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2000年11月

11/28 犯人探し
 この人の日記の11/22分.とある会社で仕事上の問題が起こったとき,ある若手が「原因究明をやりましょう」と進言したところ,「犯人探しはやめようよ」と言われたという話.
 私がいる会社は創業者がIntel出身だったりしてあまり日本的風習がないのだが,そうか,日本的企業の中にはここまで腐れきってるところもあるものだなあと嘆息.

11/27 望まれなかった性転換
 昨日書いたペニスが事故でなくなってしまった男児を女児として育てたことについてのルポルタージュとして,『ブレンダと呼ばれた少年』(ジョン・コラピント著,村井 智之訳,無名舎)という本が出ている.

11/26 悪魔憑き
 山根さんが書いていて知ったのだが,記憶の研究で有名なLoftus博士が,今度はHotWiredの記事に出ているという.
 彼女は最近では偽記憶の研究で有名である.実際なかったことなのに,あたかも経験したかのように思い出してしまうという偽の記憶を埋め込む研究である.と聞くとかなりマッドサイエンティストな研究のように聞こえるが,実際はどおってことはない.本人が「ない」と言い切っても「いやあったでしょう,よく思い出してご覧」と柔らかく強制するだけである.それだけでなかったことをばんばんと思い出すのである,人間は.これについては『日経サイエンス』1997年12月号掲載されている記事が短くまとめられてわかりやすいのでよい.
 これはアメリカの現状が要求した研究で,というのは,セラピストがセラピー現場でそのような柔らかい強制によって,なかったはずの幼児虐待の記憶を捏造してしまい,結果として無実の親に罪がかぶせられるということが起こっているからである.ちなみに,なぜか幼児虐待には悪魔崇拝とか言う話がセットになるのがアメリカらしい.これは偽記憶症候群として問題になっており,私も以前書いたことがある.
 その時彼女が使った偽記憶というのは,ショッピングモールでの迷子とか比較的ありがちなものだった.それがなんで「悪魔憑き」なんて題材を使うようになったのかというのを考えてみる.この実験の背景から鑑みるに,裁判の現場で必要があったからではないだろうか.つまり,「迷子というようなありがちな体験に関しては,そのように偽記憶が作れるかもしれない.しかし悪魔憑きなんてありそうもないことで,そんな簡単に偽記憶は作れないでしょう.だからセラピー現場で思い出された悪魔崇拝の儀式は本物ですよ」みたいな論陣を張るやつがいたんだと憶測される.まあこのLoftusの実験からは,「悪魔憑きのようなありそうにないことに関しても偽記憶を埋め込むことができる」という結論の他に,「アメリカでは,悪魔憑きの記憶というのは,ショッピングモールでの迷子と同じくらいありそうなこととうけとめられている」という結論も導き出せる.後者なんじゃないの,アメリカだし(笑).

 しかしこの偽記憶の研究,偽記憶の存在がが広く社会的に認められるようになったら,非人道的と言われてしまうような気がする.だから今のうちがんがんやっておくべき研究であろう.今しかできない研究というのもあるのだ.心理学はそういう血塗られた歴史を持っている.
 最近も,割礼手術に失敗してペニスがなくなってしまった男の子を女の子として育てることを勧めた心理学者がいたりした.子供のころはよかったが,やはり長ずるにつれ問題が出てきたという実地の実験があったりした.

11/16 セブン−イレブン全国版
 ふと手元にあるセブン−イレブンのレシートを見ると,「ザ・テレビジョン首都圏版」という項目があった.それでわかることは,  後者はよく知られていることなので言うまでもないが,全国のセブン−イレブンの売り上げはPOSで集中管理されていて,商品流通も自動化されている.
 ということはだ,東京のセブン−イレブンで例えば四国版のザ・テレビジョンを買うと,ちゃんとレシートには「ザ・テレビジョン四国版」と出るのだろう.さらにそれはPOSにより管理センターに送られ,東京のセブン−イレブンで「ザ・テレビジョン四国版」が売れたことは記録に残るのだ.
 それが正しいとすれば,だ,
  1. 四国版のテレビジョンを入手し東京に持ってくる.
  2. それをセブン−イレブンに持ち込んであたかも雑誌棚から持ってきたかのようにレジに出し購入する.たぶんレジのバイト君はそのテレビジョンがどこ版かなんて気にせずそのままバーコード読んじゃうだろう.
  3. 怪しまれないように買う人を変え,毎日繰り返す.
  4. その店で四国版テレビジョンが「売れる」という情報がPOSに記録される.
  5. いつしかその東京のセブン−イレブンには四国版ザ・テレビジョンが入荷されるようになる.
とか思ったりするのだった.ソーシャルハッキングってやつ?(違う) このアイディアは,別に四国は高松に行ったときに,空港の売店で「ザ・テレビジョン」を見て「ここで買って飛行機の中で読んで家に帰っても使おう」とか思って買ったら,東京では番組表は全く使えなかったとか言う経験があることとは関係ない.

11/7 名誉教授と教授と捏造
 巷は石器捏造事件でにぎやかだが,そこで必ずコメントを求められるのが芹沢長介氏である.で,紹介される肩書きだが,ほとんどのマスコミでは「東北大名誉教授」と紹介されるのだが,(私が目にした限りでは)唯一地元紙の河北新報だけは見出しに「東北福祉大教授」と紹介している(本文中には東北大名誉教授であることも書かれてはいる).

