷の熊本市に戻った釣友MTさん宅でお世話になることになっていた。熊本でのMTさんは健康そのもので野菜作りや釣を楽しんでいるとのことだった。
八女市から高速で熊本に向かい、熊本市内へ入ったが九州に来て初めて渋滞に遭った。さすが熊本市は大都市?などと話しながらMTさん指定の待ち合わせ場所へむかった。携帯で確認すると、すぐにMTさんが現れ、家に案内された。
数年前に新築したすてきな家だった。まず、シャワーで汗をあがさせてもらった後、名物の焼酎に馬刺しとか鯛の刺身とか自分で作った野菜などで歓待してくれた。 友はありがたいもので、感謝の一言です。
第4日 8月18日(火) 緑川・中流部(熊本県上益城郡甲佐町)
緑川・中甲橋上手
天気:晴れ
水温:23〜24℃ 水色:澄み
釣果:6
Max.28cm Min.20cm
中甲橋上手の中州を望む
上手の林のように見えるのが大きな中州で中州の中にも流れがあり釣り人がいた。中州両側の流れはチャラ。
中洲両側の流れが合わさって深みに流れ込み5、60mのガンガン瀬になっている。
その下はトロ場。
下流の中甲橋を望む
橋まで膝くらいの深さのチャラ、トロが続き、橋の所で流れが二つに分かれている。
右岸側が主流で長い荒瀬、早瀬が続いている。
瀬釣が好きな人はこちらがお勧め。
網、コロガシがまだ解禁になっていないせいか釣り人は九州鮎釣り中で一番多かったです。それでも関東東海に比べればはるかに少ない数です。
MTさん宅で朝食をご馳走になった。ご母堂手作りの郷土料理の汁が美味しく記憶に残った。
ご家族に挨拶を済ませてから、MTさんの案内で甲佐町の釣具屋へ向かい入漁証とオトリを購入。この辺りで使われているハナカン仕掛けを一つ購入。がまかつの7.5ミリハナカンの仕掛けだった。
入漁証の写真は後でまとめて撮るつもりで川の資料などと一緒にバッグの袋に入れていたのだが、管理が悪く、この後の川の入漁証も何ヶ所か行方不明になってしまった。と思っていたら、帰って一月ほども経って他のものの間にはさまっているのが見つかりました。
MTさんの案内で橋の上流左岸の堤防上の道路に駐車した。ここは知っている人に案内されなければすぐには来られない場所。
そこから広い河原の上の写真の場所に出る。対岸の右岸側にも広い駐車場所がある。
MTさんと同行の二人は写真のあたりで竿を出すという。
初めての川なので中州に沿って少し上手まで様子を見に行った。左岸側の流れは浅くしばらく上手に上ると、左写真、沈下橋のあるチャラ瀬になっていた。沈下橋の上手にも釣り人は見当たらない。石はきれいなのだが、アユの姿が見当たらないので、中洲下の合流点まで戻った。
戻ったちょうどその時MTさんが幅広の22,3cmのを掛け取り込んだ。舟にしまおうとするので、それ位のはすぐにオトリにして出さなきゃだめだよ、と声を掛けた。
後で、あれをオトリに付けてやったら泳ぎが良くて深みの流れの早い方にぐいぐい入っていって直ぐに次のが掛かった、と話してくれた。
午前中はあちこちうろうろして二つ掛けただけで終わってしまった。あの辺が大物がいそうなどと初めての川で九州の大アユに色気を出しすぎたせいだろうと、帰ってきてから反省している。
昼食後、橋の下の荒瀬に行き、オトリを泳がせた。なんとなく大物がいそうな雰囲気のある瀬だった。先行者が何人もいたせいと思うが、荒瀬の頭の深みの大石の際で23cm位のを1本掛けただけで終わった。この荒瀬を切り上げて、中州下へ戻った。
MTさんがやっている上手のガンガン瀬が空いていたので、中州右岸側のチャラの中に立って、先ほど下の荒瀬で掛けたやつをオトリにして流れ込んで出来たガンガンに入れてやった。少ししてオトリが波立ちの脇で落ち着いた。そのまま待つと、グイッと強い当りがきてグイグイ引く。ガンガンのわきは深いトロになっているのでここに誘導して抜き上げた。25cmくらいの元気印だ。
これをオトリにしてガンガンど真ん中に沈めた。2ヶ所ほど下手にオトリを移したとき、竿が一気に曲がった。トロに誘導しようとしてもなかなか流れから出てこず、流れの中を下手に引き込もうとする。立っているチャラから岸辺に移り腰を落として寄せてタモに取り込んだ。
これをオトリにしようかという思いが一瞬頭をよぎったが、ちと大きすぎと思い舟に移した。
その後がいけなかった。良形が掛かったのだから掛け針を大きな物に変えれば良いものを、そのまま続けてしまったものだから、ガンガンのなかで3連続のバラシをやってしまった。
そのうちの一つは28cmのやつよりははるかに強い引きで流れの中から出てこず、ついには身切れでオトリだけが飛んできた。
MTさんにその後9号の針を借りたが、時すでに遅しだった。
ゲットできたのは少なかったが、さすが九州だ。今日は大物の強い引きを充分楽しんだ。
今夜は緑川の少し上流の井戸江峡キャンプ場でキャンプの予定なので、早めに終了。夕食材料の買出しのために、MTさんに近所のスーパーまで案内してもらい、その駐車場で彼と分かれた。
すこし上流へ走り、川の方へ下りる道に入ると写真の吊橋があり、そこを対岸に渡るとキャンプ場だ。
キャンパーは我々だけのようだった。
夕飯のおかずは回鍋肉風の野菜炒め。
今晩も三人の無事と九州大鮎釣りにビールで乾杯。
第5日 8月19日(水) 球磨川・中流部 (熊本県人吉市)
球磨川・戦の瀬
天気:晴れ
水温:23〜24℃ 水色:澄み
釣果:0
戦の瀬上手のトロ場を望む
上手のトロ場には、球磨川下りの小学生のカヌーが数十艘これから下る戦の瀬をまえに数班に隊形を整えていた。
カヌーが待機していた場所の少し下には腰くらいまで立ちこんで竿を出している人が二人ほどいた。
戦の瀬を望む
小学生がカヌーで球磨川下りをしているのに出会いました。指導者の声に励まされて勇気を出して下っていく子、自分ですいすい下る子など楽しく見ていました。
瀬尻で我が子の写真を撮っているお母さんがいました。
ここが球磨川の三大瀬の一つ、戦の瀬だとオトリ屋に説明されました。
写真を撮ったあたりが瀬頭で、子供たちのカヌーがいるあたりが瀬の真ん中でこれから下が荒瀬になり左にカーブしながらトロに落ち込んでいます。
瀬の中は大きな石がぎっしりと詰まっている様子でした。
ここで大物が掛かったら楽しいだろうと思いますが、先に取り込み方を考えておく必要がありそうです。
朝5時半でも薄暗い感じがするので、今日からは6時起床にした。目覚めのコーヒーを沸かし、一服。
テントを撤収し、高速九州道で人吉ICまで行き、MTさんに聞いた相良村川辺川下流の「くま川おとり鮎店」へと向かった。オトリ店は県道33号道路脇にあり、すぐに分かった。
おとり鮎店の店主は若い頃から鮎釣り好きだったそうで、7年前退職後に京都からこの地にもどりオトリ店を開いたのだそうだ。
店主お勧めの針は「無双9号3本錨ハリス2.5号」だった。自分が用意していたのは8号と8.5号、ハリスは1.5号だったので、球磨川の大鮎の馬力を再認識したようなわけだ。ハナカン糸も2〜2.5号だ。
何処が良いか聞くと、戦の瀬まで案内してくれることになった。高速道路橋脚の脇から田圃を通り川横の数台駐車できる場所まで案内してくれた。笹の林を通り抜けると戦の瀬の瀬頭に出た。
釣の準備をしていると、写真のように小学生のカヌー川下りの一団が見えてきた。上手のトロで体制を整えてから、指導者のカヌーが瀬頭まできて待機しているところに4,5人ずつのグループで小学生が下ってきた。
すいすい上手に下る子もいたが、先に見える荒瀬にびびる子や流れが速くなってパドル操作がこんぐらかる子などには指導者の励ましや右を漕いでーなどの声が飛んでいた。
子供たちには夏休みのとても良い体験になったことだろう。
子供たちのカヌーが過ぎ去ってから、竿を伸ばし仕掛けを張った。KYさんSHさんは瀬頭から上手のトロをやるという。
じぶんはせっかくこの荒瀬に来たのだから、荒瀬にオトリを出してみようと思い、まず瀬全体を下まで見て歩いた。水深もあり底には大石が沈んでいて途中からは流れも早い荒瀬になっていて、いかにも大鮎が付きそうな川相だ。
早瀬から荒瀬に変わるあたりでオトリを出した。しばらく音沙汰なし。沖目の大石の裏を何ヶ所か移していたとき、ガキッと根掛りの感触がした。いろいろやったが外れない。竿をもって河原を後ろに下がって引っ張ったら穂先の所でナイロン2号が切れてパー。
仕掛けを変え、瀬を釣下ってみたがまるで当りなし。瀬尻の辺りまで下がり、あちこち探っていると、また根掛りだ。今度は先ほどと違い伸びる感じがする。目印から判断すると膝から腿位の深さのようだったので、慎重に掛かった所まで入り、手で探るとピアノ線のような太いメタルラインが取れてきた。これにオトリがひっかっていたのだ。岸に戻ってみると、2号か3号くらいの太さの金属ラインで数メートルの長さがあるようだった。ヒッカケで使ったのか、友釣で使ったのか分からないが、恐れ入った太さの代物だった。
昼近くだったので瀬頭へ戻り昼食、休憩。
トロ場に何人か地元の釣り人が立ち込んでいるのが見えたが、肝心の戦の瀬には誰も来ない。瀬では釣れないということか?
