「郡上義民伝」歌詞


 白鳥踊り 「八ツ坂(やっさか)

(ア ヤッサカ ヤッサカ)
○アーリャ 今度哀れな 炭焼き口説(くどき)(ア ヤッサカ ヤッサカ)
        今度哀れな 炭焼き口説(ア ヤッサカ ヤッサカ) ※以下、繰り返しと唄ばやし、省略
  アーリャ 一つ人目にや 楽そに見えて 
  アーリャ 二つ再び こんな商売せまいと 
  アーリャ 三つ見る間に 釜の火はおこる 
  アーリャ 四つヨナキタ 研がねばならぬ 
  アーリャ 五ついつもかも 油断はならぬ 
  アーリャ 六つ無理やきゃ 炭ゃ細(こま)こうなる 
  アーリャ 七つ泣き泣き 釜の火を寄せて 
  アーリャ 九つこの山 株代が高い 
  アーリャ 十でとっくり 勘定したら 
  アーリャ 女房のもんぺも 買う金も無い 
  アーリャ 誰も何方も 踊り子様よ 
  アーリャ ここらあたりで 文句やにかかる 
  アーリャ かかる文句は 何よと問えば 
  アーリャ ここに過ぎにし その物語り 

<郡上義民伝>上の巻       << 郡上MAP >>
○アーリャ 聞くも哀れな義民の話 
  アーリャ 時は宝暦五年の春よ 
  アーリャ 所は濃州(のうしゅう)郡上の藩に 
  アーリャ 領地三万八千石の 
  アーリャ その名金森出雲の守は 
  アーリャ 時の幕府のお奏者(そうじゃ)役で 
  アーリャ 派手な勤めにその身を忘れ 
  アーリャ すべて政治は家老に任せ 
  アーリャ 今日も明日もと栄華にふける 
  アーリャ 金が敵か浮世の習い 
  アーリャ お国家老の粥川(かゆかわ)仁兵衛 
  アーリャ お江戸家老と心を合わせ 
  アーリャ ここに悪事の企ていたす 
  アーリャ 哀れなるかな民百姓は 
  アーリャ あれもこれもと課税が増える 
  アーリャ わけて年貢の取りたてこそは 
  アーリャ いやが上にも厳しい詮議 
  アーリャ 下(しも)の難儀は一方(ひとかた)ならず 
  アーリャ かかる難儀に甚助殿は 
  アーリャ 上( かみ)の噂をしたとの科(とが)で 
  アーリャ すぐに捕らわれ水牢の責め苦 
  アーリャ 責めた挙げ句が穀見ケ原(こくみがはら)で 
  アーリャ 哀れなるかな仕置きと決まる 
  アーリャ かくて苦しむ百姓衆を 
  アーリャ 見るに見かねた名主の者が 
  アーリャ 名をば連ねて願い出すれど 
  アーリャ 叶うどころか詮議は荒く 
  アーリャ 火責め水責め算盤(そろばん)責めに 
  アーリャ 悶え苦しむ七十余人 
  アーリャ 餓え死にする者日に増すばかり 
  アーリャ 最早堪忍これまでなりと 
  アーリャ 誰が出したか回状が廻る 
  アーリャ 廻る回状が何よと問えば 
  アーリャ 北濃(ほくのう)一なるアノ那留ケ野(なるがの)に 
  アーリャ 心ある衆皆集まれと 
  アーリャ 事の次第が記してござる 
<郡上義民伝>中の巻
○アーリャ 時が来かよ三千余人 
  アーリャ 蓆旗(むしろばた)やら竹槍下げて 
  アーリャ 百姓ばかりが雲霞のごとく 
  アーリャ 既にお城へ寄せんず時に 
  アーリャ 待った待ったと人押し分けて 
  アーリャ 中に立ったは明方村の 
  アーリャ 気良(けら)じゃ名主の総代勤め 
  アーリャ 人に知られた善右衛門(ぜんねもん)殿で 
  アーリャ 江戸に下りて将軍様に 
  アーリャ 直訴駕籠訴(かごそ)を致さんものと 
  アーリャ 皆に図れば大勢の衆が 
  アーリャ 我も我もと心は一つ 
  アーリャ わけて気強い三十余人 
  アーリャ 道の難所と日数を重ね 
  アーリャ やがてついたが品川面(しながわおもて) 
  アーリャ されど哀れや御用の縄は 
  アーリャ 疲れ果てたるその人々を 
  アーリャ 一人残らず獄舎に繋ぐ 
  アーリャ 聞くも涙よ語るも涙 
  アーリャ ここに哀れな孝女の話 
  アーリャ 名主善右衛門に一人の娘 
