アユの一日の行動      鮎の話へ 

川

アユが中流域まで遡上してきて、その辺りの気に入った所で定住するようになってからの行動である。
釣り人の気持ちから、“城持ちのアユ”、“通いのアユ”、“群れアユ”と三つに分けてみたが、もっとピッタリくる呼び名があるかもしれない。


なわばりアユには、“城持ちのアユ”と“通いのアユ”とがいる。

城持ちのアユは、なわばりの中に夜休む場所があって昼も夜もなわばり内に留まってなわばりを守っており、夜はなわばり内の大きな石の陰とか窪みの流れの緩いところで休む。城持ちのアユは、夜が白み始めると、休み場から出て藻を食み始め夜暗くなるまで食んでいる。

通いのアユは、流れの緩い淵やトロ場や岸よりの流れの緩い休み場から瀬のなわばりへ毎朝通っている。即ち、なわばり内に夜の休み場が無い場合に、通いのなわばりアユになる。
通いのアユは、夜は淵や岸よりの流れの緩い所で休んでいて、朝になるとに数匹の群れになったり、単独で瀬の方へ出かけていき自分のなわばりに戻って藻を食み出す。夜暗くなると流れの緩い所へもどって休む。
通いのアユが淵から瀬へ出かけるときの通り道は大体決まっていて、その通り道が城持ちアユのなわばりをかすめるような事があっても、通勤途中のアユにはあまり攻撃をしないらしい。
なわばりアユは、“城持ち”も“通い”も、釣られたりしないかぎりは1週間でも十日でも自分のなわばりを守ってそこに居ついている。

群れアユも朝になると淵やトロ場から三々五々群れで出かける。
ある群れのものは、巴型になってあちらの岩、こちらの石と移動しながら藻を食む。また別の群れでは、群れ全体が頭を同じ方に向けて、フーッと移動していくこともある。
移動の途中で居残って、そこになわばりを持つものもいるし、群れで別の場所へ行くものもいる。居残ったところに、別の群れがくるとその群れと一緒になって去る場合もあるし、群れで来た中の1尾と入れ替わったり、そこに残る場合もある。なわばりを確保したアユは、そこで藻を食み始め、暗くなるまで食み続ける。
なわばりを獲得できなかったアユは群れアユのままあちこちと移動する。群れアユは移動範囲が広く、夜の休み場から出て2〜300mも泳ぎまわることがある。
群れアユも、日中藻を食べたり泳いだりして、夜暗くなると淵や流れの緩い所へもどって休む。
群れアユにも二通りいて、なわばりが確保できずにやむを得ず群れアユになったものと、初めからなわばり獲得競争などする気のない無気力集団の群れアユとがいる。
  *アユの社会構造と生産 : 生息密度と関連づけて

 平成に入ってから、シーズンを通して無気力集団の群れアユが年々多くなってきたように思いますが、皆さんはどのように感じておられますか。

 淵へ出入りするアユの数を調べた結果(1957川那部ほか)では、空が白んでくる頃からアユは行動を始め、淵から瀬へ出て行くのは朝7時頃がピークで、昼過ぎまでは瀬へ出て行く数の方が淵にもどるものより多い。午後になると出入りは少なくなるが夕方に近づくにつれて淵にもどる数の方が瀬へ出て行くものより多くなり、午後6時頃からは瀬から淵にもどってくるアユだけになる。
川でアユを良く観察している人の話では、淵に休んでいたアユは、たいてい下手の瀬へ出かけて行くという。淵の上手へ行くものは少ないらしい。
  *溯上アユの生息密度と淵の利用のしかた
      *なわばりの密集した地域におけるアユの行動

アユは朝食べ始めの2時間と日没前2時間に集中的に藻(コケ)を食べる。
 宮地(1956)、小山(1978)の調査では、アユは日の出から日没まで一日中だらだらと休み無く藻を食べ続けているという。水槽で、アユに餌を与えて観察すると、朝食べ始めの2時間と日没前2時間に集中的に食べて、昼間はだらだら食べたり泳いだりしている。
 なわばりアユ(城持ち)の藻を食む回数を調べると、日の出前から8時頃までと夕方4時頃から日没過ぎまでに大きなピークがあり、昼過ぎ頃にも小さなピークがある。夜は休んでいて食べない。朝夕のピーク時に、一日に食べる全量の50〜60%を食べる。
 群れ鮎は、昼間はアチコチでちょこちょこ食んだりふらふら泳いだりしているが、明け方と夕方には、なわばりアユと同じかそれ以上に藻を食む。
 この観察結果から推定すると、前述の“通いのアユ”は、朝自分のなわばりに戻ってからの2時間と日没前2時間に集中的に食べ、昼間も休み無く藻を食んでいると考えても間違い無いだろう。


『釣りへの応用』

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