午後瀬頭の上手で鮎がキラキラするのが何ヶ所かみえたので、そのあたりにオトリを入れてやるが、光るのが消えてしまう。弱ったオトリではダメなのか?
夕刻まで休み休みやってみたが、今日は撃沈、ボーズ。
川辺川下流部柳瀬橋の下手右岸の芝生のようになった所にテントを張りキャンプ。
夕日が沈み暗くなり始める頃に、軽トラなどで何人かが川に来た。網とか何か別の道具をもって流れに入っていくのが見えた。
今朝来た時に、柳瀬橋の下手に二人竿を出していた。その近くで刺し網を干してあるのも見えた。オトリ屋の直ぐそばなのに、ここを勧めなかった訳がわかった。
最近は夜が更けたら寝る、空が明るくなったら起きるというパターンが普通になってきた。川の瀬音を聞きながら夢の中。
第6日 8月20日(木) 川辺川・中流部 (熊本県球磨郡相良村四浦)
川辺川・ひらかわはし下流
天気:晴れ夕方より雷雨
水温:22〜23℃ 水色:澄み
釣果:12
Max.22cm Min.16cm
上流”ひらかわはし”を望む
橋の上手にも良い瀬が見えた。橋下の深いトロのあとこのあたりで右岸に向けて早瀬が下る。
午前中五木村をうろうろした後、ここで竿を出してみることにした。
下流を望む
水が見えなくなるあたりにも白波の立った瀬があり二人ほどが竿を出しているのが見えた。
瀬と瀬の間はトロ。
この辺りは川底が砂礫で埋まっているということにはなっていない。写真のように石がごろごろしている。
今朝も良い天気だ。例によりコーヒー、スープ&パンの朝食。
その後テントを畳む。昨年まで使用していたテントは軽く機能性も良かったのだが、フライシート通気窓のグラスファイバーポールが折れてしまい、コールマンジャパンに部品を問い合わせた。が返事は、コールマンジャパン取り扱い品ではないので、対応できないとの返事だった。しかたがないので、今年は新たに9フィート角のテントを買った。
居住性は新しいものの方が良いが、張ったり畳んだりはこちらのほうが面倒だし、四隅のポールがスチールなので重いのが難点だ。が、何度も張ったり畳んだりしていると、手馴れてきて早く片付けられるようになってきた。
堤防沿いの道を柳瀬橋に向かうと、橋の手前にオトリ鮎の幟が見えたので、今日はここでオトリを買うことにした。道端に停車していて良いのかどうか分からなかったので、KYさんとSHさんにオトリを買ってきてもらうお願いをし車で待っていた。
KYさんが戻ってきて、オトリ屋の説明を聞かせてくれた。「球磨川では冷水病が発症していて、釣れたアユをオトリにしてもすぐに弱ってしまうので養殖オトリを何本か持っていて、それを休ませながら交代で使うほうが良い。」といって、生簀の中のオトリから良い物を選んでオトリ缶に入れてくれたそうだ。オトリ屋の名前は忘れたてしまったが、昨日のオトリ屋はそんな話はしてくれなかった。
川辺川はここから上流部にはオトリ屋は無いそうで、上流で友釣をする場合には、ここかこの下のオトリ屋から運んでいくのだそうだ。
今日は川辺川ダムで問題になっている五木村でアユを釣ってみたいと思っていたので、オトリ缶を積んで川沿いに上流へと向かった。
ダム建設反対運動が有名になっていたので、川辺川にはダムは勿論堰も無いものだと勝手に思い込んでいた。現実は五木村に着く間、幾つも堰があって川は分断されていた。
相良村から五木村に入るあたりになると、ダム工事対策で道路も民家も川を見下ろせないほどの高い場所に移転されていた。民家だけでなく役場も学校も何もかも元の場所からは百メートルほども高い場所に移されていた。なんという無駄かと思う。
それはさておき、役場よりは上手の竹の川とか宮園とか呼ばれる地区の川の様子を見たが、アユが居て釣れるという感じがしなかった。そのあたりの民宿の所で、麦を干しているところだったので、アユ釣りはどうか尋ねてみた。
「この近所は渓流釣りなら良いが、アユは良くない。役場の下のトンネルを過ぎてから川に下りたあたりが良いようだ。」という。
やはり上流部はダメかということで、五木村役場や道の駅などのある頭地へ下った。ガソリンスタンドの横の酒屋で氷を買って、この辺りの鮎釣りはどうか聞いた。
老主人は川が埋まってしまい、昔のように良いアユは釣れないと寂しそうにいった。どこと言われてもと思案していると、若い女性が上手の宮園の方が良い様だという。上では下が良いといい、下に来ると上が良いという。
道の駅に寄り、弁当と飲み物を買った。店の男性に聞くと、自分は鮎釣りはしないが、知り合いの話では下の元中学校の辺りで釣れたと言っていたと教えてくれた。
ずっと下の川近くの旧道まで下りて旧中学校の門の所があったので、川を見たが砂礫で埋まりチャラチャラの流れだった。それに流れの脇にある大き目の石は古垢で汚れたままだった。あちこち走り回ったので、オトリが心配になり元気回復してくれるよう川に浸けた。
支流の小川のほうにも沢山稚魚を放したと言っていたので、そちらも見に行ったが芳しくなかった。オトリをまた車に積み、下手のトンネルを過ぎた所で川へ下りてみたが、工事のダンプが10台20台と続いて走ってきて川を見たり止めたりするのは無理で、上の道路まで急坂を戻った。ダム建設は中止になったはずだが、川の近くには建設業者の宿舎があり、川沿いの旧道にはダンプカーが走り回っていた。
こうなったら、アユが見える所まで下るしかない。相良村に入りしばらくすると発電所が見え、その放流口下流で竿を出している人が見えた。この辺りからは釣れるようだ。少し下手に行くと「ひらかわはし」という橋があり、そこから川を覗くと大岩の横にアユが垢を食んでいるのが見えた。橋の上手と下手に瀬が見え、さらに下の瀬で竿を出しているのが見えた。ダメモトでこの辺でやりましょう、ということで橋から少し下手の道路脇の数台駐車できるスペースに駐車した
もう昼時で陽射しが暑い。道路際の杉林の日陰に入り、ここで弁当を摂った。下流側からくる車がこんなところで・・・という顔つきで走り去る。
この車を止めた場所から川へ降りる道がついていた。川へ出るとちょうど一つ目の瀬の終わる所に出た。瀬の淵を歩くと写真のような陸食みの跡がついた石が幾つかあった。
水温は22℃、ひんやりして気持がいい。暑さしのぎも兼ねて脛くらいまで水に入り、早瀬の真ん中あたりで釣ってみることにした。
二三ヶ所探ると、当りがきた。その後も瀬の中で飽きない程度に掛かってくれた。大アユが来ても大丈夫な竿を使っていたので、20cm前後のアユは瀬から簡単に抜けた。が、瀬釣りはやはり面白い。
夕方早めに終了し、五木村の民宿山里へ向かった。途中から雨がポツポツ落ちだした。
民宿に着いたが、誰も居ない。電話してみると、これから迎に行くので五木温泉で食事と風呂にしてほしいということだった。待つ間に雨は雷雨に変わり、女将さんが迎に来てくれた後は豪雨に近い降り方になった。女将さんのテールランプを頼りに走ったが、一人だったら走れないほどの猛烈な雨だった。