  アーリャ 年は十七その名はおせき 
  アーリャ 父はお江戸で牢屋の責め苦 
  アーリャ 助け出すのは親への孝行 
  アーリャ そっと忍んで家出をいたし 
  アーリャ 長の道中もか弱い身とて 
  アーリャ ごまの蠅やら悪者どもに 
  アーリャ 既に命も危ういところ 
  アーリャ 通り合わした天下の力士 
  アーリャ 花も実もある松山関と 
  アーリャ 江戸屋親分幸七殿が 
  アーリャ 力合わせて娘を助け 
  アーリャ 江戸に連れ行き時節を待てば 
  アーリャ 神の力か仏の業(わざ)か 
  アーリャ 幸か不幸か牢屋が焼ける 
  アーリャ それに紛れて善右衛門殿は 
  アーリャ 逃れ逃れて墨田の土手で 
  アーリャ 巡り会うのも親子の縁よ 
  アーリャ 時節到来御老中様が 
  アーリャ 千代田城にと御登城と聞いて 
  アーリャ 名主善右衛門はじめといたし 
  アーリャ 同じ願いに五人の者は 
  アーリャ 芝で名代の将監橋で 
  アーリャ 恐れながらと駕籠訴をいたす 
  アーリャ かくて五人はその場を去らず 
  アーリャ 不浄縄にといましめられて 
  アーリャ 長い間の牢屋の住まい 
  アーリャ 待てど暮らせど吟味はあらず 
  アーリャ もはや最後の箱訴なりと 
  アーリャ 城下離れし市島村の 
  アーリャ 庄屋孫兵衛一味の者は 
  アーリャ 江戸に下りて将軍様に 
  アーリャ 箱訴なさんと出で立つ間際 
<郡上義民伝>下の巻
○アーリャ 話かわりて孫兵衛宅の 
 アーリャ 妹お滝は利発な生まれ
 アーリャ 年は十六つぼみの花を 
 アーリャ 水仕奉公と事偽りて 
 アーリャ 二年前から間者の苦労 
 アーリャ 今日も今日とて秘密を探り 
 アーリャ 家老屋敷をこっそり抜けて 
 アーリャ 家へ戻って語るを聞けば 
 アーリャ 下る道中太田の渡し 
 アーリャ そこに大勢待ち伏せなして 
 アーリャ 一人残らず捕らえるたくみ 
 アーリャ そこで孫兵衛にっこり笑い 
 アーリャ でかした妹この後とても 
 アーリャ 秘密探りて知らせてくれよ 
 アーリャ 言うてその夜に出立いたす 
 アーリャ 道の方角からりと変えて 
 アーリャ 伊勢路回りで桑名の渡し 
 アーリャ 宮の宿から船にと乗りて
 アーリャ 江戸に着いたは三月半ば 
 アーリャ 桃の節句はのどかに晴れる 
 アーリャ 四月三日に箱訴いたし 
 アーリャ すぐにお裁き難なく終わり
 アーリャ 悪政露見で金森様は 
 アーリャ ついにお家も断絶いたす 
 アーリャ それに連なる重役達も 
 アーリャ 重いお仕置きまた島流し 
 アーリャ 名主お庄屋その他の者は 
 アーリャ 願い主とて皆打ち首と 
 アーリャ ここに騒動も一段落し 
 アーリャ 宝暦九年は青葉の頃に 
 アーリャ 郡上藩へは丹後の宮津 
 アーリャ 宮津城主の青山様が 
 アーリャ 御高四万八千石で 
 アーリャ 御入城とは夢見る心地 
 アーリャ 政治万端天地の変わり 
 アーリャ 長の苦しみ一時に消えて 
 アーリャ いつものどかに郡上の里 
 アーリャ めでためでたの若松様か 
 アーリャ 枝も栄える葉も茂る 
 アーリャ これぞ義民の賜ぞとて 
 アーリャ ともに忘るなその勲し(いさおし)を 
 アーリャ ともに伝えん義民の誉れ 


 郡上踊り やっちく「郡上義民伝の巻」

   上の巻
 (アラヤッチク サッサ)
 わしがチョイト出て べんこそなけれど 私ゃ郡上の 山中家に住めば
 お見かけどおりの若輩なれば、声も立たぬがよ文句やも下手よ
 下手ながらもひとつは口説く 口説くに先立ち 頼みがござる
 とにかくお寺は 檀家衆がたより やせ畑作りは こやしがたより
 村の娘達ゃ若い衆がたより そして叉若い衆は娘さんがたより
 下手な音頭さんは お囃子たより やっちくやっちくさと お囃子たのむ
 調子が揃えば 文句やにかかる
 これは過ぎにし其の物語り 聞くも哀れな義民の話し

