DMBcorp

付記:小事件簿で紹介している記事の著作権は(有)DMBにあります。サイトのリニューアル前の記事の表現を一部校正しています。これらの記事は少なくとも10年ほど前の事案をベースに個人情報に配慮して記載しております。その後,各種法令やコンプライアンス規制が強まり,事案について記載することは非常に困難となっています。ご了承ください。

著者略歴:
水野貴司
1971年 高槻市に生まれる
大阪学院大学法学部卒
(株)審調社 業務員をへて
外資系損保嘱託調査員
(有)DMB取締役法務調査人
損保・法律事務所依頼事案調査にあたる

取材協力:
2005年9月:TBS「平成の保険の達人」番組製作協力
2006年7月:月刊THEMIS(テーミス)7月号p84にコメント掲載





【送料無料】看護婦たちの南方戦線

【送料無料】看護婦たちの南方戦線
価格:2,940円(税込、送料別)

保険調査員 小事件簿





第二話
「ミキサー車とポンプ車 ― 死の工事」


 事故の調査をしていると,不可解な事故に直面することがあります。もはや事故というより事件ではないかという事案さえ...。

 保険調査員が調査事務所に呼ばれたのはまだ寒さの残る季節。こういう寒い時期でも建設作業員は現場で工期と戦い,コスト削減のために労を惜しみません。調査の依頼者はコンクリートポンプ車の自動車保険を担当する保険会社。今回の事故は「事故原因調査」に専門的な知識が必要であることを痛感させられる事例です。

 Aさんはコンクリートポンプ車のドライバー。オペレーターとも言うようです。生コンクリート工事の方法がどういうものかはあまり知られていません。生コンはとても重い“液体”なので,ミキサー車で運ばれてきた生コンを工事現場の目当てのところに送り込むためには頑丈で長いホースのついたポンプが必要です。Aさんはそのポンプの役目をするポンプ車を操っていました。

 事故当時,Aさんはある新興住宅地内に建てられている完成間近のショッピングセンターの地下駐車場の床面コンクリート打ちを担当していました。当時の不景気の影響もあり,建設会社は驚くほど少人数で作業をさせるため,Aさんがこの事故に遭った時に近くで見ていた同僚は一人もいませんでした。Aさんは事故のあと病院に運ばれましたが息を引きとってしまわれました。

 Aさんの顔面には殴打されたような痕があり,発見された時,ポンプ車のエンジンがかかったままの状態だったということから,作業中に何らかの事故か“事件”に巻き込まれた可能性もありました。しかし,警察の動きから察するところ,事件扱いにはならなかったようなので,保険調査員も事故であってほしいと願いながら独自に調査を開始しました。

 Aさんには顔面の挫傷だけでなく頭部にも激しい挫創がみられたので,おそらくポンプ車かすぐ尻合わせに駐車されていたミキサー車のどちらかの高い位置にいたに違いありません。Aさんが発見された位置と外傷の程度から推測するに,おそらくミキサー車の後部ステップから転落したのではないかと思われました。この高さならAさんの頭部の外傷の説明がつきます。しかし,顔面の“殴打”は何が原因なのでしょうか?

 工事関係者の話によれば,Aさんは当時,おおかたの作業を終えて,自分のポンプ車を洗浄し後片付けをしていたとのことでした。ミキサー車のオペレーターは当時事故現場を離れて地上階にいましたが,彼の話によると,Aさんは当時,ポンプ車に残った生コンを処理していたのではないかと。

 保険調査員は現場工事関係者から,ふだんの生コンの残った分の処理の仕方を取材してみることにしました。その結果,事故現場の作業方法として,生コン打ちが終了すると,ポンプ車に残った生コンをポンプ車のホースを経由してミキサー車のホッパー(後部の一番高い位置にある漏斗状の受け皿)に直接返す「ホッパー返し」という作業をすることが慣例になっていたことが分かりました。Aさんはおそらくその作業をしていたのでしょう。ただ,気になったのは,発見当時,ポンプ車のホースはホッパーから外れていたことでした。

 関係者の話をさらに聞いてみると,実はこの「ホッパー返し」は命がけの作業だということが分かりました。ポンプ車のポンプ圧は,水を汲み上げるポンプとは比べものにならないほどの圧力を帯びています。ホース内に生コンが途切れなく満たされている時はホースの先端から適度に生コンが出てきますが,ポンプ車の生コンが残り少なくなるとホース内の生コンが途切れ途切れになり,ホースの先端から生コンが出たり空気が出たりするようになります。この,空気が出てくる時の圧力が,すさまじい衝撃を伴うものとなる場合があり,分厚く重いホースでも象が鼻を振り上げるがごとくに暴れるのだそうです。Aさんはつまりこの作業をしていてホースが顔面に当たり,転落してしまったと考えられるのです。

 保険調査員は念のためにある学会の資料を調べてみました。すると,「ホッパー返し」は教本通りの作業方法ではないことが分かりました。教科書的には,残った生コンは専用の升に入れて処分することになっており,升に入った生コンは別の運搬車で廃棄処分場へ持ち込むことになるようです。しかしこの方法は費用と時間と人手がかかります。採算重視の業界にあっては,Aさんのような被害に遭う危険と隣り合わせになってしまうのかもしれません。Aさんの場合は工事関係の保険など関係する保険会社が最善の金銭的手当てを行なったのがせめてもの慰めですが,できるなら,真に工事関係者の安全を重視した工事が行なわれることを願いたい気持ちになります。このことがあってから,保険調査員はどんなビルでも地下駐車場に入るたびに,Aさんのことを思い出さずにはいられません。



もくじへもどる / 第三話へ

「保険調査員になる方法」(400円)