温泉に入りさっぱりした後ゆっくり食事をすませた頃に雨は上がって雲の切れ間から星が幾つか見えた。
民宿の洗濯機を借りてたまった汚れ物を洗濯した。ありがたいことに、洗濯したものは、娘さんが乾燥機で乾燥してくれた。
今夜は民宿泊まりにしておいて正解だった。テントだったらあの雷雨ではどうなったか?だ。
第7日 8月21日(金) 川内川へ移動と川見
6時起床。朝食を頂いた後で、民宿の女将さんから五木村とダム建設事業にまつわる村民の変化、村を去った人たちのいくつもの悲劇などを聞かされた。建設省〜国交省&族議員と建設業界との私欲が村々と下流の市との対立を煽り、純朴な村民の生活を破壊していった、なんとも悲しい物語だ。五木村の人々は長くダム建設には反対してきたが、下流流域住民との対立などの事情などから平成に入り建設を受け入れることになったのだそうだ。昨年県知事がダム建設凍結決定をしたが、この何十年かに起きたいろいろな事を考えると複雑な心境で喜べないとしんみりした口調に変わった。
また、遠目には分からないが、山に入ると増え続ける鹿の食害で山の地肌がむき出しになってしまっていて、近いうちに災害が起きても不思議は無い状況だとも話してくれた。ご主人が山で猟もするそうだが、猟師が減ってしまったこともあり、鹿をいくら獲っても増えてしまうという現状だそうだ。(同じことが首都圏の丹沢山地でも発生している。私案だが、米国イェローストーンで実績のある、狼を何番いか山に放すことなどを真剣に検討する時期にきているのではなかろうか。)
民宿山里が下に流れる支流・小川の傍にあった頃は、川幅は今よりずっと狭く深かったそうだ。この高い場所に移ってきてからは、砂礫が流れてきて谷や川を埋めて川床も高くなり浅く広くなってしまったと話してくれた。五木村を走っている時に何ヶ所も山が崩れているのを見かけたが、その背景には鹿大増殖の問題などがあったのだ。
昨日も酒店の老主人が「川が埋まってしまって昔の面影はありません。」と寂しげに話していたことがオーバーラップした。
今日は鹿児島県川内川へ移動だ。人吉市から県境の峠を越えてえびの市へ向かうと、えびの高原の景色が眼前に広がった。車窓からの眺めだったが三人共に感嘆した。
えびの市から湧水町、伊佐市と川内川の上流部から川沿いに鶴田ダムへ向かい下って行った。全体に平らで穏やかな流れで所々に瀬が見られるという感じだった。今まで見てきた川とは様相が違う。遠目でみたところでは、水が澄んでいない感じもした。曾木の滝の所まで下って来たが、よさそうな所が見当たらなかった。
曾木の滝公園が整備されていて、休憩所、土産物屋、食堂などもある。
奇岩のそそり立つ曾木の滝は、滝幅210メートル、高さ12メートルあるそうだ。このあたりだけが大きな岩盤になっていて、それを噛み砕いて滝と渓谷を作り下流の鶴田ダム湖へと注いでいる。
川内川の水は左の写真でも分かるように、緑色に濁っているのだ。植物性プランクトンが大量に発生しているためかもしれない。
この水色を見て、川内川本流での釣りは諦めた。
公園の食堂で昼食の後、焼酎に詳しいSHさんが県内限定の品も含めて何本かを自宅へ発送していた。
午後はダム下流部を見て歩いたが、二ヶ所ほど瀬で竿を出している数人を見かけたのだが、ダム下の水も緑色をしているのが分かり、やる気が起きない。
支流はどうかと何ヶ所か見て回ったが、水量が少なく小川のような所が多かった。良い支流があったのかもしれないが、分からなかった。そんな訳で、日は高かったが、支流の田海川?畔の五色親水公園キャンプ場で既設のテントを借りてキャンプにした。
キャンプ場際の橋の上から川を覗くと良形のアユが垢を食んでいるのが何ヶ所も見えた。3間ほどの短い竿で釣ったら面白いだろうとしばらく見ていた。このあたりにオトリ屋があれば釣りをしていたと思う。
明るいうちから、川辺川のアユを焼き、夕食の準備も早々と始めた。塩焼きも、はじめの1,2匹は旨いと思ったのだが、その後は義務で割り当て分を食べるという感じになってしまった。
夕方までは家族連れや学生、若者たちの水浴びなどで賑やかだったが、夕暮れが近づくと皆帰ってしまい我々だけの貸切状態となった。
今夜は静かな川辺で水音を聞きながら満天の星の下で熟睡。
第8日 8月22日(土) 米ノ津川 川見&観光
米ノ津川、大川内地区
友釣専用区、下流部
JAガソリンスタンドから200mほど下手の道路より眺める
高川ダムの下流、大川内地区が今年から友釣専用区に指定されたそうです。
無数のアユが石の垢を食んでキラキラ光っているのが道路際から見えました。
現在オトリ屋はありません。コロガシで自分で獲る必要があります。
JAガソリンスタンドの向かい側の道を入ると橋があり、川に出られますが、写真の場所まで川を下れるかどうか分かりません。
この場所から見た限りでは、アユは沢山いました。
泊まったキャンプ場横の川で釣るのも一人か二人なら出来そうだが、三人でやるのには川が小さすぎる。
昨日見た川内川本流のあの緑色の水ではやる気が起きない。出水市(いずみし)の米ノ津川を見に行くことにした。出水市に入ると入漁証の看板が出ている松永釣具店があった。
立ち寄って鮎釣りの様子を尋ねた。状況は次のようなものだった。
上流の高川ダムの下、大川内地区のJAガソリンスタンドの向かいが友釣専用区になっている。オトリ屋は無いので、オトリ獲りのコロガシは許されている。出水市の友釣をする人のほとんどは川内川か球磨川へ出かける。
お礼を言って店を出た。とにかくR447をダムに向かって走った。6,7kmほど走った所にJAのスタンドがあり右手に細い道が見えたのでそこを入るとすぐに橋があり、その先の広くなった所に車を止めた。橋の上下を眺めると、上手には大きな石が頭を出しているのが見えた。
橋の下手は右にカーブして大きな石のある瀬になっていた。橋下の石はきれいになっていたが鮎の姿は見えなかった。右岸側に川へ下りる道があったので、下の瀬頭のあたりまで行ってみた。鮎がいくつか見えた。
しかし、その場で見た限りではの話だが、なれないコロガシでオトリを獲ってやるほどの魅力は感じなかった。ガソリンも少々減っていたのでJAのスタンドでガソリンを補給した。そのときにオトリ屋はないかKYさんが聞いたところでは、この下に産婦人科があって、その向かいの家にオトリがあるかもしれない、という。とにかく行ってみよう、ということで走り出して直ぐに道路から眺めたのが上の写真だ。アユがキラキラしているのが見えたものだから、オトリが手に入るのを期待して下へ走った。目印の産婦人科が見当たらない。どこだどこだ、といっているうちに出水市の町に入ってしまった。オトリ屋も分からない。
「武家屋敷群」の看板が出ていたので、何の知識もなく、まーここを見に行きましょうかということになった。
ここは44ヘクタール