 (アラヤッチク サッサ)
 時は宝暦五年の春よ 所は濃州郡上の藩に 
 領地三万八千石の その名金森出雲の守は
 時の幕府のお奏者役で 派手な勤めに其の身を忘れ
 すべて政治は家老に任せ 今日も明日もと栄華に耽る
 金が敵か浮世の習い お国家老の粥川仁兵衛
 お江戸家老と心を合せ ここに悪事の企ていたす
 哀れなるかな民百姓は あれもこれもと課税がふえる
 わけて年貢の取りたてこそは いやが上にも厳しい詮議
 下の難儀は一方ならず かかる難儀に甚助殿は
 上の噂をしたとの科で すぐに捕らわれ水牢の責め苦
 責めたあげくが穀見ヶ原で 哀れなるかな仕置ときまる
 かくして苦しむ百姓衆を 見るに見かねて名主の者が
 名をば連ねて願い出すれど かなうどころか詮議は荒く
 火責め水責め算盤責めに 悶え苦しむ七十と余人
 飢え死にする者日に増すばかり もはや堪忍これ迄なりと
 誰が出したかよ回状が廻る 廻る回状が何よと問えば
 北濃一なるアノ那留ヶ野に、心ある衆は皆集まれと
 事の次第が記してござる

   中の巻
 時が来たかよ三千余人 蓆旗やら竹槍さげて
 百姓ばかりが雲霞のごとく 今にお城へ寄せんず時に
 待った待ったと人押し分けて 中に立ったは明方村の
 気良じゃ名主の総代勤め 人にゃ知られた善右衛門殿で
 江戸に下りて将軍様に 直訴駕籠訴を致さんものと
 皆に図れば大勢の衆が 我もわれもと心は一つ
 わけて気強い三十と余人 道の難所と日数を重ね
 やがて着いたのが品川表 されど哀れや御用の縄は
 疲れ果てたるその人々を 一人残らず獄舎に繋ぐ
 聞くも涙よ語るも涙 ここに哀れな孝女の話
 名主善右衛門に一人の娘 年は十七その名はおせき
 父はお江戸で牢屋の責め苦 助け出すのは親への孝行
 そっと忍んで家出をいたし 長の道中もかよわい身とて
 ごまの蝿やら悪者どもに すでに命も危ういところ
 通り合わした天下の力士 花も実もある松山関と
 江戸屋親分幸七殿が 力あわせて娘を助け
 江戸に連れ行き時節を待てば 神の力か仏の業か
 幸か不幸か牢屋が焼ける それに紛れて善右衛門殿は
 逃れのがれて隅田の土手で 巡り合うのも親子の縁よ
 時節到来御老中様が 千代田城にと御登城と聞いて
 名主善右衛門初めといたし  同じ願いに五人の者は
 芝で名代将監橋で 恐れながらと駕籠訴いたす
 かくて五人はその場を去らず 不浄縄にといましめられて
 長い間の牢屋の住まい 待てど暮らせど吟味はあらず
 も早や最後の箱訴なりと 江戸に下りて将軍様に
 箱訴なさんと出立間際

   下の巻
 話かわりて孫兵衛宅の 妹お滝は利発な生れ
 年は十六つぼみの花を 水仕奉公と事偽わりて
 二年前から間者の苦労 今日も今日とて秘密を探り
 家老屋敷をこっそり抜けて 家へ戻って語るを聞けば
 下る道中太田の渡し そこに大勢待ち伏せなして
 一人残らず捕えるたくみ そこで孫兵衛にっこり笑い
 でかした妹この後とても 秘密探りて知らせてくれよ
 言うてその夜に出立いたす 道の方角がらりと変えて
 伊勢路まわりで桑名の渡し 宮の宿から船にと乗りて
 江戸に着いたは三月なかば 桃の節句はのどかに晴れる
 城下離れし市島村の  庄屋孫兵衛一味の者は
 四月三日に箱訴いたし すぐにお裁き難なく終り
 悪政露見で金森様は 遂にお家も断絶致す
 それに連なる重役たちも 重いお仕置きまた島流し
 名主お庄屋その他の者は 願い主とて皆打ち首と
 ここに騒動も一段落し 宝暦九年は青葉の頃に
 郡上藩へは丹後の宮津 宮津城主の青山様が
 御高四万八千石で ご入城とは夢見る心地
 政治万端天地の変り 長の苦しみ一時に消えて
 いつものどかに郡上の里は 目出度めでたの若松様か
 枝も栄える葉もまた茂る これぞ義民の賜ぞとて
 共に忘るなその勲しを 共に伝えん義民の誉れ

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