Last modified: Tue Nov 28 21:38:09 JST 2000
しかしこの偽記憶の研究,偽記憶の存在がが広く社会的に認められるようになったら,非人道的と言われてしまうような気がする.だから今のうちがんがんやっておくべき研究であろう.今しかできない研究というのもあるのだ.心理学はそういう血塗られた歴史を持っている.
最近も,割礼手術に失敗してペニスがなくなってしまった男の子を女の子として育てることを勧めた心理学者がいたりした.子供のころはよかったが,やはり長ずるにつれ問題が出てきたという実地の実験があったりした.
実は東北大のある宮城県では,いわゆる帝大・一期校である東北大の力は余り強くないと言われる.卒業生は大部分が地元に残らず中央に出ていってしまうからとか.だから地元ではどちらかというと,地元私大である東北学院大学(鈴木京香の母校だ)や東北福祉大学(大魔神佐々木の母校だ)の力の方が強いという.
地元の新聞である河北新報が,芹沢長介氏を紹介する際に,おそらく社会一般的観点から見て価値が上な東北大名誉教授を用いずに,わざわざ東北福祉大教授を使うあたりはその辺にあるのではないかと邪推をしながらニュースを見てしまう今日この頃である.
捏造自体に関して言えば,昔から学者は捏造をしてきたものであるので,今更驚くに値しないことである.だって具体的な成果をあげないとお金もらえないんだもん,研究するためには仕方ないでしょ.忘れてはならないのは,研究者は真理を追求するのが仕事ではなく,研究する(=論文を書く,遺跡を掘るetc)のが仕事なのである.これは本人達も含め世間が誤解しているところだが.その結果として真理が付いてくるかもしれないしこないかもしれない.キリスト教では神の起こす奇跡は信仰のきっかけであり,信仰の目的ではないといわれる話と似てるかな.
で,成果が確実に出る保証などない以上(確実に成果が出るのが保証されているなら研究する意味がない),研究費が必要なでかい研究をする人達は,捏造してでも研究助成金をもらうという選択肢ももちろんでてくるわけである.俺的には学内政治に現を抜かしたり,研究しないしない無気力教授よりかはよほどましかと思うのだが.
だからって研究助成金の審査を成果主義ではなくすことも出来ない.それ以外の誰もが納得する基準などないし.
とは言え現在の日本の助成金審査も成果主義なのかというとそうでもない,強いて言えば人脈主義か.
ちなみに文章全体は,教員の質を問題にしていて,要は昔のデモシカ教師がいなくならない限り教育の改善は無理という内容.それ自体の批判はこの意見に同意.それからこの先生は科学技術と社会の乖離を問題視しているようだが,同じくらい「社会科学と社会の乖離」とかも問題にして欲しい.これは社会科学側が勝手に社会から離れていっているんだけどね.