矢印に従って走っていくと、切石の石垣に囲まれた学校がありその近くが武家屋敷群で駐車場があった。駐車場から出て左に行くと、公開されている竹添邸があり、”大河ドラマ「篤姫」ロケ地”の看板が立っていた。門の脇に公開しているという札も立っていた。
大河ドラマ『篤姫』で、篤姫の生家が鹿児島県指宿市の今和泉家であることは知られているが、そのドラマの撮影は実際は指宿ではなく、この出水市の麓武家屋敷で撮影されたのだ、ということを初めて知ったようなわけです。
中へ入り座敷の辺りを見ていると、説明員のご夫人が出てきて、出水武家屋敷、竹添邸、「出水兵児修養掟」などの説明を丁寧にしてくれた。
薩摩の武家屋敷はドラマ『篤姫』でご覧になったように、ベンガラの垢壁が特徴ですと言われたが、ドラマを見ているときにはまるで気が付かなかった。
言われて見ると、部屋の漆喰壁はベンガラで赤くなっていた。
屋敷を囲む石垣についても、殿様がおいでになる屋敷は切り石の石垣で、それ以外の郷士の石垣は川の丸石と決まっていたそうだ。いまは小学校のある仮屋敷の石垣は切石だった。
武士とはいえ出水では普段は農業を行っていたそうで、各々現金収入を得るため竹添家ではタバコ栽培、向かいの公開されている武宮家では養蚕をおこなっていたとのこと。薩摩の下級武士の大変さは「篤姫」でも「飛ぶがごとく」でも推察できた。そんな中で「出水兵児修養掟」を厳しく守り修行したとの説明を聞き、道徳・良識・見識が希薄になってきている今子供だけでなく大人もこれを学ぶべきだと思った。
向かいの武宮邸も公開されているというので、そこも見学し説明を聞いてから出水市を後にし、次の目的地、霧島妙見温泉へと向かった。
まず鹿児島市へ向かい、城山展望台より桜島を望んだ。城山の坂の途中に西郷南州が自刃したという終焉の地があり、史跡西郷洞窟として残っている。
鹿児島から錦江湾(鹿児島湾?)に沿そって霧島市向かい、そこからR223を天降川中流部にある妙見温泉へ向かった。出水市から意外と早く来ることが出来、昼少し過ぎに着いた。
妙見温泉に入るとすぐ、道路右手に「のんき食堂」(Tel.0995-77-2236)がある。
ここで日当山天降川の入漁証を扱っているというので、昼食をここで摂り券とかオトリとか最近の釣れ具合とかを聞いた。
ずっと雨がないそうで、店のすぐ裏あたりから下の瀬はアオノロが一杯付いていた。
アオノロが出る前は良く釣れたが、今は鮎は沢山いるが前ほどは釣れないということだった。
ここの入漁証とオトリは驚きの安さだ!。年券のみで¥500.-オトリは¥250.−
店のすぐ脇の妙見大橋から川を覗くと、橋のすぐ下に良形のアユが沢山見えた。
橋の下手は瀬になっており、アオノロがいっぱい付いていたが、地元の人が下手に立ちこんで、ポイントとを拾う感じで釣っているのが見えた。
ここは鹿児島空港からも近く、温泉&鮎釣りを楽しむには良い場所に思える。
10月までは釣れるとのんき食堂の主人が言っていた。
この店の鮎塩焼き定食は、主人が川で釣った20cmオーバーのが2匹に他のオカズと味噌汁が付いて¥1,100.-だ。アユが小さい場合は3匹つけるそうだ。午後から下の川で毎日のように釣っているそうだ。
のんき食堂の女将さんが妙見館に電話をしてくれ、川に面した部屋を予約した。
流し、ガス、冷蔵庫があって自炊できるようになっている部屋だ。
もちろん食事は自炊だ。
今日明日はここでゆっくり寛ぐ予定だ。
部屋の窓から天降川を眺める。
木造のアーチ橋は妙見館の所に架かっている。妙見大橋は下手にある。
第9日 8月23日(日) 日当山天降川(あもりがわ)
日当山天降川、妙見温泉
天気:晴れ
水温:21〜23℃ 水色:澄み
釣果:5 18〜22cm
妙見大橋下より上流を望む
川の両脇に温泉宿が並んでいる。
水は澄んでいてきれいだった。
右手から支流が合流している。水が多かったときは、その支流でも結構釣れたそうだが、今は水が減ってあまり掛からないそうだ。
日曜日というのに橋の上手には我々三人だけ。
妙見大橋より下流を望む
手前右手にのんき食堂がある。
ずっと下まで良い瀬が続いている。
橋から覗いた限りでは、アオノロいっぱい付いていた。
地元の人が二人この瀬で竿を出していた。アオノロの間を釣っているようだった。
橋の上手には来なかった。
昨夜はゆったりと温泉につかり、ゆっくり出来た。朝夕はうんと涼しくて、まるで秋になったような感じがし気持ちよく寝られた。
夜明けと共に起き、例によって目覚めのコーヒーを淹れ、そのあとパンとスープの朝食だ。
これが天降川の年券だ。
日券が¥300.-とか¥500.-とかいうのは聞いたことがあるが、年券が¥500.-というのは初めてだ。
昨日、のんき食堂の主人が釣った野鮎を分けてもらい(¥250/匹)オトリ缶に入れへ生簀の脇に浸けておいた。というのは、食堂の主人は今年80歳だそうで(見た感じは70そこそこの感じだ)、朝早く来るのはおっくうというので、そうさせてもらった。
養殖のオトリ鮎は食堂から少し上手にある川魚うなぎ専門店、田代鮮魚(Tel.0995-77-2862)で買うことが出来る。
部屋で釣り支度に着替えて、のんき食堂裏手の川へ下り、オトリを引き舟に移して釣り開始。
KYさんとSHさんは支流が流れこんでいる左岸側で釣るという。左岸で三人は無理そうなので、自分は右岸側でやることにした。
橋の上手は鏡状の深トロで、野鮎の姿が良く見える。野鮎もこちらが良く見えるということにもなる。
ときたま大きいのが見えるものだから、九州は大鮎のイメージが固まってしまっていて竿も仕掛けも大鮎用を使ってしまった。”緑川の28cmよりも大きいのを掛けたい”という気持が冷静な判断を出来なくしてしまったようだ。ついつい流れのきつい所や深みの大石周りを狙ってしまい、貧果に終わった。
前回の川辺川も今回の天降川も22、3cmまでのサイズだったのだから、それにあった仕掛けと竿を使うべきだったと帰ってきた今ごろ反省している。
そんな訳で、結果はまるでダメ。が、釣れた鮎は皆きれいな鮎だった。
妙見館にもどり、温泉に入り疲れをとり、ビールで乾杯。今夜の夕飯も自炊。
第10日 8月24日(月) 綾北川(宮崎県東諸県郡綾町)
綾北町サイクリングターミナル裏
天気:晴れ
水温:22〜24℃ 水色:澄み
釣果:1 21cm
サイクリングターミナル裏上流を望む
町の北側の照葉樹林を源流にしたきれいな川です。
上手に吊橋が見えました。車は渡れません。
キャンプ場情報では式部谷ふれあい村と出ていましたが、サイクリングターミナル(陸上競技場、テニスコート、プール、バーベキュー施設などもある)で管理されていてテントを張ることは禁止されています。
下流の小田爪橋を望む
宮崎市で太平洋に注ぐ大淀川の支流本庄川が綾町で二手に別れ綾北川と綾南川に名を変える。
鮎釣りは主に綾北川で、綾南川ではうなぎ捕りなどが行われているそうだ。
道の駅の観光案内で教わったオトリ販売をしている「あゆのお宿山水」は対岸・右岸側にある。
