たつきの妹 ドタバタ出産話 (2005年2月 

たつきの死産から約三年、2003年12月、
無事に女の子を出産することができました。

出産前日まで・・・・・

出産の2週間前くらいに、それまで没頭していたクロスステッチを仕上げることが
できました。そして、「さあ!出産準備」と思ったものの・・・
「また何か起きてしまったらどうしよう・・・」と思うと、赤ちゃん用品の準備が進められない
のです。この時から、極度の不安スパイラル(?)に陥ってしまいました。
(※これらのことについては→たつきの妹の妊娠を通して考えたこと、不安だったこと
ネットで調べては、不安で怖くなってしまう悪循環・・・。何も手につかないのです。

その時、書こうと思っていながら、書けなくなってしまっていた羊水検査のことを突然
思い出し、「これを書かないと、たっちゃんが怒っちゃうかも・・・」という気がしてきて、
大慌てで3日間くらいで書き上げ、お産の前日にギリギリセーフでアップしていました。
(まさか、翌日お産になるとは夢にも思っていませんでしたが・・。)

出産当日・・・・・

午前中、いつものように徒歩と電車で39週の検診に行くと、血圧が100ー174に
なっていて、すぐに看護婦さんに別室に呼ばれました。
「塩分に気をつけないと・・・上の子の世話で休めないの?」と言われ、
「塩分は気をつけているんです・・・」と、泣きそうな気持ちで答えました。
前回のお産のことをあれこれ訊かれ(カルテにはたつきのエコーが・・・)、
たつきのことを話しながら「不安でたまらない」と言い出したら涙が出てきてしまい、
「高血圧だと胎盤の早期剥離が心配で・・・」等と言いながら涙でボロボロ。
そこでもう一度血圧を測りなおしてもらうと、(本当は気を落ち着けなければ
いけなかったのに(−−;))先ほど程ではなかったけれどやっぱり高いのです。

暫く待合室で待ってから、先生の診察。血圧の事があるので、先生もいきなり
「もうお産にしましょう、今診てみますけど」と言いながら、エコー。
いつもと違うグラフのような画面を出したのですが、そのグラフがちょっと
不規則にガチャガチャしているように見えて、心音が不安定なのかと動揺し、
「赤ちゃんは大丈夫なんですか?」と訊きました。
どうやら大丈夫のようでした。「塩分には十分気をつけたんですけど」と言うと、
「これは塩分だけじゃなくて妊娠中毒ですから、赤ちゃんを出さないと血圧も
下がんないんですよ。赤ちゃんを出せば、血圧の薬も使えますから」とのこと。
その後、内診すると2cm開いているそうで、
「このままお産にしましょう。夕方くらいに生まれるようにしましょう。」と言われました。
夕方?今 全く陣痛もないのに?それは、無理じゃないか・・・と 唖然。
(過去二回 誘発分娩の経験があるので) それにしても、
こんな高血圧になってしまって・・・この病院で大丈夫なのかな、と不安でたまらず、
診察室を出るときにも、思わず 「大学病院へ行かなくても大丈夫なんですか?」
と訊いてしまいました(−−;)。心配のしすぎだったようで、
先生も看護婦さんも笑顔で「大丈夫ですよ^^」と・・・。

廊下に出ると、診察室から、先生の「血圧の薬は何があったっけ?」という声が・・。
看護士さんの「血圧の薬はあんまり無いんですよね〜」という声に、
だ・大丈夫かな?この病院で・・・という思いが、また頭をよぎりました(−−;)。

家族に電話を・・・と言われ、携帯を持っていない私は、受付で何度も10円玉に
両替してもらいながら病院のピンク電話(カードが使えない!)で、あちこちに電話。
電話をしていると、だんだんお腹ににぶい痛みが・・・・。
内診の刺激で、少しずつ痛みが始まったようでした。

分娩台へ・・・

電話の後、トイレへ行って、すぐに血圧を下げる薬と促進剤を飲みました。
「血圧が下がりすぎちゃう事はありませんか?」と、不安で堪らないので訊いてみました。
もう不安の塊で(−−)。「この薬は、弱い方だから大丈夫よ^^」と言われました。
一旦、個室のベットで分娩監視装置をお腹に付けたとたん、分娩室が空いているとのこと
で、分娩室へ移動になり、今度は分娩台にのって監視装置をお腹に巻きなおしました。
同時に、右手には血圧計をまかれました。自動で10分おきにはかるそう。
ああ良かった・・・これなら安心!誘発だから、ずっと分娩監視装置を付けたままらしい。
とても安心しました。でも、あと何時間もここで(狭い分娩台)過ごすのは不自由だなあ
と思っていると、いきなり赤ちゃんの心音が90くらいになってしまいました。
思わず「心音が下がってますけど、大丈夫ですか??」と言うと、
助産婦さんが「これが一時的なものなのか、続くものかちゃんと
監視しますからね。こういうことはあるんですよ」と言いました。
この時仰向けだったので、横向きにすることにし、左を下にすると心音は
すぐに戻り、そのまま過ごす事にしました。
とにかく不安で堪らなかったので、ここでもまた 「前回が死産で・・・」と、
不安で堪らない気持ちを、全く遠慮もなくしゃべりまくってしまって、
本当に・・・お騒がせな産婦でした(−−;)。