 実は東北大のある宮城県では,いわゆる帝大・一期校である東北大の力は余り強くないと言われる.卒業生は大部分が地元に残らず中央に出ていってしまうからとか.だから地元ではどちらかというと,地元私大である東北学院大学(鈴木京香の母校だ)や東北福祉大学(大魔神佐々木の母校だ)の力の方が強いという.
 地元の新聞である河北新報が,芹沢長介氏を紹介する際に,おそらく社会一般的観点から見て価値が上な東北大名誉教授を用いずに,わざわざ東北福祉大教授を使うあたりはその辺にあるのではないかと邪推をしながらニュースを見てしまう今日この頃である.

 捏造自体に関して言えば,昔から学者は捏造をしてきたものであるので,今更驚くに値しないことである.だって具体的な成果をあげないとお金もらえないんだもん,研究するためには仕方ないでしょ.忘れてはならないのは,研究者は真理を追求するのが仕事ではなく,研究する(=論文を書く,遺跡を掘るetc)のが仕事なのである.これは本人達も含め世間が誤解しているところだが.その結果として真理が付いてくるかもしれないしこないかもしれない.キリスト教では神の起こす奇跡は信仰のきっかけであり,信仰の目的ではないといわれる話と似てるかな.
 で,成果が確実に出る保証などない以上(確実に成果が出るのが保証されているなら研究する意味がない),研究費が必要なでかい研究をする人達は,捏造してでも研究助成金をもらうという選択肢ももちろんでてくるわけである.俺的には学内政治に現を抜かしたり,研究しないしない無気力教授よりかはよほどましかと思うのだが.
 だからって研究助成金の審査を成果主義ではなくすことも出来ない.それ以外の誰もが納得する基準などないし.
 とは言え現在の日本の助成金審査も成果主義なのかというとそうでもない,強いて言えば人脈主義か.

11/4 春よ来い
 HMVでクラムボンを試聴したら,なんとはなしにはっぴいえんどを思い浮かべ,急にCDがほしくなる.たぶんスタンプが二倍になる水曜日まで待って買ってしまうんじゃないだろうか.
 ただ,こういう風に衝動的にCDがほしくなっても,「HMVは水曜日スタンプ二倍だし」とか思ってそれを待っている間に冷めてしまうというのが,実はままある.実はこのキャンペーンは逆に消費を抑制しているんじゃないだろうか(笑).
 実は渋谷のHMVに行く度に,YMOの「Solid state surviver」がほしくなるのだが(エスカレータ脇にジャケットが大きくディスプレイしてあるのだ),上記のような経緯でいまだに買っていないのであった.

11/3 愛の戦士たち
 CATVで『宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』をやっていたので見る.ヤマトは小学生のころそれなりに見ていたが,今見てみるとかなり右翼的・軍国的であることよ.
 地球の危機に沈没していた戦艦大和を復活させるというそもそもの発想がまずそうなわけだが,この『〜愛の戦士たち』では,ヤマトは上司の制止を振り切って勝手に発進してしまうのである(後で正式に認められるが).さらにヤマトはテレサやデスラーから白色彗星の弱点のヒントを教えられるが,それを全く地球防衛軍本部に報告しないのである.そのため防衛軍の艦隊は全滅してしまい,結局ヤマトが一隻で白色彗星と渡り合うことになる.弱点を突いてうまく白色彗星の防御帯を無力化するが,最後は刀折れ矢尽き,特攻することになるのだった.
 この独断専行現場主義ぶりといい特攻という発想と言い,なんと旧日本軍的であることか! この話の教訓は「愛の尊さ」などではなく,「独断専行の悲劇」であろう.思えばこんなすごい話がヒットする時代だったのだなあ,70年代は.

11/1 世間知らず
 大学の先生は世間知らずなんて言われ方はよくされる.私自身にとってはそれは当たり前のことなのではあるが,改めて最近実感した.
 これである.東大の先生様らしいが,曰く,「米国のテレビ番組は<中略>刺激的かつ低脳なバラエティー番組がほとんどない」(ちなみに中略した部分は意味が通らない.が文章全体の指向から略した方が意味が通るので略した)と.この先生は「ジェリー・スプリンガーショー」やWWFなんて見たことないんだろうな.
 ついでに「日本でもCATVや衛星だと見ることができるが,Discoveryチャンネルという放送があって,年がら年中サイエンス的な番組を流している.こんなことは,今の日本ではできないだろう.経営が成り立たないだろう」なんてことも言っている.確かに成り立たないかもしれないが,別にアメリカで成り立っているわけでもないんじゃないだろうか.視聴世帯数は世界149カ国1億8千万世帯なんだそうな(ディスカバリーチャンネルのページより).1960年代のBBCあたりから,ドキュメントは自国内だけでなく,海外の他の放送局にも売ってもうけることが前提になっている.いまやドキュメントだけでなく,バラエティ番組や番組企画自体もそうなっているというのは有名な話だ.今やテレビ番組作成というのはそれだけグローバルになっているのに,それを日本で云々と言うドメスティックな話に矮小化すれば,それは経営が成り立たなくなるだろう.

 ちなみに文章全体は,教員の質を問題にしていて,要は昔のデモシカ教師がいなくならない限り教育の改善は無理という内容.それ自体の批判はこの意見に同意.それからこの先生は科学技術と社会の乖離を問題視しているようだが,同じくらい「社会科学と社会の乖離」とかも問題にして欲しい.これは社会科学側が勝手に社会から離れていっているんだけどね.


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