百mほど下手に低い堰堤があった。
川も石も綺麗でしたが、鮎の姿はあまり見えず、ボウズハゼがたくさん見えました。
妙見温泉より宮崎県の綾町へ移動。ルートはカーナビ任せにして走った。どういうルールでルートが決められたのは分からないが、大半が県道で街中を避けて走るようになっていた。それで、XX市の標識が出てきてもほとんど中心部は通らなかった。
綾町に入ると道の駅が開いていたので、立ち寄って鮎釣りのことを尋ねた。オトリ鮎は養魚場&民宿の山水で買えることが分かった。
山水の対岸にキャンプ場案内に出ていた式部谷ふれあい村があることが分かった。下手の橋を渡り左岸側を上手に向かった。陸上競技場やプール、バーベキューなどのある施設があったので、ここでキャンプができるものと思い、管理者の居る建物で尋ねると、キャビンでの宿泊やバーベキューはできるが、テントを張るのは禁止だと告げられた。どうしてもテントを張りたいというのであれば、綾南川の公園へ行けば黙認しているようだ、と話してくれた。
川の土手へはプールの間を抜けて出て良いと許しを得た。施設脇の堤防はきれいに草が刈り揃えられていて芝生のようになっていた。
オトリを川に浸けたあと、少し早かったが木陰で昼弁当にした。上の写真の川には3人竿を出していた。釣りをしている人がいるんだから鮎は釣れる場所のようだね、などと話しながら弁当を食べていたが、その間に掛かるところは見られなかった。
川へ出てみると、下手の人は見えないほど下手に移動していて、中ほどにいた人は瀬を釣り下がっていった。もう一人は座り込んでいた。川の中の石はきれいになっていたが、アユが食んできれいになっているのとは少し違う感じがした。上下に少し歩いてみたが鮎の食み跡らしきものは少ししか無いようだった。
石をきれいにしていた主は針に何度も掛かってきたボウズハゼとかヨシノボリのようだった。つい大物をと思い瀬の流芯を流したが、1匹掛かっただけだった。
しばらくすると川下からの風が強くなり、竿を持っているだけで大変になったので、綾北川での釣りは終了にして、急遽一ツ瀬川上流の西米良村の双子キャンプ場へ移動することにした。
キャンプ場のすぐ裏に川が流れている。この右手にバンガローがある。 バンガローの傍から川へ下りる道がある。 |
キャンプ場の上流側の芝生になっている所がテントサイト。 テントの先に見えるのが炊事棟と管理棟。その川側も屋根付きバーべキューテーブルが並んでいた。 |
まだ日が高いうちに双子キャンプ場についた。アルコール、食料などは上流の西米良の街まで行って買わなければならない。
西米良の街で買い物のついでに入漁証とオトリ店を教えてもらった。入漁証は民宿で、オトリは整備工場で売っていると教えられた。
ここ数日涼しくなってきて鮎は下に下っているようだという。村役場のあたりは数は出ないという話で、下のほうが良いという。
こちらでは入漁証を扱うところとオトリを扱うところとが別の場合が多いようで、我々のように他所から来た者には面倒に思う事だった。
日券を買う者はごくわずかなのかなー。
キャンプ場下手道路沿いに西米良温泉があり、そこに全体の責任者もいる。
早めに食事を作って済ませ、温泉で汗を流してから、ビールで乾杯したらバタンキュー夢の中。
第11日 8月25日(火) 一つ瀬川・ダム上流(宮崎県児湯郡西米良村)
一ツ瀬川・双子キャンプ場裏
天気:晴れ
水温:20〜22℃ 水色:澄み
釣果:5 20〜27cm
キャンプ場下、西米良温泉ゆたーと裏
バンガローのあるあたりから下流百メートルほどの間右岸側(写真の左側)に大石をセメントで押さえた遊歩道風の道が作られていた。
この辺りは深い所は背丈以上はありそうで、流れも見た目以上に早い。
水は澄んでいて底のほうまで見透せる感じだった。
キャンプ場下、上の写真の下流
下手は深い早瀬、荒瀬が大きな岩の間を縫って数百メートル流れ下っている。
鮎の活性の良い時にここの大岩の荒瀬で大物を掛けたらスリルがあるだろう。
朝夕ひんやりとする秋の気配がする前に来るのだった。
朝起きると肌寒い感じがした。コーヒーを沸かす間にKYさんが気温を測ったらなんと19.5℃だ。昨日冷えてきたので魚は下に下っているようだと言っていたのが納得できる気温だ。つい数日前までは真夏の暑さと思っていたのに、ここでは早くも秋の気配が感じられる。
朝食の後、西米良の街まで行って券とオトリを買って戻った。テントサイトの上手に吊橋がありその手前から川へおりた。水温は20℃しかない。
吊橋の上はトロでその上に良さそうな瀬が見えた。その瀬まで行ってみようとトロ場を上手に歩いていったら、はじめは浅い砂利底だったのがだんだん深くなり腰くらいなって、その先はさらに深くなっていてその先は上にいけなかった。上手の瀬はあきらめた。
気温も水温も低くなっているのを測っているのに、頭の中は切り替わらずに暑い真夏のつもりでいる。だから、瀬のど真ん中を狙って大物を掛けようなんてやっていたのだ。
こんな時は、日が射して水が温まってきてからチャラやトロを狙うべきなのだ。それがぜんぜん分かっていなかった。
午前中は2枚目の写真の下のほうで1匹だけ。
疲れてテントにもどり早めの昼食。午後に一枚目の写真の上の深い流れのところでやっていたら、キャンプ場の人が来て「自分はやらないが金突きをする仲間の話では鮎はまだ沢山いるそうです。入っていけないような流芯には尺位のがいくつも見える、と言ってましたよ。」という。それを聞いて、またもや盛夏のど芯を狙うモードになってしまった。ダメなんだよなー。
KYさんとSHさんがやっていたチャラ瀬〜早瀬から深みへドド−ッと落ち込んで大岩の間を下るあたりの底へオトリを沈ませてやるが、なかなか掛からない。あちこちやって22、3cmのがようやくきたので、それをオトリにして出してやると竿いっぱいほど先の大石の影で強い当りがきた。これは少し大きそうだと思い、慎重に寄せてタモに捕ったのは26cmの良形だった。これをオトリにして深い早い流れの中に出してやったら、ぐいぐい潜っていって大岩の底の方を通過した時に強烈な当りで目印がヒューと動いた。キタッと糸を張った途端にバレた。
きっと大物だったにちがいないと思ったが、その後は全く反応なしで終了。残念。
KYさんとSHさんがやっていたチャラ瀬〜早瀬では夕方からけっこう追いが立ったそうだ。
夜は冷えた身体を温泉で温めてから寝袋に入った。
西米良の街の辺りも魅力的な川相だったので、梅雨明け頃に来てやってみたいなどと思いを巡らせているうちに夢の中。
第12日 8月26日(水) 五ヶ瀬川上流、日之影町へ移動
夜明けごろはかなり冷えたようで、テントの上には露が降り水滴になっていた。フライシートを外し管理棟手前の屋根付きで、テーブルが3個並んでいる所に広げて、溜まった露を拭き取ってから風に乾かした。
その間に、いつものコーヒーを沸かした。今朝も昨日と同じくずいぶん冷えた感じがした。熱いコーヒーやスープが美味しく感じて、10月頃の感じがした。