痛みはきているけれど、「は〜〜〜」とゆっくり吐いているだけで、十分過ごせる
程度。でも「もう大分いい痛みなんですよ、5分間隔くくらいですね」と言われました。
さすがに三人目は楽なんだなあ〜と、長男の時との大違いにびっくり。
分娩台に、水を置いてくれていたので、飲もうかな・・・と、ちょっと上体を上げて
飲んでいたら、監視装置が少しずれた感じが・・・するとまた心音がゆっくりに・・
慌てて「あの〜ちょっとこれ大丈夫なんですか〜?」と大声で言うと、
助産婦さんが二人で来て下さって、「左を下にするとだめみたいね〜右を下に
しましょうか」とまた姿勢を変えました。心音は戻ったけど酸素マスクが
付けられ、「鼻から息を吸って、口から吐き出してくださいね」と言われました。
点滴には「赤ちゃんの心音を助ける薬ですからね」と何やら薬を入れていました。
(一体何の薬だったのでしょうか・・・)
こんなに早く心音がさがるなんて・・・どうしてかな?後何時間も耐えられるのかな?
と不安になり、緊急帝王切開の可能性は?とか麻酔のことをあれこれと訊ねました。
この時は、帝王切開が怖いんじゃなくて、先生が一人の個人経営の産婦人科だった
ので、問題が起きた時に直ちに対応してもらえるのかどうかが不安でたまらず・・・。
たつきを生んだ時、看護士さんに「心音が○○くらいになったら、
10分以内に帝王切開で出してあげないと、普通の子(染色体異常が無くても)
でも大変なんだよ」と聞いていたので、心音が気になってしょうがなかったのです。

そのまま、右を下にして「は〜〜〜〜」っと息を吐くことに集中。
血圧は、薬の為か、全く問題は無く、結局出産まで大丈夫でした。

だんだん、膀胱におしっこがたまっていて痛いような感覚が出てきたので、
助産婦さんに訴えました。「膀胱も押されているからね〜」と言われましたが、
本当に「おしっこが出たいのに出ないような・・・膀胱が破裂するんじゃないかと
思うような感じ?」なんで、再度「やっぱり膀胱が・・」と言うと、
ジャーっと導尿してくださって「あら、結構溜まってたのね」とのこと。

誘発剤の2錠目を飲んで、ひたすら「は〜〜」の繰り返し。だんだん、辛くなってきて
きましたが、狭い分娩台の上で、右を下にした横向きの姿勢を変えられない
上に、右腕には血圧計が巻かれているので、何かにつかまったりもできず
ひたすら耐えていました。

何度か助産婦さんや先生の内診がありました。
赤ちゃんの心音は安定し、出産までバクバクととても元気で、その後は
全く落ちる事はありませんでした。

いよいよお産・・・

助産婦さんが再び内診した時に、「今、破水しましたね」
「子宮口が7cm開いているので、もうお産にしましょう。痛みを逃すよりも
どんどんいきんでくださいね。」と言われました。
え?いきんで良いのって子宮口が全開になってからでしょう?!
そうしないと、赤ちゃんに負担がかかるんじゃなかったっけ?
まだ7cmでしょう?まだいきみたくなんかないよ〜ぼ・膀胱が痛いだけだよ〜
と思っているうちに、脚に袋をつけられたり、パタパタと処置が行われ、
光が刺激になるといけないからと顔の上にバスタオルをのせられました。

そして、「深呼吸をしたら長くいきんでね・・・・」といきみかたの説明が続きますが、
頭の中は、「まだいきみたくなーい!」だし、酸素マスクの上からバスタオルだから
マスクがずれて何だか苦しい・・けど、右手は血圧計だし、握り棒を握って
いるから上手く直せない・・・でも、「直してください!」と言葉にする余裕なし。
(でも、「痛い!」という余裕はあったな^^;、言わない決意をしていたのに・・・。)
「足をちゃんと、台にのせて、台を押して・・・」と言われても、足台が見えない!
でも「台が見えないんです」と言う余裕もなし。
直そうと思うけれど、上手くいかない・・。
「体が曲がっていると赤ちゃんが上手く通れませんよ!」といわれ、
体を真っ直ぐにしなくちゃ!と思うのに、何も見えないと、どっちに
まがっているのか分からない!本当に何も見えないとパニックになることが
よくわかりました・・。お産の時に、目をつぶってはいけないんですね。

