不自由な中でそれに抗おうとする身体
T.NAKA(21歳、俳優、男性) 

ファクトリー活動記録   
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2007年3月19日(月)
内容:Fメソッド基礎T、Fメソッド基礎U、FU応用


久しぶりのワークショップ、久しぶりのFメソッド。その為か見ること 聞くこと行うこと、体験の全てがとても新鮮に感じた。

身体、息、感覚。普段見落としがちな、自分自身から発せられる「内な る声」を拾おうとする行為はどれも刺激的で胸が高揚する。

「内なる身体」と「外なる身体」の交感(交換、コミュニケーションと いうよりはエクスチェンジ)。

「つっかえる身体」、「戸惑う身体」、「言いよどむ身体」。
虚構の空間の裂け目に現れる「実」を伴う身体こそが「内なる身体」で はないかとは林氏の言。この言葉を聞いて、先日の芝居(*自分が出演 した舞台)のことを思い出した。その内容は即興芝居を台本化してゆく というものだったのだが、その時から感じていたことがあった。一番最 初に打ち合わせも何も全く何もない状態の空間には、

●役者としての自分
●役としての自分
●物語構成での自分の役割(即興的脚本、即興的演出)

この三つの関係をどうバランスを取るかということに観る側もやる側も 意識をおき、また同じように舞台上でバランスをとろうとしている他者 との拮抗や交錯が、時に舞台上をもの凄く鋭利で目の離せない空間にし たことが幾度かあった。蛇足だが自分にはそれがサーカスの綱渡りの様 にみえた。辛うじて立てる一本の≪舞台≫という綱の上に、≪役柄≫と ≪演出・脚本≫という重しを両の手に持ってそれを≪役者≫という肉体 や精神が支えて歩く。更にその上で他者と関係を取ろうとする様はシン プルなやり取りでさえも目が離せないアクロバティックなものに見える 感じ。

けれども台本化していくとその関係性がどんどん希薄になっていって、 ただ与えられた言動をこなしていくものになってしまった。これはどう してだろう?何かが足りない…。楽になって不自由さがなくなったから か?

 「不自由さ」
思えば最近の舞台の様に自由奔放に動き回る芝居に足りないのは「不自 由さ」ではないだろうか?
「不自由な中でそれに抗おうとする身体」
自分が見たいのはそれなんだ。そう考えていた矢先での林氏の発言、や はり凄い…(笑)。

さぁ、そんな中での「F基礎U」
…やはり鈍ってました。早く復帰したい!そんな中で幾つかうっすらと 感じたことがありましたが、まだ文書化するには至っておらず、未だに 吟味している状態です。

やはり此処には自分と芝居の在り方を模索する為に必要な場だと改めて 感じた1日でした。



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