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活動形態:演劇ワークショップC
(*FはFメソッドの基本用語。自在性と自由性を指す。)
本日の稽古の流れはFコアから始まり、変則Fエチュードがあって、最後に
「おい」(F基礎T)の掛け合いでした。今日のFコアは任意の姿勢でやっ
た後に、ちょっといつもと違うアプローチがありました。任意の体勢をと
り、基本テクスト以外も使って組み立て、合図で止めて、次の合図で体制を
変えテクスト。それを何度か続けて脱力。言い終わってから抜かずに次、と
いう従来(?)と違い、言い終わってないところを止めて、別テクスト(途
中からとかも可)に移行することが一種の"仕掛け"になって、内面に動きが
出やすかったと思います。逆に体勢が変わったときに"抜け"ないように、内
面との対応に集中しました。
変則Fエチュードは、以前に何度かやりましたが、一人が受け、もう一方が
テクストを発語、終わったところで受け手が抜け、発語していたほうが受
け、次の者がテクストに入る、というものです。これもFサークルと同じで
入った瞬間から始まっていて、組み立て、受け、退場までが一連の流れで
す。テクストの組み立てや入ってからの相手との間合いなどはFエチュード
のときの繊細さも必要でした。自分には三回まわってきましたが、一回目は
入り方に注意し、二回目はちょっと崩して、三回目は集中力をものすごく使
いました。やってみると大体いつも「何かが違う」「こうじゃないかも」と
思ってしまいます。今日は特に二回目の崩したときに、声や組み立てに対
し、体が軽いというか違和感があって、内面が薄くなったように感じまし
た。そのため三回目では前の二人がどういう状況かをしっかりと視て、入る
前に受けるということをしっかり行ったうえで入るように意識しました。ま
た、最近は組み立ての時には、以前林さんが、たぶんテラの稽古時におっし
ゃっていた「吃語」のお話を意識するようにしています。「ただ詰まればい
いんじゃない、言いたくても言えない、言いよどむという体の状態があるは
ずだ」とか、そういう事だったと思いますが。自分の場合は、「オレスト」
テクストの場合、自分が人殺しだとか、神をも汚す男だとか、そういう認め
たくない、しかしまぎれも無い事実である、そういう台詞はやっぱり"口に
出すのもおぞましい"類の想いが内面にあると思ってやっています。最近ナ
レーションの事務所のスクールにも通っていますが、朗読などの時にこの考
え方はすごくためになっています。裏側の情報ってやつですね。
今日の林さんのお話にもありましたが、物語(情報)を伝えるだけなら演劇
表現でなくても、本でも十分だと。表層的な演技では伝わらない、軽い。し
かしそこに深さがあれば、あるいは受け手の状態にもよるかもしれないが、
現実ではないかもしれないではない、何百年も前の話がリアリティを持った
り、感動が生まれたりするかもしれないと。
深さを生むためには、情報を深く探ることも必要だと思うし、自分の内面と
身体の状態が合致していることも必要だと思います。最近思うのは、台本上
の人物がその台詞を生み出すに至る背景(内面)と自分(の内面)がどれだ
け深く関われるかということです。林さんが今まで何度も言ってこられたこ
とだと思うのですが、ようやく自分にもそのプロセスがなんとなくみえてき
た気がします。もっと訓練してものにしたいです。
最後の「おい」(F基礎T)の掛け合いは、気の交流と同じで相手との受
け・仕掛けのやり取りだと思います。もう何年もやっているため時々「あ
れ?(動きや仕掛け方が)パターン化しているかもしれない」と自分で感じ
ることも多く、それを回避するように気をつけていますが。今年入ったばか
りの子達は逆にまだうまくコミュニケーションが取れていないようで、聞い
ていてぎこちなさが伺えました。自分も四年前の夏にワークショップを始め
たばかりの頃はほとんどすべてが手探りで、林さんに止められては何が足り
なかったか考え、怒鳴られてはその言葉を受け止め、仲間と共に試行錯誤を
繰り返していました。彼らにもそうあってほしいと思います。林さんの言葉
通り、続けていて自然に見えてきたことも多いし、自分を見る目も徐々に育
ってきていると今は感じます。しかしながらまだまだ自分もヒヨッコ。学ぶ
ことは山ほどあるので、日々精進、ですね。
2006年12月14日
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