思い出の名場面集

    日本にタジキスタン大使館がないので、まず成田からウズベキスタンのタシケントへ飛びました。

    ウズベキスタンのタジキスタン事務所で入国ビザをとりました。

   


ウズベキスタンからタジキスタンへの飛行機便はありません。

ウズベキスタンのタシケントのタジキスタン領事館での入国ビザをとり、
陸路をタクシーで山越えしてタジキスタンのホジャンド入国しました。
これはタジキスタン日本大使館の方が手配して置いてくださいましたが
全く言葉の通じない私たちです。
このタクシーでの山越えの行程は不安と緊張とでスリル満点。
幾つかの検問所を抜け、未知の世界に入る楽しさでワクワクしました。

そしてタジキスタンのホジャンドに入国してから、国内線で首都ドゥシャンベに飛びました。
タジキスタンは国土の93パーセントが山です。窓の景色は壮観でした。


    タジキスタン国内線 
    ホジャンド〜ドウシャンベへ飛行機は
    何時落ちてもおかしくないような旧式の小型飛行機でした。
    2日かかってドシャンベに着きました。
    空港には日本大使館員が迎えにでていてくださいました。
   


               2005年元旦風景   タジキスタンは常に水道、ガス、電気が止まりました・

 2005年の元旦は外は雪、室内は零下3度。ガスも電気もつかず寒くて寒くて
一日中こんなかっこうで 震えて過ごしました。
 夕方6時やっと電気が来てお茶にありつきました。
 これも今となると懐かしい思い出です。
 






 

最初の家主さんウスモンさん一家
大学側が探してくれた家でしたが、家賃が高いということで
出されてしまいました。
頑固親父のいいおじさんでした。
町内の寄り合いやパーテイーによく誘ってくれました。






近所のこども達は人懐っこく
「ハロウハロウ」と言ってよく私達について来ました。














2番目の家主さんは学生のフィルザ一家 5人兄弟です。
典型的なイスラムの暖かい家族でした。

家無しのとき一週間のホームステイをさせてもらいました。
最後まで真心でつきあってもらいました。
忘れられない人たちです。

 

私達の家
このスチームはロシア時代のもので現在は
使用されていません。オーブンも使用不可でした。
ガスは朝2時間、夕方2時間出るとのことでしたが
後半の6ヶ月は停止して、頼りは電気コンロだけでした。
それも停電の時は全くお手上げでした。

部屋代は家主の好意で電気代電話代こみで
月50ドルにしてもらいまいた。
(ちなみに私達の給料は二人で月40ドルでした。)

インターネットは個人で契約を結び電話回線をを使いました。
つながるのに時間がかかり苦労しました。
使用料金も毎月100ドル前後かかりまいた。
理由もなく不通になるのには参りました。
ほとんど自前の生活でした。

それでもこのタジクでインターネットが使えるのは幸運でした。
郵便機能が落ちていて手紙はほとんどあてになりませんでした。
日本の家族や友人との連絡は全てインターネットでやりました。

テレビはありません。
日本大使館に小さな図書棚があり
文庫本やDVD借りることができました。
パソコンで家庭シアターを楽しみました。
タジキスタンで「ダーテイハリー」や「寅さん」を鑑賞するのも
ふしぎな感覚でした。


水!水!水!




水には苦労しました。
綺麗な水はめったに出ません。
こんな茶色の水でも出たらラッキーな日です。
トイレに水が必要ですから。
毎日右下の写真の井戸まで行きバケツで水を運びました。
水汲み場まで自宅から500メートルぐらい。
60歳過ぎての水汲みはこたえましたが
男子学生が手伝いにきてくれました。
大使館員の好意で週に一度料理用の浄化水が届きました。
洗濯ものは白いものはだんだんグレー色になります。
洗濯機はありませんので手洗いでした。

シャワーは出ませんので
バケツで湯を沸かし水と混ぜてかぶりました。
ポトポト、と落ちる水も貴重です。一晩でバケツ1杯になります。
それを沸騰させて食器洗いなどに使いました。
不衛生な水の為、疫痢などになる人もいました。

しかし、この生活はタジクの都会生活者の普通の生活です。
私達が皆と同じ生活をしたことはとてもよかったと思います。
水汲みではお隣さんとも声を掛け合い
時にお茶にも呼んでくれました。




9月29日学生からの夫への誕生日プレゼント

パミールの手編み靴下
イスラム男性の帽子
タジクの茶器
ワイン




        





タジキスタンの果物は素晴らしかった。 
学生達が持って来てくれ柿とざくろ、本当に甘く美味しかったです。



       泉谷しげる来る!!



タジキスタンで殉死された秋野さんのテレビのドキュメンタリー「青いツバメ」
の撮影でタジキスタンを訪れた泉谷しげるさん。
邦人たちとの会食会ではご機嫌で「春夏秋冬」を歌ってくれました。




水タバコに挑戦





民族服を着て
















モスクワに続く汽車



タジクの汽車 この線はモスクワまで続いています。
モスクワへの出稼ぎがとても多いです。


通勤はミニバスで

私達の足は全てこのミニバスでした。
朝のラッシュの時は大変でした。1台に15人以上は乗ります。
お互いに助け合い、譲り合い、席の奪い合いはありません。
イスラム教社会の本質はここにあるのではないかと
タジク人気質にいつも心が和みました。

しかし、大切なデジカメを盗まれたのも
このミニバスに乗り込む一瞬の時でした。
少年でした。


学生たちと草原に行きました。


学生と草原にピクニック  蛇を見つけました。


このおじいさん目がみえません。
しかし200匹の羊の番をしていると話してくれました。



村の小学校
都会から一歩入るとまだこんな教室で子供達は
勉強しています。
本当に貧しい環境です。
しかし子供の表情は明るいです。




オペラ公演・タジク国立歌劇団の公演「椿姫」




素晴らしい出来でした。
貧しい予算に楽器も揃わないなかで
タジク人楽団員のオペラに対する情熱と精進に感動しました。。
旧ソ連の国だけあって芸術は大切にされているようでした。


ロシアの本物ボリショイ歌劇団の公演がありました。
これも素晴らしかった。



バザール




 











羊肉が主で
牛肉は高く、まして豚肉は手にはいりません。

  美しいイスラムの帽子


歩いて5分のところにバザールがありました。
タジク語で「1・2・3・」が言えて、それが聞き取れれば買い物できます。
3日に一度は食料を買いにでかけました。
中心部にはデパートやスーパー、高級スーパーもありますが
ほとんどの人はバザールで買い物をします。
各地域ごとに大きなバザールがあります。
最近は安い中国製品が多いようです。







大学での正月行事


タジク人は踊りと音楽が大好きです。
大学内でタジク音楽のコンサートがありました。




マンションのの壁画
まちのいたるところに壁画が描いてありました。



茶道の時間




私の学生たちは美人ばかりでした。
左の子は新婚ほやほや





学生に浴衣を着せました。大喜びでした。
左側のの二人はパミール人です。
パミール人は少し顔が違います。
人情が濃く、誇りが強いひとたちです。


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