まず延岡へ向かい、延岡から神話街道と名の付くR218を五ヶ瀬川に沿って上流へ向かった。岩熊井堰の下流、延岡の街近くの五ヶ瀬川の流れは細く小河川の様相だ。大半の水は大瀬川のほうへ流れているようだ。
北方町あたりにきてよやく五ヶ瀬川らしくなる。上流へ向かって行くとダムがあるように見えた。ここをアユが遡上できるようになっているのかは不明。
R218は北方町で、日之影バイパスになり高度を上げ川ははるか下になっていく。日之影町に入りしばらく上って行くと青雲橋があり、その袂に道の駅があった。
左写真は日之影の街から見あげた青雲橋、長さ410m高さ137mでアーチ橋として東洋一の規模だという。
この橋の左側に道の駅がある。道の駅の案内図にキャンプ場が二つ出ていた。支流日之影川畔の日之影キャンプ場が近そうだ。道の駅売店の女性に行き方を聞くと、この先の道を左に入り日之影の街へ下りて行き手前を左に上流へ向かえば良いと教えてくれた。
ちょうど昼時だったので、道の駅二階の食堂で昼食にした。かき揚げ定食をたのんだら、大皿一杯にかき揚げがのったのが出てきた。SHさんがたのんだチャンポンも具が一杯だった。他の客の食べているものを見ても、たいていのメニューはボリューム満点。
教えられた道はすぐに急勾配の下り坂になり、百m以上下ると、前に日之影町の家並が見える場所で鋭角に川の上流へ向かう道があり、左写真の道路標識に《日之影キャンプ場5km》が出ていた。
標識に従い上流へ向かうと、5kmくらいの橋のところにキャンプ場の看板が出ていて、迷わずに到着した。
広場のようになった芝生のところがテントサイトのようで、山の斜面にいくつものバンガローが建っていた。 テントサイトには2室タイプのテントとバイクツーリング用と思われるコンパクトなテントが張られていた。管理人は不在だったので、とりあえずテントを張った。
キャンプ場の前の川では二人が竿を出していた。五ヶ瀬川本流だけでなく、支流のこの辺りでも釣れるようだ。 明日の友釣りの券とオトリをどこで買えるのか聞くために、日之影町出た。
日之影町の上流側に、廃線となった高千穂鉄道の駅舎に温泉ができて、温泉駅と呼ばれていた。
街中を走ると、入漁証の看板があったので、オトリの販売場所を尋ねた。教えてくれた家に行くと、今はやっていない、8km下流の駅のそばにオトリ屋があるとの情報だ。
五ヶ瀬川に沿って川下に向かうと、かって走っていた線路の跡が見えた。日之影から8kmのところに八戸(やと)という街があり駅の跡もあった。オトリの看板が見当たらないので、ガソリンスタンドで尋ねると、オトリ屋は5分ほど下流の牧峰駅の傍だと教えてくれた。
教わった通りに下へ行くと、牧峰駅と表示の出ている小さな建物があり、線路跡を渡ると2軒家があり、奥の家にオトリの看板が出ていた。
我々と同年代の夫婦がいて、奥さんは初物の茹でた栗を剥いていた。オトリを買いにきたと主人に告げると、まあそこに座って栗でも食べなさいといって、椅子を勧めてくれた。奥さんの剥いた栗を幾つか頂いた。
世間話を少しした後、オトリを買いオトリ缶に入れた。オトリは延岡から運んでいるそうで、17,8cm位だった。主人が、水温が上がらないように入れていくようにと、ペットボトルに水をいれ凍らせたものを持って来てくれた。
帰り際に栗をポケットに入れていくように、何度もいわれたので何個かもらってきた。
帰りに八戸でCOOPの看板があったので、夕食用の食料とかビール、氷などを買った。間口は狭いように見えたが中に入るとほとんどのものがそろっていて、この辺でなくてはならない店のように思えた。
キャンプ場まで戻り、オトリ缶を下の日之影川に浸けた。
夕方斜面のバンガローに泊まってた若い三人家族が炊事場に下りてきて、クーラーボックスの中の良形のアユを水で洗ってから金串に刺していた。昨日からバンガローに泊まっていて、昨日は六十数匹、今日は9時から3時までで四十数匹だと話てくれた。180cmちかい長身で体格の良い人だった。
下流部のほうが釣れるそうだが、拾い釣りだという。川へどこから降りたらよいのか、どの辺がいいのか良く分からなかった。
ここへ来る途中に停まっていた和歌山ナンバーの車はもう一月ほどになるとも言っていた。それが分かるということは、ここへは良く釣りに来ているということだろう。
日が暮れると虫達が鳴きだした。久しぶりにマツムシなどの鳴き声を聞きながら眠りに就いた。
第13日 8月27日(木) 日之影川(五ヶ瀬川支流)
日之影川
天気:晴れ
水温:22〜24℃ 水色:澄み
釣果:5 20〜26cm
日之影キャンプ場下流
キャンプ場から2kmほど下流だと思います。川へ下りる道がなかなか分かりません。下りる場所を探すだけで時間が過ぎていきます。
水はとてもきれいでした。
県道から眺めた全体の印象は、チャラ瀬、早瀬で所々に深みがあるというかんじでした。
キャンプ場に泊まって釣りをする人が多いそうだ。
川の写真がうまく撮れませんでした。
日之影川全体のイメージは『五ヶ瀬川水系日之影川』でご覧下さい。
キャンプ場のすぐ前でも釣れそうな感じはしたのだけれど、少し離れた方が良いような気がして、朝の散歩をかねて左岸がわの道から川への下り口を探してみた。
下手の橋のあたりまで歩いてみたが、簡単に下りられそうな所が2ヶ所ほど見つかった。しかし、その辺りが釣りの好場所かどうかは分からない。帰り道、栗が道端に落ちていたので靴でイガから実を押し出し、拾った。4cm以上ありそうな大きな栗を両方のポケットにいっぱい入れてテント戻った。
KYさんからの又聞きだが、バンガローで泊まっていた人は、毎年1週間ほどこのキャンプ場のバンガローに泊まり鮎釣りとキャンプを楽しんでいるそうだ。元は群馬で今は福岡だかに住んでいるらしい。九州だけでなく青森県まで全国の川を良く知っているようだった。鮎釣りのプロのような感じがしないでもない。
彼がいう下流部というのは五ヶ瀬川との合流点に近い方のことかもしれない。鮎は沢山いるから、拾い釣りでやれば20位は釣れると思うよ、と言ってくれたのを信じて下りやすい所から川へ出てやることにした。
朝食の後下手の橋の少し下から川へ出て釣りをすることにした。昨日県道6号線から覗いた、アユが沢山見えた辺りのはずなのだが、川へ下りると、それが何処なのか?まるで分からないのだ。
釣りの準備が終わったのは9時過ぎになっていた。とりあえず、下流側を見に行った。途中二人の釣り人がいた。釣れているか聞いた。若い方の人の返事は、あまり掛かりませんねー、だった。二人の邪魔にならぬように、ずっと下手までいってみた。川が右にカーブするあたりで深い落ち込みがありその下がチャラになっているところがあり、岸から眺めると、多くの魚影が見えた。
引き舟を水辺に浸け、竿を伸ばして支度を終わって川を見ると、おかしーなー鮎の姿が消えた?どこへ行ったのか?