やっと、まともにいきめるようになっても、いきむと今度は痔が痛くて(お恥ずかしい)
思いっきりいきめないよぉ〜困ったなあ〜と思いつつ何度かいきんでいると、
急に産道がびよぉ〜〜んと思いっきり広がったような痛みの感触・・・・・。
「え?あ・頭が出た〜?」と思ったら、すぐにまた「え?体が出た?」という感触。
ええ??さっき子宮口7cmじゃなかったっけ?と一瞬思った後・・・・
バスタオルを取ってくださり、先生に取り上げてられているところを見ることが
出来ました。「おめでとうございます!」の声。
時計を見ると、まだお昼過ぎの1時ちょっと・・・。
薬を飲んでから、一時間半くらいしか経っていませんでした。
先生も「随分早かったですね。早くて夕方だと思ってました^^・・・」とのこと。

産声が・・・・・?

しかし、産声が無い・・・全く無い。シュルル〜シュゴーと吸引している音・・・・。
え?まさか?この音って、いろいろなHPに書かれていた音・・・。
慌てて「泣いてないんですけど、大丈夫なんですか?」と訊くと、
「そのうち泣きますよ。色も良いし大丈夫ですよ^^」とのこと。
確かに、色は普通の赤ちゃんだ。たつきとは違う。
心音はずっとバクバク元気だったから、まあ大丈夫なんだろうと安堵感。
それにしても・・無事に生まれたら絶対に感動で泣くだろうと思っていたのに、
急に生まれてしまった驚きと、産声がない・・・ことで、感動というよりも、
ボーーーーーっとしたままでした。

どうやら・・・赤ちゃんはうん●をしてしまったようで、助産婦さんの
「胎便あり」「胎便あり」という声が・・・・・(*ーー*)。。
それにしても、聞えてくる声は「ア〜」とか「ホゲッ」とかばかり。
産湯に入れられていても、「フギャ」とか「ア〜」とか短い声が、たまにするだけ。
長男の時は、生まれた瞬間から「フギャ〜フギャ〜」と元気いっぱいで、
産湯の間も、ずっと大泣きし続けていたのになあ・・・。
私の縫合処置している間中、「泣かないんですけど大丈夫ですか?」と
何度も繰り返し訊いてしまいました。

赤ちゃんは、殆んど泣かないまま体を洗ってもらって、やっと私の横へ・・・・・。
今度の赤ちゃんは、お兄ちゃん二人と違って、おまんじゅうみたいな輪郭で、
眉毛も薄く(お兄ちゃん二人は濃かった)、女の子という感じ。
「こんにちは!ママですよ〜」と声をかけると、片目を開けて私をジーっと私を
見つめているではないですか!看護師さんが「ほらこっちの目も開けなよ〜」と
閉じている方の目を開けてくれたのですが、手を離すとまた閉じてしまう。
なんだかとっても眠たそうな様子に、
「そうか、眠くて泣きたい心境じゃないのかな・・・?」と、思いました。

ありがとう・・・

ようこそ!3年ぶりの赤ちゃん!どうぞよろしくね。
赤ちゃんの世話という意味では、なんと8年ぶりになってしまいました。
生まれてくれて、どうもありがとう!

血圧注意という事で、個室で過ごす事になってしまいましたが、お産が軽かったので、
夕方には自分でトコトコと階段を下りて、新生児室をのぞいて見る余裕もありました。
これも・・・長男の時は、退院の時になっても、まだ会陰切開の傷が痛くて、階段を
降りるのも手すりにつかまりながらよ〜ろよろと・・・・・だったので、大違いでした。
ついつい、ダウン症かもしれないなあ〜ダウン症じゃないかな〜?と
見ながら考えてしまいました・・・。

その後は、たつきや、お兄ちゃんが生まれたときのこと・・・
お兄ちゃんが生まれた時にあんなに喜んでくれた天国の父のこと・・・
怒涛のように思い出して、胸がいっぱいになった入院生活でした。



何だかんだと、心配でたまらない妊娠生活でしたが、最後はあっけなく、
元気な赤ちゃんを産むことが出来ました。

妊娠中は、沢山の方に励まして頂きました。一人では、乗り切れなかった
と思います(涙)。本当にありがとうございました!