富山港線80周年行事
船と電車で歴史探訪と路面電車の明日を一周
2004年10月9日
富山港線80周年記念行事−「船と電車で歴史探訪と路面電車の明日を一周」は、台風22号の接近という悪条件のもとだったが、参加者からは感動をもって喜ばれました取り組みとなりました。
県港湾課のすすめもあり「運河祭り」の前日である10月9日に決めたのは、6月頃だったと思います。10月10日ははれの特異日でもあることから、立山連峰と富山湾、そして中島閘門の機能をじかに見ることができるのが夢でしたが、見事にかき消されてしまいました。
大雨注意報、波浪注意報、さらに強風注意報のでるなかでしたが、9日午前7時、富山港クラブの武田会長の「今の状況なら船はだせます」との返答を信じ、万が一、天候が急変した場合は中止も覚悟のうえで決行を決めました。こんな天候のもとでも参加したいとの心意気の方々のことを思っての決断でした。
悪天候ではやむお得ぬと思える幾人かのキャンセルはあったものの、会員や一般の参加者、富山県の交通政策課など3人の子どもたちを含め30数名が環水公園から岩瀬のカナル会館へ10隻のプレジャーボートで出発しました。
陸から見た運河ではなく、運河から見た陸に歓声を上げ、中島閘門での扉(正式には何と呼ぶのだろうか)の動作に感激していました。富山港内ではさすがに運河と異なりかなりのうねりがありました。「海にも出会えた」との満足の声もはずみました。
カナル会館では「明日の運河祭り」は中島閘門の上流だけ、「岩瀬まで来てこそ本当の『運河祭り』ではないのか」『花見の時期にも計画してほしい』の声も上がっていました。雨の中、中島閘門には4人のボランティアさん(ボート固定用のロープ操作)も、いい勉強になりましたと喜んでもらえました。
路面電車化された富山港線と北部地域の活性化のために、富岸運河と中島閘門を回遊することを考えては! この提案があったのは、昨年7月の「富山港線探訪、路面電車を考える集い」のことでした。
知らないことだったとはいえ、富山港事務所からは運河と閘門の通行料が必要ですと知らされ、陸運局からは、言わば「海の白タク行為ではないのか」と質され、さらに海上保安庁からは「行事認可届け」をなどと散々で、こんなことで海に親しむことができるのかと想いながらも、事前の準備も大変なものでした。
森家の講演会には「明日の金沢の交通を考える市民会議」の代表、事務局長をはじめ6名の方々も参加されました。台風にも負けないで、「公共交通をまちづくりの道具に」の運動がいっぽ一歩確実に進んでいるように思えました。(S)
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