そのうち出てくるだろうと、静かに泳がせていたが、バラシ1回で後はダメ。
上手に少しずつ釣り上がっていったが、動き方が下手糞で大石の下手や脇から野アユがパッと逃げるのが見える。鮎を追い払いながら動いているみたいで、ダメの手本をやっているような気がしてきた。さきほどいた二人は護岸と立ち木の脇のところから県道に登って移動するところだった。あんな所に下り口があるとはなー、と眺めていた。
はじめの場所へ戻る間に1匹掛けただけだった。例によって、ダメの時は早飯。
午後、大物が掛からないかと、深みや流れの早い所を狙ってみたがまるでダメ。一番大きくて26cmだった。
昨日買ったオトリの大きさから判断すれば、細仕掛けで泳がせるべきだったのだろう。が、実際は竿も仕掛けも大物用で一日中やってしまった。帰ってきてから反省しても始まらない。
バンガローの人は子供のお相手の後、午後からやって二十数匹だそうだ。0.2号のフロロを使っているそうだ。ここは石が大きいのでメタルは石にすれてダメだそうだ。拾い釣りだというが、どんなつり方をするのだろう。
第14日 8月28日(金) 大分県へ移動
日之影キャンプ場も明け方はかなり冷えて、テントのフライシートは夜露が玉になっていた。フライシートをばさばさ振って露を落とそうとしたが、こまかい水滴がかなり残っていた。雑巾で拭き取ったがまだ湿った感じだ。舗装された場所にインナーと一緒に広げ、朝日で乾かしバーナー、コッフェルなどの炊事道具などと一緒に車に積み込み、大分県へ向け出発。
当初は大分市で別府湾へ注ぐ大野川へ寄る予定だった。イナターネットなどで見ていた限りでは、犬飼町のあたりが釣り場かと思っていたのだが、大野川での友釣は上流部がよいうという話を聞いた。上流部といわれても幾筋も支流があって、どのあたりが我等老釣師に向いた場所か予想できない。どうするか途中で考えることにして、出発。
日之影の町から百m以上も上の青雲橋まで登り、神話街道とも呼ばれるR218を高千穂町方面へ向かった。途中に「天岩戸神社」の標識があったので、県道7号線へ右折。5,6km行くと岩戸という地名があり、天岩戸神社西宮があった。天岩戸神社は東西の社があり東宮は岩戸川の対岸にあると案内図に出ていた。
天照皇大神と天岩戸のお話は誰でもが知っていることだが、その場所を訪れた人はそれほど多くはないように思う。
西宮のみを参拝した。
西宮の参道左に君が代の歌詞に出てくる「さざれ石」が奉納されていた。
奉納説明文にはこう書かれていた。
国歌君が代によまれているさざれ石
岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったこの石は
学名を石灰質角礫岩と言う石灰石が
雨水に溶解し其の石灰質をふくんだ水が
時には粘着力の強い乳状体となって
地下にて小石を集結して次第に大きくなる
やがてそれが地上に出て国歌によまれている如く
千代八千代代年をへてさざれ石が巌となり
苔のむすと言う景観実に目出度い石である
(参照:揖斐川町のさざれ石公園)
高千穂町を過ぎ、阿蘇の外輪山の景色を眺めながら竹田市へ入った。カーナビの地図では大野川のどの支流へ向かえば良いのか分からない。どうしようか、と走りながら話していたのだが、その次の目的地の小国川上流の耶馬溪の話が出た。SHさんが若い頃に訪れた「青の洞門」が今も同じようにあるのか見に行こうということになり、耶馬溪の青の洞門へ向かった。
現地へ着いてみると、旅の僧禅海が三十猶予年の歳月をかけて掘ったという削道、隋道の本来の洞門はごく一部が残されているだけで、1車線の自動車が走る道路に改修されてしまっていた。「昔見たのとは、まったく変わってしまった。」と嘆いていた。
その後、小国川を何ヶ所か見たが、鮎釣りをする人の姿は全く見えなかった。
奥耶馬渓の森、憩いの森キャンプ場という標識があったので、今夜はそのキャンプ場で泊まろうと標示に従って行った。
キャンプ場に着き、誰も居ないテントサイトの広場を見ていると、管理人が来てくれた。
もう少し後だと、門を閉められるところだったようだ。管理人は釣好きの人で、我々が鮎釣りで九州を回っていると話すと、「もう少し早く来なければダメですよ。」と言った。網などが入っていて友釣はもう無理だろうというのだ。携帯で漁協の人に様子を聞いてくれた。
小国川はもうダメ。三隈川のTDKの工場裏が釣れている。という情報を聞いてくれた。券、オトリと釣り場については日田の「まつお釣具」で聞くようにと教えてくれた。
十数張りある常設テントの一つを借り、夕食は自炊。広場の脇に積んである薪や杉の枝葉などは自由に使って良いと言ってくれた。虫除けには、杉の葉などを沢山燻したほうが良いとも言ってくれた。
テーブルとバーナーの周りに3ヶ所焚き火をかねて煙を燻して虫除けにした。
暗くなった後しばらくの間焚き火を楽しんだ。焚き火などで、火を焚いていると厭きることがないように思うのだが、皆さんはどうですか。
夜中に鹿が広場の草を食べに来ると管理人が言っていたとおり、夜中に鹿の鳴き声がして二頭ほど草を食べに来ている気配がした。虫の声などを聞いているうちに寝入ってしまった。
第15日 8月29日(土) 三隈川 (大分県日田市)
三隈川 TDK工場裏
天気:晴れ
水温:23〜24℃ 水色:澄み
釣果:3
堤防土手より上流TDK工場裏方向を望む
三隈橋の下手にTDKの工場があり、その下手横に堤防へ出る道があり、写真の場所に出る。堤防はきれいに草が刈られていた。
対岸にも国道から土手に下りる道があり、何台も駐車していた。
九州の川ではめずらしく、大勢の釣り人がいた。
土手より下流を望む
この数キロ下福岡県との県境に夜明ダムがある。福岡県の筑後川が大分に入ると三隈川と名を変える。また、日田市の上手で二手に分かれ大山川、玖珠川と名を変える。
ここでは、ほとんどの人が腰くらいまで立ちこみ、川の真ん中あたりを狙っていた。
パスした川が多かったので、予定よりも早くなり、今日ここの三隈川が九州最後の川だ。今釣り旅行を切り上げて真っ直ぐに帰れば、明日30日の衆議院選挙の投票には間に合う。昨夜もどうするかちょっとだけ話題になった。我等三名が慌てて帰って投票をしなくとも今回は民主党が勝つだろうという一致した予想だったので、のんびりすることにした。
昨夕教わったまつお釣具へ寄った。今は下手のTDK工場裏の他は良くないという。店の中で券とオトリの料金を払った。オトリは店の外の生簀からセルフサービスで取り出すのだ。これは何年も前からのやりかただそうだ。我々の前に二組オトリを買っていく人がいた。
オトリをオトリ缶に入れ、車に積み込んだ。川へ行く前にコンビにで弁当と飲み物を買った。
三隈橋左岸の脇の道を下流に向かうと教わったTDKの工場の外側を通り、下手で右折すると堤防を越えて川際へ出られた。何十台でも駐車可能な所だ。
九州の川では珍しく、朝から釣り人が多かった。停まっている車は大分ナンバーと福岡ナンバーの車がほとんどだった。
たいていの人は腰位まで立ちこんで、流芯側を狙っていた。
写真では分からないが、2枚目の写真右側の白波の所は、その少し上から5、60m続く深い荒瀬、早瀬が川の真ん中辺りに出来ていて、その瀬を狙う人はその30mくらい上手から立ちこんで徐々に下がりながら釣るというやり方だ。下手のトロのあたりまで釣り下がると又上手へ戻ったり、別の場所へ移ったりする。
従って、岸辺と流れの真ん中との間を釣り人が釣り歩くことになって、岸辺から少し立ちこむとその歩いたラインに竿先がいってしまうような感じだ。
そんな訳で、立ち込まずに釣るにはどの辺りにオトリを出せば良いのか弱ってしまった。真ん中に立ちこんで釣り下がっていく人も、それほど釣れる様子はなかった。
岸辺から水中を見ていると、群れ鮎が回ってくるのか、4,5m先で垢を食んでいるようにいくつもキラキラ光って見えた。釣れるかも、と思いオトリをそのあたりに入れてやると、光るのは消えて気配もなくなる。またしばらくすると、光るのが見える。
午前中は1匹、午後も岸近くを色々やってみたが2匹だけで終わった。
九州は大鮎という思い込みが強く、竿も仕掛けも大物用でやったのがまずかったのかもしれない。
今日は(も?)早めに上がった。これで九州の鮎釣り&キャンプの旅は終了だ。
今夜の宿泊は日田市内のビジネスホテル。
第16日(8月30日(日))〜第17日(8月31日(月)) ぶらり観光 9月1日(火)帰着
8月30日は衆議院選挙の投票日だ。昨日釣りを終えてからよっぴいて帰れば投票には間に合ったとは思うのだが、この年でそんなことをすると事故を起こしかねない。というような言い訳で、ぶらり観光をして帰ることにした。
SHさんの希望は、広島の原爆資料館を訪れ昔とどう変わったのか見て確かめたいたいという。
それで、その前に途中岩国の錦川を見ることにした。錦川というよりは錦帯橋の架かっている川といえばすぐに分かる。
日田ICより高速に乗り、中国道の六日市ICで降りた。休日特割で高速料金はどこまで行っても千円。
R187を錦川沿いに南下した。上流部で何人か竿を出している人を見かけたが、友釣ではなくヒッカケ漁のようだった。(友釣専用区は7月31日までと漁協HPに出ていた。)
錦帯橋の架かっている川床は、上流側20m位から下流側50m位の間が写真のように石が敷き詰められている。 | 橋の中央から、上流側水中の石を写した。この写真では分からないが24,5cmはあろうかという良形の鮎が何十匹も垢を食んでいるのが見えた。 橋の下流側にも沢山の鮎が見えた。 |
白泡が立っている所まで石が敷き詰められている。 白泡の下の所に傘をかぶった釣り人が鮎竿を持って立ち込んでいる。他にも数人釣り人がいた。友釣ではなく、ヒッカケ漁のようだった。 石が敷き詰められている所は禁漁のようだ。 |
錦帯橋を渡る時に下を覗くと、敷き詰められた石に数え切れないほど沢山の鮎が垢を食んでいるのがはっきり見えた。友釣ファンにはぞくぞくする情景だ。
橋のことよりも、下の川の中の鮎が気になった。
R2で広島へ向かい、平和記念公園と資料館を見学した。核兵器所有国の人達には是非ここへ来て見て確認してほしい。特に政治家達には来てほしいと思う。
今夜は瀬戸内海の民宿で海の幸を楽しもうと思ったのだが、時間が遅く海辺まで行く頃には暗くなってしまう。残念ながらそれは諦めて、呉の町で呉温泉というビジネスホテルに宿泊した。食事をしに出かけた商店街には刃物屋とか下駄屋とかがあった。そんな職人さんがいるような雰囲気の店を見るだけで嬉しくなってしまった。
ホテルから隣の温泉に直接入っていける。温泉に入ってさっぱりして部屋に戻ると、テレビはどのチャンネルも選挙開票速報だ。
まだ開票数パーセントだというのに民主党が300議席以上を獲得する予想が出た。自民党が負けるはず、とは思っていたがこれほどとは思わなかった。横になって見ていたら、いつの間にか寝入ってしまいハッと気がついたら1時頃だった。開票の結果は早い時間のテレビ局予想の通りになっていた。
こりゃー大変革、国民も騙され続けはしないんだー。と思いながらテレビを見ていた。
公務員に恨みは無いけれど、民主党には天下りの全面廃止を出来るだけ早く実現してほしいと希望する。天下りこそが諸悪の根源だと考えているからだ。 「年寄りと貧乏人は早く死ね」と言われているような政治はこれで終わりにしてほしい。
釣り愛好家としては、ダム、道路(含む農道、林道)、港湾など公共事業の見直し中止は大歓迎だ。さらに、既設のダム、堰、砂防ダムのうち堆砂でさして役に立たぬどころか災害の引き金になっている物が少なくない。それらの撤去も実現してほしい。さすれば海岸線の侵食も少しはおさまるだろうし、魚類の遡上、降下もスムーズになり自然も回復してくるだろう。
それにだ、ガソリン暫定税率の廃止と高速道路無料化は友釣愛好家にとって非常にありがたい政策だ。臨時国会ですぐにでも決めてほしい。釣り愛好家の中でも友釣愛好家の走行距離は頭抜けて多いと思うからだ。
それに、これは元々タダになるはずだったものを道路族と国交省とが道路を作り続ける方便として勝手に変えてしまったというものなのだから、「高速料金をタダにするのはおかしい」などと言う方がおかしいのだ。
こんな事を考えながらテレビを見ていたわけではなく、間も無く寝入ってしまった。
第17日 8月31日(月) ぶらり瀬戸内
ホテルロビーの新聞はどれも民主大勝、自民大敗を報じていた。介護保険を天引きされたり、後期高齢者なんとかの年代になってきた三人は、顔を見合わせにんまりだ。自民党議員には平家物語の出だしの文を思い起こしてもらうのが良かろう。
さて、関東に台風が接近するかもしれないので、帰りは遅らせた方が良いという電話もあったので、今日もぶらり観光だ。
呉から瀬戸内海に沿って走るR185を東進。JR呉線が三原まで交差しながら走っている。
JR須波駅の手前に「瀬戸内海国立公園・筆影山」の看板が立っていた。この道で良いのだろうか?と思うような狭い道に入り、JRの線路をくぐると急勾配の登り坂になる。狭い九十九折の道をぐんぐん上って行くと、遥か眼下に須波の駅と町並みが見え、瀬戸の海には因島などの島々が遠望される。景色に見惚れると崖に転落しかねないので、横目でチラチラ眺める。かなり上まで来たところで鍔広の日除けの帽子を被った婦人が歩いていた。
こんな急な坂をよく上ってくるねー。毎日来ているのかなー?すごいね! などなど感嘆した。
さらに上へ行くと、→筆影山、←竜王山の標識があり、右折して筆影山へ向かった。駐車場から坂道を200m上った所に展望台があった。
ここから眺める瀬戸内の多島美は、瀬戸内海随一といわているそうだ。
春は桜が綺麗だそうで大勢の人が訪れるそうだ。
この写真では良く分からないが、尾道から因島を越え今治へと渡るしまなみ街道が遠望できた。
急な九十九折の道を引き返し、R185へ戻り三原からはR2を倉敷、岡山方面へ向かった。
倉敷の町を散策する案も出たが、このカンカン照りの中を歩く元気はないのでパス。
なぜここへ行ったのか思い出さないのだが、日本の海水浴場発祥の地で、日本の渚百選にも選ばれている沙美海岸へ出た。明治13年当時の村長と医師とが療養施設として開設されたのだそうだ。午後のひと時、潮風の木陰でしばし微睡む。
岡山の少し手前で、「特別史跡、閑谷学校」の案内板が出ていたので、左折した。夕方になっていたが見学の時間はまだ充分ある。
閑谷学校は、1670年に備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いた学校で、 藩営としては日本最古の庶民学校で、講堂は国宝に指定されている。庶民も武士もさらには他藩の者もこの学校で学ぶことができたという。江戸時代の学校としては足利学校と共に有名である。
見学を終え門を出た時に閉門時間となった。閑谷学校はその名のごとく現在も清閑の中にある。
学校施設などの詳しい写真はこちら、国宝閑谷学校 でご覧下さい。
ぶらり観光はここで終了とした。この後は一路横浜へと走る、走る。
今回の鮎釣り&キャンプの旅の走行距離は4,071km、ガソリン消費量310.23リットルだった。今回はぶらり旅の走行距離がかなりあったと思う。
北海道から九州まで、全国の河川で鮎釣りをするという目的がようやく達成できた。
来年からは、これはと思った川へ行き、のんびりと鮎釣りを楽しんでみようと思う。